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リクルートの経営(全4記事)

巨大組織リクルートが経験した、成功と失敗 峰岸社長が創業後約60年の歩みを振り返る

2017年12月13日に行われた「IVS 2017 Fall Kanazawa」のセッション「リクルートの経営」に、リクルートホールディングス の代表取締役社長・峰岸真澄氏が登壇しました。今や日本を代表する大企業となったリクルート。峰岸社長自らが1960年代の創業から、90年代前半の失敗から再生、自身の社長就任までの歴史を振り返りました。

峰岸社長が語る「リクルートの経営」

峰岸真澄氏(以下、峰岸):みなさん、どうもこんにちは。リクルートの峰岸でございます。(IVSの)田中(章雄)さんと小野(裕史)さんに依頼をされて、「なんか話してください」って言われて(笑)。なかなかスケジュールが合わなかったのですけども、今回、無事にこちらに来ることができて、大変光栄に思っております。ありがとうございました。

大変すばらしいセッションで、5年ぶりにIVSに来たのですけども、本当に内容もすばらしかったですし、先ほどのLaunchPadがクオリティが上がったなと。5年前とぜんぜん違うなと感じました。ありがとうございます。

今日は「リクルートの経営」です。何を話そうかなということなんですけど、リクルートのお話をさせていただければと思います。私の自己紹介なんですけど、リクルートのなかでいろんな事業やっています。

新規事業、ゼロからつくった事業か、それなりの新しい事業の立ち上げばかりを大変やっておりました。直近2012年にCEOになる前は、ファンドの投資をやったり、出資やM&Aをやったりしておりました。

もともとは起業したかった

もともと起業したくて、こういう場に出たかったのですけども、まずは学ぼうと思ってリクルートに入って、いろんな新規事業の機会があったので、それをどんどんやっているうちに今にいたってしまった、という感じでございます。

インフィニティ・ベンチャーズさんとは、この2010年前ぐらい、今では懐かしいフラッシュマーケティングがありまして。グルーポンさんが日本に入ってくるということで、急きょリクルートでもポンパレというサービスを立ち上げまして、現場のほうでは本当に、日々「勝った」「負けた」とかやっている時でした。

それでインフィニティ・ベンチャーズさんが、グルーポンさんも(投資を)やっていたこともありまして。そんななか、「ファンド、出資してもらえませんか?」みたいな話がありました(笑)。

そんなこともあったのですけども、今となっては、インフィニティ・ベンチャーズさんのファンドも投資していますし、中国では一緒に投資事業を共同でやらさせていただいています。そんな感じの5年で、本日にいたっております。

巨大組織リクルートのプロダクト

(IVSの今回のテーマである)「Next Big Things」という話で言えば、リクルートはこんな感じで、大変古くてレガシーな事業体、大きな組織になっています。直近の時価総額も(スライドを指して)こんな感じになっているんですけども。

昨日今日とここに来ていて、リクルートグループでもずいぶんピッチコンテストみたいなものをやっていまして、雰囲気的にはすごい似ていることもありまして、クオリティで負けないようにしなきゃな、みたいなことも思っている次第です。

昭和の企業で、「上場企業は時代遅れ」とか、ホリエモンさんも(前日のセッションで)言っていましたけども(笑)。時代遅れと言われないように、日々がんばっていきたいなと思っております。

3つの事業セグメント

「リクルートの名前は知っているんですけど、どんなビジネスやってんだろう?」とか、「海外でどのぐらいやってんだろう?」とか、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんけど、(スライドを指して)今こんな感じで、ずいぶん海外展開も広げてまいりました。

今、3つのセグメントに分けておりまして。HRのテクノロジーの分野、「Indeed」という会社を主体に、いろんな自前開発やM&Aなどをやって拡大しています。

もう1つがメディア&ソリューションといいまして、みなさんご存知のリクルートのプロダクト、メディアのプロダクトをすべて束ねているセグメントになります。もう1つが、国内・海外含めた人材派遣のセグメントになっています。

