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SDGs LIVE #1 持続可能な社会のための教育を考える(全5記事)

別の視座があると気づくことで、心は自由になれる 最終学歴ではなく“最新学習歴”が必要な理由

2019年5月16日、EARTH JOURNALが主催するイベント「SDGs LIVE #1」が開催されました。国連が推奨しているSDGsをより多くの方に広めるために、 それぞれのジャンルの専門家を招き、 現状の問題点や実現に向けての課題について語り合います。第1回となる今回のイベントは、社会学者の宮台真司氏とエッセイストの小島慶子氏をゲストに招き、子育ての経験や専門分野の知見から、SDGsの目標4にあたる「質の高い教育」をベースに、これからの社会を支えるための教育についてディスカッションを開催しました。本パートでは、学び続けることや、さまざまな視点を持つことの大切さについて意見を交わしました。

最終学歴ではなく最新学習歴が必要

宮台真司氏(以下、宮台):みなさん、日本は教育レベルが高いと言われているじゃない? じゃあ、なんでいわゆるエリートの人がこんなに利己的なの? どうして「自分たちが生きている間に船が沈まなければ、あとはどうなっても構わない」という態度をとるの? どうして既得権益を回復するような政策しか採用されないの? どうして次世代が生き伸びるために必要な産業構造改革をしないの?

つまりこれは、まさにザ・ジャパニーズエデュケーションだよ。これが日本の教育の成功です。計算能力が高く、頭のいい、しかし抜け目のないクズ。三島由紀夫の言い方で言えば、“抜け目のない空っぽ”です。そういう教育をみなさんがよしとしてきたから、日本が終わるんですね。

谷崎テトラ氏(以下、谷崎):たぶん、宮台さんの同級生で「学習学」の本間正人先生という方がいて。うちの大学の副学長なんですけど、「最終学歴ではなくて、最新学習歴が必要だ」と言うんですね。

小島慶子氏(以下、小島):おもしろい。

谷崎:最終学歴として、自分の20年前や30年前の卒業の歴を言われても何の意味もないから、その人に「一体あなたは卒業後、どういう人生を進んで、最近は何を学んだのですか?」と(聞くわけです)。「最近、何も学んでいないです」とか……。

「そういえば、どこかで農業体験をして、お米の作り方を学んだよ」というのが今年の体験だったなら、それが最新学習歴になる。この最新学習歴は、一生更新し続けることができる。死ぬ瞬間まで更新できる。これは僕じゃなくて、宮台さんの同級生の本間先生の受け売りですけどね。

宮台:僕がフィールドワークをしていたときに出会った、新興宗教系の人たちって、年齢不詳な人が多いんですね。さっきリカレント・エデュケーションという話をされたけれども、そういう方たちは要するに、いろんなことを諦めていないので、いつも最新学習歴があるんですよ。そういう人は、年を取らないよね。最新学習歴があるということは、まだ未規定のものに開かれている可能性もある。

小島:「わかった」って思わないってことが大事。

宮台:そうです。

小島:何でも「わかった」って言う人がいるじゃないですか。人の話を20秒ぐらいで「ああ、わかった」って言う人。「まだ本題に入ってないよ?」「予知能力があるのか?」みたいな人がいたりします。「わからないなー」と言って、わからない自分と居続けるって、けっこうしんどいものですけどね。

子どもに見せたいのは、勧善懲悪ではくくれないコンテンツ

谷崎:意外と時間がなくなってきたので、そろそろまとめトークに入っていきたいと思います。お二方は、実際にお子さんを育てられる中で、学校教育とは関係なく、自分の子どもにとって一番大切な学びというか、どういうことをどういったかたちで教えますか?

