2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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村木真紀氏(以下、村木):皆さん、こんにちは。虹色ダイバーシティの村木です。虹色ダイバーシティという3年目の小さなNPOで、LGBTと職場のことを専門にしています。
この小さなNPOでも、昨年の講演件数は100件を超えています。世間の注目がすごく集まっているんだなというのを感じます。今日お話しするのは3つです。LGBTについて。そして、基礎知識として性の3つの要素について、杉山さんのほうからお話をいただきます。
私のほうからはどんな社会的課題があって企業とのつながりがどういうものなのかをお話しします。最後にケーススタディと質疑応答という形で進めてまいります。ちょっとお伺いしますが、LGBTっていう言葉を聞いたことがあるよって方。
(会場挙手)
これはさすがですね。LGBTってどういうことなのか、ちゃんと人に説明できるよっていう方。
(会場挙手)
お、ちらほらいますね。すばらしいですね。私はレズビアンの当事者なんですが、レズビアンの当事者は生で初めて見たよっていう方。
(会場笑)
ちらほら、ちらほら。ありがとうございます。今日は楽しい会になるといいなと思います。どうぞよろしくお願いします。じゃあ、杉山さんのほうから。
杉山文野氏(以下、杉山):杉山文野です。今日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。では、さっそくまいりたいと思います。リクルートと言えば体育会ノリが有名な会社と伺っていましたが、まだ話す前からその感じがひしひしと伝わってまいります。
(会場笑)
一応、日本女子大学というところで幼、小、中、高と女子高生をやっておりまして。で、最終学歴が女子高じゃ生きていけないと思って、やっていたフェンシングの推薦で早稲田大学に入りまして。
その当時、就職とかも考えたんですけれども、まだ注射とかも打つ前なので、いわゆるボーイッシュな女の子なのか、かわいい僕なのかみたいなところで就職を考えたときに、履歴書に男と女、どっちに丸していいんだろうというようなことから、就職を諦めてしまっていた時期があっったんですね。
その当時にあまり迷わず就職を考えられたら、御社に入りたかったなと強く思っております。
(会場笑)
杉山:うちは東京都の新宿区で、実家がとんかつ屋をやっておりまして、60年以上もとんかつ屋をやっていて、いわゆる普通の家庭の杉山家の次女として生まれました。
先ほど申し上げましたとおり、日本女子大学というところで、いいも悪いもお嬢様学校に両親が入れてくれて、幼少中高とセーラー服を着て、ルーズソックスを履いて、学校に通っておりました。
大学に入って、本当に就職どうしようかな、なんて悩んでいたんですけれども、ちょうど大学院推薦のお話も頂いて、大学院ではジェンダーと教育ということで修士論文を書きました。その時にフェンシングの日本代表チームに入ることになりまして、これを僕は「なべしこジャパン」と呼んでるんですけれども。
(会場笑)
きっと笑っていただけるかなと思っていました。で、日本代表としてワールドカップなんかで善戦しておりました。すぐけがをして、代表は落ちてしまったんですけれども。
これからどうやって生きていこうかな、なんて思っているときに、たまたま道で乙武洋匡さんに出会ったんですね。で、いきなり「おとさん、すいません、手術ってしないんですか?」と声をかけました。
それはなぜかというと、実はその当時、性転換手術、いわゆる今でいう性別適合手術というものを考えたときに「どうしてそこまでして男になりたいの?」と聞かれていたんですけれども。
男になりたいわけじゃなくて、元に戻りたいんだよなと。そういう感覚で手術を考えたときに、たまたま乙武さんを見て、手足があるという状態が人としてあるべき姿ならば、手足を取り戻したいという感覚はあるのかなと、変な疑問を持っていまして。
