2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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司会者:藤田晋代表取締役社長による講演「サイバーエージェントの人づくり、組織づくり」。ご紹介するまでもないかと思いますが、プロフィールに1つ書き加えるとすると青山学院大経営学部のご卒業です。
(会場笑)
それでは藤田さん、よろしくお願いします。
(会場拍手)
藤田晋氏:サイバーエージェントの社長の藤田でございます。座って失礼いたします。
今日はサーバントリーダーシップフォーラムに呼んでいただきまして。私は会社を創って21年経ったところですが、会社を創ったときはこの「サーバントリーダーシップ」(注:「リーダーである人は、まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」というリーダーシップ哲学)という言葉をぜんぜん知らなかったんです。
ある日、サーバントリーダーシップに関する本が書店に並んでいるのを見かけて、それを読んだときに自分が経営者として実践してきたこと・考えてきたことと非常に近いと感じました。もしかしたら青山学院で教えられたことなのかもしれないですけど、この考え方にとても興味を持ちました。
僕は現役の経営者のため、常に現場で試行錯誤をして自分のスタイルというか、会社の考え方を日々アップデートしながら経営しているところです。
自分ではサーバントリーダーシップのような、人の能力を引き出す経営をしてきたつもりなので、今日は会社がどのように成り立って、どんな施策を実施しているのかを具体的にお伝えしたいと思います。あとは僕自身の生い立ちというか、これまでの自分の経験を通じて「なぜそういう考え方になっていったのか」をお話しさせていただきたいと思います。
プロフィールですが、現在45歳でございまして。学校を卒業して新卒で入った会社に1年間いて、その会社の出資を受けてサイバーエージェントを設立しております。現在21年目です。
スライドがだいたい創業時期からの売上高の推移です。見ていただいてわかりますとおり、基本的には右肩上がりで拡大を続けております。インターネット業界自体が成長しているというのはもちろんあるんですけれども。
この中で会社のコンセプトというか、「我々には合わないからこれはやらない」と決めていることがあります。それは大型の買収をしないこと。あとは外から大物や役職者をヘッドハントのようなかたちで採用しないことを決めております。
なぜかと言うと、会社の中で事業や人を育てなければいけないからなんです。これが我々の会社の前提になっていて、いかに事業を新たに創り出し成長させるか。そしてそれを推進していくような人材を育てていくかが経営のメインテーマになっています。その考えのもと、創られた施策や制度については、後ほどご説明したいと思います。
このように会社の規模は大きくなりましたが、決して単一事業で単純に店舗数を多くしたというわけではありません。事業内容は大きく分けて3本柱です。
創業以来やっているインターネット広告事業に加えて、メディア事業、ゲーム事業の3つです。それぞれにだいたい3分の1ずつの人員を配置しています。
僕自身が社長ではありますが、今はメディア事業の中のAbemaTVという創業3年目の事業にかなり先行投資をしています。会社としても大きな勝負どころですので、そこは責任を持ってフルコミットしています。
逆に言うと、それ以外の事業はほとんど見ていない……と言うといい加減みたいですけれども、基本的には人に任せられる体制を作ってきました。
ここでいったん、私の自己紹介がてら経歴をお話ししますと、まず僕自身は福井県の出身です。(スライドを指して)これはちょっと写真がやりすぎなんですけど(笑)。非常に田舎で、高校3年生まで過ごしておりました。
福井県にいると、都会でなにが起きているのかがなかなか……。当時はみんな福井新聞を読んでいて、民放は2局しか入らないという。そういう情報格差を強く意識していたこともあって、今のAbemaTVなどのメディア事業展開につながっているのかなと思います。
そのような中から「なんとか東京に出たい」という思いもあって、青山学院大学に入学しました。当時は本厚木が教養の校舎で、そこに行ったのですが……あの、先生を目の前に次のスライドに行きたくないんですけど(笑)。
すぐに麻雀にハマっていましたね。
(会場笑)
ちょっと余談ですけど、今麻雀のMリーグというものを立ち上げていて。自分自身がチェアマンに、JリーグやBリーグを立ち上げた川淵キャプテンが最高顧問に就任しています。
電通・テレビ朝日・コナミといった会社がそれぞれ野球みたいにクラブチームを持って、今ファーストシーズンなのですが、ちょうど今日ファイナルシリーズの試合があるんですよ。このころ(学生時代)の経験から、麻雀を通じていろいろ学びました。これ、完全に脱線してます(笑)。
(会場笑)
麻雀は非常に不健康・賭博というイメージがありますが、競技人口がとても多くて、戦略性に富んだ出来のいいゲームです。なので恩返しをしたいということで、今Mリーグを立ち上げてやっております。
