【3行要約】・「AIが仕事を奪う」という恐怖に怯える必要はありません。実は、最新の知能よりも、私たちの脳に備わる「1万年前から変わらない野生の感覚」こそが、不公平なレースを勝ち抜く最強の武器になります。
・未来学者のマイク・ベクテル氏は、履歴書の「ハイライト映像」に隠された挫折と迷走を告白します。隣の芝生と比べる「霊長類の脳」のバグを自覚し、昨日の自分だけを競う相手に据えるべきだと説きます。
・完璧に見える成功者も、裏では「情熱と利益」の間で泣きながらハンドルを切っています。スキルをAIに外注できても、自分の「納得感」は外注できません。不格好な試行錯誤を肯定し、自分だけのキャリアを再定義しませんか。
前回の記事はこちら 不公平なレースにAIという第3の脅威が加わる
Mike Bechtel(マイク・ベクテル)氏(以下、ベクテル):では、この黙示録の第3の騎士は何だと思いますか。Aで始まるものです。
会場:AI。
ベクテル:そのとおり、AIです。

去年、私はまったく別のテーマをここで話しました。それは、「機械がどんどん賢くなる世界では、人間は“深さ”より“幅”によって力を発揮する。つまり、点と点をつなぐ力で生きていく」という話でした。
それでもみんなの中にある感覚は消えませんでした。つまり、「今までの話だけでも十分に実存的な脅威なのに、今度はロボットの台頭まで来るのか」という感覚です。今度はAIが来る。
ガルリ・カスパロフ氏のこんな言葉があります。「人間にできることは、機械のほうがもっとうまくできる」。

この5日間、6日間の会議の間、AIに関する話はもうたくさん聞いてきたでしょう。ロボットの台頭は、不安を生み出す3つの要素のうち、3つ目なんです。今日ここに来ている人の多くが気にしているのも、まさにそれでしょう。照明越しに見える限り、みなさんの多くは本当にまだ若い。
そして、その不安の根底にあるのは、私たちが不公平なレースの中にいるように感じていることです。しかも、それは走る価値すら怪しいレースです。
もはや「隣の芝生は青い」という話ではない。今や“ジョーンズ家”が昔よりずっと多いように感じる。前にいるジョーンズ家の人たちはジェットパックを背負っていて、その上、後ろからはT-800(『ターミネーターシリーズ』に登場する架空のアンドロイド)みたいなやつらが追ってくる。
比較をやめて昨日の自分とだけ競う
ベクテル:そろそろ、明るいルー・ホルツの名言が必要ですね。80年代初頭のノスタルジーをもう少し借りるなら、このゲームで勝つ唯一の方法は、そもそもそのゲームをやらないことです。『ウォー・ゲーム』、1983年ですね。「勝つためのただ一つの一手は、プレイしないこと」。

だから、ジョーンズ家なんてどうでもいいんです。だって、あなたはジョーンズ家(いわゆる“周りの成功している人たち”)ではないし、これからもジョーンズ家にはなれない。ジョーンズ家になれるのはジョーンズ家だけです。
しかも、そのジョーンズ家だって、きれいに整えられたソーシャルメディアや銀行口座の印象ほど、実際は完璧ではない。私たちの霊長類的な脳が勝手にゆがめて受け取っているだけなんです。だから、ジョーンズ家なんて知ったことか。
これはもちろん、テディ・ルーズベルトが言ったわけではありません。彼が実際に言ったのは、「比較は喜びを盗む」という言葉です。

ぞくっとする言葉ですよね。比較は喜びを盗む。そしてこれは、第26代大統領の独創ではありません。人類の長い伝統、西洋でも東洋でも、ずっと語られてきたことです。
3300年前、モーセはアブラハムの宗教的伝統の中で、シナイ山から西洋文化の“10の基本ルール”のようなものを持ち帰ってきました。そして10番目、最後の最後にあるのが、「むさぼってはならない」です。
つまり、ねたんだり、うらやんだりしてはいけない。自分の家を他人の家と比べるな、妻を比べるな、牛を比べるな……この並べ方は考え直したほうがよかったですね。言いたいことは伝わると思いますが。
そして東洋の伝統でも、モーセから600年後のゴータマ・シッダールタは、“比較する心”に警鐘を鳴らしています。それは悟りへの道からあなたを遠ざける、と。なぜなら、本来競争相手ではない人たちとの架空の競争に時間を費やしてしまうからです。

