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世界を魅了する事業をつくる ~〝一風堂〞〝ななつ星〞を生み出したリーダーシップとは~(全3記事)

JR九州会長が語る“ななつ星”実現のための異例人事「猛反対している人を責任者にした」

今や世界を魅了して止まない「一風堂」、“30億円の額縁”と称される日本初のクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」。それぞれが誕生するまでにはどういった背景があったのでしょうか。グロービスのMBAプログラムの学生・卒業生、講師、政治家、経営者、学者、メディアなどを招待して開催されるカンファレンス「あすか会議2017」で、「世界を魅了する事業をつくる ~〝一風堂〞〝ななつ星〞を生み出したリーダーシップとは~」というセッションが行われました。登壇したのは一風堂の創業者・河原成美氏、九州旅客鉄道の会長・唐池恒二氏。モデレーターは福岡市長の髙島宗一郎氏が務めました。“まだないもの”を生み出すリーダーたちが、現在に至るまでの変革を振り返りました。

九州から新しい価値を生み出した2人

髙島宗一郎氏(以下、髙島):いよいよ今日から7月。博多祇園山笠のこのよき日に、あすか会議を福岡で開催させていただきます。全国からお越しいただきましたみなさん、福岡市へようこそお越しくださいました。ありがとうございます。

(会場拍手)

この博多祇園山笠というのは今日7月1日から始まります。7月15日早朝、追い山というクライマックスに向けて、「静」から「動」に変わっていくという祭りです。今日は、市内各所に飾り山という山がたくさん飾ってありますので、みなさんもぜひお楽しみいただければと思います。

そしてまた、あすか会議をこの福岡で開催をしていただきまして、堀(義人)さんの日頃からのお力添え、本当にありがとうございます。

先ほど学生さんのお話をうかがいましたけれども。本当にたくさんの改革の志士のみなさん、パッションにあふれるみなさんが、今日は集まっているんだなと、力強く感じた次第でございます。

ここ九州から新しい事業を生み出し、そして世界の価値を変えていく。今日はそんなオープニングにふさわしいお2人の方にお越しをいただいております。

今、寝台列車がどんどん縮小・廃止に向かっているなかで、逆にクルーズトレインというものがどんどん広がってきています。「ななつ星」でそのムーブメントをつくった、JR九州会長、唐池さんでございます。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

そしてこの福岡といえば、なんといってもとんこつラーメン、ということで全国世界のみなさんに知っていただいているわけですが。そのとんこつラーメンというローカルフードを、世界のTonkotsu Ramen Noodleにした「一風堂」の河原さんです。

(会場拍手)

今日のペーパーには、「挑戦の軌跡」「志はどのように生まれたのか」「誰も見たことがない景色はどのように描かれて、世界を変えたのか」というのがいろいろ書いてあるわけですけれども。

非常にコンパクトな時間のなかですので質問は区切りつつ、ただ、お2人からは「ぜひ質問もお受けしたい」と事前におうかがいしましたので、会場とのやりとりも入れていきたいと思っております。

「ななつ星」の発想の原点

では、まず最初に「発想の原点」というところからいきたいと思います。

まず唐池さんにおうかがいしたいんですけれども。これまで、そもそも列車がだんだん衰退をしてきているんじゃないかと言われている中で、「ななつ星」は強烈でした。

「移動手段」から、「乗ること自体が観光資源」「乗ること自体が目的」。あれはものすごいイノベーションだなと思ったんですが、この発想はどういったところから生まれたんですか?

唐池恒二氏(以下、唐池):実は、私はもともと鉄道嫌いなんですよ。

(会場笑)

髙島:ひどいこと言いますね(笑)。

唐池:あまり鉄道に乗りたくない人間の1人でして。

髙島:なんで?

唐池:いや……あんなもの、おもしろくないじゃないですか。

髙島:なんちゅうこと言ってるんですか!

(会場笑)

唐池:いや、しかし、そういう私がマレーシアからバンコクまでのEastern & Oriental Expressというものに乗りましたら、本当に楽しいんですよ。

なにをするかといいますと、車窓を見ながらなにも考えない。なにも考えずに車窓を眺めてるだけで、「ああ、楽しいんだ」「これが列車の旅の楽しさなんだ」と。目的地に行くことよりも、列車に乗って、車窓を眺めてなにもしない。これが最高のひとときでしたね。

髙島:例えば、列車に乗ってぼーっとすること自体は、日本でもできたかもしれないけれども……Eastern & Oriental Expressに乗った時に、なにか違ったこととか、そう感じさせるきっかけがあったんですか?

唐池:まあ、もともと列車嫌いですから。嫌いな私が「この旅っておもしろいな」と気づいたんですよね。「こういうものが日本にあれば、必ずヒットするんじゃないかな」と、その時に気づいたんですよね。

「ななつ星」の構想は30年前にあった

髙島:ただヒットするだろうと思ってはいても……。(会場に)「ななつ星」を見たことがある方、どれぐらいいらっしゃいます?

