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ビジネス英語の極意と世界レベルの仕事術(全6記事)

「ジョブズは心が折れるぐらいプレッシャーをかけてくる」 元Appleシニアマネージャーが語るiPod製作の裏話

2015年7月12日、ビジネス・ブレークスルー大学にて「ビジネス英語の極意と世界レベルの仕事術」と題するイベントが開催され、元Appleシニアマネージャーの松井博氏とBBT大学経営学部教授の青野仲達氏が対談しました。本パートでは、松井氏がAppleで働いた経験から学んだことや、スティーブ・ジョブズとの思い出を紹介しました。ジョブズが復帰する前のAppleは「学級崩壊した学校のようだった」という松井氏が、ジョブズがどのように組織を改革していったかについて語りました。

スティーブ・ジョブズと一緒に働いた松井博氏の自己紹介

青野仲達氏(以下、青野):今日は「ビジネス英語の極意と世界レベルの仕事術」ということで、元Appleシニアマネージャーの松井博さんをお招きして、私と話をしながら進めていきたいと思います。

松井博さんは1990年代の初めから2009年までAppleで仕事をされていて、2000年代に入ってから米国本社、シリコンバレーでの米国Appleで管理職をされていました。

ちょうどスティーブ・ジョブズがAppleに復帰して、いろんなキャンペーンをやって、iPod、iMac、MacBook、そういったものをどんどん世に出し始めた頃にAppleで仕事をされていた方です。日本人としてはほとんどいないというか、とても貴重な経験をされてきた方ですので、今日はとてもおもしろい話が聞けるんじゃないかと思っております。

松井さんは、本を何冊か書かれていて、『僕がアップルで学んだこと』という本や『企業が「帝国化」する』という本があります。こちらの『アップルで学んだこと』というのはまさに、そこでどんなことを学んだか書かれています。

『企業が「帝国化」する』のほうは、またちょっと違う視点から、今世の中がどんな企業によって動いているのか、そんなことを書かれています。共通しているのは、「Appleがこうだ」だとか「世の中の企業はこうだ、こういう企業が動かしている」ということだけではなくて、そのなかで自分はじゃあどうしたらいいんだろうということです。

すごくわかりやすく書かれているので、今日の話を聞いて興味を持たれた方は、ぜひこちらのほうも読んでみてください。それでは松井さん、よろしくお願いします。

松井博氏(以下、松井):よろしくお願いします。

Appleに派遣社員で入社し、シニアマネージャーへ

青野:簡単に今、ご紹介を私のほうからしたんですけど、よろしければ松井さんのほうから、ご経歴を話していただけるでしょうか?

松井:はい、わかりました。僕はご紹介にあった通り、AppleのApple Japanに最初、9年間勤めたあとに、本社のほうに移って7年間勤めたんですけども、Appleで本社でシニアマネージャーやったとか、すごいエリートなんじゃないかと思う人がいると思うんですけど、全然そんなことなくて。

そもそも僕、Appleに派遣社員で入りました。その前も派遣社員をやっていました。その前は日本の企業に何年か勤めたんですけど、嫌になって辞めました。さらにその前は、大学はアメリカだったんですけど、高校のときなんか英語の成績は10段階で2でした。

人には言えないようなことも色々したりしてたんですけど(笑)。退学になんなかったのが不思議なくらいだったんですね。アメリカっていう社会に水が合ったみたいで、力がちゃんと出たっていうか、誰でもちゃんと適性が合う場所があるんだなと思いましたね。そんな感じです。

2009年まで勤めたんですけど、社内政治にくたびれたりいろんなことがあって、もうそろそろ潮時かなと思って辞めて。その後に妻はずっとアメリカで保育士で、保育園に勤めてたんで「これ自分たちでやろうよ」って言って、保育園始めたんですよ。これもすごく当たって、そしてこれが6年目に入って。

それをやるかたわら、2012年ぐらいから作家業も始めることになって、去年からフィリピンのセブ島に語学学校を作ってまして、先月の6月6日にオープンしました。アメリカからセブの学校を経営するって、肉体的にすごい無茶があることが最近わかったんですよ。もう遅いっていうか(笑)。