この3つで事業運営していまして、まずは2020年でHRでグローバルNo.1、そして、2030年で我々のビジネスでNo.1を目指してやってきております。

「大学発ベンチャー」からの歴史

リクルートがスタートアップだった時のお話からさせていただければと思います。1960年に創業(注:「大学新聞広告社」を設立)しておりまして、この森ビルさん、第1号ビル、これのペントハウスをわざわざ森(稔)さんがつくっていただいて、リクルート創業者の江副(浩正)さんが安く借りると。

大学卒業してすぐ起業したということで、大学発ベンチャーということで(スライドを指して)この写真なんかはよく、シリコンバレーで投資する時なんかも、「我々も昔はベンチャーだった」みたいな話で使ったりしています。

それで、こちらにいらっしゃるような方はご存知ないかもしれませんけど、現在のインターネットのリクナビ、その前身で『リクルートブック』という情報誌がありました。

それのさらに前身の『企業への招待』という、企業の採用の情報広告を束ねて1冊にして、それを大学生の自宅にDM、ダイレクトメールで届けると。このプロダクトが大当たりしまして、1960年の創業から約10年ほどで、売上100億円を超えています。

当時の貨幣価値で100億円は、今の何十倍の規模になるわけですけども、そのような急成長を遂げました。15年間での平均成長率も20パーセント超えという感じで、順調にこのプロダクトの大当たりのおかげで成長しました。15年後も、1990年初頭まで、要するに創業してから30年間、ずっと成長しっぱなしです。

結婚や住宅領域へ横展開

新卒の情報誌から始まって、転職の情報誌、人材紹介、人材派遣と、HR分野を横展開しました。その後、就職ときたら、結婚して、家買って、というような「人生すごろく時代」だったので、住宅情報をやって、結婚式の情報をやりました。

その後、もっと人生における頻度が高いもの、年に何回か旅行する、月に何回か食事に行く。そのへんの分野である日常消費領域にマッチングのサービスを展開していきました。

この75年~91年の15年間でも、平均成長率20パーセント台。100億円の企業が4,000億円企業になっていくという、とてつもない、30年間成長しっぱなしというような企業だったのですね。

ですから、この時のやはり日本国内におけるプレゼンスというか、やはりこの40代とか、あるいは、40代前後の起業家のみなさんの意識には、やはり記憶にはあるんじゃないかと思います。

リクルート事件が発生してから…

ところが、その後さまざまな危機に直面いたしました。ギリギリご存知の方もいらっしゃるかもしれません。(スライドを指して)このリクルート事件に関しては、インターネットサービスでいろいろ詳細をチェックしていただければと思いますけども、こういう事件もありました。

なによりも、日本全体が不動産バブルがあって、それが崩壊しました。なぜかリクルートはその時に、エマージングな市場だったので不動産子会社をつくりまして、そこで1兆円以上の借金を背負うと。親会社のメディア事業をやってたリクルートが、その借金も背負っていくことになるわけですね。

そこで耐えることがなかなか難しく、創業者がほとんどの株をダイエーさんに売却することで、ダイエーさんの傘下に入ります。その後、結果としてダイエーさんが民事再生となり、買ったリクルートの株を売却することになり、そのなかでリクルート自身もダイエーさんの株式を、自己株ですけど、買い戻すこともして、今にいたっています。

この時期、なんとか耐え抜いて、売上がフラットでいきましたけども、この時期に先ほどの人材以外のビジネスのサービスが、いろいろなローンチをして事業を支えていた感じになります。結局、1兆円あった借金が10年ぐらいで無借金状態に戻っていくことで、変化も激しかったのですけど、なかなか生きる力も強い企業体でした。

峰岸氏が社長にいよいよ就任

2012年、CEOに任命されまして、「第3の創業」と日経新聞さんなどに書かれました。直近のリクルートはどんな感じなのか、私のやったことを振り返りながら、ご説明させていただければと思います。CEOのアジェンダがタームごとにあると思うんですけど、2012年から直近、その後5年、10年、「どういうアジェンダ設定をするか?」が、一番始めの問いですよね。

当時の売上の状況です。8,000億円ぐらい売上がありまして、海外の売上比率3パーセントぐらいだったんですね。なので、こういう売上をいきなり背負いながら、どういうふうにこの何万人もいる企業を動かしていくのか、というところなんですけども。