(会場挙手)

ありがとうございます。東京からいらっしゃった方がかなり多かったんですけれども、そのわりに多くの方に知っていただいていますが。実際、中はめちゃくちゃ豪華です。ありとあらゆる一つひとつのもの全部にこだわりがあって。

ある意味、採算ということで考えるといきなりそういうチャレンジをしようと言い出した時には、当然反対はありましたよね? 「ちょっと待ってくれ。唐池社長」「今、どんどん寝台列車も縮小しているし、そんな時にこんな豪華列車つくって」と。

唐池:ありましたね。私はかなり昔からこの構想を持ってましてね。実は30年ぐらい前から持ってまして……。

髙島:ちょっと待って。Eastern & Oriental Expressに乗って「列車っていいな」と思ったという話と、少し噛み合わないんですけど。30年前からという話は、今つくったわけではなくって? 本当に思っていた?

唐池:思いというのは種の時もあるじゃないですか。Eastern & Oriental Expressに乗った時は、その種が芽を吹いて花咲かせる直前だったんですよ。

髙島:直前だった。種の時点は30年前にあった?

唐池:種の時は30年前にあったんですね。

髙島:なるほど。腑に落ちました。みんな腑に落ちてます。

(会場笑)

髙島:じゃあ、30年前から構想があった?

唐池:あの……しかしですね、モデレーターですよ。

髙島:あ、そうか(笑)。

唐池:ねえ。モデレーターというのは、辞書には「主役になっちゃいけない」と。

髙島:そうですよね(笑)。

(会場笑&拍手)

唐池:確かに市長のパッションには負けますけどね。今日は、パッションとファッションに負けました。

(会場笑&拍手)

構想の「種」となった列車たち

髙島:確かに「ななつ星」っていきなりポンっと出てきたんじゃなくて。九州以外の方も多いので言いますけれども。実は九州の中には、「ななつ星」だけじゃないユニークなトレインがあるんです。

例えば「ゆふいんの森」。由布院に福岡から行くときに楽しく行ける、そして途中で見どころがあったらゆっくり走るような列車があったり。

それから鹿児島のほうに行くと、浦島太郎をイメージしたような列車。列車を正面から見ると白黒半分という相当奇抜な色をして、そしてドアが開くと煙がモクモクっと出てくるという。実は、そういうすごくユニークなトレインは昔からあったんですが、あれは誰が発想されたんですか?

唐池:私ですよ。

髙島:私ですか!

(会場笑)

唐池:えー……河原さんも、しかし今日はネクタイしてね。

河原成美氏(以下、河原):いえいえ。

唐池:(高島氏に)はっぴを着て。いや、話は戻りますが……(笑)。

髙島:戻ってください。はい。

(会場笑)

唐池:「ゆふいんの森」を始めたのが今から28年前ですか。「ゆふいんの森」で実験しますとね、由布院に行くことよりも、まず列車に乗ることを楽しまれるという現象が出てきまして。

そのあと鹿児島や熊本あたりに、今11本の「D&S(デザイン&ストーリー)列車」という、いわゆる観光列車を走らせてますけど。それぞれが、目的地に行くよりもその列車に乗りたいと。

鉄道というのはもともとは移動手段だったんですけど、それが鉄道に乗ること自体が目的になった、観光資源になったということを発見したんですね。

髙島:その切り口を、例えば列車のしかけというところに組み込む。そのことによって、「できるだけ目的地には早く着きたい」という話から、「そこまでに行く旅路とか生活を見ていくことって素敵だな」と、多くの方が気づくきっかけになりましたね。

唐池:そうですね。それに気づいたのが、マレーシアからバンコクに行った時なんですよ。

髙島:なるほど。わかりました。

「一風堂」のコンセプトはどのように生まれたのか

河原さん。福岡では昔から、いわゆるラーメンというのはあって。細麺のとんこつラーメンというかたちのものを……(会場に)あ、「一風堂」に行ったことがある方?

(会場挙手)

髙島:ああ、多いです。ありがとうございます。

河原:もう本当、俺はこれで帰っていいかもしれない。

髙島:いやいや、まだまだ。これから。

河原:そのあとは聞きたくないんじゃないかな。

髙島:なんてことを言うんですか。

(会場笑)

河原:ありがとうございます。本当に。

髙島:それこそ、さっき唐池会長は列車が嫌いだったというところからこんなイノベーションが生まれたとおしゃっていたんですが。河原さんも、ラーメンを始めたのは、よっぽど「ラーメンが大好きだったから」かと思いきや、もともと漫画家になりたかったという話が。

河原:いえいえ、昔ですね。それはもう子どもの頃の話で。

髙島:そこからラーメンと。

河原:ラーメンというか飲食業を始めたのが27歳の時で。自分で小さなお店を始めまして、それからです。

27歳の時に、生まれて初めて3つ目標をつくりまして。「3年間休まない」とか。27歳だったし「3」が大好きだから「30歳になったら、小さい店を移動して大きくしよう」「33歳になったら、もう1軒」「35歳になったら天職に出会おう」みたいな。初めてそんなことを決めました。

その中の、33歳の時につくったのが自分の将来を本当にガチッと決めてくれた「一風堂」だったんですね。

髙島:なるほど。では、ラーメンをやろう、「一風堂」をつくろうといった時のコンセプトというのは最初から? 初めて入った時、中にジャズの音楽が流れていて、店内がとてもおしゃれですごく衝撃を受けたんですけど。

