2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):まずは、北川さんの生い立ち、生まれ育った環境について教えて下さい。
北川烈氏(以下、北川):家族構成は父と母と僕で、一人っ子なので、3人家族です。
父はデザイナーで、自分の会社をやっていました。両親や叔父・叔母含めて、周囲には自分で会社や商売をやっている、自分でビジネスやってきている人が多かったです。
ですので、僕自身も「会社に就職する」というイメージがありませんでした。起業した時も、「起業してやろう」という意気込みを持ってやったというよりは、「やりたいことが見つかったら、自分でやろう」と思っていたので、時期がきて起業したという感じでした。
藤岡:ご両親からの教育方針は何かあったのですか?
北川:「教育方針がない」という方針だったように思います。何をしてもとくに何も言われませんでしたね。
学生時代は、中学から慶應大学の付属に入り、そのまま大学まで慶應に行きました。中学に入ってからは、受験もなく、勉強に追われることもないので、「何かみんなで新しいことやろうよ」と言って起業みたいなことを考えたりやってみたりしていました。
藤岡:大学時代のインターンが現在の起業に影響を与えていると聞きましたが、その経緯について教えてもらえますか。
北川:大学に入り、両親は「足りない分は自分で学費を稼ぎなさい」というスタンスでしたので、株取引等の資産運用もしつつ、インターネットベンチャーでインターンをすることにしました。
そこでは新規事業の立ち上げをやらせてもらったのですが、数千万円の予算や社員の方をつけてもらい、自分で新規事業のプランを書いて、何度も直されたり怒られたりしながらもゼロから事業を立ち上げる体験をさせていただきました。
その経験があったので、実際に自分で起業した時にも「何をやっていけば良いのか」のイメージが湧いたというのはあります。
藤岡:起業を現実的に考え始めたのは、そのあたりですか。
北川:そうですね、「ビジネスを作るって、面白いな」というのは、その時に感じました。
ただ、その時は介護士の人材紹介といったビジネスの立ち上げで、自分自身の人生体験としてはまだ身近なことではなかったこともあり、介護への理解や実感が乏しかったので、「これだ」という腹落ち感があまりありませんでした。
ですので、自分にとって「腹落ち感があるビジネスを見つけたい」という思いがありました。
藤岡:その後、米国留学されましたね。
北川:当時は就職活動を始める時期でしたが、就職する気はなく、でも、やりたいテーマもまだ見つかってなかったので、「海外で新しいものを見たい」といった考えから留学しました。
1年ほどでしたが、そこで見たことが今のビジネスのきっかけになっています。
藤岡:その後、大学院に進学されましたが、この背景はどういうところにあったのですか。
北川:僕は元々商学部で文系だったのですが、金融工学を学んだ時に「エンジニアリングは面白いな」と思い、アメリカではエンジニアリング寄りの、コンピューターサイエンス寄りのことをやっていました。これをもう少し深めてみたいという思いがありました。
また、アメリカには「できる人ほど、自分で(事業を)やる」みたいなスピリットがあり、留学をきっかけに「事業テーマが見つかるまでは、変に就職しなくても良いかな」と思い始めました。いったんもう少し考える猶予が欲しいなという思いもあって大学院に進学しました。
そこにはチームラボ(株)の猪子(寿之)さんなどが在籍されていた情報学環・学際情報学府という、半分理系半分文系みたいな、工学部と表現が合わさったような学部があるのですが、そこに進学して「移動体」の研究をしていました。防犯カメラの映像から人の流れを推測するようなことをやっていました。
藤岡:この大学院時代に起業されているのですよね。起業に踏み切ったきっかけはどのようなことですか。
北川:「移動体」をテーマとして研究していたので、モノが思ったとおりに動くとか、渋滞が解消されるというのは単純に面白いなと思っていました。
また、アメリカ留学時代の友達の多くがグーグルやテスラといったところに就職していて、大学院時代にもそういう友達を訪ねて「最近何やっているの?」と話をしていました。
そんな時に、「今後、車を取り巻く環境が大きく変わっていく」と感じたのです。グーグルの自動運転車も4年くらい前から実際に公道を走っていたので、想像より早く、世の中を、人々の生活を大きく変えていくと感じました。そして、それを研究ではなく、ビジネスとして広められたら良いなと思ったのです。
当時、デバイスを着けて運転を可視化するといったことに取り組む企業が海外で5・6社出てきていたので、これを日本で視点を変えて、例えば保険と組んで保険を安くするとか、法人車両で最適化するといったことに使っていけたら、普及するのではと考えました。