宮台:具体的な一番わかりやすい例としては、やっぱり昔のコンテンツを見せることが子どもにはすごくいいね。とくに1960年代。1950年代もそうなんだけど、50年は映画になっちゃうね。勧善懲悪ものは非常に稀なんですよ。

じゃあ何があるかというと、悪にも理由がある。善はほぼ見たいところしか見ない偽善である、ってね。円谷の初期の6つのシリーズや、『ゲゲゲの鬼太郎』、『ジャングル大帝』など、ほとんどすべての子ども向けコンテンツが勧善懲悪じゃないですよね。

これをアメリカでレクチャーするときには、オフビートフィーリングと言うんだけれども、ビートが裏取りなんですよ。悪にこそ真実があるかもしれない。実は、日本のコンテンツが好きなアメリカの表現者や学生さんたちには、このオフビート感覚が好きな人たちがすごくたくさんいる。悪だと思っていたら、実は善だ。

アメリカやヨーロッパでは「ピカレスク」という名前で呼ばれていて、「怪盗ルパン」のような存在なんだけれどもね。悪漢ヒーローではなくて、本当にどうしようもないように見える犯罪者のコンテクストを辿ると、彼が実は一番ピュアであるがゆえに傷ついたという話になるわけだよね。

例えば、僕はよく、浦沢直樹の『MONSTER』の話をしますが、これは『鉄腕アトム』の異本というか、もじりなんですよ。(『鉄腕アトム』では)天馬博士が瀕死の子どもを育てて救うわけです。そうすると、鉄腕アトムは正義の味方になった。

でも、『MONSTER』の場合は、テンマが助けた子どもが、ヨハンと名乗るモンスターで、絶対悪に成長していくんですよね。つまり、ヨハンは絶対悪で、そういう人間を育てたテンマはとんでもないやつ。

善悪や世界観の転換を学ぶ重要性

宮台:出発点はそういう感じなんですけれども、最後にわかることは……究極のネタバレだよ? ヨハンは、誰よりも善良で、誰よりも敏感で、誰よりも思いやりがあったので、自分の双子の妹を救うために犠牲になったんですね。そのことがきっかけで、簡単にいうと、絶望した。あるいは感情が壊れた。

例えば、うちの子どもはそういうものを4歳で見ています。最後まで見ると、子どもは「そうかー」と十分に理解するんだよね。「人って、見かけで判断しちゃいけないよね」とか。子どもはそういう言葉じゃないけどね。何がいいか、悪いかなんてのはわからないし、人が実際はどんなやつなのかということは、簡単にはわからない。

谷崎:ジョーゼフ・キャンベルが神話の構造について(言っている内容で)「ヒーローズ・ジャーニー」といって、子どもの成長していく過程のなかで、敵と思っているものが逆転していく現象ですね。

例えば、(『スター・ウォーズ』の)ダース・ベイダーが自分の父親だったり、モーツァルトの『魔笛』のなかで、悪の帝王だと思っていたのが実は善良なものだったりという転換。世界観が転換する、自分の信じているものが絶えず転換していくことは、確かに学びのなかで重要な要素なんですね。

宮台:そうですね。「なんだ、そうだったのか!」と感じることって、快楽あるいは絶対的な享楽に近い感じだよね。これを子どものときに、コンテンツを通じて体験させることも、すごく意味があると思う。なぜかというと、やっぱり僕自身がそういうコンテンツで育ってきたからだね。

谷崎:ありがとうございます。小島さんは、どういうことを学びとしてお子様に与えることが大切だとお考えですか?

子どもが「親の無力さ」を知ることで起こる変化

小島:学びを与えると言っても、それは本人次第なのでね。私がこうしたらそのとおりにするということではないし、そのとおりにしないほうがいいと思うんです(笑)。親に言われたらそのとおりにする、というのは、あんまりよくないと思うんです。

1つ具体的に言うならば、うちの子どもが小学校3年生と小学校6年生のときに、日本からオーストラリアに移住したんですね。そこで彼らの世界は完全に変わったんです。

たぶん、彼らにとって一番よかったなと思うことは、彼ら自身の経験した環境の変化以上に、親も無力だと知ったことだと思うんです。日本に住んでいるときは、渋谷区の高級住宅地の片隅の中古マンションでしたけど、一応イケてるエリアに住んでいてね。公立学校でしたけど、お金持ちの子もいたりという状況でした。(宮台氏に)そうそう! 近所だよね。