もっと悪い場合には、自分自身の“こうだったかもしれない別の自分”とまで競争してしまう。
みなさん、比較していい相手は、過去の自分だけです。自分とまったく同じ初期条件のもとでスタートした人なんて、世界に自分しかいないのですから。だから、唯一まともに戦う価値のある勝負は、「昨日の自分よりよくなっているか」「昨日よりいい方向に進んでいるか」だけなんです。
そこで、ここから後半では、私自身の“過去の自分たち”の話をしたいと思います。
ハイライトでは見えない私のキャリアの実像
ベクテル:1997年の私は、なかなか手のかかる若者でした。(スライドを示して)これはロンドンのパブで、どうにかして“写真映え”の反対を体現しようとしている私です。

専攻は5つありました……というのは半分冗談で、本当は政治学と文化人類学が主専攻で、経済学と哲学が副専攻。つまり4つの分野をやっていたわけです。たぶんネクタイは1本も持っていなかった。それがつらかった。だって友人たちは、そろそろ就職し始めていたからです。
友人のマークが面接から戻ってきて、「けっこううまくいったよ」と言うんです。私は「何を言っているんだ。お前の専攻だって僕と同じくらい変わってるじゃないか。神学と生物学で、その上、“宇宙システム解析”みたいな授業を、ただ履修したと言いたいがために取るタイプだろう」と言いました。
すると彼は「いや、コンサル会社だったんだ。特定の専攻を見ているんじゃなくて、特定の“頭の使い方”を見ているって言われた」と答えたんです。私は「なるほど、私にもそういう頭はあるぞ」と思いました。そこで私は、髪を切り、就職に向けて、いわゆる“普通の道”に乗ることにしたんです。
1998年、アンダーセン・コンサルティング、現在のアクセンチュアの面接を受けたのを覚えています。私の目には、彼らが“社交的なエンジニア”を求めているように見えました。カリスマ性のあるコンピュータ・サイエンティスト。私はそれを「感じのいいオタク」と呼んでいました。
だから私は、「学内で一番“感じのいいオタク”だと示すのが自分の任務だ」と思ったんです。実際、面接でこう言いました。「そうですね、チャド。私は学内で成功したスカバンド(陽気なダンスミュージックのバンド)“スカラホリックス”を立ち上げまして」。チャドは心の中で、「こいつ、感じがいいな」と思っていたはずです。
私は続けました。「そのバンドでは、コモドール64(Commodore 64)という家庭用コンピュータについての曲をやっていました」。彼は「うわ、この人、めちゃくちゃオタクだ」と思ったでしょうね。さらに私は「それから、アコーディオンも覚えました」と言いました。彼は「それは、相当オタクだな」と思ったはずです。(続けて私は)「ポーランド系アメリカ人の彼女のご家族に気に入られるために」(と言う)。すると「お、なんか感じがいいぞ」となる。

うれしいというよりほぼ驚きだけでしたが、私はその仕事をもらえました。あのダブルのスーツを見てくださいよ。

その仕事は、“企業の医者”のようなものだと説明されていました。現場に行って、病んでいる会社を診断し、何が悪いのかを見つけて、治療する。そんなイメージです。そこから先は、いわば経歴どおりです。
私の履歴書を見てみましょう。まずはLinkedInに載るバージョンから。
1998年にアクセンチュアへ入社。アクセンチュア・ラボでキャリアをスタート。12年で米国特許を12件取得し、同社初のグローバル・イノベーション・ディレクターに就任。その後、全米有数の、幼児教育の公平性向上に取り組む慈善団体「The Pritzker Traubert Foundation」で最高技術責任者を務める。
2013年には、シード期スタートアップに投資するベンチャーキャピタル「Ringleader Ventures」を共同創業し、率いた。
その後、デロイトでチーフ・フューチャリストに就任し、世界の主要組織の取締役会に助言するグローバル調査チームを立ち上げ、率いた。現在はノートルダム大学の非常勤教授として企業イノベーションを教える一方、テクノロジー、ビジネス、そしてカリスマ性を併せ持つ稀有な講演者として引っ張りだこである。

さて、この物語の何が問題なのか。
“ハイライト映像”なんです。嘘ではない。でも、実際に生きてきた本人からすると、それが真実の全体ではまったくない。あれは、こういう反応を引き出すように設計された語り方なんです。
LinkedInみたいな、ああいう人たちが集まる場所では、それが適切なのもわかります。でももっと全体的に見ると、その語り方には大きなバイアスが2つも詰まっている。1つは生存者バイアスです。
つまり、ステージに立って、自分に都合のいいように点と点をつなぎ、過去を物語れる人の話しか、私たちは聞かない。そしてその過程で、確認バイアスも働く。ビング・クロスビーの歌のように、「良いところを強調し、悪いところは消し、あいだの微妙な部分には触れない」。それでは、学べる話にはならないんです。