2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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浜野慶一氏(以下、浜野):我々が今、考えている大きな方向性は3つあります。
我々は東京でものづくりをしているので、人件費も土地代も高く、近隣のお宅とも近いので騒音の課題があったり、大きなトラックが入れる道がなかったり。他の地域や海外の生産拠点と同じことをやっても、とても太刀打ちができず、勝ち目はありません。
しかし、一見デメリットに見える東京という地域性も、目線や見方、枠組み、仕組みを変えることでメリットにするような「ものづくり」をここから発信できるんじゃないか。そういった考えで、ものづくりの情報の上流からコミットメントしていこうとしています。
そして、下請けの仕事自体は誇り高い仕事であって、胸を張ってやればいいと思いますが、下請け体質からは脱却していこうと。これは非常に大切なことだと思っています。
あと、我々1社でできることには限界があるので、それぞれの強みを持った中小企業や大学、大企業、ベンチャー企業、あるいは行政機関も含めてネットワークを組んで、プロジェクトごとにそれぞれの強みを持ち寄って、仕事をしていく。こういうことを大きな方向性として考えています。
また、変革のきっかけとなった「ありがとう」と言われるものづくり。これは今から15年ほど前、まだ部品加工しかやっておらず従業員数も5人ぐらいだった時に、車椅子に乗った女の子のお父さんからのご依頼で、小さなユニット装置を作ったんですね。
今まで「ありがとう」と言われたことがなかったんですが、この装置を作った時に、「ありがとうございました」とたくさんの感謝をもらったんですね。吹けば飛ぶような小さな町工場ですが、人から感謝をされたり、お嬢さんの未来やお父さんの願い、ご家族の絆、そういうものにつながるものづくりって、非常に誇り高い仕事だなと思いました。
当時は溶接や板金の職人しかおらず、十分な装置開発ができなかったんですが、「ありがとう」と言われるものづくりを目指すという、事業構造を変革する大きなきっかけになりました。
浜野:その後、電気自動車や深海探査艇なども作りましたが、こういうものを作って一発当ててやろうとか、新たな収益の柱にするというよりも、事業構造を変え、人を育てていく中で産学連携に取り組んだというものです。
その他、配財プロジェクトや、キッザニアさんと組んで、キッザニアさんではできない職業体験を弊社でやったりもしています。
日本テレビさんの開局60周年記念番組では、こういったロボットも作りました。
こちらは、すみだファクトリーめぐり「スミファ」という墨田区の工場巡りですね。私は10年ほど実行委員会の委員長をやっていまして、こういう活動も含めて、地域との関係性や弊社スタッフの新たなチャレンジなどをやっています。
私は個別最適は必ずしも全体最適にならないと考えています。社長はもちろんのこと、働いている従業員さんも常に全体を見て、今の自分たちのポジションや、自分たちの仕事の位置付けや意味合い、価値などをしっかりと理解して、仕事をしないといけないと思っています。
最近は優秀なメンバーが、インターンシップから弊社に入社してくれています。私の下には副社長が2人います。2人とも30代で、1人は一橋大学経済学部卒、もう1人は慶応大学から大手メーカーに行って転職をしてきました。両副社長の下には役職部長しかありませんが、部長級も全員が30代です。
浜野:最後に、冒頭にお話をさせていただいた都市型・先進ものづくりへの挑戦をしていく、ものづくりのインキュベーション施設ですが、これまでに300社を超えるスタートアップ、ハードウェア系のベンチャー企業や大企業の新規事業の支援を行っています。
こちらはけっこう有名になったベンチャー企業ですが、4年前に『Forbes JAPAN』が日米厳選で「世界を変えるスタートアップ100選」という特集を組みまして、その中に我々と関わりのあるベンチャーが11社入りました。
Garage Sumidaでは圧倒的なスピードで0→1を回していますが、これは体の大きい大企業ではなかなかできないんですね。これまでであれば、我々が下請けとしてやっていた部分を、我々が支援をしながらGarage Sumidaでやって行く。このように事業構造を変えています。
今までは、我々ものづくり、サプライチェーンは左側でしたが、これからの関係性は右側のようにあるべきじゃないかと考えています。
成長に必要な能力って、製造業ですと幹・枝・葉にあたる技術・スキル・ノウハウを高めようとするのは間違いではないのですが、企業文化や働き方、例えば労務制度だったり、人間関係、会社の雰囲気であったり、そしてそれをしっかりと実行するスタッフのモラル。こういうものがないと、大きな木には成長していかないんじゃないかと考えます。
以上、浜野製作所の事業概要をお伝えさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
松浦真弓氏(以下、松浦):プレゼンありがとうございました。ここからは浜野さんと私、アステリアエバンジェリストの松浦が、対談形式でインタビューをお送りさせていただきたいと思います。
ものづくりトークライブは実は3回目でして、今回は町工場を舞台としたDXについて、お話をうかがいます。中小企業の星とも言える浜野さんには、ぜひ中小企業のみなさんを勇気付けるメッセージをいただきたいと思っています。まず、私は浜野さんのことを存じ上げなかったんですが、お話を聞いて波乱万丈、山あり谷ありの人生をくぐり抜けていらした方だと思ったんですけれども。
浜野:(笑)。
松浦:このパワフルさを見て、創業社長かなと思ったんですね。でも2代目だとお聞きして、「意外だな」と思ったんですが、なぜ浜野製作所を継ごうと思われたんですか?
