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1300年の歴史で2人 大峯千日回峰行満行を経て辿り着いた世界とは(全2記事)

成功者は1300年間で2人--命がけの千日回峰行を終えた住職が語る人生のヒント

グロービスの経営理念である、能力開発、ネットワーク、志を培う場を継続的に提供することを目的として、グロービスのMBAプログラムの学生・卒業生、講師、政治家、経営者、学者、メディアなどを招待して開催されるカンファレンス「あすか会議2015」に、慈眼寺の住職・塩沼亮潤氏が登壇。1300年間の歴史で2人目の達成者となった亮潤氏が、命がけの大峯千日回峰行を通して得た「人間として大切な気持ち」や「情熱を持ち続ける方法」について語りました。

1日48kmの山道を4ヵ月間歩く行の期間

塩沼亮潤氏(以下、塩沼):こんにちは。慈眼寺の塩沼亮潤と申します。山を歩いていたときのことをお話いたします。1日48kmの山道を、毎年5月3日から9月3日まで、1年のうち約4ヵ月間を行の期間と定めます。起床するのが深夜の23時30分。滝行をして身を清めて、山に行く装束を整えて、そして目指す山頂1719メートルの山まで行って、またその日のうちに帰ってくると、もう夕方の15時半になっています。

こういう修行を志したのが、小学校5年生のときでした。幼い頃に見たテレビ番組に憧れを持ち、その憧れの気持ちがだんだんと自分の夢へと変わってきました。19歳のときに学校を卒業し奈良に行くわけですが、小僧生活をさせていただいたのちに4年間の修業を終えて、5年目からこの山を歩く行に入りました。

山を歩いた初日のことを思い出してみると、初めは右の足と左の足をただただ山に向かって前に前にと、一切の妥協を許さずに自分はこの行をやり抜くという強い情熱を持っていました。辛い、苦しい、悲しい、そういう気持ちがふつふつと湧いてくることも、やはり人間ですからあります。けれども、肉体的・精神的に一時的にそういう思いを受けたとしても、前に進むこの情熱というものが常に初心のままあったことだと思います。

初めはよちよち歩き。右の足と左の足を交互に出して、いろんな山の厳しさ、暑さ、寒さ。そういうもののなかで何が見えてきたのかというと、日常とても当たり前のことでした。「ありがとうございます」という心から涙があふれんばかりの感謝の気持ち。

そして自分はいままでいろんな人にお世話になって、またいろんな人に迷惑をかけてきた。そういう過去の人生を振り返ってみると、「本当にごめんなさい」という反省の気持ち。

そして、決してひとりでは生きていけない。いままでいろんな人のご縁によってここまで来たな、と。いろいろな自分の周りの環境、全てのもの、そういう人たちに対して敬意を払っていかなければならないな、というごくごく当たり前のことがふつふつと湧いて出てくるのです。

情熱を持ち続ける難しさ

けれども、行が始まったばかりの頃、遠くには遥か彼方に自分の夢や憧れというものを置いて修行の旅に出ますけれども、初めの頃はなかなか見えてくるものがありません。しかし、同じことを同じように繰り返していると、やがて見えてくるものがあります。

私がこの行を通して見えてきたもののひとつは、情熱を持ち続けるということでした。ひとつの目標に向かって行くときには、初心というものは誰でも熱くて純粋なものがあります。これをいかに長期間持ち続けるか。そしてその志がいかに清らかであるか、ということだと思います。

お寺であれば、毎日同じことの繰り返し。そしてこの千日回峰行も、毎日毎日同じ道を行って、同じ道を辿って帰ってくるわけです。そこにどういう意味があるのかというと、2500年前に「同じことを情熱を持って繰り返していると、悟る可能性がある」と釈尊が言われたからです。ただし、情熱を失ってしまったのでは、決して悟る可能性はないと言われております。

この情熱というものを持ち続けるのは大変です。体がしんどい日もあれば、自分の心の浮き沈み、感情の浮き沈みもあります。そして、いろいろな人とのコミュニケーションのなかで生まれてくる、いろんな摩擦もあります。しかしどんなときであっても、心のなかに、心の前にある1つの針がマイナスのほうに振れないように、プラスのほうに常に転じていくように、この明るい気持ちがなければなりません。

今日より明日、明日より明後日という向上心も忘れてはいけないと思います。そしてもう1つ大事なことは、誰かのために尽くす、尽くさせていただくと言ったらいいでしょうか、そういう気持ちがなければなりません。

