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クラシコム青木耕平×ログミー川原崎晋裕【対談】(全3記事)

「変数が多いのに矛盾していない事業」を目指す クラシコム・青木氏の経営観

ログミー代表である川原崎晋裕が「今話したい人」に会い、経営やメディア、イベント事業などについて対談するオリジナル企画です。前回に引き続き、「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコム代表の青木耕平氏と対談。今やサービスとソーシャルは切って離せない関係にあります。では、「サービスのソーシャルっぽさ」とはなんでしょうか。両者がそれぞれの考えを語りました。

美しいもの=難度が高いもの

川原崎晋裕氏(以下、川原崎):青木さんはよく「美しさ」という言葉を使われますよね。華麗、みたいなイメージなんでしょうか?

青木耕平氏(以下、青木):僕はいつも「美しさとはなんですか?」と聞かれた時に、「卓越していること」「難しいことをやっていること」という言い方をしているんですよね。

例えばダンスの場合、一番美しいポーズ=一番難しいポーズなんですよね。体に一番無理がかかっているポーズほど、客観的に見ると美しいんですよね。あるいは、アスリートの美しいプレイは身体能力の限界に近いパフォーマンスをしている時じゃないですか。

川原崎:はい。

青木:だから、僕にとっての「美しさ」とは、難しいことをやっていることなんですよね。誰かがやっているビジネスモデルをコピーしてPDCAを回す速さで勝つ、というのは正直難しくない。エグゼキューションの徹底じゃないですか。

でも、例えばログミーさんだと今までやったことがない「全文書き起こしメディア」をやる。これは難度がすごく高いから美しいわけです。

今は、「実行する」こと自体の難度はどんどん下がっています。雑誌を作って売ることをやっていた人たちは、記事を読んでもらうために書く・校正する・校閲する・印刷する・配本する……をやっていた。これは、以前まではこの工程の難度が高かった。だから、たとえ売れていなくても「それだけ人に影響を与えているのはすごい」となっていました。

しかし今は、ボタン1つ、デプロイ1つでそれができてしまう。そのため、作る・見せるだけではもう美しくないんですよ。作ることへの難度が低くなりすぎて、変数を増やして複雑性を増していかないと評価に値する難度にならない。作る・見せる・儲かるまでのすべてで矛盾なく難しい方を選んでいかないと、美しいと思われない。

川原崎:なるほど。

青木:僕らがやりたいことは、よりエクストリームな方法で、かつ儲けるところまでやる。その難度をクリアしているからこそ「美しい」となると思うんですよね。

川原崎:経済合理性のある事業ということですね?

青木:そうです。事業として成り立たせるのは難しいじゃないですか。

「矛盾せずに変数を増やすこと」が一番難しい

僕らがよく言っているのは「矛盾せずに変数を増やすことが一番難度が高い」ということなんです。

例えば、僕が納得のいくクリエイションをやるということであれば、変数は1つに閉じやすい。しかし、僕が納得していて、かつみんなも好きになってくれるものとなった瞬間に変数が2つになります。そうなると、矛盾なく輪を1つに閉じるのが難しくなるのですね。

さらにいうと、僕が納得していて・みんなも好きで・儲かるとなると、変数は増えてより難しくなります。「北欧、暮らしの道具店」で広告を始めた理由は、まさにそこです。これがすごく儲かると思ってやっているというより、広告をやった上で矛盾のなさを成立させるほうが難度が高いですし、変数も増える。

僕らは今、出資を受けずにやっています。もし仮に投資家という変数が入ってきて、さらに矛盾なく維持できていたら、本当はそちらのほうがかっこいいんですよね。

川原崎:なるほど。

青木:僕らが出資を受けることに対してネガティブかというと、決してそんなことはないんです。ただ、矛盾ない状態というものをずっと考えているだけなんですよね。変数が少ない中で矛盾のなさを達成していることと、変数が多い中で矛盾のなさを達成していること、どちらがカッコイイかというと後者だなと僕は思っているので。

川原崎:メディアの人間からすると「メディアを使ってマネタイズする」こと自体がもう矛盾をはらんでいる感じがありますよね。そこがおもしろいなと思っていて(笑)。

青木:そうですね(笑)。

川原崎:美しく見えるものの1つになるんだろうな、という感じはしますね。

青木:今の世の中、すべての山は登り尽くされているということじゃないですか。もう、誰も登ったことがない高い山というのはない。だとすると、あとは登り方でエクストリームさを競うしかない時代だと思うんですよね。単独無酸素で行ったり、85歳でエベレストに登頂したり。

ログミーでいうと、編集しないのにメディアを成立させるのもエクストリームじゃないですか。

川原崎:ありがとうございます(笑)。

青木:それが成立した時に、変数が最大限増えて超複雑な事業になる。そうすると結局「なんであいつら生き残っているのかね?」と思われる、そのエクストリームさをどう表現するかなんですよ。

プレゼンスを大きくして「こうなってほしいと思う世界」へ近づける

川原崎:先ほど、プラットフォームをハックするよりも「美しい存在」になることを追求するとお話されていましたよね。では、最終目標としては、死にかけている時に必ず誰かが助けてくれる状態を作り上げることなんですか?

