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Withコロナ時代のPRについて話そう(全6記事)

コロナ下のオンライン教育で重要となる、2つのポイント 「本来なら対人関係から学ぶべき倫理観」とは?

新型コロナウイルスの蔓延により、企業と個人のコミュニケーションのあり方に再編が求められる、昨今。テレワークを始めとする日常生活のオンライン化、企業のDX推進などが加速するなかで、PRパーソンには今後どのような役割が求められるのでしょうか。4月27日に開催された、PR Table Community主宰のイベント「Withコロナ時代のPRについて話そう」にて、4名の有識者が「コロナ禍真っ只中の今こそ考える、Withコロナ時代のパブリックリレーションズとは」についての考えを語りました。本パートでは登壇者が、コロナ下での学校教育などについて話します。

Withコロナの学校教育

菅原弘暁氏(以下、菅原):ということで、先ほど大きな話をしたんですが。けっこう僕、学校教育とか国境とか、人の幸福とか、話したい話がたくさんあって。とくに僕、学校教育最近どうなんだろうって、すごい気になってるんですよね。だって未来のPRパーソンを排出するのにも、絶対に欠かせないものなわけですから。

先ほど河さんから「小学生から教えればいいんじゃないか」みたいな話もあったんですけど、これから学校教育、どう変わっていくと思うか。どうなってほしいかも含めて、議論できればと思うんですが。松原さん、こちらどうです?

松原佳代氏(以下、松原):そうですね、私がたぶんテーマの一つに挙げたんですけど。じゃあ今のこの1ヶ月の変化についてまずはお話しして、それを材料として提供させてもらいましょうか。

今住んでいるポートランドはオレゴン州なんですけど、もうオンライン学習が始まっていて。「Distance learning」って呼ばれ方をしているんですけれども。

三浦崇宏氏(以下、三浦):Distance learning、また新しい言葉が出ましたね。

松原:はい(笑)。Distance learningって呼ばれてます。学校が用意したポータルサイトに学習用のアプリがあったり、Google Meetsのアプリがあったりとか、いろいろ入っていて。週に1回か2回、25名全員クラスルームでチャットの授業があるんですね。それ以外は毎日いくつかの課題が送られてきて、その場でアップロードし、先生からは動画で解説とかも来たりとか、画面越しのやり取りをしているんだけれども。

やはり子どもたちのデジタルへのリテラシーがすごく上がっていて。2週間でZoomの細かい機能、それこそバーチャル背景の設定だったりとか、そういったものをどんどん使いこなします。ツールとしてまず、デジタルを使えるようになりつつある。

おそらくSNSみたいなものとかも、もう検索とかはできるので、検索は自分でするし。ベースとなるスキルが、このオンライン学習がもし日本でも導入されたら、一気に小・中・高校生がそのスキルアップをするっていうことが、目の前の子どもたちを見ていて感じられた……そういう状況です。

そんな中で、学校教育がどの方向に進めばいいのか。先生たち自体がまず慣れていないところからのスタートだったんだけれども、かなりのスピードで先生たちも吸収してやっています。そこはちょっと議論したい要素としてあげました。私自身がまだどこに向かうのかは見えていないんですけど。

今後、教育に折り込むべき2つのポイント

菅原:これ、さっき三浦さんがおっしゃった「倫理観」というのが、それに尽きるんじゃないかなと僕個人は思っていて。やっぱり倫理観をどうやって学ぶかといったら、人との関係性の中で学ぶと思うんですよね。それを学ぶのに、学校という場所は非常に適していたし、家庭だけで事足りないものだったんじゃないかな、というのが改めて思うところで。

僕けっこう社交的な子どもだったんですけれども、やっぱりそういうのが、触れる他者が多ければ多いほど学びやすいんだなと。

松原:あ、そうだそうだ。

菅原:そこの関係をどうやって作るか。

松原:そこですね、私もそこを思ってて。国語と数学はできるんですよ。でもそうじゃない、余白の、余剰のそういう……情緒みたいなものだったり、暮らしの中での手触り感みたいなものだったり。そういったものがDistance learningというか、オンライン学習では学べなくて。