小学校5年生で千日回峰行の世界に憧れた

私は小学校5年生のときに、この千日回峰行のテレビ番組を見て、この行の世界に憧れました。たまたま縁があった私の家庭は、決して裕福ではありませんでした。多くの人に助けてもらい、多くの人が夕方になるとご飯を持って、母と祖母と私の3人暮らしの家庭を本当に毎日毎日、周りの人が助けてくれました。いつしか私の心のなかに、いろんな人のご恩返しをしなければならないという気持ちが芽生えてまいりました。

「みなさんのために」という利他の心が根っこになければ、どんな大きな夢に向かおうとも、いつしか自分の情熱というものが失せてしまうのではなかろうかと思います。1日経ち、3日経ち、1週間経てば、当然、慣れることは仕方がない。しかし、慣れても情熱だけは失ってはいけない。これが、何か大きな夢を成し遂げるなかで大切な心構えだと思います。

私は23歳で山の行に入りました。そのときのいろいろな心境を、将来あとから自分自身が行の世界を省みようと思って書き綴った日誌があります。それを読んでみたいと思います。23歳、こんなことを書いていました。

行の途中で書き綴った日誌

「17日目。行者なんて次の1歩がわからないんだ。行くか行かないかじゃない。行くだけなんだ。理屈なんか通りゃしない。もし行かなけれりゃ、短刀で腹を切るしかない。そう、次の1歩がわからないんだ」

「52日目。妥協しようと思ったらいくらでもできるかもしれない。しかし、なにくそ、これしきと思う。しかしその勇気は大変です。苦しみ、悩み、涙と汗を流せば流すほど、心が成長します。たとえ雨でも、雲の上は晴れている。心まで曇らせることなく歩いていかなければ」

こういうふうに、何もわからないひとりの青年が「悟りとは何か」「穏やかな心とは何か」「真に生きるとは何か」ということを暗中模索のまま、ただただ繰り返し繰り返し、心を正し、そして情熱を持って山に向かっていきます。みなさんと同じように、山と里では違えども、心に思うことは全て一緒です。

「どうしてなんだろうな」「なぜなんだろうな」「なんでこういうことがあるんだろうな」そういう思いがたくさん心のなかに浮かんできます。若ければ、「あれも食べたい」「ああしたいこうしたい」そういう多感な感情もあるでしょう。

世の中というものはままならないな。自分自身ではこちら側に行こうと思うんだけれども、なぜいろんなものに引っかかってしまうんだろうな。行くに行けず、戻るに戻れずという状態、これが迷いの世界で、私たちは生きているわけです。

人間には避けられない4つの苦しみがある

修行をし、勉強をしていると、いろんなことを1つずつ師匠から教わります。人間にはまず避けられない4つの苦しみがあるんだと。この世に生まれてきて、年老いて、病になって、あの世に帰っていく。いわゆる死です。この4つは、人間がどのような努力をしても避けられない。命を持った生きとし生けるもの、この世の全ての生まれた形あるものの定めであると。

そしてまた4つ、苦しみがあるんだ。その4つは、自分の心のコントロール次第ではどうにか解決できるものなんだ。それが何かというと、私たちにはいろんな人がいます。いろんな人とのご縁があって、そのなかには自分の好きな人もいれば、嫌いな人もいる。自分の愛する者とはいずれ、出会いがあれば別れがあるように、別れなければならないという苦しみがある。

周りには嫌な人もいるかもしれない。その嫌な人と会うという怨憎会苦という苦しみもある。ほしいものがなかなか手に入らない。心ではあれもほしいこれもほしい。1つを手に入れるともっとほしくなる。そういう求不得苦というものもある。

最後に、世の中というものは全てが思い通りにならないようになっているんだ、全てが思い通りになるようでは心の成長はないんだ。いいことも悪いことも、半分半分なんだ。われわれは、いいことがあると永遠に続いてほしいと思うものであるし、1つ悪い出来事があると「どうして、なんで自分ばかり」という気持ちにとらわれてしまうものだと。こういう五蘊盛苦というままならないものがある。

この4つと生老病死の4つを合わせて、四苦八苦するという。われわれはそういうところに生まれていることを忘れてはいけないのであると。そう思っても、なかなか心は言うことを聞きません。やっぱりしんどいものはしんどいし、嫌なものは嫌だし。「これではダメだな」と思って、修行に打ち込むわけであります。

仙台に残してきた母と祖母への思い

毎日毎日、48キロの山道を登って、帰ってくる。行の始まりは、山のてっぺんに行くと山頂付近は氷点下になっている場合もあります。5月の下旬になると、近畿地方は暑いときには30度を越している場合もある。寒暖差も激しい。食べるものはおにぎり2つと500ミリのお水を持って山に出かけて行くわけです。山頂の山小屋でまたご飯とお湯を補給して、麓まで下りてくる。

