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アジアで15年、1万人以上の命を救った小児外科医の魂の記録(全3記事)

「命を救う方法は、医療じゃなくても良い」 12歳でエイズになる少女たちを救ったある医師の決断(後編)

僕がなんでこの施設を作ったかというと、もう本当に、非常に生理的な僕の反応なんです、率直に言うと。例えばブローカーがやって来ますね。みなさんは透明人間になるんです。透明人間になって、この子たちが売られていくところから全部見るとするじゃないですか。 例えばブローカーがやって来て、うまいことを言ってこの子どもを買い取っていきました。親から離されて、ブローカーのおじさんに手を引かれて、7歳、8歳の子どもが国境を越えて消えていきます。そして学校も行かせてもらえないで、家で拭き掃除をしたり、そこの子どもの面倒を見たり、ご飯を作ったりするんですよ、12、3歳になるまで。

人を幸せにするのに"医療"にこだわる必要はない

僕がなんでこの施設を作ったかというと、もう本当に、非常に生理的な僕の反応なんです、率直に言うと。例えばブローカーがやって来ますね。みなさんは透明人間になるんです。透明人間になって、この子たちが売られていくところから全部見るとするじゃないですか。

例えばブローカーがやって来て、うまいことを言ってこの子どもを買い取っていきました。親から離されて、ブローカーのおじさんに手を引かれて、7歳、8歳の子どもが国境を越えて消えていきます。そして学校も行かせてもらえないで、家で拭き掃除をしたり、そこの子どもの面倒を見たり、ご飯を作ったりするんですよ、12、3歳になるまで。

そうしたら、ある日どこか別のところへ、暗い部屋へ連れて行かれて、お客さんの前に立たされて買われていく。そしてその最初の夜の光景とか想像できますね。それをみなさんは横でずっと見ているんです。そしてやがて、HIVに感染してエイズになります。そうするともうお金が稼げないですから、売春宿からキックアウトされたら行くところがないんです。

そして国境の辺をウロウロして、そして警備隊につかまって、怖いおじさんたちにまたつかまって、そして引き渡されて施設に入れられて、最後には死んでいく。この過程を、みなさんがもしずっと見ることができるとしたら、もう我慢できますかという話なんですね。

僕はもう、それは我慢できないと思ったんですね。僕にはたくさんのことはできないけれども、だけどこの、こういう一つ一つの悲しいストーリーをこの世から一つでも二つでも消し去ることは、僕にはできると思ったんです。たとえ一つでも、たとえ二つでも三つでもいいから、この世からこのストーリーを一つずつ消し去っていくだけで、僕はこれを始めた意味があるし、僕がこの世に存在した意味すらも生まれると思ったんです。

だからやり始めたんですね。そして今150人。これからこの施設では、300人に増やしていきます。そして今、土地をもう一つ購入しましたので、計1,000人預かる施設をこれから作ります。そうやって、僕一人の力はたいしたことはないですけど、でもやろうと思います。僕は医者ですけど、別に人の命を助けるんだったら医療をやらなくてもいいんですよね。

大切なのは、その人たちが幸せに死んでいけること、あるいは幸せな人生を送ってもらえることですから、別に医療にこだわりはないから、いいと思ったことは何でもやろうと思っています。そして今、こういうかたちで150人くらい子どもたちが集まってきています。

みなさんは、今日僕がこの話をしましたね。それも何か一つのチャンスだと思われて、でも特別なことではなくてもいいと思うんですけど、何かみなさんが、自分たちの身近で、あるいは自分たちが正しいと感じる場所で、この世の中の為にやっていく。

何か少しくらい世の中にこぼしていくということをしていただければ、こうやって閉塞して落下していく日本ですけど、それを見た次の世代が、僕らの子どもの世代が、少しくらい豊かに生きていってくれるのかなと思うんですよね。みなさんの背中を見ていると思うんですね。みなさんの生きざまを見ていると思うんですね。

僕は今まで何度もテレビに出ましたし、多くの仲間たちがテレビに何度も出ましたけど、そのテレビを見て、医者とか看護婦になろうと思った人たちがたくさんいるんですね、実は。そういうふうに、みなさんもぜひ、後ろに続く世代に、みなさんの背中を見て「うらやましい」とか「みなさんみたいになりたい」とか「こんなふうな経営者になりたいんだ」とか「こんなふうな心ある経営者になりたい」と思ってもらえるような人たちに、ぜひなってほしい。

