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『情報生産者になってみた』(筑摩書房)刊行記念トークイベント 大滝世津子×開沼博×竹内慶至 ゲスト:上野千鶴子 「社会を変える/人を育てる」(全5記事)

ググった情報をパワポにまとめることが「探究学習」なのか? 教育者が考える「正解のないオリジナルな問い」が持つ価値

1993年から2011年にかけて開かれていた東大文学部「上野ゼミ」は、あまりの厳しさに一時は志望者がゼロになったこともある一方で、悩める学生がひっきりなしに訪れる"東大の保健室"でもありました。今回は『情報生産者になってみた』刊行記念として代官山 蔦屋書店にて開催された、上野千鶴子氏と「上野ゼミ」卒業生によるトークセッションの模様をお届けします。教育に携わる卒業生3名と上野氏が「教育」をテーマに議論します。本記事では、2022年度から本格的にスタートした高校の「探究学習」について、教育者からみた現状の課題が語られました。

大学が本来の「研究」をやるところではなくなってきている

竹内慶至氏(以下、竹内):ちょっと話が変わるんですが、『情報生産者になってみた』を出した後に、大学の教員の方々に献本をするとお礼状に「いつも(上野氏の)『情報生産者になる』をゼミで使っています」とか「必ず全員に読ませてます」と、全部大学の違う5、6人の教員が書いていました。それぐらいの定番になってきたと思うんですけど。

『情報生産者になってみた ――上野千鶴子に極意を学ぶ 』(ちくま新書)

『情報生産者になる』あるいは『なってみた』で書いているような話は、大学でこそやらなきゃいけないと思うんですけど、現実はどうなのか。それができていないのか。できないようにさせている何かがあるのか。開沼さんはどう思いますか?

開沼博氏(以下、開沼):良い教科書みたいなのがなかったと思うんです。研究法の本はいっぱいあるし、論文の書き方みたいな本もいっぱいある。でも自分でも「この本は絶対におすすめできる」というものがあまりなくて、なんでかなといろいろ考えたりします。

1つは、情報生産をしまくってる人が意外と方法論に興味がないというか、方法論の本を書かなかったんじゃないかと。そういった意味では、上野千鶴子は情報生産者としての本は書いてきたけど、どう情報生産をどうすればいいかという本を書いておらず、『情報生産者になる』はこれまでの本とはフェーズの違うものだったんだと思います。

あとは大学が、本来の研究をやるところではなくなってきています。地方大学だと「地域に貢献しましょう」「地域の企業の方とコミュニケーションをとるのが学びです」みたいな、「実務的」という言葉で表されることを学ぶ場になるということは、普遍的に起こっています。その中で、何百年と積み重ねられてきた学問的な学び方とか、文章を書く時のフレームワークが、ある面でないがしろにされてきたのかなと思いますね。

教育における「暗黙知」を公開することの意義

開沼:という意味でうかがいたいのが、上野先生の本のラインナップで『情報生産者になる』の前に方法論の本はたぶん出ていないと思うんですけど。それは何か理由があったのでしょうか。

上野千鶴子氏(以下、上野):普通はそんなの書かないもんよ(笑)。研究者は研究のアウトプットを出すのが仕事だから。そもそも研究のノウハウを書くのは、初学者か引退した学者のどちらかという話で。とりわけ、研究者は教育者としての自覚がほとんどないから、自分の教育経験を書く人なんてほとんどいないと思う。

だけど、日本の高等教育の現状があまりにもひどいと思ったから。書いてあることは突飛なことじゃなくて当たり前のことばっかり。暗黙知になっているところを全部公開して、共有の知にしたっていうだけのこと。

このメソッドがものすごくシステマティックで、誰でもできる基本のきだってことは読めばわかる。

上野氏から教わったのは「大学でこそ学ぶべきこと」

上野:もう1つ、情報生産者の情報って、「それまでにない情報」って意味ですよね。2019年に私が東大入学式で祝辞を述べた後、在学中の東大生とやり取りする機会が何度もあったの。私はあの祝辞の中で、大学の使命とは予測できない世界に立ち向かうために、これまで誰も解いたことのない問いを立てて、それに答えを与えることだって言った。

ありものの知を身につけるのじゃなくて、知を生み出す知を身につける。それをメタ知識と呼んでおきましょう、それが大学の使命だ、と言ったら、ある東大3年生の男子学生が、私に「先生はそう言ったけど、現在僕らが東大で受けている教育はとうていそんな教育とは思えません」と言ったのよ。私の答えは「はい、そのとおりです」(笑)。

竹内:身もふたもない(笑)。

上野:うん。これについてみなさんの意見が聞きたい。

竹内:大滝さんはいかがですか?