帰ってきてからまた大変です。日常の掃除・洗濯、次の日の用意。これを全て自分でやり切らなければなりません。そしてお風呂に入りご飯を食べると、睡眠時間は4時間半ほどしか取ることができません。毎日毎日がこの極限の状態に追い込まれていくと、心のなかでいろいろなことが思えてなりません。

19歳で出家して、仙台に母と祖母を置いてきます。涙を流し、こんな日記を書き綴ったこともあります。

「母さん、この世では俺ぐらいの子を持つ親はもう孫もいるよね。朝早く無事を祈ってくれたり、苦労をかけてすまないね。でも、神様仏様のために頑張ろうね。いつの日からこの道を歩み始めたのだろうか。誰に聞いてもわからない。なぜかわからないけれどもいま、母ちゃんとばあちゃんと俺、なんなんだろう。でも、仏様も羨むだろうよ、この絆は。

一緒に暮らしたい。みんなのように親孝行をしたい。でも、いまはできないんだ。一緒に暮らしたい。誰がなんと言ってもそうしたい。ばあちゃん、俺のためにお茶を点ててくれているんだって? 苦しいだろうね。辛いだろうね。80を超えて、もう話をする時間も少なくなってきているのに。昔は布団に入って8畳ひと間の家でよく話したね。

いま、そうしたいね。うんといっぱい、話をしたい。母ちゃん、ばあちゃん、3人でゆっくりしたいね。いつになったらできるのかな。3人で、10年でも20年でも一生でも、3人でいたい。夜寝ないででも話をしたい。ゆっくり話をしたい。でも、それができないんだ、いまは。ばあちゃん、母ちゃん、いつかきっと早くその日が来るように」

山中で体験した極限の世界と家庭での教育

「みなさんのために何かがしたい」という情熱のまま、自分が奈良の山中で修行をしている。でも仙台に置いてきた母や祖母はどうしているのかなと思うと、こんなことをふと考えてしまうこともあったり。悟りとは何か、あるいはみなさんのために自分がどうやったらいいのか何もわからないなかで、行のなかで命がけの修羅場を何度かくぐり抜けていくわけであります。

山が深くなると、熊も出てきます。猪がどこから襲ってくるかもわかりません。足元にはマムシがたくさんうろちょろしている。そういうなかを毎日行って帰ってくるので、いつ自分の命が果てるかわからない。そして、10日で10kgも痩せてしまうというような極限の世界も体験する。

もう力尽きて、闇のなかに倒れこんで、これ以上前に進めないと、自分自身が追い込まれたときもありました。スーッと目をつむると、自分のいままでの人生が走馬灯のように、映像を見ているが如くに、幼い頃からの思い出がふと眼下に浮かんできます。

いろんな思い出のなかで、自分は幼い頃に母や祖母に、人として大切なこととして教育されたことがいまとても役に立っていたし、これまでの人生のなかでそこが一番自分の根っこになっているところです。これはとても当たり前の話ですが、例えば、口答えをしない。好き嫌いをなくす。約束を守って嘘をつかない。これはどういう子どもでも家庭で教わることです。

それが大人になってからどういうことに変化をしていくかというと、会社に入ったときに上司や先輩に口答えをしない。そういう自分になっておりました。好き嫌いをなくすということは、自分が嫌だと思う仕事が回ってきても、元気で明るく「やらせていただきます」という気持ちで取り組みことができるようになります。

約束を守って嘘をつかないということはとても当たり前ですが、これは信頼を得る第1歩でもあるわけです。19のときに頭を剃って修行道場へ入ったときには、そういうところがしっかりしていると師匠によく褒められました。

こういう家庭での教育というものがとても大事であり、行によって得たものではなくて小さい頃から親が教えてくれたからこそ、どんなことに対しても今日より明日、明日より明後日という向上心が得られる。そしてこの幼い頃の環境が「自分は利他のために生きていこう」という気持ちに火をつけて、やがて自分の心が「なるほど!」という1つの思い、あるヒントになる徹底的な瞬間を迎えるわけです。

自己をコントロールするための3つの心構え

やはり、こういう私たちの日常の世界にはままならないことがたくさんあります。それをコントロールするための3つの心構えがあります。それが、忘れ去ること、捨てきること、許しきることです。忘れて、捨てて、許しきるから、全てに喜びが生まれるということです。

規則正しい生活のなかで自己を見つめていくと、あれが食べたい、ああなりたいこうなりたいという欲は、ある程度、初期段階で克服できます。けれども、ちょっとこの人が苦手だなという人はいる。100人いれば100人、1000人いれば1000人に優しさ・笑顔を与えていきたいと思っていたところを、たった1人だけ残ってしまった人。

