【3行要約】
・技術は指数関数的に進化しますが、人間の脳(ハードウェア)は1万年前から変わっていません。この「進化の速度差」こそが、現代人を孤独と焦燥に追い込む真の原因です。
・未来学者のマイク・ベクテル氏は、アシモフのSF短編を引用し、情報過多の現代を「初めて暗闇を知った惑星」に例えます。SNSが生む比較の地獄と、格差が広がる「経済の赤方偏移」が、私たちの精神を摩耗させていると警告します。
・150人以上のつながりを処理できない野生の脳で、どうすれば「デジタルの夜」を生き抜けるのか。自分を「小さく、遅い」と感じさせる仕組みを理解し、人間本来のサイズを取り戻す視点を持ってみませんか。
アシモフの物語が映し出した「夜」と人間の脆さ
Mike Bechtel(マイク・ベクテル)氏(以下、ベクテル):いやあ、すごい。みなさま、こんにちは。「自分はまだ若いほうかな」と思う人はいますか? いいですね。すばらしい。
こうしてたくさんの方に来ていただけて、本当に感謝しています。今日はお話ししたいことが山ほどありますし、つなぎたい点もたくさんあります。ですから、さっそくその点と点をつないでいきましょう。

私が高校生だった頃、アイザック・アシモフの『
Nightfall(夜来たる)』という短編を読みました。
1941年に書かれた作品です。物語の舞台は、6つの太陽を持つ恒星系の惑星です。そこに住む人々は、一度も「闇」を知りませんでした。ところが、ついにその日がやってくる。2000年以上にわたる記録された歴史の中で初めて、自分たちの文明に日食が訪れようとしていたからです。
人々は不安と恐怖の中で、「夜」が来る準備をしていました。初めて味わう暗闇に備えていたわけです。でも、実際に起きた出来事に対して、彼らにはまったく心の準備がありませんでした。夜空に3万もの星が一斉に現れたのです。宇宙の広大さと、その中における自分たちの相対的な小ささを、一瞬で思い知らされたのです。

その圧倒的な広大さを前に、人々はたちまち正気を失い、やがて絶滅してしまいます。おしまい。ご清聴ありがとうございました。……でも、本当にこれで終わりなんです。この話はとんでもないですよ。ぜひ友だちに勧めてみてください。きっと最後まで夢中になってくれるはずです。
ガリレオの時代から情報とAIの時代へ読み替える
ベクテル:私がこの話を最初に読んだのは90年代初頭、1992年でした。その時は、これは宗教批判の物語なのだろうと思っていました。要するに、アシモフが間接的にガリレオをなぞっているのだと思っていたんです。
当時、私がガリレオを思い浮かべていたのには理由がありました。ちょうどその頃、インディゴ・ガールズがガリレオについての名曲を出したばかりだったんです。この会場でインディゴ・ガールズを知っている人はいますか? そうですよね。ガリレオは、まさに断頭台にかけられそうな立場にいました。彼の罪は何だったのか。真実を見上げたことです。
なぜそんな目に遭ったのか。それは、ガリレオがニコラウス・コペルニクスという先人の考えを押し進めたからです。つまり、地球は宇宙の中心ではない、という考えです。
コペルニクスは地動説を唱えました。実際には地球が太陽の周りを回っているのであって、その逆ではない、と。ところが教会はこれを受け入れなかった。その結果、ガリレオは生涯にわたって軟禁状態に置かれることになります。
そして、まったくの偶然ですが、1992年は、教皇ヨハネ・パウロ2世が、その400年前のいざこざについて、カトリック教会を代表して正式に謝罪した年でもありました。

でも今年、この作品を読み返してみて、アシモフが本当に書こうとしていたのは宗教のことではなかったのかもしれない。もしかすると彼が書いていたのは、ソーシャルメディアの情報時代、そしてこれからやってくるAIの知能時代の危うさや苦しさを、時代に先駆けて警告する物語だったのではないか、と思ったんです。
インターネットが「デジタル版ギリガン君SOS」だった頃
ベクテル:さて、いつものように未来の話へ飛ぶ前に、少し過去に戻りましょう。私は、未来学者というのは、実のところ“隠れた歴史家”でもあると思っています。というわけで、みなさんの中の1995年を呼び起こしてください。いいですか。
(会場でダイヤルアップ接続音が流れる)
これ、最後まで見てもらいますよ(笑)。この続き、覚えている人はいますか?
音声:「ユー・ガット・メール(You've Got Mail)」。
ベクテル:(スライドを示して)この若者を見てくださいよ。私も、オンラインにつないでいた頃を思い出します。もっとも、母が先に電話を取って、せっかくの接続を台無しにしないときだけでしたけどね。

母はよく言っていました。「上で何してるの? 何をやってるの? パソコン相手に笑ってるの?」と。私は「違うよ、お母さん。オンラインなんだよ」と答える。すると母は「それって何?」と聞くんです。
そこで私は、母にわかるような例えを探し始めるわけです。まさに今、みなさまに話したいことと同じです。「お母さん、『ギリガン君SOS(CBSネットワークが放映したアメリカのコメディドラマ)』って覚えてる?」すると母は「ええ」と言う。私は「インターネットってね、デジタル版の『ギリガン君SOS』みたいなものなんだ」と説明したんです。

母が「どういうこと?」と聞くので、こう続けました。「ほら、ギリガンと船長と、大富豪とその奥さんと、教授とメアリー・アン。あの人たちって、本来ならお互いの人生に首を突っ込むような関係じゃないでしょう?」
でも、あの3時間の遊覧旅行で船が難破したせいで、みんなお互いの生活に入り込むことになって、それがおもしろいわけです。「でね、お母さん、インターネットって“デジタル版ギリガン君SOS”なんだよ。本来なら交わるはずのない人たちが、今やうちの地下室に集まって、おしゃべりしている感じなんだ。僕なんてノルウェーのモデルにも会ったし。ナイジェリアの王子にも会ったし、もう本当にいろんな人がいるんだよ」。
正直に言うと、インターネットが広まり始めた初期の10年くらいは覚えている人も、昔話として聞いたことがある人もいるでしょうが、本当にすばらしかった。実によかった。際限なく、意外な人同士がぶつかり合う場所でした。