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パネルディスカッション ~消費者への直接販売について~(全2記事)

レクサスが農業をサポートするのはなぜ? 消費者への直接販売から考える、これからの農業経営

2018年11月9日、freee株式会社 五反田オフィスにて「農業Meetup@五反田 ~わかりやすい農業の販売・流通・事務~」が開催されました。「消費者への販路作り」「栽培のIT化・見える化」「経営・事務の高度化」といったワードが飛び交う昨今の農業ですが、実際の現場では実践への道筋が想像しづらいことが課題となっています。当イベントでは、これからの農業のあり方について、「農業の販売・流通・事務」にスポットを当てたセッションが繰り広げられました。そのなかから今回は、農家が消費者に直接販売することをテーマとしたセッション「パネルディスカッション ~消費者への直接販売について~」の前半の模様をお送りします。

農業プロデューサーは“言ったもの勝ち”な肩書だった

丸山孝明 氏(以下、丸山):ここからは私、株式会社代官山ワークスの丸山が、ファシリテーターというあまりやったことのないことを今からやろうとしますので、みなさんいろいろと気になることもあるかと思いますがご容赦ください。

僕の自己紹介から入らせていただこうと思います。丸山孝明というのですが、農業プロデューサーという肩書を名乗っています。あまり名乗っている人はいないのですよね。なぜこう名乗っているのかというと、名乗っている人がいないから「言ったもの勝ち」みたいな世界があったんですね。それで、こういった名前の肩書を付けさせていただいています。

よく「なんのプロデュースしているの?」と言われるのですが、いろいろな産業で縦割りの構造が非常に弊害になっているという話を聞くと思うのですが、農業界についても同じことが起こっていまして、流通と小売と生産、この壁を一串に刺していこうというような勝手な理解で、私この肩書を名乗らせていただいています。

僕は実家が九州の大分県というところで、お米農家をやっております。今日のゲストの平山君のところもお米農家ということで、お米談義に花を咲かせられるかどうか、後ほどお楽しみにしていてください。

子どもたちが「農家になりたい!」と言ってくれる世の中

東京の大学を卒業したあと一般の会社に就職しまして、2013年2月に日本初のマルシェ専門企画会社ということで株式会社代官山ワークスを設立しました。なぜ代官山ワークスというのかというと、代官山町に会社を作ったので代官山ワークスと言います。例えば五反田で作っていたら、五反田ワークスとなっていたと思いますので、たまたま代官山だったというだけです。「たまたまそうなった」ということが多い感じの人生です。

僕の会社は「日本の農業をもっと面白く、ワクワクするような、子どもが憧れるかっこいい職業にすること」とようなことを掲げています。子どもたちにとってかっこいい職業ってものに、僕たち本当になれるのかなってたまに心折れそうになるのですが。「なんになりたいの?」と聞くと、サッカー選手とか野球選手とかのスポーツ系が多いですよね。あと、お医者さん。たまに「消防車になりたい!」みたいなことを言われるんですが、そこはなにも突っ込ずスルーしちゃいますけど(笑)。

そんな子どもたちが「農家になりたい!」という世の中が、あと20年くらいかけたらできるのではないかという、ワクワクする方々を2名呼んでいます。なので、あとでさんざんいじっていこうと思っています。

東急電鉄から打診された、新マンションへのテナント入り

うちの会社は渋谷と徳島県の神山町にオフィスがありまして、実は最近、直営の店舗もオープンしました。これもいろいろなご縁でオープンすることになったのですが、東急電鉄さんという私鉄がございまして、その東急電鉄さんの沿線上の街づくりの話で、突然うちの会社に外線がかかってきまして。「東急電鉄、都心なんとか事業部なんとかです」って。

「あれ? 俺なにかやってしまったかな? 東急の人なんて1人も知らないのにな……」と思ってたら、「たまプラーザにマンションが建つのですが、1Fにテナントとして入ってほしい」といわれたのです。

マルシェやってるのにテナントってどういうことなのだろう? と思って話を聞くと、うちの会社がやっているような農業と地方と都市をつなぐとか、農家と商社をつなぐようなお店をぜひ企画してくれないか? と言われて、お金は僕たちが出すからみたいな。そのような感じで東急さんからお話をいただいて、偶然にたまプラーザという場所でオープンすることになりました。それからちょうど1ヶ月くらい経ちます。

なかなか店舗って難しいですね、もう身に染みています。1ヶ月しかやっていないのに、既に身に染みているというね。そのような感じで直営店舗を一店舗設けています。

従業員を1つの部署に固定しない方針の理由

部署としましては、マルシェ事業部というのと、地域づくり事業部、店舗事業部、新規開発ということで、従業員が28人います。28人にしては部署多いですが、なぜかというと、うちの会社は1つの部署に人を固定していないのです。例えば、Aさんはマルシェ事業部所属なのだけれど、週に2回は店舗に出勤してくださいみたいな、マルチで固定をしないやり方をとっています。

