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【手放すTALK LIVE#40】「教えて!指示ゼロ経営」ゲスト: 株式会社Tao and Knowledge代表/株式会社たくらみ屋代表 米澤晋也さん(全5記事)

売上を持ち逃げする社員もいて信用できないから自分でやる… 社長主導の新事業に失敗してたどり着いた「指示ゼロ経営」

管理しない組織や上司がいない会社、給料を自分たちで決める会社など、ユニークな進化型組織を調査する「手放す経営ラボラトリー」。同ラボが主催するイベント「手放すTALK LIVE」に、『指示ゼロ経営』の著者・米澤晋也氏がゲスト出演。社会活動家の武井浩三氏を相手に、父の急逝を受けて衰退産業の新聞販売店の社長に就任してからのエピソードを語りました。

40回目を迎えた「手放すTALK LIVE」

坂東孝浩氏(以下、坂東):今日は「手放すTALK LIVE」ということで、9時半までお送りしていきます。よろしくお願いします。スピーカーのご紹介はあとでするとして、まず私から今日のトークライブの趣旨をご説明をさせてもらいたいと思います。

「手放すTALK LIVE」がどういうものかについてですが、「常識や固定観念を手放す」をテーマに、ゲストを招いてお送りするトークイベントとなっています。今日はちょうど40回目なんですよね。すごく続けてきたものだなと思います。

ちなみに1回目を振り返ると、幻冬舎の箕輪厚介さんをお呼びして、当時はまだコロナ前だったので、福岡でリアルでやったのを思い出します。コロナになってからオンラインでやることが増えていますね。

「手放す経営ラボラトリー」についても少しご紹介します。新しい組織や経営スタイルを研究するラボということで、今日の米澤さんがされている「指示ゼロ経営」もそうですが、管理しない経営とか、上司がいない会社とか、評価を自分で決める会社とか。

そういった新しいかたちの組織や経営スタイルを、僕らは「進化型組織」と一括りにしています。最近で言うと『ティール組織』という本がけっこう有名になりましたが、そういった組織をおそらく日本で一番リサーチしているのではないかと思います。

コミュニティは2,500人ぐらいいて、僕らのチームは200人ぐらいですね。コミュニティカンパニーということで、コミュニティと会社がくっついているような、境目が曖昧な組織のかたちで運営をしています。

研究もしていますが、僕ら自身が新しい組織のかたちを実験・実践する活動体になります。いろんな活動をやっていますが、主には左上の「DXO」ですね。「DXO」と書いて「ディクソー」と読みます。

DXOは経営を進化させるプログラムで、テキストを無料公開していまして、今1万1,000部ぐらい配っている感じですね。それから今日のようなトークライブをしています。

あとは、今日のスピーカーでもある武井浩三さんがナビゲーターをしている経営塾。これからの時代の経営塾ということで、これはYouTubeで今月も含めてやっています。それから、由佐美加子さんという方と一緒に、経営の内面をひもとく公開セッションもやっています。

僕らの目的である「世界がごきげんにめざめる」に向かって、こういったいろいろなコンテンツやイベントをやっています。

米澤氏の魅力

坂東:ということで、今日のメインスピーカーの米澤晋也さん。株式会社たくらみ屋代表ということで、いかにもたくらんでいるような写真ですけど(笑)。

米澤晋也氏(以下、米澤):なんかあやしいですね。

坂東:あとでまた、詳しく米澤さん自身からお話しいただくんですけども、よかったら武井さんから、米澤さんはどんな方かという他己紹介をお願いしてもいいですか?

武井浩三氏(以下、武井):はい。みなさんこんばんは。米澤さんは僕のとっておきの一人ですね。

坂東:とっておきなんですね。

武井:そう。ホワイト企業大賞の委員を一緒に、もう4~5年ぐらいやらせていただいていて、一緒にいろんな会社を回ったりもしていますけど、彼がやっていた経営はほとんど僕がやっていたことと一緒なんですね。

坂東:なるほど。

武井:もちろん業種・業態や規模とか、いろんな文脈の中でちょっとした違いはあるんですけど、でも考えていることが本当にびっくりするぐらいまったく一緒で。それを、少しユーモアを持って、おもしろおかしくみんなでやる天才。