大滝世津子氏(以下、大滝):私は先生のおっしゃるとおりの感覚だったんです。「あの時に東大にいてよかった」というのが正直な気持ちですね。上野先生がいて、苅谷先生たちもいて。私が所属してたのは教育学研究科の比較教育社会学コースというところですけど、そこの先生たちもビッグネームが揃っていたし、何より上野先生が東大にいたという。この時期じゃなかったら今の自分はなかったとすごく思う、すばらしいラインナップだったんですよ(笑)。

でも上野先生がおっしゃっていたような「上野メソッド」は、どの先生からでも学べたことだという感覚が私の中にはあまりなかった。だから私の中での「大学だから学べること」とか「大学でこそ学ぶべきこと」は、上野先生が教えてくださったようなことだと思っていたんですよね。

だから、どうしてほかのゼミの先生はそういうことをしないのかが、若い時の素朴な疑問だったんです。でもそれはぜんぜん当たり前のことではなく、ただ私が上野先生から良い教育を受けられたっていうだけだったんだろうなとは思います。

「ググってデータを集めて器用にまとめる」のは研究ではない

大滝:でも最近思うのは、『情報生産者になる』もできて、本当にこれは大学じゃなきゃできないことだったのかなと。WANゼミなんかもあるじゃないですか。そのへんについて、今先生はどういうふうにお考えなのかなと思っていました。

竹内:上野さん、今のはいかがですか?

上野:なんかもうここが上野ゼミみたいね(笑)。

竹内:(笑)。事前質問でにも、「もう上野ゼミは開かれないのでしょうか」という待望論みたいなものも、実はきていたんですが。

上野:正解のないオリジナルな問いを立てる。そしてそれを届けたい人に届ける、それが大事ってことは何度も言ったよね。開沼さんも竹内さんも、高校に出前授業をやってるんでしょ。今、高校では探究科とか総合学習が大はやり。こういう研究成果が出ましたって、高校生のプレゼンを私も聞かされるんだけど。

なんかね、ググってありもののデータを集めて、器用にまとめて。今の子は、パワポのプレゼンを上手に加工して、はい一丁上がり。あれは上野ゼミでは絶対許されないよね。

竹内:今は、雰囲気だけそれっぽいものがすごく作りやすくなった時代だと思うんですね、ネットでいろんなものが出てくるので、何かやった気になるというか、形だけやった気になるってことができるから。

高校なんかは特に、図書館も貧困で、ぜんぜん図書情報とかもない。で、論文の情報もみんな判で押したように検索の1、2番目に引っかかったものを持ってきて。それをまとめて報告されるのが、多すぎて。僕もちょっとどうしたらいいんだろうなと……。

「ありものの問い」に「ありものの知識」で答える子どもたち

上野:ありものの問いにありものの知識で答えているわけでしょう。子どもの書いたものでもけっこうそれなりのクオリティのものがあるんだけど、そういうのを見ると、「これってシンクタンクの新入社員の取りまとめレポートだね」ぐらいの感じよね。こんなのを探究学習と呼んでいいのか。上野ゼミだったらまず最初に突っ返されるよね。「出直してこい」って。

開沼:そこを、高等教育に入る前に教えていくべきことだという理念自体が、共有されていないんじゃないのかと思います。逆にそこを厳しく言ってほしいということで、僕も高校とかから声掛けをいただくことはありますね。

「これのオリジナリティは何なの?」とか「ポジショナリティはどこなの?」とか、何より「あなたは自分でおもしろいと思ってんの?」というのが上野ゼミ、特に学部ゼミの感覚ですね。「自分でおもしろいと思っているなら堀り進められる」みたいな感覚って、たぶん新しい知を生産する上でも不可欠なことだと思っています。

それを、上からSDGsっぽい課題を与えて、その後で問いをきれいにやりましょう、というのが「新しい知ですよ」みたいになっている問題はあるのかなと思いますね。

学んだことがないことを教えないといけない、高校の先生たち

竹内:やっぱり高校は相手にしなきゃいけない数が多いですよね。そこでスタンダライゼーション、つまり標準化が進んでしまっていると、ちょっと思っていて。

高校も例えば、先生たちは時間的な余裕があれば、探究的なことをやりたくないわけではないんですよね。本当はやりたい。僕が探求の講師として呼ばれてお話しすると、一番「勉強になりました」と思ってくれているのは高校の先生じゃないかなと、実は思っていて(笑)。

高校の先生は「こういう時はどうすればいいんですか?」とか、すごく積極的に質問をしてくれるんですね。そう考えると、探究という枠組みはできたけど、教員がそれを学んでいないから、どうやって進めればいいかがわからないという。

上野:そこはよくわかる。総合学習が出てきた時に、自分が経験したことのないことを人に伝えることはできないと思った。教える側の教師にそのスキルがないから。ありものの問いを立てないということについて、あなたたちは学生や生徒さんにどういう介入の仕方をするの?

