2024.10.01
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ミシガン大学 卒業スピーチ2021 ブライアン・スティーヴンソン(全1記事)
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ブライアン・スティーヴンソン氏:このような機会をみなさんと共有できることに心踊っております。もう何年も前になりますが、ミシガン大学法科大学院で教鞭を執る栄誉に恵まれて、活気に満ちたこのコミュニティを訪れました。今日はミシガン大学法科大学院のあるアナーバー市で、みなさんとご一緒できればよかったのですが、残念ながら今はたいへん難しい状況です。
私は全キャリアを通して、貧しい人や被告人、受刑囚や死刑囚に寄り添ってきました。そしてアメリカや世界中の不正な司法に対し、どうやって対峙するかを考えることに重点を置いて活動してきました。
しかし私は今、これまでにない懸念を抱いています。この恐るべきパンデミックは、世界中の多くの問題点を浮き彫りにし、存在を無視され疎外されてきた人々の状況を改善する機会を与えてくれました。
一方で、このような時期には、希望が容易に失われてしまいます。大切な記念すべき卒業式典にすら、みなで出席できないのですから。
希望を失うのは簡単です。しかし私は大きな希望を持っています。その希望とは、みなさんです。みなさんは今まさに、進むべき道を一生懸命探していますね。得た学位を活用して、不平等を改善し、数々の断絶や絶望の元となった問題を解決したいと願っています。
私はこの時間を使って、そんなみなさんの背中を押す、ささやかなエールを送りたいと思います。今ほど世界を変えてくれる人手を多く必要としている時代はありません。
私たちは、山積みになった苦難や問題に直面しています。これまで刑事司法に携わってきて見てきた米国内の状況に、私は心底憂慮しています。
1972年に30万人だった刑務所の収監者数は、今日では220万人に達しています。米国の収監率は世界最高値です。保護観察下もしくは仮釈放にあるのは500万人です。前科のあるアメリカ人は7,000万人です。この国は女性に対してもひどいことをしています。留置所や刑務所に送られる女性はなんと800パーセントも増加しました。
過去25年間で、1世代に相当する数の子どもたちが、暴力と絶望に満ちた家庭に生まれています。米国司法統計局は、アメリカで生まれた黒人の男の赤ちゃんのうち、3人に1人が留置所や刑務所に行くことになると推計しています。こうしたデータに示される数字が、犯罪に手を染めやすい社会を作り上げてしまったのです。
警察の暴力や絶望に溢れた社会、そして気候変動に無関心な社会です。アメリカは、こうした問題に押しつぶされてしまうかもしれません。
私は、みなさんにこうした問題についてわざわざ話したくはありません。解決策について話したいのです。私たちが前に進み変化を起こすために不可欠なのは、みなさんだからです。世界を変えるには、みなさんの力が必要なのです。
この目標に向けて進むには、まず私たち全員が「他者に寄り添うこと」が必要だと考えています。孤立とソーシャルディスタンスを余儀なくされたこの1年は、社会の枠からはじき出された人々や、貧しく疎外されて存在を無視された人々にとって、特に厳しいものでした。
手にした学位を活用して、私たち自身がこの問題に取り組まなくてはなりません。エンジニア、弁護士、教職者、科学者、アーティストなど、情熱のかたちは違えども、貧しく疎外され無視され、社会からはじき出された人々に、みなで積極的に寄り添わなくてはいけないのです。
なぜなら、このようなコミュニティに寄り添って初めて理解ができるからです。どうしたら変革がもたらされるか、正義を実現できるか、健全な社会を実現できるかがわかります。みなさんの能力や可能性を存分に発揮して変化をもたらすには、他者に寄り添うことが鍵となるのです。
私たちが選出した政治家が打ち出す問題解決の政策には、時にまったく効果がないものもありますが、それは現場から離れた場所で作った政策だからです。科学者なら、物事を究明し進捗させてイノベーションを起こすには、研究対象を精査し理解することが必須だと知っています。
今、COVIDウイルスが広く問題となっていますが、このウイルスのワクチンが存在するのは、研究者たちがウイルスの性質をじっくり研究してワクチンを製造してくれたからです。
社会の不公正にも同様の対応が必要であり、不平等にも類似のアプローチが必要なのです。居心地がよく、ゆったりと暮らせる空間やコミュニティから、他者が絶望し苦しんでいる場所へ出向いて行かなくてはならないのです。
私が「寄り添うこと」の重要性について語るのは、書籍や研究を通して知ったからではなく、実際に体験したからです。これが私の原動力になっています。