青木:よく言っているのは、売上の最大化ではなく、プレゼンスの最大化です。

例えば、トヨタのような自動車会社が年間で何百万台も車を作っています……もっと作っているかもしれませんが。一方、フェラーリのような自動車会社は年間で8,000台くらい(2016年の世界新車販売数は8,014台)しか作っていない。

では「フェラーリとトヨタ、それぞれのブランドのプレゼンスはどちらが上なのか」となった時、人それぞれでだいぶ変わると思うんです。売上は圧倒的にトヨタですが、「影響力としてはどちらが上?」となると、対等に議論できるくらいの比較になると思うんですよね。

僕らは、プレゼンスを大きくしていきたい。プレゼンスを大きくする=「こうなってほしいと思う世界」に近づくからです。

すべての人が起業したり、経済活動を行なったりする意義は、お金を得る目的が一定あることのほかに、やはりプレゼンスを高めて、自分が居心地のいい世の中になるよう影響力を行使したいということだと思うんです。

「共感されたい」でつくったものは共感されない

川原崎:「サービスのソーシャルっぽさとはなにか」と考えた時、例えばユーザーが参加しやすかったり、あるいはコンテンツを通じてユーザー同士の間でやりとりがあったり、というものをイメージします。

でも「北欧、暮らしの道具店」でやっていることはどうでしょうか。自分たちの世界観……要するにブランドで「こうありたい」というものをやっている。加えて、共感を生み出すことも重要視しているのかなと感じたんです。

青木:共感については「共感してください」でできるものではないと思っています。

どういうことかというと、共感されるつもりがないものに対して、ナチュラルに共感が集まると思っているんですよ。「共感されよう」という意図がなければないほど、共感されやすい。

僕らがやっていることは、イメージとしては「旗を立てる」です。自分たちのステートメントを明確にすることで「僕らはこう思うんだよね」を公にしている。そして「みんながそう思うべきだ」よりも「同じことを考える人たちが集まる村を作っているよ」と発信する。

そうすると、そういった考えがもともと好きな人たちが集まってくる。別にその村を好きとは思っていなかったけれど、潜在的に「そういう村があったらいいな」と思っていた人たちが「あ、これは私たちの村じゃん!」「俺たちの村だ!」と、移住してくるイメージです。

どちらかというと「隣りの村も俺たちの村にしちゃおうぜ」より、山奥や砂漠のオアシスみたいな辺鄙なところに村を作って「こういう村を作ったんだよね」と発信している。そうすると「あそこは辺鄙だけど移住しよう」という人たちが集まってくる。構造としては、そういったことをやりたいのです。

そういう意味では「共感してほしい」と思っている人ほど共感させられないんじゃないかなと思っているんですよね。

個人の動機で始めたものには共感が集まりやすい

川原崎:では「共感させよう」という意図を見せずに共感しやすいものを作る編集をしている?

青木:極論だと、ほぼ日さんがよく言っている「動機から始める」に過ぎないと思うんです。

川原崎:動機ですか。

青木:「個人の動機から始める」しかないという気がしているんです。その個人の動機と結びつかないものはすべて「共感してほしい」から始まることになります。もう1つは、母集団から運営側をチョイスすることだと思っているんですよね。

川原崎:というと?

青木:先ほどの村の例えで言うと、自治体は村人から選ばれます。そういった感覚は会社にもありますよね。クラシコムに関しては、社員が元お客さまだったりするんです。そうすると、その人たちの個人的な動機=母集団の動機を代表している、みたいなところがあるわけです。代議士みたいなものですから。

個人の動機駆動でやることで、「共感してもらいたい」と思ってないわけじゃないけれど、それが前に立ちすぎないやり方ができる。結果、ある種の人たちには共感される。一方でなにも引っかからない人もいる。でも僕らとしては、その「ある種の人たち」に来てもらいたい。

川原崎:それはすごく面白いですね! 仕掛けようとしている人がやると仕掛けがバレてしまう。なので、もともとナチュラルにそれが好きな人を動かす、みたいな感じですね。少し意地悪な言い方になってしまいますが(笑)。