そしたらたまたま新宿の明治通りを電動車いすで走っている乙武さんを見かけて、思わず声をかけてしまったんです。そしたら乙武さんも最初は「何だこいつ!?」みたいな感じだったんですけれども、話してみるとすぐに「あ、なるほどね」と。
そこで立ち話が盛り上がり、そういうのおもしろいんじゃないかと。本を書いてみるのがいいんじゃないかと。それでお電話頂いて、本を出すことになりました。『ダブルハッピネス』という性同一性障害のカミングアウト本みたいなものを出して。
そうしましたら、当時まだ性同一性障害という言葉の認知もほとんどない頃だったので、すごく反響を頂いて。全国の方から「僕もそうです、私もそうです。でも、誰にも言うことができません」という、1000通を超えるようなメッセージを頂いて。
その頃にまた就職をどうしようかと思ってたんですが、結局、まだ就職できないなと思ってる間に、押し出されるように卒業して。結局、少し講演活動をしたりとか、メディアに出るようなことをしていたんですけれども。
杉山:いわゆるセクシャルマイノリティっていうと、新宿2丁目でいうような夜の世界の人とか、イコールテレビのバラエティの人とか。どこかちょっと遠い世界の人なんじゃないかというイメージがあって。それがやっぱり違うんじゃないかと。
本当はもっと身近にいる存在なんだということを言いたくて、それを伝えたくて出した『ダブルハッピネス』という本でした。
特別な一部の人ではなくどこにでもいるような学生でも、こんな悩みもあるんですという、わりとポップな感じで出したつもりだったんですけれども、何かちょっとテレビとかに出始めたら、そういう一部の人になりつつある自分に、ちょっと不安を覚えました。
その当時、何をしても性同一性障害の文野、性同一性障害の文野と。「green bird」という団体の活動で、ゴミ拾いのNPOに参加していたんですけれども、それが新聞に取りあげていただくことがあって。
それで出た記事が、「green bird歌舞伎町チームの杉山文野さんは性同一性障害を乗り越えて、掃除をしています」っていう記事だったんです。
(会場笑)
性別と掃除、関係ないだろうと思ったんですが、でも当時はそれくらい僕が何かすれば、性同一性障害の子、性同一性障害のフミノ、と。
ちょっとそういうことが窮屈になってしまって。これからのこともいろいろと悩んだりとかして、逃げるように海外に行きました。2年間ほどバックパック持って、海外をぷらぷらしていたんです。
なのですが、性別のことから逃げたいと思って海外に行ったのに、今度は世界中で、sheなのかheなのか、ミスターなのかミスなのか、ムッシュなのかマドモアゼルなのか、アミーゴなのかアミーガなのかと、世界中で問われまして。最終的に僕、南極まで行ったんです。
(会場笑)
南極船に乗るときも、今度は男性と部屋をシェアするのか、女性と部屋をシェアするのかということでもめまして。
こんな世界の果てに行ってまでも、僕は性別のことから逃げられないんだと思ったら、じゃあもう東京に帰って、ちゃんと地に足つけて働こうと思いまして、日本に戻ってきて、一般企業に就職しました。
杉山:3年ほど会社勤めをしまして、仕事もおもしろかったんですけれども、やはりこういった講演活動の依頼や、全国から助けてほしいというメッセージが止まず。
LGBTの活動も並行してやるには、会社勤めではなかなかやりづらかったので、独立しようと思い、今から4年ほど前に会社を辞めて、現在は新宿と渋谷で飲食店の経営を3店舗しながら、
NPO法人ハートをつなごう学校というLGBTの子供たちのサポートグループや、LGBTのプライドパレードの代表、そしてこういったセクシュアリティに関する講演活動を全国でやりながら日々を過ごしています。
ということでこの辺までが自己紹介でした。
さっそくなんですけれども、LGBTという言葉を皆さんもうご存知だということなんですけれども、改めて言うと、LGBTで、このトランスジェンダーという言葉が一番聞き慣れないんじゃないかと思います。
これは性同一性障害も含めて、生まれたときに法律的、社会的に割り当てられた性別にとらわれない性のありかたを持つ人ということで、使われたりします。
1980年代後半ぐらいから欧米で使われるようになった言葉で、最近ではやっと日本でも使われるようになり、性的少数者の総称として使われることがあります。ただ、LGBTに限定することなく、他にもこれだけに当てはまらない性の方たちも沢山いらっしゃいます。