僕は常に、後ろの目線を意識しています。特に、10代とか20代の人たちの目線を非常に意識しながら生きていますので。もちろんいい国をつくる、いい地域社会をつくる、ひいてはいい人間を作っていく為に、共にそれぞれのフィールドで、僕は自分のやれることをやりますので、みなさんもぜひそれぞれのフィールドの中で、共に同じ方向を向いていただければ幸せかなと思います。今日はどうもありがとうございました。

無力な自分を、どう乗り越えるか

小林(以下、小):まだ時間もあるので、せっかくなんで質疑応答をいこうかと。

質問者:吉岡先生、本当にありがとうございます。ちょっと言葉がうまく言えなくなっちゃっているんですけれども。すごいなと思うんですけど、やっぱり人間なんで、自分が壁にぶつかったりとか、「こんなの辞めたいよ」とか「逃げ出したい」とか、僕もあるんですけど。衝撃的なエピソードというか、「もうこんなことできない、俺には」と。そういう壁にぶつかった時に、どういうふうにそこを越えていったのかというエピソード、何か具体的なお話を、もし差支えなければ教えていただけますとありがたいです。

:僕が今まで、海外で医療をやっていて最もつらかったことは、子どもたちを殺したことなんです、実は。それはもちろん、日本だと死ななかったと思うんです。色々と設備があって。でも、向こうだとそれで子どもが死んでいくわけですね。でも言い訳はしないって決めているんです。何故かというと、あの環境で、それでも医療をやるって決めたのは僕だからですね。

それも含めて、こんな環境だけど医療をやるって決めたのは僕だから。それで亡くなったら僕のせいだということなんですね。「日本だったらこんなことにならなかったのに」と、それは心の中では声はしますけど、でも打ち消して自分のせいだと思うんです。その時に親が悲しむじゃないですか。家族も悲しむ。それを目の当たりにしないといけない。

その時に本当に思ったんです。「もう自分が死んだらよかった」って本気で思いました。それを本当に思うんです。「なんで自分はまだ生きているんだろう」って本当に思うんですよ。だから、自分が死ぬ方がどれほど楽だったろうかってよく思うんですね。その時は、なんていうか、苦しくて吐きそうになる時ってあるじゃないですか。あんな感じですね、ずっと。

結果が出てしまったら、医療ってもう後戻りできないからです。だけど、それでもみじめに今でも医者を続けています。それは何故かというと、僕がこのまま医者を辞めちゃったら、死んだ人の死の意味がこれで固定されるからです。わかりますか? もうちょっと言うとこういうことなんです。

昔、広島とか長崎に原爆が落ちましたね。数十万人が亡くなりました。それを僕らは、本当にかわいそうだと、死んだ人たちは非戦闘員じゃないですか。だから、普通のおじいちゃんやおばあちゃんや子どもだったわけですね、女の人とか。だから本当に気の毒だなと。なんでこんなことが起こるんだと、彼らは犬死じゃないかと思っていたんです。

でも、ある時から少し僕の考え方が変わります。それは何かと言うと、その後、みなさんご存じのようにキューバ危機というのが起こりますね。アメリカの奥のフロリダで、フロリダの奥のキューバに核兵器が持ち込まれるかという時ですね。この時は、ソ連のフルシチョフとアメリカのケネディが対峙しますね。そして最後までボタンを押さなかったんですね。

それで、フルシチョフは原潜を入港させるのを止めて、キューバ危機は収まります。あるいは、朝鮮戦争というのが1950年代にあります。この時に、司令官のマッカーサーは、中国の黒竜江省の向こうに原爆を落とそうとします。落とそうとするんですけど、アメリカから許可が出ない。大統領が却下する。そして彼は、解任されてアメリカ本国へ帰って行くんですね。

それは誰々が動いた、誰々が交渉した、色々あったと思うんですよ、その時にそれぞれに。だけど、僕はこう考えているんです。何がフルシチョフを撤退させたか、何がケネディがボタンを押すのを抑止したか、それは広島、長崎で死んだ人たちの姿じゃないですか。

要は、あの時にソ連だってアメリカだってすごい調査しているわけです。原爆が落ちたらこうなるぞというのを、まざまざと見ているわけですね。調べつくしているわけです。それがあるから、やるとえらいことになるぞと、アメリカもソ連の人たちもああなるぞということが理解されるから、ボタンを簡単に押せないんですよ。実験みたいな感じで押すことができないんですね。現実になるから。それがマッカーサーが解任された理由ですね。