もう49でやることじゃないと思いつつ、毎月毎月飛行機に15時間乗ってセブ島に行って、現地スタッフを採用していろいろやってきて、まあ楽しく過ごしてます。英語については僕、苦労して学んだんですけど、いろんな思いがあるというか、もっといい学習方法があるはずだということはずっと思ってまして、一石投じたいと思って思い切って学校を作りました。

スティーブ・ジョブズが復帰する前のAppleはひどかった

青野:今日はこんな感じで「世界レベルの仕事術」ということで、Appleでご経験されたことなどを含めてお話をお聞きします。その後、仕事で英語を使う、ビジネス英語の極意って何だろう? そんなお話をして、最後に、皆さんが国際舞台で、グローバルな舞台で活躍するためには何が必要だろうか? そんな流れで進めていければと思います。

最後のほうに質疑応答の時間をとっておりますので、ぜひこの機会に松井さんに「こんなことを聞いてみたい」というのがあったら、そこで聞いてみてください。

では早速「世界レベルの仕事術」ということで、Apple本社で働きながら学んだこと、たくさんあると思うんですけど。結構Appleって秘密の、発売直前まで発表しないですとか、すごく秘密主義のところもあるんですけれど、その中でどんなことを学んだのか? そんな話からお聞きしていきたいと思います。松井さん、いかがでしょうか?

松井:はい。いろいろあるんですけど、Appleで学んだことって、タイトルにも挙がってるんですけど。日本の会社からAppleに最初移ったときに一番衝撃だったのは「こんないい加減でいいんだ」っていう。それはスティーブが戻ってくる前でしたけど。

普通、メーカーに勤めてる方はわかると思うんですけど、ちゃんと仕様書を書いて、きっちりそれを作って、工数割り出してやるじゃないですか。「仕様書ない」とか「仕様書すぐ変わっちゃう」とか「あればいいほうで、すぐ変わっちゃう」とか、そういう感じで、書類化がほとんど行われてないっていうのが衝撃でしたね。

青野:それはいつぐらいの話ですか?

松井:それは、僕は入ったときもそうでしたし、結局辞めるときもそうでした。

青野:そうなんですか(笑)。

松井:さすがにハードウェアは、仕様書をきちんと作んないと物が出荷できないので、まあ何かしらの物はあるんですけど。ソフトウェアに関しては本当にアドリブというか。

あと仕様なんかもみんなでディスカッションしてホワイトボードに書くじゃないですか、こうしようああしようって。それをみんなバシャって写真撮って、それが仕様書、みたいな感じでしたね。

青野:なるほど。でも、松井さんが仕事を始められたのは日本で、1990年代ですよね。ですからスティーブ・ジョブズが復帰する前ですよね? つい最近までAppleに、アメリカのほうにいらっしゃったので、同じ仕様書がないのでもその前と後って、何か会社の差ってあります?

松井:もうすごい差で、前は「とりあえず仕様書あるんだから、その通りに作ろうよ」なんていうのを、その通りにできてないとか。あるいはとにかく歩留まりがすごく悪くて、100台作ったら10台動かないとか、試作機なくなっちゃうとか。

だいたい試作機なくなるってどういうことなの? って。それとか、社内でどういうプロジェクトがあるかよくわかんないので、Mac専門雑誌を買って読むとすごいわかるとか(笑)。

社員なのに「ちょっと『MACPOWER』買って読もう」とか、「あ、こんなプロジェクトあるんだ」ってわかる。そういう感じでしたね。

青野:1990年代の後半、終わりぐらいっていうことは……。

松井:そのとき、このギル・アメリオが来る直前くらいで、スピンドラーくらいのときからすっごい悪くなって。

Windows95がその当時発売されて「Windows95は、Macのコピーだ」とか言ってるんだけど、向こうはバカ売れしてて全然Macは売れてなくて、コピーだとか言ってる場合じゃないじゃんと思ってもみんなぼわんとしてて、これはまずいんじゃないかなって末端の社員でも思いましたよ。

青野:皆さん「どの会社の話をしてるんだ」って思われるかと思うんですけれど、iPhoneだとかiPadだとかMacBook、それを作ってる会社ですよね、Appleって。