死刑囚監房にいる人々に寄り添ってみて、アメリカの刑事司法が、貧乏な無罪の人よりも裕福な有罪の人を優遇することを知りました。死刑囚と過ごしてみて、この国には法的支援が無いがために、文字通り死んでしまう人々がいるとわかりました。
寄り添ってきた経験が、私のキャリアを形作り、変えていき、情熱を注ぐようになったのです。苦しむ人々のあいだに身を置けば、きっとみなさんも同じ経験をすることでしょう。
寄り添うことの大切さを私に教えてくれたのは、祖母でした。祖母は奴隷の娘であり、すばらしい人でした。昔ながらのアフリカ系アメリカ人の女家長で、タフで強く、それでいて心優しく愛情に溢れた人でした。さらにたいへんパワフルな人で、家族の争いを鶴の一声で収める一方、争いごとの火種でもありました。そしてどこか人を惹きつける人だったのです。
地元で人種差別の撤廃が始まったことは、祖母にとって初めての経験でした。すると祖母は、今まで見たことがない行動を取り始めました。私に近づき、ぎゅっと抱きしめるようになったのです。あまりにも強烈に締めつけるので、痛めつけようとしているのではないかと勘違いするほどでした。
1時間ほど経つと、祖母はやって来て尋ねます。「ブライアン、抱きしめた感覚はまだ残っているかい?」。そして私が「ノー」と言うと、また私に抱きつくのでした。
私が10歳になる頃までには、祖母の顔を見るなり「おばあちゃん、抱きしめられた感覚はちゃんとあるよ」と言うのが習慣になってしまいました。すると彼女はにっこりとうれしそうに笑うのです。でも、祖母が何を教えようとしてくれていたのかがわかったのは、ずっと大きくなってからでした。
祖母は死ぬまで家政婦として働き、90代まで生きました。ある日、転んで腰の骨を折り、ガンが見つかりました。
祖母は危篤でした。当時の私は大学生で、祖母の顔を見に行きました。別れを告げるのは本当につらいことでした。祖母はベッドに横たわっていました。この会話が今生の別れになることが、私にはわかっていました。傍らに座り、祖母の手を握って思いの丈を伝えました。
祖母は目を閉じており、言葉が届いているかはわかりませんでしたが、私は話し続けました。とうとう帰る時間になりました。立ち去りたくはなかったのですが、どうしようもなかったのです。席を立って一歩離れようとしたまさにその時、祖母は私の手をぎゅっと握りしめ、目を開けて私を見ました。
祖母の最期の言葉は、「ブライアン、抱きしめた感覚は残っているかい?」というものでした。「おばあちゃんは、これからもずっとお前を抱きしめてあげるからね」と。
愛し、支え、気にかける人々が抱きしめてくれなかったら、ほとんどの人はここにはいなかったことでしょう。みなさんは、その抱擁の力強さに感謝したはずです。誰かがみなさんを抱きしめ、みなさんの価値を認め大切にしてくれたからこそ、やり遂げられたことはたくさんあるはずです。
まさに同じ贈り物を、他の人にもぜひ贈ってください。家族だけではなく、虐げられ、命に価値も意味も無いとされた人々の元へ行った時にも、同じことをしてあげてください。
死刑宣告を受け、見捨てられ、追いやられ、疎外された人々の傍らに立ち、彼らの人間性と尊厳を認めるのです。正義が行われる場所を世界に広げるのです。差別され、追いやられ、疎外された人々を抱擁して、人間性と尊厳を認める力を侮ってはいけません。寄り添う力は強いのです。
ひとたび「寄り添うこと」を決意してみると、正義のために実行すべきことが見えてきます。やるべきことは尽きません。世界中やその国の健康的な思考に巣食い、がっちりと根を張った“物語”を変えなくてはならないのですから。
世界には、恐怖と怒りによる政治で支配されている国がたくさんあります。国民に恐怖と怒りを説く政治家は世界中にいます。彼らは私たちに、恐れ、共に怒ってほしいのです。なぜなら、恐怖と怒りに身をゆだねてしまった国民は、我慢してはいけないことも我慢してしまいますし、納得してはいけないことにも納得してしまうからです。
弾圧や暴力、虐待は、ほぼ恐怖と怒りからできています。弾圧する側に理由を尋ると、返事として聞かされるのは、恐怖と怒りの“物語”です。ホロコーストやルワンダ虐殺の裏にも恐怖と怒りの物語がありました。これは人々が敵視され、標的となり、公正に扱われない所であれば、世界中どこであっても同じです。
私たちはこうした恐怖と怒りの物語に対抗しなくてはなりません。まさにここアメリカでも、同じことが起きていました。一世代前のアメリカの政治家は、嗜癖や依存症に苦しむ人々を犯罪者とし、刑事司法をもって対処しました。しかし実際には、私たちは嗜癖や依存症を病気として認識するべきであったし、医療で対処しなくてはいけなかったのです。