国内ではさまざまな事業分野で、売上にせよ、トップのポジションであったので、もっと事業の開発の領域を広げながら、今までの事業の分野ももっと強化していくところに投資をするのか。自分たちがやってきた領域で、世界で展開して、勝てるかどうか勝負してみようか。どちらでいこうかということが、まず1つの問いでありました。

勝機を見出したのは…

当時、例えばHRのテクノロジーの分野ですと、ユーザーが1億人のサービスA社がありました。ただ、実はリクルートのグループのHRの売上は、インターネットの売上で世界ではトップだったんですね。ただ、ユーザー数が少なかったと。

人材派遣の分野で言うと、売上はぜんぜん規模が違う。ただ、収益率、EBITDAマージンは、営業利益率とニアリーイコールなんですけども、収益率が高かった。ほぼ世界トップと言ってもよかった。ということで、もしかしたら、この2つの勝ち筋で臨めば、通用するか、勝てるかもしれないというのが、1つ考えたことになります。

自前展開とM&Aという選択があるんですね。両方やりながらもフォーカスするのはどっちか、ということなんです。これは、結果的に先ほどの2つのポイントで、M&A戦略を主軸に海外展開していくんですけども。

2000年台初頭に中国市場へ

実は2000年初頭に、中国に自前で展開しておりまして、いくつか学習したことがあります。やはり隣の中国は大変成長している。そこにまずは乗り込んでいこうということで、長期的なターゲットを決めないで臨んだというのもあります。

やはり自前で臨んでいったものの、いろんな問題が生じると、日本の本社に問い合わせが来て指示を仰ぐ、というような事態になったりとか。展開していくプランを考える人と、その展開後に執行していく人が、責任者が変わって、事業の継続性にちょっと脆弱性が出てきたりとか。

いくつか学習したポイントがあって、今回、海外に新しく出る時は、その学習したポイントを全部クリアして出ていこうということで、戦略ターゲットとして、「2020年でHR分野でグローバルでNo.1になる」ということも言い切って、出ていくと。

これがセットされるので、キャッシュフロー、事業で稼いだお金のほぼ大多数を、こちらの分野に投入する意思決定もしやすくなっていく。そんなことをやってきました。

そのNo.1になる手段として株式公開。当時、暗号通貨ってあまり流行ってなかったものですから(笑)、リアルな株式公開をしたわけでございます。

HRテクノロジーと人材派遣で異なるM&A戦略

M&Aの手法は、HRのテクノロジーの分野と人材派遣の分野は、やり方がぜんぜん違っていました。

やはりインターネットの分野ですと、早い者勝ち、変化が激しい。ちょっと検討している間に、本当にいい企業だとすぐどこかに買われてしまうということなので、どれだけ瞬時に勝ち筋とか、その企業を見立てられるのか。

それで大胆な意思決定ができるのかというのがポイントになりますし。これがなかなか今、日本の大企業だと難しいので、ITとかデジタル、次の領域に出遅れるんじゃないか、って言われているところですよね。

人材派遣というのはその対極で、自動車産業で言うとリクルートグループというのは、旧来型の自動車産業とTesla、両方持っているような感じで今やっています。

人材派遣は労働集約型の産業で、1960年代に生まれた産業で、ほとんど今もやり方が変わっていない。これからもなかなか急激に変化はしなさそう。なので、我々が国内でやっているビジネスのオペレーションを少しずつ海外で試しながら、だんだん買収の規模を上げていって成功確率を高める、そういうやり方を取りました。今のところ、それが成功しています。

結果、今、Indeed社の買収もあって、ユーザー数はHRテクノロジーでは、月間2億人のビジター数になっているんですけども。(スライドを指して)このA社さんはちょっと非開示になってしまったので、比較ができないんですけども。新たに違うB社さんがここで急上昇して、みなさんの知っているビジネスSNSの会社が出てきたので、そことどうやっていくのかという話になると思います。

人材派遣は、売上規模はまだ半分ぐらいですけれども、売上規模はあんまり追うことは考えていなくて。この収益率でとにかく世界でトップになり続けていく、ということを志向してやってきています。

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