僕はその時にそう思うようになってから、この広島、長崎の非戦闘員の死は無駄じゃなかったと思うようになったんです。ただみじめったらしい死じゃなかったと思うようになったんです。あの人たちが、その後の何億人という人たちの命を救ったんだと。でも、その何億人という人の命を救えるかどうかは、子孫の僕らに任されているんですね。

だから自分の先祖が、自分の親とかそのもっともっと前の人たちが、どう生きたかということの価値を決めるのは、今僕らの手の中にすべてあるんです。そう思うようになってから、そのみじめな死の意味づけすら変わるようになったんです。例えば、僕が先ほど言った、僕が殺してしまったかもしれないと思うこの子が、僕がそれで医療を辞めちゃったら、その意味が、原爆で死んだ人のようにみじめったらしい死で終わっちゃうわけです。かわいそうな死で終わっちゃう。

でも、もし僕がその死を踏まえて、その死を生かして、あるいは次に続けてたくさんの命につなげていけば、あるいはたくさんの人にそのことを伝えていけば、それで初めてこの子の死の意味が、マイナスからプラスに昇華して変わっていくんだというふうに思うようになったんです。だから、みじめでも、ビクつきながらでも、今でも医者を続けてやっているのはその理由なんです。

年齢の積み重ねがかたち作るもの

質問者:本日は、たいへん貴重なお話ありがとうございました。すごい、マインドの変化みたいなものに僕は興味があるというか、今お話を聞いていて、途中から社会的意義みたいなところから、だんだん喜んでいる顔を見たいみたいなところにいったというお話をされていたと思うんですけれども。例えばそれって、多少年齢的なところってあったりするんですかね、その変化の中で。

:大いに年齢的な変化はあります。例えば、僕は子どもの医者ですけれど、人間って自分の延長線でしか他人を認識できないんですよね。自分が痛いと思うから、他人が痛いことが理解できる。自分が悲しいから、他人が悲しいと思うことが理解できるわけですね。

ということは、自分のことを理解できない人は、自分にそれがない人は他人のことなんかわからない。例えば、僕が「本当に世の中の子どもを大切にしたいんですよ」って言ったって、自分に子どもがいるのといないのとでは大違いだと思っているわけです。だから、自分の子どもがいたら、自分の子どものように他人の子どもを大切にできるようになると思うんです。

だからそういう意味では、結婚して子どもをもうけたことは大いに意義があったんですね。このように僕らは、恐らく自己の延長線上で他人を認識しだしますので、本当に自分のことを大切にできない人間なんていうのは、他人のことなんか大切にできる道理はないって考えています、僕は。

だから、あらゆることが、自分の価値を認識する為に、自分が価値ある人間なんだと、自分は大切な人間なんだと認識する為に、あらゆる行動を僕らは取っているんじゃないかとすら思っています。だから、例えば僕が治療をするじゃないですか。そうすると、お母さんと子どもが僕にお礼を言う時もあるし、言わなくてもいいんですけど、本当に幸せそうにしている。その光景を見るじゃないですか。

そうしたらそれで僕は、「こうやって人を幸せにできて、こんなに喜びを与えることができる人間なんだ」というイメージを受け取るわけですね。そのイメージを僕はずっと生まれてから積み重ねて、今の自己イメージができていると思っているんです。

だから非常に逆説的ですけど、人間は自分の姿は自分では必ずわかりませんから、何か世の中に当てるしかないと思うんです。だから自分を本当に価値ある人間だと認識する為には、世の中に「あなた価値あるよ」と言ってもらわないといけないということです。そして、自分はその為には、僕だったら人を喜ばせるしか方法がないんですよね。

僕が、人を一生懸命幸せにすることによって人が喜んでくれて、僕のことを「価値があるよ」って言ってくれるから、僕は自分を価値ある人間だと認識していく。その積み重ねが今の僕だし、そしてさらにそれを高める為に、僕は今の行動を取り続けるんですね。

こういう考えっていうのは、どんどんどんどん年齢と共に僕の中に膨らんできたものなんだと思うんですね。多分、みなさんもご存じのように、目標というものを最初に立てますね。でも人間というのは、その目標が射程圏内に入って近づくと、必ず別の目標が見え始めると思うんですね。

僕も最初は、目の前の患者を治すということだけしか見てなかったんです。こんな、医療を受けられない人たちの為に、医療を一人一人丁寧にやるんだということで始めた活動だった。でも、やっている内に色んなことがその中で見えてきて、じゃあ、次はこういうことをしてみたらどうだと、もっとこういうふうにしてみたらいいんじゃないかと。