この国の人種にまつわる“物語”も変えるべきです。私は、アメリカは自由の国ではないと思います。重い人種差別の歴史が大気を汚染し、スモッグとなって澱んでいます。ミシガン州であれ西海岸であれ、東海岸、南部、どこに住もうと、どこで仕事をしていようと、この国内であれば、みなさんは長い人種差別の歴史で汚染された空気の中に暮らしています。
「そのうち消える」と言う人は大勢いますが、私はそうは思いません。この環境を浄化する必要があるのです。行動を起こさなくてはなりません。これまでまったく認められたことのない事柄について、話し合う必要があります。
私たちは、アメリカが「ポストジェノサイド(虐殺後)社会」である事実について認めるべきです。ヨーロッパ人がこの大陸に来た時、現地の人々に対して行ったのはジェノサイド(虐殺)です。アメリカ人は現地の人々を何百万人も殺戮しました。土地を奪い、言質を取った上で彼らを追い出しました。これはジェノサイドです。飢餓、戦争、疫病で何百万人も死んだにもかかわらず、私たちはこれをジェノサイドと呼んだことはありません。
平等と正義をうたった憲法を制定したにも関わらず、その対象が現地の人々にまで及ぶことはありませんでした。それは「人種間には差異がある」という“物語”を作ったからです。現地の人々は野蛮人であるとして保護しませんでした。アメリカで現代までさんざん語られてきた「正義」から、「人種的差異の物語」によって、彼らを切り捨てたのです。
まさに同じ“物語”が、2世紀半にも及ぶ奴隷制を正当化するために使われました。アメリカの奴隷制におけるもっとも醜悪な点は、非自発的隷属でもなく強制労働でもありません。もっとも醜悪だったのは、奴隷制を正当化する“物語”を作り出したことです。
奴隷所有者たちは、自分たちが非人道的だとか不正であるとか、キリスト教に反していると考えたくはありませんでした。だから、黒人は白人ほど優秀ではないという“物語”を捏造したのです。黒人は人間として未完成で進化が遅れており、能力が低く無価値で大切にする必要がないという、この“物語”の残骸に、私たちは今日いまだに直面しているのです。
南北戦争では北軍が勝利しましたが、白人至上主義という人種ヒエラルキーの概念の“物語”は、南軍に生き続けました。アメリカ合衆国憲法修正第13条は、自発的ではない隷属と強制労働を禁じましたが、人種的差異や白人至上主義のイデオロギー、人種ヒエラルキーに関する“物語”の幕引きについては何の言及もありませんでした。
このことから私は、奴隷制は1865年に終焉したのではなく、単に進化しただけだと考えます。その結果が、この国の黒人が自宅から追われ、奪われ、殴られ、水死させられ、命を奪われ、火をかけられる悲劇の世紀へと続くのです。時に黒人は裁判所でもリンチにかけられます。そしてこのような暴力は、アメリカでは認識されてきませんでした。
有色人種の高齢者が、時々私にこんなことを言います。「スティーブンソンさん、テレビで『911以降、アメリカは史上初めて国内でテロリズムに対峙するようになった』などと言っていると腹が立ってきます。わしらは子どもの頃からずっと、テロに晒されて来たのだから」。
アメリカにおける地域ごとの人口動態が、人種テロの時代によって形成されたものだということも認識されてきませんでした。デトロイト、クリーブランド、シカゴ、ロサンゼルス、オークランドに住んでいる黒人たちは、新しい働き口を求めて移住して来たのではありません。多くは、アメリカ南部のテロを逃れてきた避難民や放浪者です。今日でも、このコミュニティは危険で犯罪が多いという偏見があります。
輝かしい公民権運動が起こり、多くの人が多大な貢献をしました。それでも今日なお、ミシガン大学卒業生であっても、どれほど才能があり天賦の才があっても、成績優秀者リストに載っても、一流の学者、凄腕のエンジニア、立派な先生、医師、弁護士であったとしても、肌が黒や茶色の人には悲しいことに、危険な犯罪予備軍という偏見がついて回ることをみなさんに伝えなくてはなりません。
これは誤りであり、公正ではありません。変える必要があります。この「物語」を変える必要があるのです。この国に、真実を語る時代をもたらす必要があるのです。これまでまったく語られたことのない事柄について話し合う必要があります。
南アフリカの人々は、アパルトヘイト(南アフリカ共和国における人種隔離政策)後の和解には、真実が必要だと認識しています。ドイツでは、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害・虐殺)のさなかに連れ去られたユダヤ人家族が住んでいた家に、印や石碑がつけられ、200メートルとない間隔で見られます。
ベルリン中心部にはホロコーストの慰霊碑が建てられています。ドイツに行くと希望をもらえます。アドルフ・ヒトラーの像など一つもありません。ホロコーストの加害者、第三帝国の建国者を讃え記念することは、不道徳だとされているからです。