青木:そうですね(笑)。だから、僕自身が旗振り役をやっていないのは、そういうことだと思います。

つまり、プロデューサー的に旗を振れる人にリソースをつけていく。あるいは、そこで生まれた価値をブーストする仕事を僕がやっている。でも、価値を生む作業自体にはほとんど関与できていないと思うんですよね。

川原崎:それは、なんかわかる気がします。

青木:なんというか、牧場をやっている、羊の世話をしている感じです。羊の毛を僕が作ることはできないけれど、牧草を良くしたり、刈った毛を高く売ったりとか(笑)。

川原崎:(笑)。

青木:そういうことしか、僕にはできないだろうなと思っていたりするんです。

ログミーの長文コンテンツが読まれる背景

川原崎:ログミーの当初の動機は「動画を見るのが面倒だから作った」だったんです。しかし、後からいろんな人が「全文書き起こし」にいろんな意味付けをしてきたんですよね。例えば「メディアによる編集を省くことで捻じ曲げられていない本当の情報を伝える」とかですね。

最近すごく感じているのは「なぜ全文書き起こしみたいな長い文章をみんな読むんだろう?」と。でもこれは、テレビが嫌われていることと同じ理由かなとも思っているんです。要するに、編集物に対する気持ち悪さです。生放送のほうが好き、素人がダラダラしゃべっているのを見るほうがおもしろい、というものですね。

青木:わかります。

川原崎:「では、編集の役割とは?」となった時、究極は映画のような超リッチなものを作って、ユーザーを2時間も映画館に縛り付ける、その上お金をもらうようなコンテンツを作るやり方。そしてもう1つが、編集されていながらもナチュラルに見えるものを作る。それでいうと「北欧、暮らしの道具店」のやり方はすごく似ているなと感じました。

青木:今おっしゃった「編集物に対する不信感」は、おそらく「個人の内発的な動機づけ以外のもので生まれるコンテンツに対する不信感」とも言い換えられる気がしています。だから、僕らの「個人動機駆動で……」の話になるのは、それ以外のものに対する不信感があまりに大きいからですよね。それ以外のものでやる長期的な合理性がないんです。

それでいうと、僕自身が「どうしても個人の動機づけでやりたいんだ」ではないんです。根本的にいうと、合理性のあるものをやりたい。合理性があり、難度の高いものを美しく作りたい。それだけなんです。

川原崎:そうですね。

青木:目的に対する手段の選択を、それほど意識していないというか。でも、今の世界の中で最も合理性高く美しくやろうと考えた時、おそらくそれは整合性をとれるエコシステムになっている。それは、やっている本人がつじつまを合わせようとすると成立しないんですよね。

プロデューサー志望の人は、プロデューサーになれない

この流れのままお話すると、僕がよく言っているのは「プロデューサー志望の人は、プロデューサーになれない」なんです。編集者にも同じことが言えますよね。

川原崎:わかります。究極で言うと、もう運なんですよね。たまたまこの時代に生まれて、自分の好きなものや得意なことがたまたま大勢の人に需要のあるものだったから、となると、もうほとんど運だなと思うんです。

青木:ですよね。だから「編集者になりたい」よりも先に「作家になりたかった」「書き手になりたかった」がある。でもなれなかった。それでも作り手側にいたくて編集者をしている。個人的な意見になるかもしれませんが、僕はそういった人が一番編集者として有能なんじゃないかと思っているんです。

プロデューサーも同じです。「ディレクターになりたい」「成果物にコミットしたい」。だけど、作る才能がない。だから、ものを作るための仕組みを作ることにコミットする。最初から「プロデューサーになりたい」という人は……ちょっと違うのかなと思ったりしますね(笑)。

川原崎:プロデューサーしかできないからなった、みたいなことですよね。僕で言うと、会社勤めに向いていないから仕方なく起業した……みたいなところですね(笑)。

青木:そうそう、僕も同じです(笑)。

川原崎:昔お世話になったある編集長が「編集者とは、編集しかできない人がやるもの。だから、やりたい人がやる仕事じゃないんだよ」と言っていたんです。僕、それにすごく納得したんですよね。

青木:すごく納得しますね。クラシコムの社内でも「編集者」と呼んでいますが、実のところ作家の集まりだと認識しています。自分の考えを、自分を主語にして書く。編集者の編集機能は、あまりないんです。プロデュース機能がないということです。

川原崎:ライターに近いということですか?

青木:ライターに限りなく近いし、さらに言うと委託されて書くより作家に近い動機づけで書いていますね。

川原崎:では、ブロガーのほうがさらに近いでしょうか?

青木:ブロガーですね。そういう意味では「編集者不在」と言えるところがありますね。むしろ「書き手としてうまく機能できない」からこそ、逆にポジションが上がり、マネージャークラスになる場合もありえると思います。

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