CLOSE

佐宗さん×篠田さん×中竹さん「これからの個人のあり方を考える」(全6記事)

宿題をやりたがらない子どもになんと言うか? 大人も子どもも持っている“異を唱える自由”

2019年9月14日、日本初のティールカンファレンスとして、ティール探求者が一堂に会する大規模カンファレンス「Teal Journey Campus」が開催されました。「これからの組織のあり方」を示して注目を集めた『ティール組織』発売から1年余り。「どんな形やあり方が、自分の組織に合っているだろう?」「だれもが本当に自分らしくあれる職場は、どうすれば実現できるだろう?」 。さまざまな問いに対して、学びを共有してインスピレーションを与え合い、仲間を見つけ、つながることで「次の一歩」を見い出すことを目指すイベントとなりました。本パートでは、「個人のあり方を考える」と題して、篠田真貴子氏、佐宗邦威氏、中竹竜二氏が登壇。自由とルールがあることの安心感を求める心理について意見を交わしました。

組織の中での原則自由と原則禁止

佐宗邦威氏(以下、佐宗):篠田さんは、それこそ海外にもいらしたとか、キャリアもかなり何社かいらっしゃっているじゃないですか。

篠田真貴子氏(以下、篠田):はい。いろんなタイプの会社に極端に振っていますね。

佐宗:そういう意味で、すごく自由な生き方をされている面がある一方で、大企業の中でずっとやり続ける人って、ある種覚悟を決めて環境に対峙していくぞ、という選択肢と、いろんなところに可能性があるという選択肢が両方ある状態だと思っているんです。

僕が興味があるのが、ティールみたいな概念も、環境というものに対して、どう個人がアプローチするかという切り口があるように思ったんです。篠田さんの場合はどうですか?

篠田:聞いてくださってありがとうございます。ちょうど、昨日の午後に東工大でラルーさんの講演があったので、それを聞いたり、『ティール組織』もまた読み直して、まさにそこを考えていました。

ティール組織――マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

組織に入っていくときに、(そこに)入っていくことも含めて、自分の自由意志で全部やっていると思うのか、入ったからには組織に従う、つまり自分の自由はもう剥奪されて「言われたとおりにします」と思うのか。原則自由でいくのか、それとも原則禁止の中でやっていいよと言われたことだけやるのか。どっちのアプローチに自分を置くかで、その先がえらく変わってくるように思いました。

私はたまたま原則自由のアプローチでずっと来ているし、その自由がちょっと会社の都合と合わなければ「じゃあ失礼します」と言ってきたのかなと思うんですよね。

不自由や義務のように見えても異を唱える自由はある

篠田:ちょっと話が逸れるかもしれませんが…。うちに子どもが2人いまして、それぞれ小学生……とくに低学年ぐらいの頃だと「宿題やりたくない」とか、夕飯前にグチャグチャ言い出すわけです。

そのときによく言っていたのが、「いや、宿題は先生との約束だから、約束は守りなさい。それは人としてやっぱり大事だから。先生が『今日は宿題はこれですよ』と言ったときに『はーい』と言って帰ってきた。約束しちゃったんだから、今日はこれをやらなきゃだめ。でもね、明日先生が宿題を出したときにやっぱり嫌だなと思ったら、先生に『私、いやです』と言っていいんだよ」と。だから、なんでしょう……。

中竹竜二氏(以下、中竹):それ、いいですね。

篠田:不自由とか義務に見えても、実は異を唱える自由はある。本当は小学生でもその自由はあるわけ。それを大人の自分に当てはめれば、本当はけっこう自由があるんですよね。だから、佐宗さんがさっきおっしゃっていた、組織とどうするか。対峙というより、自分はどういう関係だと思って入っていくかって、本当はもっと自由があるのになと思ってます。

人は究極的には1人にはなれない

佐宗:なるほど。中学校ぐらいのときに学校で運動会などがあって、中1が最初に高3のところにいって、いきなり名前を呼ばれるんです。「はい!」とか言うと「『おう!』だろう」とかガーっと言われるような学校にいました。

篠田:熱いやつですね(笑)。

佐宗:あれって、ある種のカルチャーに入っていく1つの行動。

篠田:イニシエーション?

