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スティーブ・ジョブズ氏とビル・ゲイツ氏はお互いをどう評価しているのか--2007年の対談を振り返る

Steve Jobs(スティーブ・ジョブズ)氏とBill Gates(ビル・ゲイツ)氏が2007年に共演したイベントの内容を書き起こし。IT業界を牽引してきた2人が、コンピュータ黎明期を振り返ります。時には協力関係にあり、常に競争し合ってきた両者が24年ぶりの共演で何を語ったのでしょうか?

AppleとMicrosoftはお互いをどう意識しているのか

カラ・スウィッシャー氏(以下、カラ):では始めましょう。最近はメディアやブログなどでお二人の会社に対する意見が活発に出されています。まずは、お二人はお互いの会社がコンピュータ業界やデジタル社会にどのような影響をもたらしたと考えているかについておうかがいしたいと思います。スティーブからお願いします。

スティーブ・ジョブズ氏(以下、スティーブ):まずはビルが業界で初めてソフトウェア会社を作りました。これは我々がソフトウェア会社の役割をまだはっきり把握していない時点のことです。とてもすごいことです。

そしてビルたちが追求したビジネスモデルは、業界としては最適なものでした。誰よりも先に、他の人がソフトウェアとは何なのかを把握する前に、そこに焦点を合わせていたと思います。もちろん他の意見もあるでしょうが、僕にはそう見えます。

そうやって会社を作るのはとても大変なことですし、人を説得し、雇い、働かせるというのも大変なことです。ビルはそれを長年成功させてきた人です。

ウォルト・モスバーグ氏(以下、ウォルト):ビル、スティーブとアップルがもたらした影響は?

ビル・ゲイツ氏(以下、ビル):まずひとつ言っておきたいのは、ぼくはニセ「スティーブ・ジョブズ」ではありません。スティーブがやってきたことは素晴らしいことです。

まず1977年に、コンピュータを一般化させるという目標の元、「Apple II」を作りました。多くの人が同じような取り組みを始めていますが、Appleはこの機械の可能性に賭け、追求しました。

そしてその後、Macintoshという素晴らしいものを作り上げました。皆さん覚えているかわかりませんが、Lisaの売れ行きがあまり伸びず、Appleは賭けに出たんです。社内でスティーブが組織した開発チームの中では様々な挑戦が行われていました。時々ちょっと先走りすぎじゃないかな、とも思えるようなアイディアもありましたがね。Twiggyディスクドライブとか覚えてる?

スティーブ:128Kのね。

カラ:ああ、Twiggyディスクドライブね。

ステージの上にいない人こそ、会社のイノベーションの源泉

ビル:かつてスティーブが行ったスピーチが印象に残っています。「我々は、自分たちが使いたいものしか作っていないのだ」と。彼は、センスとエレガンスに満ちたもので業界に貢献してきたと思います。

彼が探り当てるセンスは素晴らしいです。Appleが潰れそうになっていた中、スティーブが戻ることで、今までの成功の秘訣だったイノベーションとガッツを取り戻したと思います。我々ふたりともこのように関われて、大変幸運だと思います。

スティーブ:あと、我々ふたりとも会社を始めた仲間たちに恵まれたし、良い人々に共感してもらうことができました。MicrosoftとAppleで行なわれていることは、才能に満ちた人々、このステージ上にいない人々の手によって行われていることばかりです。

カラ:私たちじゃないということね(笑)。

ウォルト:そうみたいだね(笑)。では、あなたはあくまでそうした人たちの代表としてこの舞台の上にいる、ということですね。

スティーブ:その通りです。

ウォルト:さっきビルが話していた1977年のApple IIの他にも、一般家庭向けのコンピュータがありました。「一般」と言っていいかわからないですが、確実にコンピュータが使える人の幅が広がったと思います。1978年のAppleのプリント広告を見ていたのですが「大勢の人々がAppleのコンピュータを手に取った」と書いてありました。あと、「カートリッジを差し入れするようなパソコンは買わないほうがいい」ともありました、多分Atariか何かを指してたのかな。自分でプログラムを書けるコンピュータがいい、と言っていました。

スティーブ:当時、我々の広告は変わったものが多かったんですよね。キッチンで奥さんらしき女性がコンピュータでレシピを打ち込んでいて、旦那さんが奥のほうから厳しい目で見ている、といったものもありましたね。

ウォルト:その広告はどうでした?