そうすると、お母さんはテレビに出ていて、お父さんもみんなが知っているテレビ番組のディレクターで、そういうイケてるエリアに住んでいるというと、やっぱり「俺たちイケてるんじゃないか?」と思っていたところがあると思うんですよね。

ところが、「うちの両親はすごい人だぞ」「みんなが両親のこと、とくにお母さんのことを知っているぞ」と思っていた彼らがオーストラリアに行く。すると、行ったときは夫はもうぜんぜん英語ができなかったですし、私も別にバイリンガルじゃないので、英語は完璧じゃないんです。さらに向こうで私は知名度ゼロだし、一銭もお金を稼いでないんです。だから、出稼ぎに出なくちゃいけなかった。

オーストラリアのなかでは、超マイノリティのアジア人。アジア人のなかでもマイノリティの日本人。だから一気に、マジョリティの真ん中から、マイノリティの片隅へと。うちはパースなんですけど、彼らは180度違う世界に行ったことによって、親から自由になったんですよ。

彼らはもう「芸能人の子ども」と言われないし、今は親が自分よりも英語ができないんですよ(笑)。彼らのほうがはるかに、英語が普通にしゃべれるんです。英語で勉強して、普通に英語で生きているので。なので「親は自分よりはるか後ろに置いてきてしまった」というのが、彼らに見えている風景だと思うんです。

小学校3年生と6年生のときに、彼らにとってデフォルトだった世界が完全に180度変わって、一切、更地になったのはよかったと思います。親の限界も見たし、環境が変わったことによってある種、親を相対化できたと思うんですね。私は親を相対化するのに、カウンセリングを受けながら30代の丸10年かかりましたからね。なので、その点はよかったと思っています。

自分の経験をどう読むかがリテラシー

小島:もう1点だけ付け加えると、さっきのドラマの話にもちょっと関係あるんですけど、私はよく子どもにも、いろんな人にも言うんです。「小説を書くように生きることはできないけど、人生を振り返って小説のように読むことはできるんだ」って。1つの小説でも、毎回違う意味で読めるでしょ?

それと同じで、人生を振り返ったときに、あるときはトラウマ物語として読んだほうが楽になれるんだったら、そう読めばいいと思うんです。でも、トラウマに囚われることが自分にとって重荷になったなら、違う読み方をして「トラウマなんかなかった」と読んでもいいと思うんです。自分の人生をどう読むのも自由だと思う。

その読み方がリテラシーですけど、自分の経験してきたことをどのように読むのか。自由に読んでいいけれど、どんな読み方があるのか。いろんな読み方がある、ということですよね。読み方の幅を増やすためには、やっぱり基礎的な教養や、あるいはまさにいろんなコンテンツに触れることが必要なんだよ、と彼らに伝えているんですね。

おそらく彼らは今、意味はわかっていないかもしれないけど、さっき言ったような劇的な人生の変化を経験しています。今までの読み方がまったく通じない世界に引っ越したことで、体験的には知っているので、いつかわかるかなと思います。彼らにわかってほしいのは、人生ってこんなにもまったく別物になってしまうにも関わらず、自分というものは変わらずここにいることです。

つまり、自己同一性がある種の危機に瀕しつつも、そこに同一なる自己というものがいることを、たぶん彼らが身体的に感じることがあったんだと思うんですよね。それは「よかったなぁ」と思っています。彼らは世界のどこでも生きていけるし、人生をああもこうも生きられる。ただ「そのためには技術が必要だってことを覚えておけ」とは言っています。

谷崎:どうでしょう宮台さん。若干時間オーバーぎみですけど、やっぱり最後にどうしても伝えたいことは……。

別の視座があると気づくことで、心は自由になれる

宮台:決まりは破りましょう。やっぱり、最初の多視座主義の話につながるんだよね。あることがすごく気になる、こだわる。その不安はどうしようもないと思う。それはそれでいいけど。それはある視座から見たらそうなっている。ある視座のなかで体験できる何か。でも、別の視座はいくらでもある。あるいは、あるゲームをしているから、そういうふうに感じているだけ。