松井:そう。

青野:時価総額も、ここ数年ずっと世界一になっていて、そのAppleなんですけれど、たかだか17、8年前っていうか……。

松井:機材が床に落っこちてて、またいで歩くとか(笑)。「こんなところに置いておくのは誰だよ!」とか、本当にこういう感じだったんですよ。だからだいたいなくなっちゃうし、ほんっと驚きでしたね。こんなのが許されるのかと思って。

ジョブズによって「腐ったリンゴがここまで変われる」

青野:先ほどの松井さんの本『僕がアップルで学んだこと』の中で、結構それが衝撃的なんですよね。最初に「腐ったリンゴがここまで変われる」っていうのがあって。ほとんど、その当時のAppleっていう会社が、学級崩壊した学校のような……。

松井:そうそう。朝二日酔いでトイレ入ってる人がいたりとか。ペットOKだったんですよね、当時。犬とかいるんだけど、犬と遊んでる時間のほうが長い人とか、そういうの持ち込んじゃうから、ダニが発生したりとか(笑)。

「なんかかゆいな」「ダニが発生してるから」とか言ってたんです。で、スティーブが戻ってきてからすぐペット禁止になりました。けど、最初から禁止にしとけよって(笑)。そういう感じでしたね。

青野:それでスティーブ・ジョブズが戻ってきて、その後「Think different」というキャンペーンをいろんな人を使ってやったりして。その後、iPodよりもiMacのほうが先ですよね。

iMacができて、MacBookができてiPodっていう、まだiPhoneが出てくる前なんですけれど、もうそのあたりから、現地というかアメリカの本社に行かれていて、品質管理のシニアマネージャーを。

松井:僕は日本で最初、品質管理のマネージャーになったんですけど、それで2年間勤めてたんですよ。とにかく、品質管理にあまりにも問題が多いっていうことで、テコ入れしなきゃってことになったんですね。

僕、そのときAppleもう潰れそうだったから転職先探してたんですけど、上司に言ったら「辞める前にもう1回ちょっとトライしてみなよ」、「品質管理ちょっとまずいから手伝ってよ」って言われて、結構だまされたみたいな感じでした。品質管理なんてそれまでやったこともなかったんで。

それで行ってみたら、本当にひどかったんです。二日酔いで使い物にならない人が出社してたりとか。品質管理以前にまず自分たちの管理しようよ、みたいな感じでしたね。それで組織を直して直して、ちょうどそのころスティーブが戻ってきて。

すごく変わったのは、彼が「ネクスト」から連れてきた人が幹部になってからです。各部署のマネージャーだったりディレクターだった人たちが一掃されて「ネクスト」から連れてきた人たちがばーって入って、スティーブ体制がダーンってでき上がってきたんです。

すごい階層の多い会社だったんですけど、もう何千人ってレイオフされて。階層も減って、一気に風通しのいい会社になりました。僕は僕なりに、その中の一員として「じゃあお前は東京をきれいにしろ」みたいな感じで、東京で僕が持ってた部署を、当時60人くらいから、ダウンサイズして半分くらいにしたりしました。

青野:今お話の出た「ネクスト」っていうのは、OSを作っていた会社ですよね? スティーブ・ジョブズがAppleを出た後に、2つ大きな有名な会社を作っていて、ひとつはピクサーアニメーションスタジオ、もうひとつがそのネクストですよね。そこからAppleに戻ってきたという。

松井:そう。

Appleから学んだのは整理整頓の大切さ

青野:その後数年で、Appleという会社で学んだ一番大きなことっていうのはどんなことでしょうか?

松井:ひとつっていうと難しいんですけど。やっぱり風通しがいいとか、整理整頓ってすごい大事だなってしみじみ思いましたね。それまでぐっちゃんぐっちゃんだったから、同じようなことをしてる部署がいくつもあったんですよ。

覚えてる方もいらっしゃるかもしれないんですけども、当時AppleはPerformaシリーズっていうのを作っていました。Performaシリーズはたくさんの製品があったのですが、全然別の部署がほぼ同じスペックのPerformaを作ってたりしていました。社内の部署同士で競争していたんです。

要するに共食いしてたんです。この部署の製品をこっちが食っちゃうみたいな。もう意味がわからないことだらけでした。でもそのあとは部署の大幅な見直しが行われ、共食いしちゃう製品ができるとか、そういうことももちろんなくなったんです。

