新規事業の取り組みや知見を発信するカンファレンスとして11月に開催された「NEXT Innovation Summit 2024 in Autumn」。その特別セッションに日本を代表する新規事業家・守屋実氏が登壇。最新著書「ザ・日本病 ~新規を阻む人間心理と組織力学~」を執筆した背景を語りました。
新規事業は“打席数”が一番大きな意味を持つ
守屋実氏(以下、守屋):僕は「新規事業家」と名乗っています。なんでもそうですが、1万時間ぐらいがんばると、その分野の専門性を一定程度獲得できる、と世間でなんとなく言われています。
僕は19歳の大学1年生の時に、先輩が作った学生ベンチャーに「お前も入れ」と言われて入って以来、ずっと新規事業に取り組んでいます。これまで1万日ぐらいやってきました。1万時間と比較すると1万日のほうが長い。だから、一定程度、新規事業は“量稽古”できているんじゃないかと思っています。そういう理由で「新規事業家」と名乗っています。
今言った新規事業家というものを、1行のキャッチコピーにすると、この算数になります。「55=17+23+15」です。

これが何を意味しているかと言うと、55が年齢、17が社内起業の数、23が独立起業の数、15が週末起業の数です。
一応みなさんにお伝えしておきたいのは、こうやって言うと「なんか僕、むちゃくちゃ新規事業が上手そう」に聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。その点は誤解のないようにしておきたいと思います。
基本的には、打率は少しずつ上がっています。さすがにまったくやったことがない時と比べれば、経験を重ねる中で多少の知恵はついているので、打率は上がっています。ただ、結局のところ、打席数が一番大きな意味を持つということをお伝えしたいです。
僕と初めての誰かが同時にスタートして新規事業に取り組んだとして、どちらがうまくいくかはわからない。ただ、量稽古をしている分、おそらく僕のほうが成功する可能性は高いはずです。ただし、それは可能性が高いだけで、結果はわかりません。そういう点を踏まえた上で、それでも「新規事業家」と名乗っている、ということをお伝えできればと思います。
今の算数をロゴで表すとこうなります。

そして、このロゴに意味を持たせると、こんな感じになります。

要は、新規事業家のフライホイールのイメージです。
成功の裏に隠れた数多くの失敗
守屋:僕は、ミスミやエムアウトといった会社で新規事業家の駆け出しとしてスタートし、一意専心、力戦奮闘で取り組んできました。がんばった結果、残念ながら失敗することもあれば、時には成功することもあります。そしてその経験をもとに、さらに挑戦したいと思うようになります。
その時、社内起業や独立起業など、目の前にある選択肢によって取り組む場は変わりますが、どの道でも新規事業に向き合い、一意専心で挑戦を繰り返します。そして成功や失敗を重ねながら、また次の挑戦へと進んでいく。それが新規事業家としてのサイクルです。
この「新規事業家」という肩書きはあまり一般的ではないので、少しわかりづらいかもしれません。ただ、弁護士に例えるとイメージしやすいと思います。弁護士は弁護を重ね、勝訴や敗訴を経験しながら、次の案件に挑む。同じように、新規事業に取り組み続けるから新規事業家と呼んでいるわけです。
いくつかの事例を紹介します。例えば僕がラクスルという会社に在籍していた時の話をすると、成功した事例だと思われることが多いです。一方で、今回お配りする『ザ・日本病』に書いた内容は、どうにもならなかった失敗の話です。このように、一方が強調されると、もう一方が見えづらくなることがあります。
極端な単純化は非常にわかりやすい一方で、現実離れしてしまうリスクを伴います。物事は必ず多面的なものなので、何かを強調すると、それ以外の部分が隠れてしまうのです。例えばラクスルの事例も、海面上に見える成功の裏には、氷山の下に隠れた数多くの失敗があります。

