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「先生」を考えなおす。(全4記事)

学生との距離感は「半歩後ろから来る伴走者」ぐらいがちょうどいい 東大/慶大教授・鈴木寛氏 が「求められるまで教えない」スタイルを貫く理由

「教育現場において日々当たり前のように使われる言葉を、みんなで考えなおす場」として、「HASSYADAI Teachers' Forum 2023」が開催されました。 時代が変わる中、「先生」は何を変えず、何を変えていくのか。本記事では、元文科省副大臣であり東京大学・慶應大学教授の鈴木寛氏、暮らしの交通株式会社代表の田島颯氏、ハッシャダイソーシャル共同代表理事の三浦宗一郎氏が、「先生のあり方」について語りました。

社会がどんどん変化していく今、「先生」の役割とは

三浦宗一郎氏(以下、三浦):次の「先生を考えなおす」というセッションへ移っていきたいと思います。こういう教育をテーマにしたイベントは僕もけっこう好きで、いろいろ行くんですけど。やはり「先生たちがより良い教育をするためにどうしたらいいのか」という場所で。

それって基本的に子どもたちの教育の話が多いと思うんですけど、僕は先生が真ん中になるようなイベントが作れたらなと思って、今回このHASSYADAI Teachers' Forumをやっています。なので先生というテーマはまさにど真ん中でもあるんですけど、時代の変化と共に先生という職業の役割や存在がすごく難しい立ち位置になってるんじゃないかと思っていて。

(子どもたちを)送り出す先の社会もどんどん変化しているし、(教育現場の)ICTがどうこうみたいな話もある中で、先生がどんな役割を担っていくのか、「先生って何だっけ」というのを考える時間を作りたいと思っています。

ゲストはすずかん先生と田島颯という、めちゃめちゃ僕の友だちです(笑)。楽しいセッションになるんじゃないかと思います。ではさっそく呼び込みたいと思います。すずかん先生と颯、よろしくお願いします。

(会場拍手)

鈴木寛氏✖️田島颯氏✖️三浦宗一郎氏、3人をつないだ縁

三浦:よろしくお願いします。すずかん先生は、昨日まで山口県の萩にいらっしゃって、明日から香川県の三豊に。

鈴木寛氏(以下、鈴木):今晩から。

三浦:今晩から(笑)。今日わざわざこのために来てくださったんですけど、飛行機が飛ばなかったから新幹線で来たらしいんですよ。岡山通るやんっていう(笑)。ちょっと簡単に僕からご紹介をします。

すずかん先生は元文科省副大臣をされていて、今は東京大学と慶応大学でも教鞭をとられております。すずかんゼミというゼミがありまして、本当に名だたる起業家を輩出しまくっているところで、カタリバの今村久美さんもすずかん先生の教え子さんです。

僕も去年ご一緒して、ヨットに乗ったりさせてもらってますが(笑)。僕が来月から大学に行こうって決めたのも、こんなおもしろい先生が大学にいっぱいいるのかもしれない、そんな先生に教えてもらいたいと思ったんです。そんなきっかけをくれたのもすずかん先生です。よろしくお願いします。

鈴木:お願いします。

(会場拍手)

三浦:ありがとうございます。続いて田島颯でございます、颯って呼んじゃいます。颯は今は、特に地方だと子どもたちの移動手段がないことが機会格差につながってしまうということで、香川県の三豊市で暮らしの交通株式会社という乗り合いタクシーみたいなサービスをやっているんですけど。もともとはいろんなところで探求をしたり企画をしたり。

田島颯氏(以下、田島):そうですね、授業を作らせてもらったり、教員の方々に研修をやらせていただいたりしていましたね。

三浦:まさにトヨタ自動車さんと一緒にやってる「project:ZENKAI」も、颯がプログラムを企画して作ってくれています。実は(颯は)すずかんゼミで、ここは師弟関係でもあるという。

鈴木:颯くんはゼミ長ですから。彼の124単位中……。

田島:卒業単位が124単位あるんですけど、そのうちの半分はすずかん先生からもらったので。そろそろ学費を納めたほうがいいんじゃないかなと思ってるんですけど(笑)。

(会場笑)

三浦:直納?(笑)。

田島:もう直納したほうがいいかなと(笑)。

先生とは、「自分よりほんのちょっと先を生きている人」

三浦:ぜひ僕にもそれを教えていただけたらうれしいんですけれども。ということでさっそく、「先生」というテーマです。すずかん先生もお忙しくて、まったく打ち合わせせずにこの場に来ていただいているんですけれども。

すずかん先生、どうですか。「先生、先生」と本当にいろんな人たちから呼ばれてると思うんですけど。先生って何ですか?