一方でアルバイト、これが起業のきっかけにもなったので(経歴に)載せているんですが。当時アルバイトをしていたバーの先輩店員に「お前は将来何がしたいんだ?」と言われまして。それがきっかけで「なんとか将来につながることをしていきたい」と思ったんです。
経営学を学んでいましたけれど、やっぱりピンとくるためには実学、今で言うとインターンシップですね。それを積まないと経営学もなかなか頭に入ってこないと思って、オックスプランニングという会社でアルバイトを始めたんです。青学の向かいにある紀伊国屋の真裏にあったベンチャー企業です。
そこはリクルートを辞めた30代前半の経営者が4人くらいでやっていた会社だったんです。みなさまもご存知だと思いますけれど、リクルートという会社は優秀な人材に対して採用にお金と時間をすごくかけて、その人たちをいかにやる気にさせるかを考え抜いて実践します。「お前は好きなことをやっていいぞ!」と盛り上げていくような会社ですね。
当時のオックスプランニングは、そのやり方をそのまま踏襲していたんです。「いかに社員をやる気にさせるか」「社員の能力を引き出すか」ばっかり考えている会社を真似した会社、みたいなところで働いたんですよ(笑)。
そこが初めて経験したアルバイトですね。スーツを着て広告を売っていたんですけれど、「お前の好きなことをやっていいよ」と言われまして。セルフリーダーシップが必要だったというか、学生なりに自分自身でやり方を一生懸命考えてやっていました。
そこでアルバイトをしているときに『ビジョナリーカンパニー』という本が出版されて。この本を読んで、僕の中で雲が晴れていきました。
中高生時代はバンド活動をやっていて、一応「将来はミュージシャンになりたい」と言っていたんですよ。まあ、ぜんぜんその才能はないんですけど。それと置き換わるようなかたちで「将来経営者になりたい」「社長になりたい」と思うようになりました。
これは自分の選択肢が就職や起業くらいしかなくなってきていて、なんとなくその中で自分は社長になりたい、というのをミュージシャンの夢の代わりに言っていた感じです。
今はちょっと雰囲気が変わりましたけれども、1990年代当時、若い社長は「青年実業家」というふうにメディアで取り上げられていて、「フェラーリに乗って馬主です」みたいな感じでした。若者から見て憧れる対象にはならなかったんですよね。
どちらかと言うとイロモノとしてメディアに扱われていて、「青年実業家になるというのはお金が大好き」みたいなイメージがありました。要は夢として、将来経営者や社長になりたいというのは自分の中でしっくりこなかったんです。
『ビジョナリーカンパニー』という本に書いてあったことは、「会社というのはみんなで創る芸術作品だ」「2度と同じようなものはできない」「カリスマ経営者が現れて創り上げるようなものではなくて、要は会社(カンパニー)そのものが作品であり、それがすばらしい」ということでした。ビジョナリーカンパニーとはそういうカンパニーなんですね。
「こういう会社を創れば、その会社自体がずっと社会貢献をし、雇用を生み出し、収益を上げ続けるんだ」と書かれていて。「自分もそんなすごい会社を創りたい」と思えるようになったのは、大学時代にこの本に出合ったおかげです。
それで就職は……会場の目の前なんですけれど、オーバルビルに入っていたインテリジェンスという会社に入りました。今のUSENの宇野(康秀)社長が自分で独立して起業した会社です。
この会社もまったく同じで、オックスプランニングの同期のリクルート出身者たちが非常にリクルートの真似をして創っていました。やっている事業も人材事業で、そのままリクルートを真似して人を採用していたんです。
ちなみにこの会社は僕が入社したときには80人の正社員しかいなかったのに、僕の同期で44人の新入社員を採用したんですよ。だから入った時点で3分の1が新入社員になるという会社だったんです。
優秀な人材をなんとか採用して、その人たちのやる気を引き出し、育成することに力を入れていたのですが、インテリジェンスは創業10年くらいだったのに会社がものすごく伸びていました。
そこで僕は「単に良い人を集めるリーダーシップだけじゃダメなんだな」という気づきを得ました。オックスプランニングはただ「好きなことをやっていいよ」と。優秀な人材を集めた個人商店の寄せ集め、というか烏合の衆のようになっていました。それぞれ好きなことをして好きなように稼いでみなさいと。
一方インテリジェンスは「好きなことをやっていいけど、この枠組みの中でやってね」というものがちゃんとあるんです。当時は人材紹介業が伸びていたので、人材紹介業のやり方だったらいかに変えてもいいし自分の頭で別のビジネスモデルに組み替えてもいいけど、「この中でやってくれ」というのがしっかりありました。
この当時はサーバントリーダーシップという言葉は知らなかったですけれど、「単にいい人材を採用して奉仕していればなんとかなる」というほど会社組織は簡単じゃない、ということを学生ながらに学んだというか。まあこれは就職して1年目ですけれども。
会社に入社して丸1年後にサイバーエージェントを設立したのですが、学生時代にアルバイトをしていたオックスプランニングの専務が内部で揉めて辞めることになったんですね。そこで「一緒に会社を創りましょう」ということになって。