坂東:なるほど。

武井:彼の話はすごくおもしろい。なんだろう、話を聞いているとやりたくなっちゃう(笑)。そんな魅力のある方で、細かい具体的なところはこの後米澤さんに直接お話しいただきたいんですけれども、彼の話を聞くとなんかワクワクして、「こういうのをやりたくなっちゃうな」という経営者が出てくると思うんですよね。

いろんな視点から経営を見た時に理解が深まるきっかけになったりとか、「それだったらやってもいいな」と思える経営者さんとかも出てくるんじゃないかなと思うので。今日もライブ配信なのでコメントをいただけたら、いろんな質問とか深掘っていきたいなと思っていますので、お願いします。

坂東:よろしくお願いします。ということで、米澤さんと、今話していただいた社会システムデザイナーの武井浩三さんと、手放す経営ラボラトリーの所長の私、坂東孝浩の3人で進めていきたいと思います。よろしくお願いします。

父の急逝を受け、衰退産業の新聞販売店の社長に就任

坂東:それではさっそく、米澤さんにスタートを切っていただいて、進めていきたいと思います。

米澤:よろしくお願いします。僕はYouTubeで配信もしていて、見ていただいている方もいらっしゃると思います。米澤晋也と申します。今は長野県の自宅から入っています。

今回のトークライブのサムネイルは、みんなから「なんであの写真なの?」とよく言われるんですけど。松田優作の『探偵物語』って、たぶん若い人は知らないと思うんですけど……。

坂東:うわあ! そうなんだ。はいはい、わかる。

米澤:あのドラマでは、松田優作がベスパに乗っているんですよね。僕はずっと新聞屋さんをやってきていて、「あれ、カッコいいな」と思って、「だったら俺はスーパーカブであれをやろう」と言って、カメラマンを呼んで撮ったという。

僕は新聞屋さんを23年間経営してきました。1995年の3月に大学を卒業して、4月に都内のドラッグストアに入社して、3ヶ月後の7月に先代の父に末期がんが見つかって余命半年だということで、家業を継ぐことにしました。

その時点で、創業75年ぐらいの会社だったんですね。今は人口1万8,000人ぐらいしかない小さな町で、当時で2万人ぐらいでしたかね。その中で新聞屋さんを始めて、2年後の1997年が新聞市場のピークの年で、そこから衰退が始まっていくという。

坂東:なるほど。

米澤:大学を卒業して3ヶ月後に急に衰退産業の社長になった。すごく難しい局面で経営を任されたなと感じたんですよね。というか、はっきり言ってできないじゃないですか。

坂東:確かに。

米澤:それでもなんとかしなきゃいけないということで、1人でがんばったんです。なんで1人かというと、ちょっとこれを見ていただくと。新聞屋さんが読む業界紙というやつに、必ず指名手配のページがあって。

坂東:え?

米澤:なんか悪そうな顔をしているでしょう。

坂東:(笑)。

米澤:何をしたかというと、お客さまから集めた新聞代を持ち逃げしちゃっている。

坂東:すっご。本当の指名手配ですね。

米澤:本当の指名手配なんです。でね、こいつらってまた別の町に行って、新聞屋さんに入って同じことをするんです。だからこれは指名手配で、懸賞金をかけられているんですよ。

坂東:ああ。すごい。

米澤:そうなんです。こういう人たちがいるので、社風がすごく荒れちゃうんですよね。「自分たちの仕事に誇りが持てない」という社員もすごく多かった。

「彼ら社員を頼ることができないな」と思って、僕1人でかがんばって、いろいろとチャレンジしたんですけど、僕が手掛けた事業って100パーセント失敗しているんです。

坂東:(笑)。

指示命令のない経営を目指すことが「指示ゼロ経営」ではない

米澤:これは当時の写真ですけど、通販事業に手を出して1年ぐらいで潰れちゃったんですよね。「野沢菜漬け」ってけっこう売れたんですけど、ダメだったんですよ。発酵食品ってすごく扱いが難しくて、輸送途中に発酵が進んで酸っぱくなったとかでクレームが来て、「どうしよう、どうしよう」と。

結局、潰れるきっかけになった商品がこれなんです。「信州味噌で漬けた銀だらの西京漬け」。全部デタラメですよね。「なんで信州味噌で漬けて、なんで銀だらなんだよ。しかも西京漬けっていう」。

坂東:「ネタじゃないか?」と思うぐらいの。

米澤:でしょう?