不思議なもので、タテ割で部署を割ってしまうと情報共有ってなかなかできないのですが、部署のなかで週に何時間は違うことをやりなさいというと、意外と本業のほうが効率的になって「私まだまだ時間が余っているので、もうちょっと店舗にいきます!」「店舗も人余っているから大丈夫だよ!」みたいになるんです。

そのような感じで、けっこう効率よく事業部間で人が移動しているというのが、一つの特徴になっています。マルシェ事業部とはどのようなことをやっているのかというと、今日の平山君も参加していただいている横浜北仲マルシェなど、3つのマルシェを定期的にやっています。みなさん、行ったことある、または知っているという方いらっしゃいますか?

(会場挙手)

あ! ありがとうございます。うちの会社を知っている人というのでは、ほとんど挙がらないと思うんで、またこの名前でよくメディアに登場していると思いますので、こういったマルシェを我々はやっています。マルシェパートナーと書いているのですが、いろいろな会社さんが我々のマルシェを応援してくれています。

できればお金も出してほしいんですけど(笑)。「うちの空いているスペース使って良いよ! けっこう奥まっているけど大丈夫かな?」みたいな会社さんもいれば、「クライアント宛の取引にお中元を出したいのだけれど、いつもつまらないものしか送ってないから、うちの会社で見繕ってほしい!」「いくつですか?」って言ったら、「1500個」「それは無理です! もうちょっと……100個くらいならいけるのですけどね!」みたいな、そんな感じで、我々みたいな会社がどう活用されているかを僕たち自身が知らないので、勝手に企業さんがうちの会社とこんなことをやりたいと思ってくれて、話がいろいろ膨らんできているという、ありがたい話でございます。

究極のエクスペリエンスのため、農業に目を向けたレクサス

(スライドを指して)他にはこんな会社さんにサポートしていただいています。このなかでは例えば、レクサスさんは高級車メーカーですけど、そこもいまエクスペリエンス・体験というものを軸に、ミッドタウンの1Fでショーウインドウをやっていらっしゃいます。

たぶんみなさんもご存知かと思うのですが、そこで「やっぱり究極の体験といえば、自然界に立ち向かって行くというか、農家や一次産業はそれを補える体験なんで、ぜひレクサスも農業やりたい!」って。トラクター作って発売しますよ! っていうならまだわかるんですけど、「農業となにかやりたいです!」みたいな。

これもいろいろあったのですけど、グローバルの部署だったんですかね。実は水道橋にレクサスの会社はあるのですけど、アメリカとヨーロッパをいろいろ調整する部署からのお声がけでして、「なんでまた農家なのだろう?」みたいな感じで僕たちも呆気にとられています。こういった大きな企業さんでも、小さな企業さんでも農業という分野にかなり興味を持っているということは、我々も会社を運営していて日々感じていることでございます。

配食サービスは、これからの東京にこそ必要なサービス

話は少し戻りまして、他にも徳島県の神山町という所で、配食サービスというお弁当を作って配達するサービスをやったりしています。ただの配達ではなくて、「行ったついでにお手伝いもしちゃいましょう!」みたいな。みなさんのなかには東京で働いている方もいらっしゃれば、地方にいる方もいらっしゃると思います。若い世代で、今はまだ親も元気だけど、「じゃあこれから親が介護に入った時に自分の仕事はどうするんだ?」ってことで、けっこう介護離職されている方が僕の周りでも非常に多くなってきています。

つい先日、うちの社員も介護離職ということで、実家の千葉に戻ってしまった社員がいました。そういった介護を必要とする方々に対して、お弁当を届けるついでにちゃんと生きているかどうかであったり、健康チェックであったり、お弁当の食べ残しをチェックしたりとか、そういったことを我々がサービスとしてやり始めたら、神山町出身で、東京や大阪に住んでいる孫とか息子にあたる方々から、うちの家にも行ってほしいということで問い合わせがだんだん増えています。

このサービスは、今後東京に必要なサービスなのではないかと思っています。東京もこれからどんどん高齢化社会に突入していくわけですけど、たぶん田舎以上に80代を迎える方々が何百万人と増えてくるわけですよね。田舎はまだまだお互いに助け合えるコミュニティーがあるから良いのですが、東京なんて隣に住んでいる人のことだれも知らない。そんな中で何百万人という方が80代になってしまったらどうなるのだろう、と。 

私たちは、徳島県神山町という限界集落で、ある意味では東京の未来でもあるそういった問題を念頭に、自分たちの資本を投じながらノウハウを作っている。そしていつか東京でこのノウハウを活かしてビジネスをしていこうと考えています。そんなような会社でございます。

直売メインの梨農園「阿部梨園」

丸山:僕の紹介はこのくらいにして、熱き二人のゲストを今からご紹介したいなと思います。じゃあ佐川さんから自己紹介をお願いしても良いですか?