なので、それ以外の部分を家庭で補っていかなきゃいけない時代が来るっていうふうに考えながら「学校教育」というテーマを挙げました。

菅原:オフラインで今までやれてたことを、どうやってオンラインでできるかですよね。

三浦:読んでる人も多いと思うんですけど『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という、イギリスの少年教育の本があって。僕非常に共感したんですけど。

国語・数学とか基本的な学校の教育ってあると思うんですけど、確実に変わったものがあって。まずSNSの登場によるメディアリテラシー、メディアスタンスですよね。メディアというものが公共の交通機関とか、道路とか水道と同じくらい誰もが使うようになった以上、それの使い方を覚えなきゃいけない。

あともう1個は、やはりダイバーシティということだと思うんですよね。世界には自分あるいは自分の家族、あるいは自分のクラスにはいない別の価値観の人がいて、その人といつか仕事をしなきゃいけないし、自分がいつかその人を傷つけてしまう可能性があるということを学ぶという、2つの部分が確実に必要になると思ってます。

とくにダイバーシティに関しては、これはまさに菅原がどこかで言ったと思うんですけど、「ダイバーシティという視点は他者に求めるのではなくて、自分の中にのみ求めていかなくてはいけない」。自分の中に自分とは違う人がいる、自分の周りにいる人と違う人が世界にはいる、ということを見る視点がないと、見ることができないと。

これをこの後、Distance learningなのか、あるいは複数コミュニティということが前提になった社会なのか、その中でこの2点をどう教育に折り込んでいくかということが、非常に重要だと思いますね。

教育機関において、PRがますます必要になる

河炅珍氏(以下、河):私は学校にいる人間としてコロナの問題を受けて、実際に変化を求められる側でもあったわけなんですよね。

そのとき感じたのが、これから大学はもちろん、小・中・高校でも、教育組織においてPRがますます必要になっていく。というか、PR業界のクライアントとしても、いわゆる学校全体が目覚めるきっかけになってほしいなと、個人的には思ってました。

なぜかというと、大学と学生の間でマッチングがズレていることが、今回よくわかったんですよね。学校側は教育コンテンツを提供することが優先事項になっているので。私たち教員の頭は「オンライン授業どうする?」ばっかりだったんです。

しかし、学生たちは学校という空間において、教育コンテンツだけではなくて、あらゆる経験を求めていたんですよね。例えば先輩・後輩と部活を楽しむとか、図書館を使うとか、キャンパスを歩くとか、そこでランチを食べるとか。そういったことすべてを学生は大学に求めていた。でも大学の運営側からすると、そこがちょっと抜けていた。

このアンマッチにPR的な観点を取り入れることで、不満や緊張をより和らげていくことが可能ではないか、と。一つの提案なんですよね。

次に、どういった場のデザインができるかは別として。全面的にオンラインへ移行することで、今まで大学にとって忘れられていた他者というか、埋もれていた他者が見えやすくなるきっかけにもなったと思うんですよ。

障がいがあって移動が不自由な学生や遠く離れた場所にいる、例えば、世界中の留学生とよりスムーズに結ばれるようになった。新しい他者が発見できた。ただ同時に、排除されていく他者も出てきてるんですよね。PCとか、オンライン学習に必要な機材を買ってあげることができない家庭だって、世の中にたくさんいるわけじゃないですか。

教育というのは最も平等であるべき社会のコンテンツの一つだと思うんですけれども。ここで平等が崩れてしまう可能性も出てきて、ある他者は排除されてしまう。ここのあたりって、今後、社会全体で議論していくべきだと思うんですけれども。そういった問題も含めて、学校という場・教育というコンテンツは、すごく変わっていくような気がします。

三浦:だからさっき松原さんがおっしゃっていたような、Distance learningということが、距離のある授業じゃなくて、距離を超える授業だと思うといいと思うんですよ。学校と家だけではなくて、ある国と別の国の学校同士とか。

オンラインになることによって物理的距離がなくなったんじゃなくて、物理的距離が「関係なくなった」って捉えると、さっきおっしゃってた他者への想像力とか、そういったものが学べるし。その行為によって、それ自体がすでにメディアリテラシーの活用そのものじゃないかとか。そういうことが必要な気がしますね。