インテリジェンスに「辞めます」と言いに行ったら、先ほどの宇野さんが「じゃあ俺が出資するからお前が社長でやれ」と言ってくれまして。自分は社長に向いているのか……当時は向いていないと思っていたんですけれども、どちらにしても「やりたい」ということでそちらを選択して、出資を受けサイバーエージェントを設立しました。それが1998年、24歳のときです。
その後1999年になり、インターネットバブルがやってきました。「Yahoo! だ!」「Netscapeだ!」と株価が暴騰していた時代ですね。
その勢いに乗って創業丸2年、26歳のときに独立企業として史上最年少での上場をしました。
当時の記録は光通信の重田(康光)社長の32歳でしたから、26歳というのはけっこう異様な若さだったんですよ。わかったような顔をして受け取っていますけど、正直なところ訳がわかっていなかったです(笑)。
(会場笑)
それからは、いろいろ痛い目に遭いながら自分で学んでいきましたね。
その痛い目の1つが、これが非常に大きかったんですけれども、その直後の27歳のときにインターネットバブルが崩壊したことです。
それまでは株価が上がっているので、上がっている理由をメディアが説明して「〇〇だからサイバーエージェントはすばらしいんだ」「〇〇だから藤田社長は正しい」と言ってくれるんですよ。投資家も「〇〇だから株価が上がるんですよ」と言っていたのですが、(インターネットバブルが崩壊すると)真逆のことが起こるんです。
株価がどんどん落ちていくので、「落ちている理由は藤田にビジョンがないからだ」「会社のやっていることはおかしい」というふうに、もうお手上げの状態になっていましたね。この間に人が大量に辞めて危機的な状況になり、(会社と人材の関係は)非常に脆いことに気がつきました。
どうしてこうなったかと言うと、時代背景もあるんですけど、1990年代はバブル崩壊と共に長年続いてきた日本的経営がうまくいかなくなった時代です。「今までの終身雇用や年功序列はもう古いんじゃないか」というのが当たり前のように言われていたんですね。
その風潮の中で、若い20代のビジネスマンなどは「やっぱり成果報酬がいい」と考えるんです。「年功序列はもう古い。実力主義が当たり前」と。だから我々も会社を創ったときに「我々は実力主義の会社です!」「年功序列なんてもう古いです!」と言って人を集めていった。
それに呼応するように、(多くの人材が)ネットバブルのころに大企業を辞めてどんどんうちの会社に来ていたんです。ストックオプションという魅力的なものもありましたし。年功序列で時間をかけるのが嫌だった人が、とにかく目の前のストックオプションや高給に引き寄せられて名だたる大企業から我々に大量に転職してきた。
そこで「お金で採用した人は、お金が下がったときに去っていく」というのがよくわかりましたね(笑)。その人たちは(会社にお金の魅力が)なくなった瞬間にみんな去っていったんですよ。
当時(28歳)は役員も非常にギスギスしていて仲が悪かったんですけれど、温泉宿で1泊2日の合宿をして、これからのことをしっかり話し合うことになりました。実はこれが転機になって、それ以降は3ヶ月に1回の役員合宿を続けているんですよ。
(役員合宿で)どうしたかと言うと、やっぱり日本社会にはあまりにも短絡的な実力主義や成果報酬は社会の風土として合わないんじゃないかと。会社は中長期で経営しなければいけないのに、短期で採用したり見られたりしていたら長く保たない。ということで、中長期で伸ばすことを考えた結果、人を大事にしようとなりました。
当時はほぼ20代しかいない会社だったんですけれど、「終身雇用を打ち出そう」と言ったんです。終身雇用で社員を大事にして、福利厚生にもどんどん力を入れていく。人を採用するコストがすごく高くついていましたが、それよりも長く働いてもらうためにお金を投資したほうが、むしろ安いんじゃないかという考えたんです。これが大きな転機ですね。
単純に言うと「会社は社員を大事にします」と先に決めた。すると不思議なほど社員が「我々は会社が大事です」と言い始めたんですよ。サイバーエージェントの社員って、外から見るとけっこうロイヤリティが高く見えるというか、実際そうだと思うんです。
これはサーバントリーダーシップの精神に近いような気がするんですけれど、まず先に会社が「(社員を)大事にします」と。さまざまな福利厚生を充実させたり、終身雇用を約束したりした結果、(社員が)「ずっと自分が働いていく場所なんだから、会社を大事にしたい」「自分の居場所である」と言うようになった。
実はこれがきっかけとなって、会社がどんどん変わっていったんです。会社を上場した当時はマザーズができたばかりで、(創業から)2年で赤字のまま上場したんですけれど、2004年に黒字化しました。今はもっと大きくなっています。昔は経営陣に対する不信感みたいなものが社内にあったんですけれど、そのころからなくなりましたね。
先ほど山本(与志春)先生が(藤田氏の書いた)『起業家』という本を載せてくれていましたけど、Amebaという難しそうに見えた事業を黒字化させました。
そして40歳のころに思い切ってスマホシフトを行いました。
東証一部に市場変更し、今はAbemaTVをやっているということですね。
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