竹内:なかなかそれは難しいところだけれども……でも今の学生たちを相手にしていると、持ってくる問題って最初は抽象的だったりとか、ふわふわしていたりとか。

上野:東大生もそうだったよ(笑)。

竹内:(笑)。そういう問題を持ってくるんだけど、でも話を突っ込んでいくと、どんどんその子自身が背景に抱える実存的な問題があったりして。

子どもの実存の問題に、教師が関わらざるを得ないあやうさ

竹内:例えば、親子関係で悩む子は親子関係を問題にしたがるし。「なんでこの子は食事をテーマにするんだろう」と考えたら、入り口は食事なんだけど、昔は家族と一緒にご飯を食べたというすごくいい思い出があるけど、今はできてないとか。そういう実存とすごく結びついている気がしています。

学生とやり取りをしていて、いつもそこに踏み込んでいく感じはありますね。そこに関わらざるを得ないという。でもどこまでどういうふうに触れればいいんだろうと思います。そこに危うさもあると思うので。

あとこれは上野さんにいろいろ教えてもらったんだけど、やっぱり絶対的に一番違うなと思うのは、ジェンダーですね。僕が今教えてる大学は女子学生がすごく多いので、「上野さんだったらこれはこう言って、こういうアクションを起こせるけど、僕だと越えがたい部分というか、やっぱりできないな」と思う時があるわけですよね。

別に越えなくてもいいのかもしれないけど、でもやっぱりそこは実存に関わるから、そういう問題が出てくるのかなと、指導していて思うところですね。いかがですか? 大滝さんも指導をしていたと思うんですが。

大滝:私は怒りの核はどこかというのを、けっこう聞いたりします。最初はそれこそ漠然としたことを言うんだけど、「その中の何が気になってるの?」「さらに何が気になってるの?」と聞いて、「あ、一番そこに憤ってるのか」となった時に、「その問いを解いた人っているかな」と言って調べてもらって。

で、「やってました」とか「やってなかった」「ここはやってたけど、ここはやってませんでした」という感じで、オリジナリティを見つけていくみたいなことをやっていたと思います。

オリジナリティを出す上での「タブー」

竹内:開沼さんはいかがですか。

開沼:「これは何がおもしろいの?」と「この話ってタブーはないの?」というのを、そのまんま聞き続けるという。ふにゃふにゃと言ったり誤魔化そうとする時に、「いやそれはおもしろくないよね」とか「これ大してタブーじゃないよね」と言って突き詰めていくというのをやっていますね。

竹内:それは、院生の指導の時もそんな感じで?

開沼:そうです、高校生にも使えるし。「それは言ってることが普通だよね、新聞に書いてあるレベルだよね」「どうすればおもしろいだろう」って。

上野:「何がおもしろいの?」って、上野ゼミの「So what?」だね(笑)。

開沼:そう、本当に「だから何なんだ」という。

上野:タブーが出てくるのは、さすが「福島論」の開沼だね(笑)。

『はじめての福島学』(イースト・プレス)

開沼:オーラル的な話で言えば、「ここが、地元の人は思っているけど、表で言えないことなんです」とか。数値・データだって「これはほかの人があまり触れてないんですけど」って、オリジナリティを出す上で「タブー」という言い方はあるかもしれないと思います。

「自分の問い」を解く過程を、周囲が見守る関係性

上野:私は「問いを適切に立てた時点で、すでに成功の半分は約束されている」って言ってたから。適切な問いを立てるのはすごく大事なことで、問いを絞り込むまでが一仕事だよね。

上野ゼミはみんな厳しいって言うけど、それでもこんなふうにみんながわりと仲いいじゃん。仲がいいのは、上野という抑圧に耐え抜いた連帯感、苦難を共にした戦友意識だけではなくて…...(笑)。

自分でゼミを運営していつも言っていたのは、「It's your question, it's none of my question」……「それはあんたの問いであって私の問いじゃない、あんたの問いは私には答えられない」って。20人いたら20通りの問いがあるわけでしょ。そうすると、学生さんは1年間その問いと取っ組み合いをするんだけど、自分の問いを解いていく進捗状況を周りの人たちが見守ることになって、1つの問いを解くために競争関係に入らないで済むのよね。

何か正解がある問いに取り組んで、誰がより優れているとか、誰がより正解に早く到達するかって競争関係を作らずに済んだところが、ピアができた1つの理由じゃないかと私は思ってる。

大滝:なるほど。

自覚的に作ったゼミの「関係性」

上野:それに付け加えておくと、問いを解いていく過程の、一人ひとりの人の成長の仕方をみんなで目撃するという共同性ができる。

竹内:確かにレスポンスカードもいくつか種類があって。上野さんに向けてのレスポンスカードと、コメンテーターとは別に、報告した人に向けたレスポンスカードがあったと思うんです。あれってすごく関係性を作るのにいいなと思っていて、実は今、僕も採用しているんですけど。あれですごくエンカレッジされるというか、敵と戦ったわけじゃないんだけど「生き残ったね」みたいな(笑)。

そういうやり取りはすごくあったと思いますね。でも別にそういう関係性を作ろうと思って作ったわけではないんですよね?

上野:いや、自覚的でした。だってもしゼミ運営で、「今年度はこの課題に取り組みます」みたいな共通課題を設定して「チームで取り組みましょう」ってやったら、それはまた違う展開になったでしょう。

竹内:上野さんって、そういうチームや集団での取り組みをやったことはあるんですか?

上野:社会調査実習の時は問いを私が設定してやりました。でも、その中でも全部問いをブレイクダウンしていくから、どれを選ぶかは自由です。

竹内:なるほど。

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