ちなみにこの中では先ほど村木さんの話にもありましたが、LGBTの友達がいるよという方、いらっしゃいますか? 結構いらっしゃいますね。ありがとうございます。
じゃあLGBTとは何ぞやの前に、そもそも性って何なのかということでちょっとお話しさせていただきますね。
村木:ちょっと手話をご紹介してもいいですか? 実はLGBT、手話があります。皆さん手を出していただいて。レズビアンは小指を立てて胸のところに置く。女性が好きな人ということですね。
ゲイは親指を立てていただいて胸のところに置く。バイセクシュアルはご想像のとおり、両方立てていただいて胸のところに置く。トランスジェンダーは、例えば男性から女性だったら、親指を立ててからしゅっと小指を立てる。逆の場合は、小指を立ててからしゅっと。
日本の手話には、差別的な手話というのがあります。例えば、頬に手を当てて「おかま」とか。なので、先ほどのLGBTで覚えていただければと思います。失礼しました。
杉山:ありがとうございます。手話をやるからって、すごい何度も言われていたのに忘れちゃいました。手話もありますって書いてあるのに。
(会場笑)
杉山:性が何なのかということで、皆さんは「あなたの性別は何ですか?」って聞かれたら何て答えますか? きっとそんなことを聞かれたこともないと思うんですけれども、あなたの性別を教えてください。
たぶん多くの方が「男性です」と。「じゃあ何で男なんですか?」「やっぱりついてるものがついてるからなあ」とか。「女性です」。「じゃあ何で女性なんですか?」「子供を産むことができるからかな」と。
このように、人が性について語るときは、カラダの性によってのみ語られることが多いんじゃないかなと思います。ただ、性っていうのはそんなに単純なものではなくて、いくつかの要素が組み合わさってできてるんじゃないかということで、性を3つの要素に分けて考えてみました。
1つ目は「カラダの性」。これはいわゆる生物学的な性。XXなら女性とかXYなら男性といった染色体の話だったり、精巣卵巣といったような内外性器の話ですね。
もう1つ、「ココロの性」。これは性自認。自分の性がどちらに所属をしているかと。
そして最後に「スキになる性」っていうのは、性指向。対象の性がどちらに向くか。
性をこの3つの要素に分けて考えたときに、どの要素にも既存の男、女というものにあてはまらない第3の性が存在するのではないかということで考えてみました。
1つ目の「カラダの性」とはどういうことかというと、性分化疾患という言葉を聞いたことがある方いらっしゃいますか? あまりいらっしゃらない。ありがとうございます。
インターセックスっていう言葉だったら少しは聞き慣れているかと思うんですけれども。これは生物学的に男性女性両方の要素を、未分化の状態で持ち合わせてくるような状態を言います。
性分化疾患っていうひとつの症状があるわけではなくて、約70種類以上の症状を合わせて、性分化疾患というふうに言ってます。例えばどんなことがあるかというと、XXYとかXXXYといったように染色体が多い状態だったりとか。染色体はXYなんだけれども、カラダが女性化しているとか。
あとは1つの体内に精巣と卵巣、両方を持ち合わせているような状態で生まれてきているとか、本当にいろんな症状を合わせて性分化疾患というふうに言うんですが。よくオリンピックなんかがあると、必ずセックスチェックで選手がひっかかった何だっていうのがあるんですけれども。
一番話題になったのは、南アフリカのキャスター・セメンヤ選手という陸上の選手が、女子でメダルを取ったんだけれども、実は性分化疾患の疑いがあるんじゃないかと。そんなことで話題になったりもしておりました。
ということで、これだけが全てと言うつもりはないんですけれども、そんなに「カラダの性」も男性、女性ときっぱり二分できないんじゃないかという1つの例として挙げさせていただきました。
杉山:そしてもう1つ、「ココロの性」。僕は男、私は女、多くの方はあんまり心と体を分けて考えることがないと思うんです。例えば、よくテレビを見ると、すごく女性的な男性、いっぱい出てますよね。ああいう方を見ると、100パーセント男性とか、100パーセント女性というよりも、7対3で男かなとか。