あるいは、この人たちの将来を考えようとか。それは目標に近づくと、次の目標が向こうからうっすら、ぼやけていた物が見えてくるように、どんどんどんどん変化していきますね。それは、行動を伴って年を取っていくということと、合わせ技でできているような気がするんですね。

今、40過ぎた頃に、僕は自分の父親のことは本当にありがたいと思うようになったし、人のやってくれることが、本当に客観的に、自分の中でうまくフィードバックしてきて、自分の中の歴史ですね、それとうまくフィードバックしてきて、色んな人たちがしてくれた言動、あるいはその時に投げかけてくれた表情を思い出すことが多くなりました。

そうやって年齢を積み重ねるというのは、やっぱり若い時は勢いがあるし、力があると思うんですけど、年を重ねるということは、僕の中では深みを作る、深くなっていくことだと理解しています。同じことを経験しても、意味づけがまったく変わっていくわけですよね。そして経験というのは、やっぱりそれがある種の形になっていくまでには時間がいるということですね。

今、日本人たちはそれこそ発酵とか、熟成という感覚がなくなって忘れていますけど、元々いいお酒を造る為には、発酵とか熟成の期間が絶対いると思うんです。その為には、やっぱり時間がかかるということですね。20代で経験したことが、自分の中で色んな経験を積み重ねながら発酵して熟成していく為には、20年とか15年とかいう時間がいるのかもしれないです。

そうすると、そこに年を取っていく時の深みが生まれてくるんだろうというふうに思っています。ですから30代の時の僕とは、勢いはなくなりましたけれど、30代の僕と今の僕では、全然別の人間のような感じがします。

日本人の最強の武器は、ホスピタリティ

質問者:今日、この会場にいる人もIT産業の人たちで、特に若い人が多いので、これからまさに、先ほどおっしゃっていたように、日本に閉塞感がある中で海外に出て行く人が増えてくると思うんですけど。

私も海外にもう10年以上住んでいる人間なんですが、色んな国の方と接する機会が多いと思うんですけれど、先生が考える、海外で日本人が輝ける力とかですね、文化的な背景がそこにはあると思うんですけれど。海外で日本人が評価されて、世界の中でも目立つというか、ちゃんとしたポジションを維持できると思われている強さというのは、何だと思っていらっしゃいますか?

:今風の言葉で言うとホスピタリティの強さだと思っています。特に、僕は日本は最も世界で女性的な文明だと思っている人間ですから、この日本人の女の人たちのホスピタリティの高さというのは、愕然とするくらい強いですね。例えば、働くと朝から晩までやるんですよ、今でも治療をですね。

でも、どんなに疲れていても、どんなに大変でも最後まで日本の看護師さんたちは、患者の為に見続けてくれる。そういえば、何年か前にミャンマーで日本人が撃ち殺されたじゃないですか。僕らはちょっと田舎の方にいるんですけれど、その撃ち殺された時に、すごいミャンマーが騒然としてデモになっている。

でもそこに入ってくる情報というのは、日本人が撃ち殺されたとか、すごいことになっているという一部の情報しか入ってこないんですよ。情報も遮断されているし。そうすると、あの時僕らのところに2、30人の日本人がいたんですけど、すごい動揺しているんですよ。

だけど僕は、組織を束ねる人間として、その組織の人間のセキュリティというのは最も大切にしなければならないので、どうやってこの人たちをこの国から逃がすかということをずっと考えていたんです。だけど手術が終わった患者たちが何十人といると。この人たちを置いていけないから、僕はその中の1人か2人、医者1人と看護師1人に「お前たち残れ」って言ったんですよ。「僕も残るから」って。

で、3人だけ残そうとしたんです。そしてあとの人たちには、「今から国境を越えて撤収してくれ」と言ったんです。そうしたら、撤収する前の夜に看護師たちが数人僕のとこに来たんです。僕のところに来てこう言ったんですね。「先生、私たち危ないのはわかっていますけど、今この患者さんたちを置いてここを出て行けません」って言ったんですよ。「だから私たちはここに残りたいと思います」って言ってきたんですよ。

僕ね、これは一言で言うと母性が強いという言い方が正しいのかもしれないですけど、責任感とこの母性の強さ、要するに患者を本当に自分の家族のように扱うホスピタリティですね。そして自分の一部のように扱うホスピタリティというのは、僕は日本人の女の人はすごく、外国に出て「強いな」と思うようになったんですね。

ですから、技術的に手先が器用だとか、粘り強いというのはあると思うんですけど、それ以外に、要は総じて多くの人たちに共有されている強みというのは母性の強さじゃないかと。それは男の人もそうですけれど、そういう部分が大いにあるんじゃないかというふうに思うんですね。

