2024.10.01
自社の社内情報を未来の“ゴミ”にしないための備え 「情報量が多すぎる」時代がもたらす課題とは?
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森川亮氏(以下、森川):解釈から入るということですよね。
福武英明氏(以下、福武):そうなんですよ。今、美術館に行くと、だいたい一番混んでるのはキャプションの前じゃないですか。
森川:そうですよね(笑)。
福武:作品を見ないで、すっごい並んでて。
森川:読み込むみたいな。
福武:そうそう。答え合わせみたいな。
前田裕二氏(以下、前田):めっちゃおもしろいですね。
福武:そうなると、自分で考える余地がないんですよね。そこにたぶん感動も生まれないし、前田さんとちょっと裏で話してた、インタラクティブな要素もなくなっちゃう。あえて、そこのインタラクティブ(な要素)を自分で主体的に残す上で、1つとしては、そういうのをやっています。
森川:じゃあG1カレッジも、こういうタイトルとかなく、いきなり入ったほうがいいのかもしれないですね。
福武:あんまり感動にこだわらなくてもいい。
森川:「なんだろう?」と。
前田:まだ僕らは、みなさんに他人の物語をぶつけてますね。
森川:もうちょっとアドリブでいきますか?
前田:そうそう。でも、おもしろいですね。
森川:じゃあ、最近の遠山さん、どうですか?(笑)。
遠山正道氏(以下、遠山):(笑)
為末大氏(以下、為末):そこまで?(笑)。
森川:そこまで自由にやっちゃうとまずいですよね。
為末:まあでも、いいんじゃないですか。
森川:じゃあもう1個ちょっと、リーダーとあったので。最近リーダーシップは発揮されました?
遠山:リーダーシップは発揮してないですね。例えば、リーダーシップってたぶんマネジメントと違うと思うんですよね。マネジメントは、いろいろ考えて理屈でなにかをやっていくこと。リーダーシップは、まぁいわゆる背中で示すみたいな感じですかね。
そういう意味でいうと、私は、得意な人に仕事を全部やってもらっているんですね。スープを注ぐのも、経理も経営もやってもらっていて。私にできることはやっぱり、自分にしかできない次なることを示していくみたいな。
来年から私、ちょっとあるアート系のプロジェクトをドーンとやっていくんですけど、それは「うちの会社できっと俺しかできないな」みたいなことでやってるんですよね。
森川:それこそリーダーシップなんじゃないですかね。
遠山:そういうことかなと思いますね。一人ひとりが自分にしかできないことをやってね、と。
森川:それはでも、組織全体として、みんながリーダーになれる環境があるということですかね。
遠山:そうですね。うちはなにかやるときに、その人の必然性みたいなものを絶対大事にするんですね。この間、「新しいプロジェクトを提案して」と言った時の1つの前提は、「個人の理由に紐づいているということ」にしましたね。だから、「うちの北海道の実家のおばあちゃんが……」から始まるみたいな。
じゃないと、ビジネスって大変ですから、ぜんぜんうまくいかないわけですよ。すったもんだしながら、ようやくなんとかなるということだから、いつでも「これどうしてやってるんだっけ?」って立ち戻らざるをえないような場面がすごくあって。
その立ち戻る理由が、外のできごとじゃなくて、自分の本当のことじゃないと長続きしない。それが本当に改善なりなんなり、「あの景色を見てみたい」という思いでもいいし、そういう根っこが自分にないと説得もできないでしょうし。
さっき感動って言ってたのは、そういう意味では外のことじゃないですか。人のことじゃないですか。だから、私はね、そっち側に介在できないという感じになりますよね。
例えばね、よく地方の町おこしとかありますよね。私もある人のお手伝いをしてたんだけど、なんかうまくいってなくて。それがどういうことかというとね、「なにかのために」とか「その地域の人のために」みたいな感じになってるんですよ。どこかで「笛吹けど踊らず」みたいな場面が出てきたりとか、そもそもおかしいんですよね。
それよりも、自分がその地域を好きならば、自分が行って、なにかしらリスクを持つなかでやって、それを地域の人が手伝ってくれたりしていく。そういう順序じゃないかなと。だから、「〇〇のために」というのは怪しい気がします。
森川:そうですね。前田さん、本(『人生の勝算』)にも書いてあるんですけど、スナックが最強のビジネスモデルだっていう。あれはどうなんですか? スナックの感動というのは?