当時、多分プロジェクトが50とかあったんですけど、3ぐらいになってました。もうそれは驚きで、こんなに減らして一体何を売るんだろう? って思いましたね。それで、iMacにすべてを賭けたじゃないですか。あれ考えてみたら、すごいですよね(笑)。

青野:他の企業と比べても、製品の数も、プロジェクトの数もそうなんでしょうけれど、製品のラインの数も本当に少ないですよね。

松井:今でも決して多くないですけど、『僕がアップルで学んだこと』を書くときに、ソニーとAppleを比べようと思って、製品の数をそれぞれ数えたら、ソニーは本当にとっても多いんです。カラーバリエーションだなんだっていっぱいあって、200以上くらいありました。本当はパナソニックも入れたかったんですけど、ウェブサイトもまとまっておらず、本当に数え切れないんですよ。

で、諦めてソニーだけにして比較表作ったんですけど、10分の1とかなんですよ。でも、社員は今やAppleのほうが多いわけなんですけども、あれだけ分散してしまうっていうのはちょっともったいないんじゃないかなと思うんです。

ジョブズはとにかく怖かった

青野:この時期に松井さんは、スティーブ・ジョブズとも実際にミーティングなどで接する機会があったかと思うんですけれど、スティーブ・ジョブズってどんな人でした?

松井:怖いですね、すごく。だいたい呼んでないのにミーティング来ちゃうし、嫌なんですよ(笑)。当時はiPodはAppleにとって非常に戦略的な製品だったんです。だから、呼んでないのに会議に来て「来週までにああせいこうせい」ってなっちゃうんです。

だから「あー、来ちゃった」みたいな。帰れとも言えないじゃないですか、CEOなんで(笑)。あと、試作機を見せに行ったとき、怒って投げつけるとか。50歳ぐらいになって金属でできた塊を人に投げるなんてしていいのかって(笑)。なんか違うだろ人間として、みたいな。

(会場笑)

青野:よく世の中では「偉大なCEO」「独創的なビジョナリー」っていうようなレッテルが貼られていますが、そのあたりはどうですか?

松井:そういうふうに「おおー!」って思ったこともすごくあったんですけど、それより耐え切れないプレッシャーを与える人っていう。クリスマスの日も働いてたんですけど、クリスマスって日本でいうお正月ですよね。その前日に、それまでのiPodのシニアマネージャーだったやつがバーンアウトして辞めちゃったんですよ。

本当に、"I quit."って。「じゃ、次お前ね」って言われて、「えー!? 俺聞いてないよ」みたいな感じだったんですけど。そういう、本当に心がボキって折れて辞めちゃう人が出るぐらいプレッシャーをかけてくる。だから……まあ、偉大なんでしょうね(笑)。

iPodの出荷パーティーでの思い出

松井:それでやっとiPodが出荷できて、出荷パーティーみたいなのがあって、スティーブがすっごい喜んで「俺がパーティーホストしてやる」とか言って、すごい素敵なお店でやったんですけど、彼ってすごいベジタリアンで、動物性のものはお寿司ぐらいしか食べない人なんですよね。そしたら置いてある料理が、刺身と寿司とベジタブルだけっていう(笑)。

(会場笑)

アメリカ人でテキサスの出身の人とかいるわけじゃないですか。「なんだよ、何食べんだ俺」みたいな。僕とスティーブの間にまさしくそういう人が座ってたんですけど、こいつが本当に、「ミートアンドポテトガイ」って感じで。一体何を食べればいいんだって途方に暮れていたんです。

だから、「巻物はわりと食べやすいから食べてみれば」って言ってやったら、恐る恐る食べてたんですね。

そしたらスティーブが「こんなおいしいのがあるのに、なんで巻物なんか食べてるんだ」って。いちゃもんつけはじめたんです。そいつが「僕は寿司は初めてだ」って言ったら、「初めてだからこそ美味しい寿司を食べないとダメだ」って言って、自ら立ち上がってぼんぼん盛りつけて。

スティーブに直々に盛り付けられたんじゃ仕方がないんで、そいつ涙を浮かべながらほとんど飲み込んでいました(笑)。そいつはポールってやつだったんですけど、終わった後に「今日はさんざんだったな」って言ったら「孫の代まで語れる」とか言って喜んでいました。スティーブってまあ、そういう無茶な人でしたね。

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