白か赤かじゃなくてピンク色っていうか、白と黒ならグレーなのか、もう少しグラデーションのところにいらっしゃる方もいるんじゃないかなと。
そして最後、「スキになる性」。これは聞いたことあると思うんですけれども、異性が好きなのか同性が好きなのか、両方対象となるバイセクシュアルなのかということで。
性を3つの要素に分けて考えたときに、どの要素にも第3の性があるんじゃないかということで、3×3×3で、27通りの性別があるんじゃないかという表が皆さまのお手もとにお配りしましたこの表になります。
ちょっとご自身が何番かご覧いただいてよろしいですか。
いわゆる一般的な女性というのは、ストレートな女性というのは、体が女性で心も女性で、男性が好きな2番。そしてストレートな男性というのは、男性として、男性として、女性が好きな13番。
じゃあ僕はどうだったかといいますと、体は女。だけどずっと小さいときから僕と思っていて、僕は女の子が好きなので4番。例えばよくニューハーフと言われているのは、男性として、でも女性として男性が好きな11番。なんていうふうに言われてます。
ただ、これはすごくややこしいんですけれども、僕は女の子が好きだから男っぽくしてるわけじゃなくて。対象の性は関係なく、自分のカラダとココロがかみ合わないなあということで悩んできました。
なので、僕のような状態で、実は男性が好きという人もいます。そうすると、精神的にはゲイという感じで同性愛なんですね。これでバイセクシュアルという人もいます。6番。
この緑色の記号は、さっき言った性分化疾患のお話だったり、性のグラデーションの話っていうことで、第3の性というような形で使わせていただいてるんですけれども。
27通りが全てとか27という数字が大事というよりは、これだけ多く考えられるセクシュアリティを、もう男、女という2つの枠だけで考えるのはちょっと窮屈なんじゃないですかというご提案として、出させていただきました。
杉山:LGBTのことを考えるときに「セクシュアリティは目に見えない」がキーワードなんじゃないかなと思っています。多分僕がここで、全然違う話、それこそ環境問題の話とか全然違う話をしていれば、僕は元女子であるとか、村木さんが女性が好きだなんていうことは、わからないわけで。
なので、今まで会ったことがないっていう方も、それは会ったことがないのではなくて、気づかなかっただけなんじゃないかなというふうに思います。
実際に今年、電通総研さんが発表した数字で言うと、7.6パーセントの方がLGBTであるという回答もありまして、実は意外と身近なんじゃないかな、と。左利きの人とかAB型の人とほとんど変わらない数、存在するというふうに言われています。
今となっては「もっと早く言ってくれりゃよかったのに」って言われるんですけれども「じゃ、何でそんな早く言えるっていうのよ」と。小さいときから、やっぱりテレビをつければ女性的な男性がおかま、おかまって笑い飛ばされていて。特に僕が小さいときには、「とんねるずのみなさんのおかげです」の保毛尾田保毛男っていうのが流行って。
(会場笑)
あれを見て、うちの親とか友達がすごい気持ち悪いなんて言っているのを聞けば、「自分ももし本当のことを言ったら、気持ち悪いと思われちゃうんじゃないか」とか、「いじめられたらどうしよう」と思ったら怖くて言うことはできませんでした。
じゃあ「いつからそうだったの?」と言われれば、これはもう写真を見れば一目瞭然です。
白いほうですね。我ながらかわいかったなと思うんですけれども。グローブを持ってポーズ。こんなに楽しそうにしてるのに、スカートをはくと途端にこんな顔になっちゃいます。ドン。
(会場笑)
我ながら非常にわかりやすいです。もうこの頃にはこの世の終わりのような顔をしていますね。幼稚園の入園式のときにはスカートをはいて、もうわんわん泣いていたので。親から走って逃げたので、いつからそうだったのかと言われれば、もう生まれたときからとしか言いようがないのかなと思います。