佐宗:実はイニシエーションみたいな儀式によって忠誠心が高まるとか、集団としての一体性が高まるような、ある種の美学があるんだなとすごく思ったんですね。

その文脈で聞いてみたいのが、(中竹さんが)今おっしゃったようなスポーツの世界の中でも、より一体になって強い組織もあれば、より自由度の高い強い組織もあると思うんです。そこの中で、個人の自由意志の出し方や引き出し方って、どう捉えていらっしゃいますか?

中竹:結局、今日のテーマであるように、やっぱり個人のあり方って最小単位だと思うんですよ。組織のあり方と考えたときに、相当な要素があっていろんな見方をするんですけど、もういくら組織がトップダウンであったり自由であったりしても、究極的には本当は1人になれないと思ってるんですね。

佐宗:究極的には1人になれない。

どういう組織であれば自分らしくいられるか

中竹:完全に個人にはなれない。なぜかというと、我々は絶対にシステムの影響を受けている。だからこそ、究極的に個になる環境にすべきだと僕は思っているんですよ。

そういう意味では、トップダウンであれ、1つのシステムで、自由であったら自由というシステムがある。自由だから個人になりやすいかというとけっこう違って、がしっと大きな組織のシステムの中のほうが自分でいられる人も絶対いるんです。そこを揺さぶられることなく個でいることが、僕はすごく大事だなと。

僕自身はたまたま田舎の福岡で生まれて、街にはヤクザが大半いるような危ないところでした。

佐宗:あっ、そうだったんですか。

中竹:けっこうその体験がありますかね。学校もほぼ半分は不良で、鑑別所とかにだいぶ送られるような中で、僕自身は組織やシステムや先生のあり方が学べました。僕自身はいろんな組織に属して、さっきの話を聞くと、僕は先生に対して嫌悪感だけを持ったかというと、そこで人ってどれぐらい影響を受けて、どれぐらいディシジョンできるかなというのはかなり楽しみながら学んだと。

だから結局、僕自身は自分がトップになったときは、かなりフォロワーシップで自由にさせるんです。じゃあ、自由にさせたところで本当に個が表出するかというと、もうガーッとハードワークに追い込んで、「この組織はこうだ」といったときに本当の個が出てくるケースもたくさん見てきました。

このティールで来てる人にぜひお話ししたいのは、ティール組織に近づけば近づくほどみんなが幸せになって、みんなが自分らしくいられるかというと、僕は絶対に違うと思う。ティール風な組織の中で自分風な自分でいることで、ほぼ短期的に満足して終わっちゃうんじゃないかなという懸念はありますね。

ティール的組織が合う会社・合わない会社

篠田:だってあれですもんね。スポーツであれ、ビジネスであれ、あるいはNPOであれ、やっぱり何らかの目的に向かって人が集まるのが組織だとすると、その領域が何なのかによって、適切なパターンは違うんだと思うんです。

たまたまこの1週間、母校のアメリカのビジネススクールの学生たちが日本にいろいろ見学に来てたので、ついてまわっていたんです。その中で訪問先の会社の1つが、(株式会社JR東日本テクノハート)TESSEIというJR東日本の子会社で、東北新幹線などのお掃除をされている会社なんですよね。

わりとメディアにも取り上げられている会社でして、みなさん礼儀正しくて、新幹線のお掃除が終わったらきちんとお辞儀をして、という姿がクローズアップされています。あの仕組みを今のかたちに整えられた幹部の方の本を読むと、繰り返し出てくるのは、なにしろ「規律が大事、ルールが大事」なんですよね。

やっぱり新幹線って、あんなものがすごいスピードで入ってくるわけだから、まず安全の確保が大事だし、決まった時間の中で決まった掃除を全うしなきゃいけない。だから、「自由に」というのはベースにはない。

だけど、決まった短い時間の中できちんと掃除をするというハードな仕事ができた上で、いろんなアイデアやお客様への気遣いやおもてなしをどうするかという創意工夫が乗ってくるわけで、このベースなしにはないんですよ、と繰り返しおっしゃってるんですよね。