鈴木:僕のことはみんな呼び捨てにしてますよ。颯も僕の前では「すずかん先生」とか言ってるんですけど、うちのゼミ生は僕がいないと呼び捨てで「すずかんがさぁ」とか言ってる。

三浦:ちなみに僕も仲間に入らせてもらってます(笑)。

(会場笑)

鈴木:でしょ(笑)。だから呼び捨てですよ、「すずかんが」とか言って。……僕はね、(先生とは)「先に生きる人」。

三浦:もう字のとおり。

鈴木:うん、ちょっと先に生きてる人。いろいろ失敗したり、いっぱい恥をかいたり、でもそのぶんいっぱい喜んだりっていうね。ほんのちょっと先を生きている人じゃないかと思うんですけどね。

三浦:すごくシンプルですよね。なんとなく頭では理解できるんですけど、「先に生きている」とはいったいどういうことなんでしょうか。

鈴木:生きてるといろんなことがあるんですよね。「板挟み」と「想定外」って僕はいつも言ってますけど、結局生きてること自体がいろんな板挟みだし。でも板挟みってすごく良くて、いろんなことを考えたり悩んだりして、そこから何か本当の知恵というか、本当のことを学んだりするので。

生きることと学ぶことはかなり近いというか、ほぼ同義だと思うんですけども。生きるために学んでるし、学ぶことは生きること、生きることは学ぶことだと思っているので。それで(先生は)ちょっとだけいろんな苦労をしてるわけですよね。

年食ってるぶんというか、年齢に関係なく自分より苦労してる人ということじゃないかな。そこでやはりいろんなことを悩んで乗り越えたり向き合ったりしてるから、生徒というか弟子が(できます)。

「半歩後ろから来る伴走者」ぐらいがちょうどいい

鈴木:でも先生というのはほとんど先を生きるし、まさに伴走者って言葉があるんだけど……僕は半歩後ろから来る伴走者ぐらいがちょうどいいと思ってる。

三浦:先を生きるんだけど、いるのは半歩後ろ。

鈴木:それで、時々崖を登る時は手を引くとか、半歩先に行く。8〜9割は半歩後ろで、時々半歩前。それぐらいの距離感で自在に歩いてる人かなって感じですね。

三浦:まさに今、すずかん先生が体現されていることをお話しいただいた感覚がすごくあって。だいぶ長い間すずかん先生と一緒にいる颯から見て、なんで(すずかん先生は)それができるんですかね? みんなやりたいと思うんだけど。

田島:僕はすずかん先生から本当にたくさん、いろんなことをいただいたなという感覚はあるんですけど、教えてもらったって感覚とはまたちょっと違う感じがしていて。

授けられてるけど明確な答えではないという感覚があるんですよね。僕が背中を見て勝手に学んでるみたいな。言葉としては先にもらってるんだけど、自分が後で体験する中で、ちょっとずつそれが腑に落ちてくる感覚がたぶんポイントなのかなと思っています。

やはり教えたくなっちゃうのは先に生きている者の衝動だと思っていて。自分がやってきたこと、自分の人生を肯定する意味も込めての「教えたくなっちゃう」って感情だと思っています。

ただそうではなくて、自分が辿ってる道が本当に正しいのかどうかもわからないという前提があるからこそ、「まあでも、君がやりたいんだったら勝手に学びなよ」みたいな伴走スタイルというか。かつ「僕は基本的に後ろから見守ってるから、本当にやばくなった時だけ助けるぜ」という感じが先生にはあるのかなという気はしますね。

自分からは教えない、すずかんゼミの“太鼓スタイル”

三浦:なるほど。それで言うとやはり大学のゼミとか、先生の役割としては「教える」というイメージなんですけど、ゼミの場や教室ですずかん先生は何をしてるんですか? 