スティーブ:あんまり成果は上がりませんでしたね(笑)。

AppleⅡにMicrosoftのソフトが入っていた時代があった

ウォルト:過去の話に戻りますが、Microsoftが設立されたのはAppleの数年前ですよね、Appleが1976年で、Microsoftが……。

ビル:1974年ですね。そしてBASICを1975年に発売しました。

ウォルト:ご存知でない方がほとんどだと思いますが、Apple IIにMicrosoftのソフトが入っていましたね。あれはどういうことだったんですか?

ビル:当時はAltairなど24社くらいがコンピュータを作っていました。1977年にはPAT, TRS-80……。

ウォルト:Commodoreも?

ビル:そう、Commodore-PAT、TRS-80、Apple IIなどが作られていました。オリジナルのApple IIにInteger BASICが入っていた時には我々は関わっていませんでした。ただ浮動小数点数を使ったBASICができて、当時私はウォズと一緒に仕事していたのですが……。

スティーブ:この話は僕がしたほうがいいかもしれない。僕のパートナーだったスティーブ・ウォズニアックはとても頭がいい人物です。エラーが出る度に時間をかけて探し当てなくてもいいような、他のBASICができないことができる世界一のBASICを書いたんです。

ただ、それは処理に不動点を使っていたんです。一般的な浮動小数点ではなく。浮動小数点を使ってBASICを作ってくれという声をたくさん聞いて、我々はウォズに「お願いだから浮動小数点で作ってくれ」とお願いしたんです。

ウォルト:当時、Appleには何人いたんでしたっけ?

スティーブ:まあ、僕がひとりで言っていたんですけどね(笑)。それで「お願いだから改良してくれ」と頼んでいるのに、作ってくれないんです。そもそも彼はこのBASICを、手書きで紙に書いて作っているんです。アセンブラなどは使わず、手で書いてから打ち込んでいました。

カラ:なぜ?

スティーブ:それが未だにわからないんです。理由はともあれ、結局ウォズは作ってくれなかった。そこでMicrosoftが作ってた浮動小数点BASICが人気ですごく良かったので、それを使わせてくれるようにお願いしたんです。

Microsoftは初期のMacを所有できた数少ない会社の1つ

ウォルト:おいくらだったんですか?

ビル:31,000ドルでしたね。Appleまで行って、2日間くらい作業をしました。カセットに保存されていたので、時間がかかりましたね。楽しかったです。でも多分1番楽しかったのは、もっと後でした。

ウォルト:それはなんですか?

カラ:何が1番楽しくなかったかも聞きたいですね。

ビル:これはもしかしたらスティーブが話すべきなのかもしれませんが……。Macintoshを始めたチームは、とても忠実で優秀でした。我々もジェフ・ハーバーズらが在籍している優秀なチームを抱えていて、Macintoshの成功と、そこから生まれるグラフィックス・インターフェイスの普及に賭けていたのです。

一緒に仕事をしていて、スケジュールが未定だったり、どのようなクオリティになるのか、値段がいくらなのかもわからず、大変でした。スティーブが来るまでは実はもっと低い価格帯に設定されていたのですが、まあそれは仕方のないことでしょう。

カラ:では、お互いの会社で働いていたのですね?

ビル:シアトルに来てもらったり、我々が行ったりです。

ウォルト:記憶が正しければ、MicrosoftはプロトタイプのMacを所有できた数少ない会社のひとつですよね?