佐川友彦氏(以下、佐川):みなさん、こんにちは。栃木県宇都宮市に阿部梨園という個人農園があるのですけれども、そちらでマネージャーとして勤めています、佐川と申します。

阿部梨園ってご存知の方いらっしゃいますか?

(会場挙手)

うわー、増えている! この1年でけっこうお騒がせしたっていうことかなと思うのですけれど、農園自体は普通の個人経営の梨農園で、直売メインでやっています。代表の阿部が3代目で、家族経営でやっているのですけれども、近年は私を含めて外部雇用を増やして、自分が求める梨作りというのをさらに突き詰めるために、若い人間を雇用したりしています。

農園の経営改善ノウハウをウェブで公開

私は、2014年から阿部梨園に関わり始めまして、2015年からフルタイムで勤務しているのですが、自分は畑に出ないで、農家が苦手としている事務的な部分ですとか、販売の部分ですとか、農園のブランディングみたいなところを任せていただいています。法人化もせずに個人経営のままで、そういう人間を抱えて重たい固定費を背負う農園はあまりないと思うので、全国でもけっこうレアなケースではないかなと思います。

私が入ってからは、全方位的に何百件という小さな経営改善をやって、僕は畑にでないので生産の部分には関わっていません。他のところはどんどん見直していて、会社になりたいわけじゃないのですけど、会社がやっているのと同じくらいの整理をしてきました。そのなかで得てきた「こういうことをやると良いよ!」というノウハウを「阿部梨園の知恵袋」というサイトで公開していて、無料で見ることができますのでご覧いただければと思います。

クラウドファンディングでご支援いただいたプロジェクトということで、メディアさんにも取り上げていただいたりして、話題にしていただきました。今日はいろいろお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

(会場拍手)

丸山:ありがとうございます。偶然ですけど、僕の愛娘が「梨」に「子」って書いて「りこ」って言うんですよ。

佐川:おぉ!是非、阿部梨園の梨を食べてください!

丸山:余談でしたね、すいません。続きまして、平山君自己紹介よろしくお願い致します。

元禄時代から先祖代々続く米農家

平山翔太氏(以下、平山):Hirayama Rice Farming代表の平山と申します。

栃木県の那須町で先祖代々米の農家をやっていて、自分の代でおそらく14~16代目くらいです。

(会場笑)

平山:田んぼに落ちている昔の墓石に元禄ってのが読めるくらいで、文献とか残っていなくて。うちも阿部梨園さんと同じく法人化はまったくしておらず、代表と言っても、自分が「代表」って名乗るのかっこいいと思っていただけで、実質私と親父の二人でやっております。

本当に昔ながらのお米の農家ということなので、今日は生産者の方もいらっしゃるかと思いますけど、みなさまと比べると本当に原始人みたいな農家でございます。

原始人なので、少しこじゃれた名前つけたいなと思い、「Hirayama Rice Farming」というふうにブランド化したというか、屋号を決めさせていただいたんですけれども。実は、お世話になっている丸山さんにもまだ屋号を覚えていただいておりません。「平山君」になっちゃっています。

(会場笑)

生まれて3年後くらいには、農家の後継者に決まっていた

平山:今日は、プレゼントということで、お米を2合用意させていただきましたので、お米農家の先輩方もいらっしゃって大変僭越かとは思うのですけれども、家に帰って炊飯器に入れて「ピッ」てしてみてください。よろしくお願い致します。

自分の生い立ちといいますか、就農に至るまでは、平凡に育って平凡に高校行って、平凡に大学に行ってたんですが、ほぼほぼ世襲農家ですので、私が後を継ぐというのは産まれて3年くらいでもうはっきりしていて、「お前が跡取り! お前が跡取り! お前が跡取り!」と1日3回食前に言われていたので、洗脳教育みたいなもんでした。

みなさんも経験ある方いらっしゃると思うのですけれど、このとおりいつの間にか跡取りになっていたという感じです。

たしかに、就職活動の時には、都内で仕事をすることも考えておりまして、有難いことにいくつか内定もいただいていたのですけれども、いざ実家に帰ってみたときに、自分が農家をやらなかったら、この田んぼはただの荒れ地になってしまうなと思い、そのタイミングで就農することを決めました。

まだ親父も元気でしたし、今も元気ですので、とりあえずは日中農家で働いて、夜は別の地元企業で働くというかたちで3年間勤めました。地元企業を退職し、本格的に就農して今年で6年目になります。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

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