だから、ああいう事業にティール的組織が合うかといったら、たぶん違う。合うとしてもごく一部のなんらかのアクティビティだけになるんでしょうね。

中竹:そうですね。

篠田:中竹さんがおっしゃったように、一人ひとりの向き不向きでも「合う・合わない」ってあるでしょう。同時に私という人間がTESSEIに入ったら、私自身は「自由意志ですよ、原則自由でティールに」という志向だけど、TESSEIではあのやり方がいいんだろうなと思うでしょうし、そうじゃないタイプの会社に入ったら、そうじゃない運営を志すということなのかなとは思いました。

自由な環境が苦手で、つらく感じる人もいる

佐宗:僕は昔、P&Gという外資系の企業で、もろ「ブランドマネージャーになるのがよい」と。いかに(業績を)10〜15パーセント伸ばし、S級の評価を受け、みたいな感じの……。

篠田:S級?

佐宗:Sというか、S、A、Bみたいな。

篠田:ああ。SがSpecialで一番上なんですね。

佐宗:Special的なSなんです。そんな世界から、ある人材開発の会社に入りました。そこは実は完全に自由型の会社だったんですね。僕自身は、ある意味、傭兵的にうまくやることにものすごく慣れていた環境から、突然誰もフィードバックもしてくれなければ、全体を読んで行動しろという感じになったことがあって、最初はめっちゃつらかったんですよ。27歳ぐらいの時期です。

今のお話ともつながるかなと思うのが、自分の出し方で慣れているものから、というのがまず形としてはあります。それを変えていくには、自分の自由意志の出し方とか、少しずつ自分自身のOSが変わっていかないとなかなか難しい。

自由な環境がすごく苦手で、逆につらいという人も増えます。僕は、さっきの中竹さんの話を聞きながら、世の中って、ある程度の安定を求めるアーキタイプと、変化や新しいものを求める好奇心のアーキタイプが2つあったときに、ある一定以上の割合の人は基本的には安定を求める生き物なんだと思っているんです。

でも、活躍しやすい環境をそれぞれどう作っていくかというなかで、安定がすごく大事な人に無理やりこっち(変化を起こすほう)をやってしまうと、ちょっとハレーションが起こったり、結果的には鉄の規律で回ってた組織が、逆に中途半端に弱くなることもありえるんじゃないかな、とちょっと思ってたんです。

探求心を持つことも、ルールに安心するのも人間の本能

中竹:どっちも本能だと思うんですね。これはたぶん脳科学でも、人間って長く生きるためには、(以前)失敗したことは次に(同じ)失敗をしないようにと、結局正解を求める。

人間って、そもそも冒険心というか探求心がある。人間がアフリカで生まれて海を渡るとき、実は食べ物がなくなったわけではなく、本能的に探求する性質があったから世の中に広まっていったと考えると、実は両方(のアーキタイプが)ある中で、たぶん生まれたときの環境によってどっち寄りなのかが決まり、「やっぱりちゃんとルールがあったほうが安心するよね」という人はその環境のほうがいいわけです。

だけど、ちょっとでも縛りが嫌だったり、僕の小学校のときの友達でも、「あの命令がいやだ」と絶対に前へならえをしないやつがいました。僕は極端だと思っていたんですけど、そういう人もいるんですよね。そういう意味では、たぶん僕自身は両方に自分らしさがあって、人それぞれ違うのかなという気がします。

続きを読むには会員登録
(無料)が必要です。

会員登録していただくと、すべての記事が制限なく閲覧でき、
著者フォローや記事の保存機能など、便利な機能がご利用いただけます。

無料会員登録

会員の方はこちら

関連タグ:

この記事のスピーカー

同じログの記事

コミュニティ情報

Brand Topics

Brand Topics

  • 「1日休んだら授業についていけなくなる」という思い込み 糸井重里氏が考える、後から学べる時代における「学ぶ足腰」の大切さ

人気の記事

新着イベント

ログミーBusinessに
記事掲載しませんか?

イベント・インタビュー・対談 etc.

“編集しない編集”で、
スピーカーの「意図をそのまま」お届け!