坂東:でも、この事業を本気でやっていたわけですよね。

米澤:本気でやっていました。

坂東:(笑)。

米澤:「西京漬け」はやっぱりダメですね。歴史のある京都の人に怒られちゃいますね。鹿児島から1件だけ注文が来ました。

坂東:(笑)。

米澤:これは高い授業料だったとは思うんですけれども。「僕1人の力で経営はできない」ということを学ぶために、1,500万円ぐらい使ったので。ただ、それで「みんなの力で経営することができないかな?」と思ったんですよね。

最近まで僕は「必要に迫られてそういう組織作りをした」と思い込んでいたんですけど、それは間違いだなと感じていて。「そもそも人を管理するのもされるのも嫌いだから」というのが本当の理由です。

坂東:なるほど。

米澤:で、後に「指示ゼロ経営」という名前を付けたわけですけど、キャッチーにしたかったからそういう名前を付けたんですけど、とにかく名前が良くない。「指示命令がない会社を目指す」だとすごく誤解されるんです。あるいは「指示命令しないと会社が良くなる」。そんなので会社が良くなれば誰だってできちゃうわけで。

そうではなくて、いい会社を作っていこうと。みんなの力でいい会社を作ると必然的に指示命令がなくなって、自律性が高まっていくんですよね。結果的に指示命令がなくなるという現象が起きるという。そんな感じで、「指示ゼロ経営は指示命令のない経営を目指すわけじゃないよ」というところだけ最初にお伝えしたいという。

坂東:(笑)。

「銀だら事件」で得た気づき

坂東:いわゆる「指示ゼロ経営」はいつ頃からされたんですか?

米澤:後に「銀だら事件」という名前が付いたんですけれども、銀だら事件が……。

坂東:先ほどのやつ。

米澤:そうです。あれは確か、2001年、21世紀に入った瞬間にあれをやってしまったんですよね。その後、1年間くらい会社に行く気がしなくて。

坂東:だいぶショックだったんですね。

米澤:そうなんです。半年以上はドライブばかり。放浪していました。

坂東:へえ。放浪した末に整理がついて、「こうしよう」と思って帰ってきた感じですか?

米澤:「どうやって社長を辞めようかな」とも思っていたんですけど。

坂東:そうなんですね(笑)。

米澤:ちょっと勇気がなくて。75年も続く会社の3代目で、正直なことを言うと、「ここで手放すと、世間からボロクソ言われるんだろうな」というので我慢したという感じで。

坂東:世間というのは生まれ育った地域ですよね。

米澤:そうです。田舎のしがらみの多いところでね。

坂東:もちろんそうですよね。人間関係が強いですものね。

米澤:それでやることに決めたんですけど、その時に、やはり「自分1人で経営ができるわけがないな」と思って。あと今日は「手放す」というキーワードがありますけど、この話は最後のほうにしたいなと思っていたんですけども、僕は親父の死に目に立ち会っているんです。「人が死ぬ瞬間ってこうやって死ぬんだ」というのを見た時にトラウマになっちゃいましてね。

坂東:へえ。

米澤:よく「息を引き取る」って言いますけど、人って本当に息を吸って死ぬんですね。大きく息を吸って、「あれ?」と思ったら、医者が「ご臨終です」と言った。末期がんで壮絶な半年間だったんですが、当時、30年近く前ですけど、親父には末期がんということは言わなかったんです。

その半年間で僕は親父に起きた変化をずっと見ていて、僕は会社を継いだわけなんですけど、「僕の会社」という感覚はまったくなくて。またあとでお話ししたいと思うんですけども。

指示ゼロ経営の進め方

坂東:「指示ゼロ経営は、単純に指示をゼロにするわけじゃない」と先ほど言われていたんですけど、知らない方もいるかとも思うので、どのようにしてこれを進めていくのかとか、これをやるとどうなるのかについてお話しいただいてもいいですか。