その人に対し、諦めずに「この人にも優しさを」と思って、ある日突然ふとした瞬間に優しい言葉と笑顔を与えたところ、逆にその人から優しい言葉と笑顔が返ってきたときに、この胸のなかにつかえていたものがすとんと落ちた。その瞬間が、私の人生が闇から光へ好転した瞬間でした。

人間は、光から光へ生きていく人間、光から闇へ生きていく人間、闇から闇へ生きていく人間、そして闇を転じて光ある世界へ生きていく人間と、この4種類しかないと釈尊がおっしゃったことを思い出しました。闇から闇というのは、「どうしてなんであの人が」という恨み憎しみがどんどんと日々増してくる、下手な生き方です。

私たちにはどうしても闇としか思えない嫌なことも、自分の成長のための天からのプレゼントだと思うことです。この闇を転ずることによって、自分の心が変わります。現状は変わらなくても、物事の見方、捉え方が変わることによって、闇だった心が光ある喜びの心になるという体験をしたことは、私にとって大きな大きな宝物を得たようなものでした。

そのときにどういう心境だったかというと、ただ普通に「本当にごめんね」と。「私は心のどこかであなたを嫌っていたけれども、そういう嫌いという雰囲気は自分のどこからかわかっていたと思います。当然あなたにも不快な思いをさせたかもしれません。そのことに対して本当に深く深く、懴悔いたします」と。心から二度と同じ過ちをしませんという、この懴悔の心が自分の心のなかに宿ったときでした。

お坊さんの修行は懺悔から始まる

お坊さんになってからしばらく経ちましたが、お坊さんになって一番初めにする儀式で、「懴悔をしなさい」と師匠から言われる。人間は仏というこの正しい生き方に触れるまでは、知ってて犯す罪、あるいは知らず知らずのうちに犯す罪がある。「それを心から懴悔せよ」と、懴悔から修行が始まります。

師匠が行うように、作法通りに、まねをして懴悔をします。けれども、自分の形と言葉だけだったんですね。それが、いろんな厳しい修行を体験し、難しい勉強をし、どこに落ち着くかというと、心がおさまるべきとこにおさまった瞬間のきっかけは、懴悔でした。心からの懴悔。

私たちは心があります。行動もできます。そして言葉があります。この3つ、心と行動と言葉がともなって、初めて真実が相手に伝わるわけです。このどれか1つが欠けても相手に真実が伝わらないということです。

心からのありがとう、心からのすみません。そしてどんな人に対しても「はい」という相手に敬意を払った言葉。これは3つの宝です。この感謝と反省と敬意の心が、人と人、国と国、宗教や文化、全てお互いが敬意を払ってひとつになっていくきっかけだと思います。これはとても難しい勉強ではなく、日常私たちが幼い頃から教わってきた当たり前のことです。

これを繰り返していると、ひとつの人格というものが磨かれてくると思います。ここにお集まりのみなさまには、人生を1日でも早く、なるべく心の針が常にプラスのほうに転じているようになっていただきたいと思います。中心から1ミリでもいい、プラスの方向に常にあることによって運勢、運命が変わってくると思います。

私も、ありとあらゆる囚われ全てから解き放たれたとき、初めて人生というものが何か光あるほうへ運ばれていき、運ぶというのは「運」と書きますが、そこから運勢がよくなってきました。ここにお集まりになった若い方には、ぜひみなさんの人生が成功していただきたいと心から念じております。

その秘訣は、志の清らかさを保ち続けることです。常に心を清らかにし、行動をし、清らかな言葉を使う。常に志を清らかにして人や仕事に従事していると、その人に徳が備わります。徳望という言葉がありますが、これは生まれつき備わっているものではない。人間が成長段階において少しずつ積み重ねていくものです。

徳が多くある人には、人徳。人徳がある人には、多くの人が集まってまいります。これが、人の脈と書いて、人脈。この自然とつなげていただく不思議な人脈に勢いがなくならないように、常に清らかな心を保ち続けることだと思います。

「もうこれでいいや」という気持ちで心の安住を望んでいると、徳を失い、その人脈の勢いがだんだんとなくなってくると思います。情熱を保ち続けること。そして何歳になってもふとした瞬間に涙が滲むくらい清らかな、純粋な志でもって人生に向き合い、今日と向き合い、この瞬間を精一杯生きていっていただけたらと思います。

「みなさま方のこれからの人生に幸あれ」と。そのヒントは、常に心の針がマイナスに向かずにプラスのほうを向いているというこの心構えがあれば必ず人生が開けていくと思います。今日は、日常とても当たり前のことですけれども、その当たり前がゆえ、よくわかっているがゆえになかなか大切にしない部分をお話させていただきました。ありがとうございます。

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