しかしこの米国では、国全体に蔓延する「白人至上主義と奴隷制を保護した者を讃える図像学」をやっと清算し始めたところです。これは変えなくてはいけません。
私がこんな話をするのは、この国の歴史が悪いと断じるためではありません。私が意欲を示すのは断罪ではなく解放です。警察による暴力、人種差別主義、偏見、白人至上主義ではなく、自由、平等、正義を実感できる、より良い前途が待っているはずです。そこに至るには、私たち全員が「物語」を変え、恐怖と怒りに対峙し、こうしたことを話し合わなくてはいけません。
3つ目に、希望を持ち続けてください。今日はすばらしいと讃えるべき日ではありますが、希望が容易に失われる時代でもあります。みなさんは、それに立ち向かって行かなくてはなりません。
絶望は正義の天敵です。絶望が蔓延する場に、不正ははびこります。希望は、みなさんの大いなる力です。他者が座れと言う時に立ち上り、他者が黙れと言う時に発言する力となります。みなさんのやり遂げようという意志は、みなさんが世界を変える力を発揮する鍵となります。
最後に4つ目です。みなさんには人に寄り添い、“物語”を変え、希望を持ってくださいとお話ししてきました。さらに難しいことをお願いしたいと思います。
不快で不自由なことをやりたがらなかったら、正義も実現できず、世界も変えることもできません。不快で不自由なことをやってください。決して気楽にはなれない、招かれざる場所にも行かなくてはならないでしょう。
そのような行動をすることで、みなさんは世界を変え、正義を推し進めた多くの人々の前例に加わることとなるでしょう。
私が教会で講演した時、高齢の黒人男性が入って来ました。男性は後方で車いすに座り、私を険しい顔でじっと凝視していました。私は、この男性がなぜこれほどまでに私を睨むのかわかりませんでした。
講演が終わると、みんな集まって来て感じ良く丁寧に接してくれましたが、高齢の黒人男性は車いすで後方にずっと座っていました。他が全員退出した後に、彼は車いすを自分で動かして教会の前方までやって来ました。
そして、私のところまで来ると言いました。「君は自分が何をやっているか、わかるか」。私は呆然と立ち尽くしていました。すると彼は同じ言葉を繰り返しました。「自分が何をやっているか、わかっているのか」。私がもごもごと口ごもると、彼は最後にもう一度「自分がいったい何をやっているのか、わかっているのか」と言うのです。
高齢男性は私を見つめ「では教えてやろう」と言いました。「君は正義を広めるためにみなを鼓舞してくれている。ぜひ続けたまえ」。私はたいへん感動しました。とは言え、心底ほっとしました。いったい何事かと思いましたからね。
男性は私の上着を掴み、自分の車いすの方にぐいと引き込んで言いました。「こっちに来たまえ。見せたい物がある」。そして首を回すと言いました。「右耳の後ろに傷痕があるだろう。この傷は、1963年にアラバマ州グリーンカウンティで受けた。黒人の選挙権を要求した時だ」。
今度は反対側に首を回して言いました。「もう片方の耳の後ろにも痕があるだろう。1964年にミシシッピ州フィラデルフィアで黒人の選挙権を要求した時に受けた傷だ」。さらに首を回して言いました。「ここには痣があるだろう。黒い部分だ。これは1965年にアラバマ州バーミンガムで黒人の選挙権を要求した時のものだ」。
男性はまっすぐ私を見て言いました。「いいかい、若い人。よくお聞き。人は私を見て、切り傷や痣や傷痕だらけの車いすのただのじいさんだと思うかもしれない。でも教えてあげよう。これは切り傷でも痣でも傷痕でもない。私の栄誉の勲章なんだ」と。
今日は、みなさんとご一緒できて光栄でした。私は弁護士として、さまざまな方法で、ごく単純なことをやっています。私の信条は、「何か悪事を働いたとしても、人には尊厳がある」ということです。私が受刑囚や死刑囚に寄り添って来たのは、その人が嘘をついたとしてもただの嘘つきではなく、物を盗ったとしても単なる泥棒ではなく、たとえ人を殺したとしても単なる人殺しではないからです。
みなさんにこの話をしたのは、「貧困」の対義語は「富裕」ではないからです。私たちは金に執着しすぎています。私は、「貧困」の対義語は「正義」だと思っています。
最後にミシガン州立大学卒業生のみなさん。今日私がみなさんにこの話をしたのは、他者に寄り添い、「物語」を変え、希望を持ち続け、不快でも行動したなら、世界を変えることができると信じているからです。この世界は変革と機会、公正性と正義とを必要としています。
今日はみなさんとご一緒できてたいへん光栄でした。みなさん一人ひとりに大きな幸があることを願います。
ご卒業おめでとうございます。ありがとうございました。
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