スティーブ:あまり記憶が定かではないのですが、当時Microsoftはアプリケーション事業をやっていませんでしたよね? ここからアプリ事業をスタートしたわけで、Macintoshに対してすごく賭けてくれたんです。当時はLotusがコンピュータのアプリ事業を引っ張っていました。

Macのアプリを作ったのはビル・ゲイツのチーム

ビル:Apple IIでMultiPlanをやって、成功しました。ミッチがIBMコンピュータに賭けて、Lotus1-2-3が現れて、業界を圧倒的に支配していたんです。我々にはWordがありましたが、当時はWordPerfectがワードプロセッシングのdBASEデータベースで最も強いと言われていたため、次のパラダイムシフトがどこにあって、どのタイミングで参入すべきかが問われていました。

ウォルト:全部DOSベースのソフトウェアだったんですか?

ビル:全部そうでした。Windowsは視野に入ってなかったので。90年代になってからですね、変わったのは。Macintoshでグラフィック・インターフェイスへのパラダイムシフトが起きるだろうと考えて、128Kのメモリーを搭載したんです。そのうち22Kはスクリーンバッファー用で、14KはOS用でした。

ウォルト:最初のMacintosh OSは14Kだったんですか?

ビル:14KはOSが起動するためのものだったので、Shellが出てきたら128K全部使えていました。

スティーブ:OS自体は14Kより大きかったです。20Kくらいでした。今はGB単位でメモリーを積んでいますよね。誰も覚えてないですよ、128Kなんて。

ウォルト:私は覚えてますよ。当時の128Kのコンピュータに莫大な金額を払いましたよ。2つの会社はMacプロジェクトに密接に取り組んでいたんですね。それはおそらく、2つの会社は唯一というわけではありませんが、主要なソフトウェアクリエイターであったからですよね。

スティーブ:AppleがMac自体を作っていたのですが、ビルのチームがアプリケーションを書いてくれてたんです。我々もMac PaintやMac Drawをいくつか作りましたが、ビルのチームは素晴らしいものを作ってくれていました。

Mac VS Windowsというのは間違い

カラ:スティーブが会社を去って、ビルの会社がどんどん大きくなった後、Appleはどうなってしまうと思いましたか?

ビル:とても難しい状況でしたね。Macintosh用のExcelなどソフトウェアを開発し続けました。ちなみにあれはスティーブとニューヨークで一緒にお披露目したんです、面白かったな。しかしAppleは当時、他のプラットフォームと差別化することができていなかったと思います。

ウォルト:Windowsのことですよね?

ビル:DOSとWindowsですね。

ウォルト:とくにWindowsは90年代に爆発的に売れ始めましたよね。

ビル:1995年にWindowsの人気が出ました。ただ当時の論点はMac 対 Windowsではなくて、テキストユーザーインターフェースとグラフィックス・インターフェイスだったんです。386が出て最初にメモリー容量が増えて、早くなって、デベロッパー用のツールが増えた時、さっき言ったGUIに対するパラダイムシフトが起きたんです。使っていた人たちがそういう方向に持って行ったんです。

ウォルト:Appleはそれを活かせなかったのですか?

ビル:512KのMacが出た後、製品ラインナップが時代の流れに追いつかなくなったんです。スティーブはもちろん居なかったですけどね。

ビル:その時ギル・アメリオと投資の話を持ちかけてたんです。ほんとですよ!

カラ:いじめちゃダメですよ!

ビル:なんで?

カラ:ギル・アメリオの話をしたから、スティーブが嫌な顔をしてますよ。

ビル:というわけで、週末ギルに電話してたりしたんだけど、突然スティーブから連絡があって、「ギル・アメリオとの交渉はもういいよ、今後は俺とのやりとりで」ってね。

スティーブ:ギルはいい人でしたよ、でも彼は前「Appleは船底に穴が開いていて、舵を取り直すのが私の仕事だ」って言っていましたよ。

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