前田:まさに、先ほど申し上げた、他人の物語的な感動の生み方は、高級レストランだと思っていて。自分の物語的な感動の生み方は、スナック型と呼んでいるんです。
つまり、すごいクオリティの高いものをぶつける。高級レストランがそうだと思うんですけど、すごいいい素材を選んできて、選りすぐりのシェフが作った料理を選んで、食べるだけというのは、それを食べたときに「おいしい」って感動すると思うんです。
そういう感動の仕方と、スナックに行って、ぜんぜんお酒もおいしくないし。というか、お酒がすごい薄目だし。
森川:もう原価率が非常に低いと(笑)。
前田:柿ピーとかしか出てこない。それでも、ママが自分の話を親身に聞いてくれて、お酒も一緒に飲んでくれて、その結果、酔いつぶれて、片付けができないみたいな状況で「片付けちゃおうかな」という感動は、また種類が違うんですけれども。そっちにも感動ってあるよねと思ってまして。エンタメの感動はかなりこっちに寄ってるなとすごい感じるんですよね。
森川:どんどんそう来てるってことですよね。
前田:一昨日か、キングコングの西野さんと一緒に、新宿で音楽ライブしたんですよ。すごいおもしろかったんですけど、まさにライブハウスの方が言ってたのが、「すごいうまいバンドがやっても、今は100人も埋まらないんだ」と。めちゃめちゃうまいんですって。もうギターも超速い。
森川:テクニックがすごい。
前田:それっていわゆる高級レストラン型で、彼らは人の感動を生もうとしているわけですけれども、ぜんぜんお客さんが来ない。でも一方で、僕らがやった時は、当然sold outで、300人のキャパでスタンディングが400人ぐらいかな。バーって全部埋まってて、もう人が1人も入れないみたいな状況だったんですけれども、ライブが下手くそでひどかったんですよ。
森川:演奏もひどかった、聞けたもんじゃないと。
前田:僕と西野さんって1回も集まってなくて。
森川:なるほどなるほど。練習もせずに。
前田:(練習も)せず、譜面台を置いて、それを見ながら初めて弾くみたいな感じのライブをやってたんですね。
本当に極めつけに、トリのおじさんバンドみたいなのがけっこう難しい歌を弾くんですよ。知ってる人いるかな、ビートルズの『Blackbird』という、ギターが難しい歌があって。それを10回ぐらい弾き直ししてましたからね。最後の10回目になんて言ったかというと、「もうだめだ!」って。
森川:本番中にですか? ステージで?
前田:本番中に諦めたんですよ。
森川:すごいですね。それは譜面どおりじゃないんですね。
前田:僕、演者が諦めるライブを観たのが初めてで。
(会場笑)
それで、「もうだめだ!」って言うんですよ。そしたら見てる人が「諦めるな!」とか「がんばれ!」みたいな感じで、なんかすごい感動的になってきて。オーディエンスがみんな泣いてるんですよ。西野さんも号泣。眼鏡取って、なんか泣いてるし。やっぱりそのおじさん……。
森川:その背景ってなんなんですかね?
前田:いろいろあったと思うんですけど。それ(演者たち)、けっこう大きな会社の役員のおじさんたちなんですね。やっぱり、「この人たち、ふだんは勝負することや緊張すること、ステージに立つことをちょっと忘れてたかもしれないな」と、一見見える人たちが、今、本気で緊張してチャレンジしてぶつかってるのが、すごく感動的だったというのがあるんですよね。
そういう意味で、ひと言で集約すると「前向きな余白」だと思います。単なるだらしなさじゃなくて、前向きになにかに向かって、来てくれたみんなを感動させたいなと思ってて。前向きにすごい努力してがんばってるんだけれども、ちょっとそこに見える足りなさというか余白を、みんなががんばって埋めようとするっていう。
森川:それは昔も成り立ったのか、今だから成り立つのか、どっちなんですか?
前田:昔も成り立ってたと思うんですよ。今のほうがより成り立ちやすくなっていると思っていて。
森川:その背景ってなんなんですかね?