杉山:とにかく何が一番嫌だったかというと、セーラー服。本当にこれももう。セーラー服の写真で笑顔の写真なんか1つもないんですね。これがちょうど中学生ぐらいのときで。カラダは順調に女性として成長していく。いわゆる生理が始まってカラダが丸みを帯びると。
カラダは順調に成長していく一方で、気持ちの上では男性として順調に成長していく。まさに引き裂かれるなんていう言葉では済まされないような心理状況で。やっぱり自分だけが頭がおかしいんじゃないかと。こんな頭がおかしい人はこの世に1人しかいないんじゃないかと。
頭がおかしい、頭がおかしいと。変態なんじゃないか。でもそんなこと、あるはずがないっていう、そういう葛藤をずっと繰り返していて。セーラー服本当は嫌だったんですけれども、でも何とかセーラー服を着て学校に行きました。
というのは、自分だけ、例えば違う格好をして学校に行くことで、その理由を追及されてばれちゃったらどうしようとか。とにかくみんなと同じように紛れるためには、こういった格好をしなきゃいけないと思ってました。
ただ、ずっと根暗な生活だったのかというとそういうわけでもなくて。わりと女子高でボーイッシュな先輩っていうのはモテたりもしまして、学校ではスポーツもやっていて、宝塚的にと言うのですかね、キャーキャーとバレンタインにチョコレートもらったり。
だから外ではわりと明るく元気なボーイッシュな先輩というのを気取りながら、家に帰ると1人で泣いているみたいな。いつ死んじゃってもいいかなぐらいの時も、実はあったりしました。
そんな中で2つ転機があって。1つは1998年に、世の中に性同一性障害という言葉が出たこと。これによって障害と名前が付くことで嫌がる当事者も多いんですけれども。
僕の場合は障害だろうが何だろうが、こういう人が他にもいたんだと。僕だけじゃなかったんだと。しかも障害なら仕方ないじゃないかというふうに思うきっかけになったっていうのが1つ。
杉山:あともう1つは、初めてできた彼女にふられることになります。初めてできた彼女ってどういうことかというと、小さいときから女性が好きという感覚はあったんですけれども、そんなことはいけないことなんだと、誰よりも僕自身が思ってました。
女体である自分が女子をスキになってしまうことはいけないことなんだ、変態なんだと。なんとか自分の気持ちを封印しようとしてたんですけれども。たまたまクラスメートの子に、別に女の子が好きなわけじゃないんだけど、文野のこと好きになっちゃったと言ってくれる子がいたので、気持ちを抑えきれず付き合うことになります。
ただもちろん、付き合ってもなかなか一緒にいることもできなかったり、周りにも内緒で付き合っていたんですが、でもやっぱり学校では、すぐにレズビアンのカップルなんじゃないかと噂されたりとか。
先生にまで「あんたたち、いつも一緒にいて気持ち悪いよね」なんて言われて、すごく嫌な思いもあったりと。そんなことがあったんですが、何とか負けずに一緒にいたいと、いたんですけれども、結局、高校生に上がったぐらいのときに、その彼女にふられることになります。
他に好きな人ができたからっていう、いわゆるどこにでもあるような理由だったんですけれども。当時としては付き合うのが初めてだから、別れるのも初めてなわけですよね。
ただでさえつらいのに、それ以上に自分の理解者がどこにもいなくなっちゃうんじゃないかという不安から、とにかく、今で言うとうつ病みたいなことなのかもしれませんが、ご飯ものどを通らないし、夜も眠れない。
だけど学校には行かなきゃと。なぜなら学校を休むことで、もしまた休んでいる理由を追及されて、学校とか親とかにばれたらどうしようって思って、とにかく学校には行き続けました。
杉山:そしたら、明らかに様子が変だったんでしょうね、周りの友達から「どうしたの、大丈夫? 文野。何かあった?」「いや、何でもない」と。「いや、何かあったでしょ」「いや、何でもない」「いや、絶対何かあった」「いや、何でもない」と、ずっと言ってたんですが。
仲良かったバスケ部のキャプテンをやっている友達に、本当に首根っこつかまれてずるずるずるとバスケ部の部室まで引きずられていって「ここに来たら誰も来ないから、何かあったんなら話して」って言ってくれて、そこでカミングアウトしたのが、初めてのカミングアウトになります。