米澤:(スライドのように)僕はPDCAを「PDS」(Plan=計画・デザイン、Do=実行、See=検証)と3つに省略して三角形を描いています。

なんかやる時ってみんなで集まって、適当にデザインするじゃないですか。計画と言うほど大したものじゃないんですけどね。計画したって計画通り行くわけないから、とりあえず大まかにみんなでデザインしたら「やってみよう」と。やるとわかることがあるので、それを検証して、「じゃあこういうふうにしてみよう」と、やっては直し、やっては直しという。

これって別にそんなに新しい考え方ではなく、人類がホモサピエンスになる前、100万年前くらいからやっていたと言われているんですよね。

坂東:言われているんですね(笑)。

米澤:学者の人に、「お前はさも新しいことを発見したかのように言っているけど、こんなのは大昔からやっているだろ」と言われたことがあったんですよね。常に動的で、行き当たりばったりみたいな感じでやっていくわけだと思うんですけど。

(スライドの)ここに変な線が入っていますけど、上司が決めたことを部下がやらされる。上司にそれを報告して、上司が検討して、「じゃあこういうふうに今度はしてみて」と。こういう斜めの線が入っているんですよね。

(コロナ禍の)未曽有の3年間で、一生懸命上司がPDSを回すと、部下のみなさんは上司が作り出した変化に巻き込まれて疲弊しちゃうんですよね。

坂東:なるほど。

米澤:「また上司が違うことを言い出した」「一貫性がない」「エビデンスは?」みたいな感じで。だからこの線はなくしましょうというのが僕の考え方です。

坂東:ほう。線というのは壁というか分断みたいな感じですか?

米澤:そうですね。要するに「決める側」と「やらされる側」。

坂東:なるほどなるほど。世界が違っちゃっていると。一緒じゃないってことですね。

米澤:そうなんです。だからこれを取っ払ってしまおうと。親父ギャグで、三角に参画するという。

坂東:三角に参画する。なるほど(笑)。

目指すのは「数字を作る」ことではない

米澤:プランに参画することで自分ごとになると思うんですね。理解が深まる。ただ、これを1人でやるのは無理だと思うんですよ。よっぽどすごい人ならできると思うんですけど、アイデアも尽きちゃうし、回し続けるって3回も失敗したら嫌になっちゃいますからね。

坂東:確かに。

米澤:それで、(スライドの)こんな感じにする。「三人寄れば文殊の知恵」でアイデアを出して、役割分担を自分たちで決めて、みんなでこれをやっていきましょうと。

僕がやると、今度は銀だらじゃなくて鮭の西京漬けとかを売り出すかもしれない。社員もたぶん、「この人に無条件に付いていったら地獄に連れて行かれる」って思ったと思うんですね(笑)。

あと、僕は人を管理するのも嫌いだし、管理されるのも嫌いだから、僕の性に合っていたんだと思う。

PDSを回し続けるのは意思決定の連続ですが、情報がないと意思決定ができないので、ちゃんと情報公開をしましょうという。

坂東:なるほど。

米澤:「これをするとどうなるのか」ですけど、うまくいけば、みんなで協働する中で自分の居場所ができる。自分に居場所があって周りに認められて、「俺っていいじゃん。イケてるじゃん」と思える。あと、仲間に対してもそう思える。仲間をすごくリスペクトできるという。

じゃあPDSでテーマを何にするかってすごく大切なんですけど。ちょっと前にニュースになった会社みたいに、お客さまから預かった車をどうやって壊すかとかっていうことでPDSを……。

坂東:(笑)。

米澤:だと、幸せを感じないじゃないですか。罪悪感ばかりで。

坂東:大きいモーターの会社ですね。

米澤:そうそう。「そうじゃなくて、お客さんに喜ばれることをしようよ」という。僕はすごく単純な話だと思うんですけど、数字を作るとかじゃなくて、お客さんとすごくいい関係を作って、お客さんにうんと喜ばれるということだと思うんですよ。それによって、貢献感が生まれる。

あと、仲間と一緒に何かをするという挑戦の楽しさとか、切磋琢磨して人間的に成長するとか。こういうものが、PDSを回すにことで得られ、それがまたPDSを回すエネルギーになって循環していくと思ったんです。

こういうかたちになるのが「指示ゼロ経営」で、仕事でこれが感じられることが、僕は一番大切なことかなと思っています。

坂東:なるほどなるほど。ありがとうございます。

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