前田:なんですかね。でも、消費者の快楽のタイプというか、みんなが気づいてきたと思ってるんですよね。完璧なものをぶつけられるときよりも……。
森川:なにか作られたものじゃないものに価値を見出すような時代。
前田:そうです。まさに完全に作られたものをぶつけられるときの快楽と、余白があるものをぶつけられたときに、それを埋めようとして、実際に埋まっていく過程のなかに自分がいるときの快楽。その度合いが、意外と後者のほうが大きいねということに、みんなが気づき始めていると思っていて。
もしかしたら、それはどっちがすぐれているとかじゃなくて、サイクルなのかもしれないなと思ってて。どちらかというと、過去50年ぐらい、ずっと他人の物語の時代があったと思うんですよ。テレビもそうだと思うんですよ。
森川:それに、リーダーシップもすごい変わってきた気がする。例えば、僕らからすると、カリスマリーダーみたいな。カリスマがいないとダメみたいな時代から、今は分散型になっていて、リーダーが多少ゆるいほうがついていきやすい、とかありますよね。
前田:確かに。
森川:どうですか? 為末さん、そのあたり。僕なんか体育会系じゃないので、よく体育会系の人からお叱りを受けるんですけど、どうなんですか?
前田:リーダー像の変化。
森川:やっぱり、リーダーは体育会系じゃないとダメなんですか?
為末:僕らの世界のリーダーシップは、わかりやすいのは多い気がするんですけど。この間、宇宙飛行士の人たちの話を聞いた時に、最初は宇宙でなにが起きるかわからなかったので、いわゆるザ・リーダーみたいな人だったらしいんですけど、最近はやっぱり「優しくて気がつく人をリーダーにしたい」という欲求があるみたいです。
宇宙がだんだん予想がついてきて、どうなるかわからないなかで、なんでもできるマッチョな奴らを統率する統率型だったのが、ある程度安全になってくると、今度はちょっとクリエイティブが必要になってきて。
「どんな実験をやるか?」みたいになってくると、安全に終わるというやり方よりは管理型に。そうなるとリーダーが変わってきて、今後は日本人がリーダーになれる可能性が出てくるんですよ、みたいな話を聞いておもしろかったですけど。
為末:ちょっとまた別の話で。今うかがっていて、どう感動させるかという話と、我々の世界でたぶん選手それぞれが持つ究極の目的って、自分が感動したいんですよね。
森川:そっちなんですね。
為末:我々は決して、他人のプレーでは感動できないんですよ。なんていうか、まぁ、そう、だから……。
森川:(笑)。
為末:どうなんですかね? 同じ業界で一番のスープ屋がすごいスープを作って感動する。素直に感動しきれないところがないですか? 我々の世界は、やっぱり自分が金メダルを獲りたいので。
そうは言っても、全員は一番になれないので、いろいろやっていくんですけど。最初は「一番になりたい」って欲求なんですけど、次第にそれが「自分の本当の力を出してみたい」っていうふうになっていくんですね。
『Dead Poets Society』という映画があって、日本だと何年だったかちょっとわからないんですけど。要は詩を読む集まりで、1人の少年がずっと言えないわけですよ。それをコーチというか先生がすごい詰めまくって、詰めて詰めて詰めていって。最後に、なんだったかな、「シーツが足りなくて足が出ちゃうんだ」みたいなことを、その子がまぁとにかく言うんですよ。
言えた瞬間に、つまり、‟白状性”を伴うんじゃないかと僕は思ってて。本当の自分が何を思っているか、本当の自分を出せた瞬間に、人間は感動しえるんじゃないかと。
今の時代というか、人類史ってずっと、この社会の中において自分とはなにかという。このコンテクストの中で自分はどう振る舞うべきか、このなかで自分はどこのポジションを取れば独特なのか、大学でこう振る舞うと自分はこう見られるんじゃないかとか。そういうことが、すごく社会全体を包んでいるなかで、そういう客観性とか自分で……。
森川:空気を読む部分?
為末:ええ。そういうものが取っ払われた瞬間の感動みたいなものがある気がしていて。スポーツにおいて選手が最後に求めるのは、本来の自分を出し切れたということが満足の拠り所みたいな気がするんですよ。
だから、考えてたどり着く感動の世界と、さらけ出してたどり着く世界がある気がしてて。ちょっとどっちがどうなのかよくわからないんですけど。
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