でも、そのとき何を話したかすら覚えていないんですけれども、とにかく泣きながら、それまで18年近く誰にも言えなかった思いを吐き出すように言って。恐怖で仕方なかったカミングアウトだったんですけれども、それをずっと黙って聞いてくれてた友達が一言目に言ってくれたのは、「話してくれてありがとう」と。
「文野は文野で変わりないじゃん」というふうに言ってくれたと。本当にそのときに、初めてこの世に生まれ出たぐらいの、初めて自分の本当の部分をさらして、それを受け入れてもらえたということが、初めての自己肯定感につながった出来事でした。
杉山:実はこれが当時の写真なんですけれども、何とか皆に紛れようと、ちょっとスカートを短くしてみたり、ルーズソックスを履いてみたり、すね毛を剃ってソックタッチでルーズソックスを頑張って付けてる頃だったんですけれども。実はこの子が初めて付き合った彼女になります。
ただこの写真、別れた直後の写真です。それくらい、やっぱり周りに言えなかった。付き合っていることも言えないので、別れたことももちろん言えないんですよね。
彼女が新しく好きになったっていう人は男性で、すぐに付き合うことになたみたいで。周りからは「よかったじゃん、彼氏できたんだね」なんていう話を仲間内で楽しくわいわいしながら、僕もその輪の中で会話に合わせながら、心では泣いている。そのぐらいやっぱり、僕もずっと誰にも言えずにきました。
ただ、そのあとで少しずつカミングアウトすることによって、いろんな人に受け入れてもらって、少しずつ自己肯定感を取り戻して。今でもいろいろ辛い、苦しいはあるけれども、そういったことこそ自分を成長させてくれるいい時間だったなと今では思えるようになったのが、1つ自分の強みになっているかなと思います。
杉山:最後に1枚だけ。これ今何をしているかというと、先ほど飲食店の経営を3店舗していると言ったんですが、そのうちの1つ。これは神宮前2丁目に出した、irodoriというレストランの写真です。
これは建物を一棟借りて、カラフルステーションっていう施設の運営をはじめたものです。そこの1階をエスニックレストランirodori、2階をシェアオフィス兼コミュニティースペース。それで1階と2階の壁を利用してギャラリー運営みたいなのをしているんですけれども。
これは、海外で言うLGBTセンターみたいなのをつくりたいなという思いでやりました。ニューヨークとかサンフランシスコに行くと、非常に大きなLGBTセンターというのがあって、LGBTの人専用のコミュニティスペースや情報共有のスペースがあるんですけれども、そういうのが日本にはほぼないのでつくりたいなと。
ただ、なかなか助成金や寄付でまかなうのが難しいので、自分の生業である飲食店の経営というスキルを生かして、そういう場所をつくりたいということで始めてみました。
とはいえ外に性の多様性を象徴するレインボーフラッグを出していること以外は、いわゆる普通のレストランとして営業しています。
現在のスタッフの3分の2ぐらいはLGBTの当事者です。やっぱり僕も最初にお話ししたとおり、就職というのはかなりハードルがあって、それをオープンにしながら働く場所がまだまだ少ない。であれば、そういった雇用創出にもなるようにという想いもありました。
お客様には、普通にご飯を食べてもらう、おいしく楽しいご飯を食べてもらったあとから「あ、そういうスタッフだったんだね」とか、あとから「ここってこういうコンセプトがあったんだ」と知ってもらうぐらいがちょうどいいかなと。
こうやっていかに生活の場に浸透していくかと。そういった一部の夜の世界の人とかテレビの世界の人だけではなく、いかに普段の生活の中に紛れていく、浸透して、より身近に感じてもらうか。実は隣にいるような存在なんだということを伝えられたらと。
オフィスの中にもいる、教室の中にもいる、そして家族の中にもいるかもしれない、それぐらい身近な存在なんだってことを感じてもらえるような場所を今後も展開していきたいと思っています。
僕からのお話は以上になります。ありがとうございました。
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