ここから生まれるデータの活用には無限の可能性があり、これが僕の中で「人生懸けてやっていけるテーマだ」という腹落ち感があったので起業したといった経緯です。
藤岡:学生時代のインターンでの経験があったとはいえ、社会人経験が少ない中での起業にはさまざまな苦悩があったかと思います。どんな壁につきあたり、それらをどのように乗り越えてきたのでしょうか。
北川:そうですね、資金繰りは本当に大変でした。
最初は自分の100万円ほどの貯金を元手に始めたのですが、100万円しかないので、人を雇うと3ヶ月ほどでお金がなくなってしまう…。そんな時に「面白いね」と言って、最初に出資してくださったのが佐俣アンリさん(独立系ベンチャーキャピタルANRI代表)です。
それでも資金は全く足りない状況でした。デバイスの事業化には、量産できるものを作るまでにまず2~3億円ほど掛かります。つまり、2~3億円ないと、どういうものか見せることもできない。モノがなく、絵しかない状況でお金を集めたり、人を採用したりというのは大変でしたね。
そこを助けていただいたのが、初期の段階から「こういうものを使いたい」と言ってくださったお客様や、ポテンシャルを見込んでくれた産業革新機構で、初期に出資いただきました。その手前では政府の助成金等もいただいて、何とか製品化に漕ぎ着けました。
藤岡:外部から資金が入ってくる2015年度までの起業後2年ほどは、売上もない中でひたすら北川さんが資金集めをしてきたのだと思いますが、その時の心境はどのようなものでしたか?
北川:「資金が心配で、眠れない」とかあると聞きますが、僕はあまりなかったです。寝られていましたし、わりと寝ると忘れるタイプなので、その時々はけっこう辛かったと思うのですが、「喉元過ぎれば……」ではないですがあまり覚えてないような(笑)。
藤岡:壁を壁とも思わないタイプなのかもしれませんね。とはいえ、産業革新機構から出資いただくには、かなり厳しいハードルがあったかと思います。そこはどのように乗り越えられたのですか?
北川:それは、社内のチームや、外部のパートナーを含めた良い仲間にめぐり会えたことで、将来像が見せられたからだと考えています。
売上もなく、プロダクトも量産品の手前といった状況でしたが、「将来、これが普及したらこういうことができる」ということが実現できるようなチーム、パートナー企業がその時点でいたので、そこが一つのポイントだったと思います。
藤岡:プロダクトも売れていない、どうなるかもわからない状況で、(インタビューに同席いただいた執行役員 人事広報責任者の)永井(雄一郎)さんをはじめ、優秀な仲間が集まったのはどうしてですか?
北川:永井は3人目の社員です。一般的には営業やエンジニアを優先して採用することが多く、人事を3人目に採るってあまりないようですね。うちは変わっていて、1人目に採用したのがデザイナー、2人目がデータサイエンティスト、3人目が人事です。誰もプロダクトを作れない。
「将来、絶対必要になるところ」から埋めていきたいと思ったのです。
プロダクトをどういう世界観で作っていくのかを表現できるデザイナーだったり、そこから集まったデータを解析するデータサイエンティストだったり、良い人材を仲間にしていく人事というのが、今後何百人という組織になった時に一番大事なところだと思い、世界観を伝えて来てもらいました。
「来てほしいけど、お金はない」といった状況でしたが、それでも「良い人がいれば、良い事業になってお金も集まる。会社の金の大半を使ってもいいから、来てもらおう」と考えました。
そして、実際にそういう人たちが中心となって良い人が採れるようになったので、よかったと思っています。
藤岡:永井さんにおうかがいしたいのですが、さまざまな選択肢もあった中でなぜスマートドライブを選んだのですか?
永井雄一郎氏:北川が言ったように3人目で人事が入る機会というのはなかなかありません。実際、僕が当時紹介された中で、弊社以外にそういう会社はありませんでした。僕としては「できるだけアーリーステージで加わるのが楽しい」と思っていたので、そこは願ったり叶ったりでした。
また、当時北川と2人目の社員として入社が決まっていた(現在執行役員の)元垣内の二人と話していると、「これは非常に面白い。事業としても面白いし、この人たちと一緒に仕事ができるという意味でも面白い」と感じて、「自分も何かチームに加えられるものがあるのでは」と考えて決めました。
僕はこの事業に詳しいわけでも、数字から判断するというタイプでもないので、そういうものを判断基準にはしていませんでした。現状の事業の数字だけをみて「将来性あるかな?」と判断するよりも、「一緒に働く人を面白いと思うか」といった感覚がむしろ重要だと思っていました。
2015年2月に加わり、オフィスにウォーターサーバーを置いたのが初仕事だったような。そこからあっという間に2年半以上経ちました。
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