河原:ありがとうございます。33年近く前の話なんですね。だから、今はどこのお店も本当にきれいになって、コンセプトもしっかりしてますけど。昔のラーメン屋さんというのはあまりコンセプトというのはそんなに。もう本当、「ラーメン屋でもするか」みたいな感じでね。

僕はその前に、小さいながらかっこいいレストランバーをやってたんです。レストランバーで飲んだ後には、締めのラーメンを長浜に食べに行くわけですよ。ところが長浜に行っても、若い人たちや、かっこいいカップル、きれいな女の人とかなかなかいなかった。

「なんでかな?」と思ったら、やっぱりもうね、臭い・汚い・油っぽいというので。だから、かっこいいラーメン屋をつくろうと思ったのが最初なんですね。

どうやって周囲を巻き込んでいったのか

髙島:なるほど。自分自身のそういったきっかけがお2人とも原点になっていたと思うんですが。例えば、「俺はかっこいいラーメンをやりたいんだ」というときに、その思いに共感をしてくれる仲間をつくらなくてはいけない。

唐池さんにしても、これまでとまったくコンセプトが違って、「目的地に行くんじゃないんだ。これを乗ることを目的のトレインをつくるんだ」というのは投資額も相当かかる。同じ思いを持った仲間づくりって、すごく大事になってくると思うんですけれども。

どうやって周りを「唐池さんのその思いを実現しよう」って巻き込んでいったんですか。もしくは、唐池さんのコミットの仕方は?

唐池:長い間、構想を頭の中に描いてましたからね。実現したのは社長になってからなんですよね。社長になったのが、今から8年前の2009年ですけれども。6月になりまして、就任1週間後に社内の主だった部長を集めてちょっと指示をしました。

「九州で豪華な寝台列車を走らせたいけれども、これが物理的に、あるいは技術的に、営業的に、経営的に可能かどうか検証してほしい」という宿題を出したんですね。

1ヶ月後に各部長から答えが返ってきまして。重たい機関車を使ってローカル線の貧弱な線路の上を走りますから、線路の強度とか、橋梁の強度あるいは大きさとか、そういうものが心配になりましてね。

あとは寝台列車ですと、水が大事なんですよね。ななつ星も、今は7両の客車を引っ張っておるんですけど、1両当たり2,000リッターの水を上に積み込んでいるんですよ。

髙島:正直そこを聞くまで、内装の話に目がいっていたんで。そんなに水を乗せてるとか、線路や橋梁の強度って、考えてなかったですね。

唐池:まあ、そういう課題が予想されましたのでね。

今、水は2,000リッター積んでまして、お部屋ごとに檜張りのシャワールームを用意してます。それが1両の3つのお部屋で、3つのシャワールーム、3つのお手洗い、3つの洗面台があるわけですよね。そこの1日分の水をその2,000リッターで賄わなきゃいけないんですけど、これが十分賄えるということで実施したんです。

楯突く人を責任者に

そういったことで、いろんな課題があって答えが各部長から返ってきました。「いろんな問題・課題はあります」「かなり解決するのは難しい」「しかしながら、どうしてもやれと言われるなら、やってやれないことはない」というのがだいたい共通した答えだったんです。

そして行間には書いてましたね。「やりたくない」というのがね。

(会場笑)

髙島:いや、でもまだ、「やってやれないこともない」という報告をあげてきたというのは、いいほうですよね。

唐池:それはたぶん……まあ、嫌々あげたんでしょうね。

その中でも、運輸部長が猛反対したんです。列車の運行とかあるいは車両をつくるときの一番の責任者が運輸部長で、古宮(洋二)さんという人がおったんですけども。「こんな道楽みたいな列車なんてのは儲かりません。うちはもう余裕がありませんよ」と文句を言うんでね。1週間後に、彼をそのプロジェクトの責任者にしたんです。

髙島:ほう。

唐池:ああいう人間というのは責任者にしておくとコロっと変わるもんでね。

髙島:そうなんですか?

唐池:かえってその人自身の信頼はなくすんですけどね。あまりの変節ぶりに、私もそれ以降は彼とは話したくなかったんですけど。

(会場笑)

唐池:とりあえず猛反対している急先鋒の人間を一番責任者に据えて。そうしますと、彼はやっぱり仕事師ですからね、進み出しましたね。

髙島:でも、それって賭けなんじゃないかなと思って。要するに、そんなに進めたくない人を責任者においたら、物事が逆に動きにくくなるんじゃないか、動くスピードが遅くなるんじゃないかということは考えませんでした?

唐池:当時、僕は社長ですよ。部長というのはだいぶ部下ですよ。その部長が社長に対して楯突くんですよ。それっていいじゃないですか、なかなか。この会場の人たち、みんな盾突きそうな人ばっかりなんだけど(笑)。

(会場笑)

髙島:盾突きそうな雰囲気ありますよね。

唐池:そういう骨のある人に責任を持たせるというのが、仕事は一番進みますね。

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