浜野:そもそも継ぐ気はまったくなかったんですね。小さい頃からいわゆる家族経営で、自宅と工場も一緒でしたから、経営幹部と言ったら父親と母親の2人しかいなくて、毎日ケンカしているんですよ。
そういう姿を見ていて、中学校2年生くらいの時から、「両親は本当はこんな小さな町工場で仕事なんかしたくないんだ。だけど学歴があるわけじゃないし、今さら他の商売ができるわけでもなく、子どもたちにご飯を食べさせなきゃいけない。だから生活のために、生きていくために仕方がなくこの仕事をやっているんだな」と思っていたんですけども。
大学4年の就職活動していた時に、父と一緒に致し方ない状況で、飲みに行く羽目になりまして。人生で初めて親父とのサシ飲みだったんですけれども、その時に父が私にこう言ったんですよ。
私は慶一というんですけど、「慶一な。お父さんもお母さんも、こんな小さな町工場で仕事をしているけれども、ものづくりって楽しいよ。誇り高い仕事だ」と言ってくれて。それまではなんとなく、会社の見た目や従業員数や売上、どこに勤務地があるといったところで会社の良し悪しを判断していたと、すごく恥ずかしく思ったんですね。
そんな素敵な仕事なら誰かが継がないと、浜野製作所がなくなっちゃうんじゃないかと2~3ヶ月考えました。そして父に相談して、継ぐために板橋区の町工場に丁稚奉公に行くことになりました。そこで、先ほどお話をした火事の時に「辞めない」と言ってくれた金岡との衝撃的な出会いがありました。
松浦:火事の後に金岡さんが「私は辞めない」と言ってくださって、そこから受賞もたくさんされて、墨田区のフレッシュゆめ工場に認定されたりと、痛快な復活劇があるわけですね。事業がうまく展開していくきっかけになったのはどういうことですか?
浜野:ダイジェストでお話をすると、なんか急激にうまくいったように見えますが、そんなことはあるわけがなくて(笑)。紆余曲折、山あり谷ありがあって、ちょっとずつちょっとずつですね。事業構造を変え、収益構造を変え、さらに「お客様・スタッフ・地域」「感謝・還元をしていく」という経営理念を絶対曲げないと。
優秀なスタッフ、若手が我々の思いに共感して入ってくれて、こんな町工場から日本のものづくりを、世界のものづくりを変えていくという気概を持ったメンバーが集まってきて。もちろん出たり入ったりはありますけれどもね。今も試行錯誤の最中だと思っています。
松浦:ありがとうございます。やはり今のお話を聞いても、さまざまな新しいことに積極的にチャレンジし続けるのが、浜野さんの成功の秘密かなと思ったんですが、その新しいことをし続けるパワーは浜野さんのどこから出てくるのでしょうか。
浜野:何なんでしょうね。特にパワーがあるわけではないんですけれどもね。エネルギッシュなわけでもないと思いますし。
松浦:そんなことはないと思いますよ(笑)。
浜野:ただ単純に「おもしろいな」と思えるところ。そして、おもしろいことがどのようなかたちで会社や人の成長に役立つのか。事業構造を変えていくとか、プロジェクトを通していろんな方々とご縁を持てることも新たな販路開拓の1つになるはずなんですね。
松浦:なるほど。
浜野:今までの我々は、いわゆる受託型、請負型、下請け型の受注体制だったんですね。そうなると、ご縁が持てる方が極めて狭くなる。業界や業種、年齢、性別、国籍も含めてそういう枠を取っ払ったことで、新たな世界が見えてきたんじゃないかと感じています。
松浦:新しい出会いが、浜野製作所の快進撃を支えてきたという感じですかね。
浜野:快進撃ではないと思いますけども、支えてくれたのは確かなことだと思います。
松浦:先ほどのプレゼンテーションの中で、経営理念を社員の方々だけでなく取引先の方々にも共有して、「同意を得ないとお仕事を始めません」というお話があったと思うんですけれども。
その思いやビジョンは、やはり社長や経営層の方々のリーダーシップにつながるのかなと考えますが、社内だけでなく、地域のみなさんを巻き込んで物事を進めていく浜野さんの強力なリーダーシップは、どのように身に付けられたんですか?
浜野:そういうふうによく言っていただけるんですけれども、特にリーダーシップがあるわけでもないですし、ぜんぜん親分肌でも何でもないです。ただ、弊社のスタッフは全員が長ったらしい経営理念をそらで言えます。暗記をしてくれています。
別に私が「無理矢理やれ」と言ったわけではないですけれども、みんなが自発的に経営理念の唱和をしてくれるようになって。インターンシップや入社後の新人研修の時も、みんなが朝唱和をしていて、最初のうちは何なんだろうなと感じている。実は研修の中で私は必ず2時間くらいかけて、経営理念やその背景を全員に話すんですね。
松浦:はい。
浜野:お客様すべてが経営理念とそぐわないと取引をしないとか(笑)、そんな偉そうなことを言える会社ではないです。ただ強制をしたり、無理をするのはあまり意味がないと思っています。
社内でも社外でも、「こんなのあるけども、やらないか」という話になった時に、そのプロジェクトを通してどういう世界を描いたり、どういう姿を目指すかに共感でき、ぜひやりたいという人たちはウェルカムです。「ちょっと違うな」とか、場合によっては、「理解できるけど、忙しくてそんなことをやっている場合じゃない」という人たちだっていっぱいいるじゃないですか。
だから、そういう人たちには無理をするなと。「タイミングがあったら必ず声をかけるから、その時にもし時間があったら一緒にやろう」と。強制をしないことが、仲間たちが集まってくれる理由かもしれないと思っています。
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