(スライドの)左側に書いてあるように、「成功は失敗の塊」です。物事は複雑で多面的であり、そのまま受け止めてもらえれば、本当に学びの糧になるはずです。ただし、単純化しすぎると、わかりやすさが優先されるあまり、事実と異なる印象を与えてしまうこともあります。この点についてはぜひご留意いただきたいと思います。
「これぞ失敗の典型」を小説にした理由
守屋:そういった内容をこの本にまとめました。少しこの本の説明をしてしまってもいいですかね。
佐古雅亮氏(以下、佐古):はい。お願いします。
守屋:よく聞かれるのが「失敗話を教えてください」ということなんです。新規事業は、僕の経験上、十中八九うまくいかない。だから、話している内容の8割から9割は失敗話なんですよ。
例えば「ラクスルでもこれだけの困難を乗り越えて、ようやく成功に至った」という話をしても、その途中で語った数多くの失敗についてはあまり注目されず、「最後はうまくいったんですよね」となってしまう。結果的に、「失敗話を教えてください」という質問が繰り返されるんです。
そこで、僕は「それなら失敗の最高傑作を作ってみよう」と考えました。集大成みたいなものです。ただ、実際にはそういった会社が存在するわけではないので、これまで関わったスタートアップや大企業での経験をもとに、いろんな事例を寄せ集め、「これぞ失敗の典型」というかたちで小説にしてみました。それが今回お配りする『ザ・日本病』です。
この本は「出版しない出版の売らないBOOKSシリーズ」として作ったもので、商標登録も取っています。失敗の集大成であって、ハッピーエンドの創作ではありません。例えばテレビドラマだと、全員が華々しく死ぬとか、前半の伏線を回収して驚くような大どんでん返しがあったりしますよね。でも、現実の日常はそうではありません。全編イライラするだけ、という感じです。
佐古:(笑)。
守屋:ここに書いてありますが、まさに「破滅行進、坐視終焉」という感じです。新規事業が失敗する時は、華々しく散るというより、全員が敗北して「やらなきゃよかった」と思うようなことも十分にあり得る。そういう物語を描いた小説です。
今回、アンケートにご回答いただいた方にはこの本をお配りしますが、「読んですかっとした!」という感想にはならないと思います。むしろ最後に「ちっ」と舌打ちしたくなるような後味を感じるかもしれません。
佐古:(笑)。
守屋:そんな本なので、僕のことを恨まないでくださいね。「なんか気分悪くなったじゃないか、守屋」と言われても、「もともとそういう本ですから」とお答えするしかありません。
挑む若手と阻む古狸…それぞれの正当性
守屋:また、今回の本ではちょっとした工夫をしました。本編に加えて別編を作り、それを群像劇のかたちで構成しています。
『ザ・日本病』の本編では、前田という若手の男性主人公が登場します。彼がいろんな人間関係や組織力学の中で孤軍奮闘しつつ、仲間たちとともに物語が進んでいきます。ただ、その中で「古狸」と呼ばれるような人物も登場します。読者はどうしても前田に感情移入するため、古狸が悪者に見えてしまうことがあると思います。
しかし、視点を変えるとどうでしょう。前田にとっては古狸たちに阻まれたと感じるかもしれませんが、古狸たちから見れば「自分たちは会社を守り抜いた」という見方もあるはずです。
佐古:確かにそうですね。
守屋:視点を移動させることで、物語のかたちはまったく違ったものになります。誰かが正しくて誰かが悪いという単純な構図ではなく、双方の立場にそれぞれの正当性がある、ということを示したかったのです。
そこで、別編『ザ・アナザーストーリー』を添付しています。「3人の真実」として、主人公以外の3人の視点から描いた物語です。こちらもぜひ読んでいただけるとうれしいです。
佐古:ありがとうございます。あくまで小説ですけど、これはいろんな会社で守屋さんが実際に見てきたことを1つのストーリーとして集成させた本ですね。
守屋:そうですね。ただ、これが結構難しかったんですよ。事実だけを横に並べても、話が通じなくなってしまうんです。だって、別の会社の話を寄せ集めているので、1本のストーリーにはならないんです。
そこで話をつなげるために、当然ながらアレンジしています。業界を少し変えたり、ストーリーを再構成したりして工夫を重ねました。その結果、だんだん何を書いているのかわからなくなるくらい複雑になってきて、「もともとの話って何だったっけ?」と思うほど、手を加えました。
佐古:イライラする展開もありましたけど、私は楽しく読ませていただきました。
守屋:ありがとうございます。読むのにどれくらいかかりましたか? 20分? 30分くらい?
佐古:そうですね、30分以内には読めると思います。おもしろい内容で、感情的には「くっそ~」と思うことが多かったですね。
守屋:そうですよね。「これでもか」というくらい、大企業にありがちなセリフを詰め込んでいます。僕は今55歳なんですけど、この世代の人間がよく言いそうなセリフがいくつか出てきているはずです。
逃げ切れることが見えている人たちが発する、どこか甘えたような発言とかね。そういうものが一定程度含まれていると思います。
商業出版の誘いを断った理由と“出版しない出版”を選んだ背景
佐古:みなさん、この本はとにかく売っていません。守屋さんが売らないかたちで届けたいと思った本です。
守屋:一応理由をお話ししておくと、こういった物語を書いていることを出版社の方に知っていただいたんです。それで「本にしようよ」と提案を受けたんです。
その時、出版社の方から「でもね、守屋さん、この話はあまりにもダメダメな内容だから、売れないと思います」と言われました。そして「最後に大どんでん返しみたいな展開を入れられませんか?」とも提案されたんです。
でも、それだとテレビドラマじゃないですか。現実ってそんなにうまくいかない。もし世の中が毎回ウルトラCで成功していたら、日本はもっと元気で、GAFAMも日本から生まれていたと思うんです。そうじゃないから、そうじゃないということを描きたかったんです。
せっかくのノンフィクションをフィクションにして夢物語にするのは良くないなと思いました。なので、「じゃあもう自分で出版しよう」と決めたんです。でも普通に出版するのも難しいので、「出版しない出版」という独自のかたちで出版してみました。それがこの本です。