小島さんのお子さんもそうだったように、小学校時代、僕も(転校で)6つの小学校に行っているから、小学校が変わるとやっぱりそのたびにゲームも変わるんですよね。もちろん、「違うモードの自分になれる」「今度はこれでいく」というのもあるけれども、やっぱり関西と関東だと、言葉の使い方がまったく違うんですね。

僕らのようにインタビューでフィールドリサーチする人たちには、ある時期まで関西出身者がすごく多かったんですよ。どうしてかと言うと、関西弁ってよくフランス語に似ているって言うんですけど、言い回しが決まっているんですよ。「おのれ、なめとんのか、こらー!」という具合にね。

そこには、何の人格的選択もないですね。あるモードに入ったらボケとツッコミ。例えば、「消しゴム貸してよー」と言われて、定規を貸すとするでしょ。そしたら「なんで定規貸すのよ!」と言う。これが東京。小島さんが京都や大阪の人だったら、僕が「消しゴム」と言われて定規を貸したら、必ず定規で書いた字を消すふりをするんです。

小島:はははは(笑)。

宮台:「あれ? 消えへんで、これ」って(笑)。

(一同笑)

これも定番なんですけど、関西ってそういうギミック的なルーチン、おもちゃ的なルーチンがたくさんあるんです。すごく楽しいわけ。東京に来たらそれがまったくないものだから、小学6年生の秋に、僕はある種のコミュニケーション障害になっちゃたんですね。

それも僕にとってはすごくいい経験で、住む場所が違うと、言葉のタッチがぜんぜん違う。ということで、所詮たかが1つの視座から見えているもの。それだけのことだと気がつくと、心は自由になれる。

環境問題を本当に解決するのは、自然の美しさに気づく心を持つこと

谷崎:「SDGsに結びつけてまとめてください」と台本には書いてあるんですけど(笑)。今どうSDGsに結びつけようかなとちょっと思っています。……たぶん、SDGsの一番奥、SDGsの17項目に書かれていない部分に関してお話しされているんだなぁと思いました。

『沈黙の春』という本を書いた、環境運動家のレイチェル・カーソンという方をご存知だと思うんですけれども。彼女はやっぱり恐怖から社会運動を行い、危機的な状況に関して警告を出し、このままだと虫も鳥もいなくなってしまうこと、「沈黙の春」がやってくると、一生懸命社会に訴えた。

でも、その結果、社会から圧力をかけられて彼女は社会生活を送れなくなり、最後はメーン州の田舎で生涯を終えていくわけです。レイチェル・カーソンは、生涯で2冊の本を書いたんです。1冊目は『沈黙の春』。もう1冊は『センス・オブ・ワンダー』という本です。

1冊目の『沈黙の春』で、環境問題に警告を発するんですけど、彼女は本当に社会を変えるのはそういう警告ではなくて、自然に触れて子どものように驚き、自然の美しさに気づく心なんだということを説いています。それを「センス・オブ・ワンダー」と呼んだんですね。「センス・オブ・ワンダー」というのは、知るよりも感じることのほうが本当に大切なんだってこと。

たぶん環境問題を解決するとき、どの数値をどう変えていって、という目標を達成することよりも、この地球や自然、一輪の花の美しさに気づく気持ちが大事だと思います。実はさっき打ち合わせのとき、宮台さんはもう本当に子どものように、昆虫の話や蛇の話をたくさんされていたんです。

そういったまわりに対しての感性が、実はほかの人と違って、自分なりの感受性を作るんだなと感じました。ちょっとまとめになるかわかりませんけど、SDGsというのは、確かに単なる目標や数値なんです。宮台さんが最初に言ったように「SDGs知っています! やっています!!」ということをやるのが目的ではなく、本当によりよい人生を送るために学び続けることかなと思いました。

こんなところで、今日のまとめとさせていただきます。ということで、どうもありがとうございました。どうぞお二人に拍手をお送りください。

(会場拍手)

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