松原:いかにオンラインの場においてその場所を作り上げるか、新しく構築し直すかっていうところが求められてますよね。

三浦:そのときに、さっき河先生がおっしゃった「水道は少なくとも日本であれば日本人全員使えるけれども、ネット環境に関しては」っていうのはありますよね。うちの会社なんか共同代表、僕のもう一人のパートナーがいるんですけども、彼の家のWi-Fi環境が悪くて会議ができないっていう(笑)。

(一同笑)

ふざけんな、みたいなことがあるんですね(笑)。そこはどうやっていくのか、これは行政の問題なのか、そこはまたちょっと教育とは違う部分で、どうやってデジタルインフォメーションインフラを整えるかということは重要ですよね。

:そうですね。

松原:そこは企業の出番でもあるようで、オレゴンの場合には企業が協力をし、アンケートを取られて、必要な家庭には全部配布されました。

:寄付とか、そういう文化がアメリカは進んでますので、そうですよね。

学校は社会的に見て非常に重要なコミュニティで、場でもあるので、これはアフターコロナと言ったほうが正しいかもしれないんですけれども、さっき嶋さんがディバイドっておっしゃってましたけれども、ディバイド・アンド・ルール。とくに政治の領域ではこの問題はたぶん深刻化していくでしょうね。

この問題はいずれ来るので、それに応えてPRパーソンは他者と社会の間にどういう緩衝地帯を作っておくのか。この準備は今から必要な気がしますね、学校という場も含めて。

意識すべき「便利」と「教養」の使い分け

菅原:ありがとうございます。これも、いくらでも話せちゃう。今の話を聞いてて思ったのが、都合のいいものだけを摂取するのって別に、このコロナの前からやろうと思えばできてたと思うんですよね。いかに自分にとって都合が良くないものを摂取していくかっていうのが、一人ひとりに課されていたと思っていて。

それがいよいよもって分断されていくと。で、松原さんはけっこうそこを懸念されてると思うんですよね。いわば子どもたちが、自分たちが取りたいものしか取れなくなっちゃうっていうのが。

三浦:本当そうなんだよね。

菅原:ある意味SNSって、うまく使えば不都合なものを取り入れられるものじゃないですか。三浦さんが前おっしゃったみたいに「Twitterは多様性を学ぶ場だ」みたいな。

三浦:学ぶという意志がないとダメだけどね。

菅原:そう、意志がないと。

三浦:ニュースメディアとアルゴリズムっていうのは、本来、出会っちゃいけなかったものなわけで。世界の裏側にある知りたくもない悲しいこと、悲惨なこと、不都合な現実を知るためにニュースはあって。でもアルゴリズムは自分の好きなこと、知りたいことをどんどん届けてくるから。

菅原:それはね、今たぶん見てる方もいらっしゃるんじゃないですかね。そういう会社にいらっしゃる方、そういうお仕事をされてる方は、ぜひ便利と教養は使い分けたほうがいいと思っていて。

三浦:そう、だからスマニューのアメリカ版とかは、政治的視点が複数バランスよく届くようなこととかもある。

菅原:素晴らしい。

三浦:あとおもしろかったのが、今の高校生だか大学生だかだと、やっぱり検索にすごく気をつけていて。ある検索ワードを入れることが、自分の主義主張や自分の思考の表明になっていると。

自分が偏った検索をすると、検索アルゴリズムがどんどん自分を勝手にデザインしていってしまうということに、極めて意識的にやっていますよという人もいるんですよ。そういう話はすごくおもしろかったなぁ。

だからそういう意味で、メディアリテラシーの先にあるアルゴリズムリテラシーというか(笑)。アルゴリズムをどうコントローラブルにしていくかっていうことも、これから重要になっていくと思う。アルゴリズムそのものを否定したり遠ざけることはできないから。

菅原:できないよね。それも違う話だしな。「他者の定義」というテーマが挙がっていますが。要は他者との関わりの中で人は学ぶし、企業も学ぶし、自己修正をして成長していくものじゃないですか。

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