鈴木:何もしてないですね。

三浦:何もしてない(笑)。

鈴木:でもずっと観察はしてます。めちゃくちゃ観察はするけど、何もしない。というか、すずかんゼミには「太鼓」っていう言葉があります。すずかんゼミで(最初に)2つ言うことがあって、その1つは「私は太鼓です。叩きに来なければまったく何も響きません」と。

ゼミは3ヶ月あるんだけど、叩きに来ない時は叩きに来ないでよくて、「3ヶ月叩きに来なくてもぜんぜんいいです」と。逆に言うと叩きに来る人はいっぱいいるんでね、僕忙しいので(笑)。

三浦:すいません、いつも叩いて(笑)。

鈴木:僕的には始終叩きに来る人がいるんだけど、逆に言うと叩きに来る人を見ていながら「叩きに行きたいな、でもまだ行けないな」と葛藤しているというか、悶々としている人はいます。

それで、「彼はまだ叩きには来ないな」と見ています。それで、ここで叩かれてるので「宗ちゃん、このへんで会える?」と言って、見ないふりして見ています(笑)。あと2ヶ月で来るなと思っていると2ヶ月後に来た、という感じですね。まずそれが、すずかんゼミ。

だから私は、叩きに来るまで(何もしません)。中学生とか高校生とか小学生はまたちょっと距離感が違いますけど、大学生の場合はそうです。

世界最古の大学にちなんだ、学生主体の学び方

鈴木:あとは、すずかんゼミでは必ずボローニャ大学の話をするんですね。ボローニャ大学は中世イタリアのボローニャでできた、世界最古の大学です。

まず学生組合ができるんですよ。学生が集まって、自分たちはどういうことを学びたいかを相談して「こういうことを学びたい、じゃあこれを教えられる先生はどこにいるんだろう」と探すんです。

そうすると隣町やあるいは北の街にいると知って、学生組合の代表たちが行くわけですよ。「我々はこういうことを学びたいんだけど、あなたに教えてもらえないか」と交渉するんです。それで、「これは教えられるけど、これは教えられない」とか「これは自信ないけどがんばってみる」みたいなことを話し合って、教授が決まるんです。これがボローニャ大学です。

すずかんゼミはボローニャ大学です。だから「学生組合の組合長であるゼミ長が『これを教えてください』と僕に交渉してください」と。だからこれも「太鼓」に通ずるんだけど、要請されないことは教えないというか、語りません。語れと言うまで黙ることを貫いてるんです。

三浦:なるほど。

教授よりも権限がある、すずかんゼミのゼミ長

鈴木:でね、すずかんゼミのゼミ長ってめちゃくちゃ偉いんですよね。僕は象徴であって、ほとんど権限がないんですよ。

三浦:そういうことですね、はいはい。

鈴木:要するにうちは、事業設計部と人事部が必ずあるんですね。まずゼミ長は選挙で選ばれます。ゼミ長は絶大な権限を持っていて、どういう組織にするか、それから部長を決める権限(もあります)。だからだいたいゼミ長選挙では、毎回争点は違うんだけど、必ずあるのは「すずかんゼミ(の人数)をもうちょっと増やすか、減らすか」ってことなんですね。

これはトレードオフですよね。増やすと希望者をいっぱい入れられるんだけど、どうしても薄くなっちゃう。少なくとも僕との時間は薄くなっちゃうけれど、それでも学び合いをするって意味では良いことでもあるんです。

減らせば僕との時間が非常に濃くなる。どっちもありなんだけど、それをみんなが争うわけですね。ほかにも争点はあるんだけど、事業設計部とゼミ長がどういう学びをするかを決めるんですよ。

それで「すずかんは来なくていい」と言ったら行かない(笑)。それから「今日は2時間やるけど、1時間目は黙っとけ」「はい、わかりました」みたいな(笑)。「2時間目のこの時にこういうことはしゃべってくれ」というのを全部、ご指示のままに。

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