それは例えば、アメリカとかヨーロッパであれば勇気があるという言葉で、勇敢だという捉え方をするかもしれないですけれど、でも僕らはそう捉えないですね。勇敢だというよりも、やっぱりこの人たちは優しい人だという捉え方をしますので。残っている人たちもそういうつもりで残っているわけですね。

だからそういう部分は、非常に僕らのこれから強みになると思うんです。だからもっと、僕らがもっている、そういう色んな意味での母性的なホスピタリティを、もっと発揮していくと世界の人たちが喜んでくれるかなというふうに思うんですけれども。

次の世代に残せるもの

質問者:先生は、ご家族がいらっしゃってお子さんもいらっしゃるんですね。現地にいらっしゃるんですか? そうですか。私はアメリカに長く10年以上いて、3年前に家族と一緒に帰ってきたというのがあってですね、それには子どもの教育のこととかもあったんですけれども。

自分のやりたいことと、家族、親、旦那という立場と、それが年を取ってくると、それと折り合いをつけるというのが難しいようにも感じるところはあるんですね。先生の中では、ご自身の子どもと、あれだけの患者の子どもを、自分の子どもと変わらないように接しておられるようにも見えるんですけれども。

そこはプライオリティというような言い方は良い言い方ではないのかもしれないんですけれど、家族を優先したいところ、でも患者もいる。そういうところに選択を迫られるような場面がないんだろうかとかですね、そういうところをどのようにご自身でマネージしていらっしゃるのかなというのを、ちょっとレベルの低い質問かもしれないんですけれども、お聞かせいただければと思います。

:あんまり、実はそこにはこだわっていませんで、やりたいようにやっているというのが正直なところなんですけれど。僕は子どもに残すべきものは、もちろん教育なんですけど、僕じゃないと残せないものは何なのかと考えるわけですね。

僕の長男は僕が40歳の時の子ですので、僕はみなに「早死にする」って言われているので、実際いくつまで生きるか自信もないんですけど。僕は今子どもが2人いまして、7歳と5歳なんですね。長男が40の時の子ですから、僕がこの子たちに何が残せるだろうというふうに思った時に、もう生き様しかないかなと思っているんです。

例えばそれを見せて、あるいはそれを現場で直接感じさせたりして、そしてこの子たちが将来、何か困難に出会った時にぐっと支えてくれるような、あるいは誇りをもって生きてくれるようなものを残せればいいんじゃないかなというふうに思っていまして、それで現地に連れて行って、一緒に住まわせ始めたところなんですけど、そういうふうにしています。

それで、今150人くらいの子どもたちの姿を見せましたけれど、あの子どもたちは僕のことを、どこかのおじさんだと思っていると思うんですね。深く接しているわけではないですから、一人一人。そこは、現地の人たちがちゃんといますので。世話をする人たちが山のようにいますので、その人たちのことをお父さん、お母さんと思っていると思うんですね。

ですけど、僕には将来の希望がありまして、夢がありまして、それは何かというと、この今いる子どもたちというのは、僕のことを少なからず知っているし、年長の子たちは僕が一生懸命やっているということも知っていますよね。ですから、恐らく表面的にでも、将来的にはお礼を言うようになるだろうと思うんです。

ですけど、僕が何を望んでいるかというと、実はこの子どもたちが将来また結婚して、子どもを産んでいく、その姿をそっと見たいという希望があるんです。それは、感謝もされず、生まれてきた子どもは僕のことなんか誰かもわからず、でも確かに僕が取った行動によって、そこに命が生まれてきたという姿をそっと見て死んでいきたいというふうに思っているんですね。

もう、ずっとやっていると、自分の存在価値が色んなところから感じ取れるようになってくると、あまりお礼とか言ってもらわなくても、お礼とか言われると余計に心苦しいというか。そっとそういう光景を見られたらいいなと、僕がそこに存在した、この世に存在した価値というか証をそっと感じられればいいなというのが僕の夢で、それ以上大げさなものはないんですね。

さっきの質問の答えには直接ならないんですけど、あまり深く家族と何かを分けるということもないですし、家族にコミットする時は本気でコミットしていますし、医療にコミットする時はコミットしている。その努力は非常にします。ですから、妻とは普通の夫婦以上に話し合いますし、妻のやりたいことも一生懸命サポートしますし。それは努力が必要なんですけれど、そうすることによって穴埋めを僕の妻がやってくれているという感じで、なんとかやっているということです。

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