【3行要約】
・「失敗」から新たな可能性が開かれるケースは少なくありません。
・LoLLLコミュニティマネージャーの大西修平氏は大学院不合格という挫折を経て、立ち止まり自分を見つめ直す貴重な機会を得たと振り返りました。
・「なんとなく」ではなく自分で決めたキャリアを歩むために、挫折を恐れず「意外となんとかなる」という安心感を持つことが大切だと語りました。
今日のゴールと「意外となんとかなる」の効能
清野晋太郎氏(以下、清野):本日、司会進行を務めます、「LoLLL(ロール)」のキャリアアドバイザーを務めております清野晋太郎と申します。よろしくお願いいたします。
私は、今、茨城県の土浦市というところに住んでいます。写真の中にも大仏があるかなと思います。もともとは、隣の町である茨城県の牛久市というところに住んでいました。
いったん、東京に出たタイミングもあって、7年前か8年前ぐらいに茨城県に戻って、土浦に今住んでいるという状況です。
キャリアとしては、今のSchooの前に3社経験しているので、全部で4社経験しています。金融半分、人材半分みたいな感じの経歴です。ぜひ今後、もしお話をする機会がある方がいらっしゃいましたら、お金の話とキャリアの話も含めて、ざっくばらんにいろいろお話しできたらうれしいなと思っています。
本日は、こういった者が司会進行を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

本日のテーマは、「“意外となんとかなる”キャリアの話」です。本日の内容として、みなさんに持って帰っていただきたいものが全部で4つあります。このうちの1つでもみなさんに持って帰っていただけたら非常にうれしいなと思っています。
1つが、失敗しても意外となんとかなるという安心感です。やはり転職は、成功することばかりではないかなと(思います)。いわゆる失敗というか、ちょっとミスってしまったなと思う機会もあるかなと思いますが、そういった場合でも、「なんとかなるんだ」というところを本日のお話からつかんでいただけたらいいかなと思っています。
あとは、最近、「ウィルハラ」という言葉が少しはやっていると思います。
「やりたいことが何なのか持っていないと駄目なのかな」みたいなところも世の中の風潮的にあるかなと思いますが、そういったことがなくても大丈夫というところを、ぜひみなさんに感じていただければなと思っています。
あとは、本日の話を通じてキャリアを考える際の、ヒントも持ち帰っていただければと思っています。
LoLLLコミュニティマネージャー・大西氏の現在地
清野:それでは、本日メインでお話しいただく、キャリアの遍歴というところで、自己紹介を含めて簡単にお話しいただければなとに思っています。大西さん、お願いしてもよろしいでしょうか?
大西修平氏(以下、大西):はい。みなさま、本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。LoLLLのコミュニティに入っていただいている方はお会いした方もいらっしゃるかなと思いますが、私の話を少し恥ずかしながらさせていただくので(笑)、楽しんで聴いていただけたらなと思っています。コメントもお待ちしています。
簡単に、あらためて自己紹介だけさせていただきます。LoLLLのコミュニティマネージャーをしております大西と申します。社内でやっているコミュニティでは「にっしー」というあだ名で呼んでいただいているので、よければそんな感じで気軽に関わっていただきたいなと思っています。
出身は香川県丸亀市です。香川のうどんのところの出身で、今は大阪と香川とをけっこう行ったり来たりしています。実は昨日も和歌山に行っていたんですけど、そんな感じでいろいろなエリアを回ったりしています。
この後お話しさせていただきますが、もともと化粧品のメーカーからキャリアをスタートしています。そこからITの会社を何社か経由して、今はSchooで、LoLLLのコミュニティマネージャーをしています。今日はよろしくお願いいたします。
化粧品からIT、そしてコミュニティへと進んだキャリア
清野:ありがとうございます。じゃあ、ここから、具体的にどんなキャリアを描いてきたのか、概要から細かいところまでぜひお話しいただきたいと思います。
大西:せっかくなのでというところで、けっこうぶっちゃけたのを書かせていただいているんですけど、私は実は理系の大学出身で、いわゆる遺伝子工学とかそういうことをやっていました。大学院の試験に落ちるところから自分がキャリアのスタートしたので、ここを話したほうがいいなと思います。
大学院の試験に落ちるという失敗から自分の人生はスタートしています。1社目に比較的大手のメーカーに入ったものの、かなりのハードワークでした。当時はコロナ前だったので飲み会もけっこうあり、朝から晩まで働いて、土日も携帯鳴りっぱなしという状態を経て、その後転職しました。
ちょうどコロナの時期に転職をしたので、組織の状態があまり芳しくない状態で、けっこう休職者も出たりする中新たなチャレンジをしました。
チャレンジをして転職したものの、そこからすぐ1ヶ月半で残念ながら、レイオフという、いわゆるクビになり、1ヶ月半で無職になりました。
その後、Schooに縁があって入社させていただきました。もともと地域創生の事業をやっていたわけではないんですけど、そこからご縁もあり、今こういったかたちでLoLLLの運営に関わらせていただいています。
簡単かつけっこうざっくりお話ししたので、ぜひここからは詳しいお話をさせていただければと思っています。
番号がなかった掲示板 大学院不合格の挫折
清野:ありがとうございます。もう、ぱっと見ただけで、もう上がったり下がったりがすごく激しいですね。当事者にとっては特に下がった時なんかはすごく大変だったことも多々あるかなと思います。
上がった部分も下がった部分も含めて、みなさんのヒントになるようなところを深掘りしていただけたらなと思っています。まずはこの5つに分解して深掘りしていければなと思います。まずは大学時代のお話から触れていければなと思っています。
まずこの部分ですね。ちょっと上がって、大きく下がった部分ですね。書いていますが、「大学院の試験に落ちる」というところですね。ぜひここの部分、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか?
大西:冒頭にもお話ししたとおり、理系の大学にいました。そこからざっと言うと8割、9割ぐらいは、そのまま内部で大学院に進学するという学部にいたので、だいたい(学部生は)250人ぐらいいたんですが、そこから落ちるのが本当に1割いないぐらいの感じでした(笑)。
しかも、気づいたら周りの人ばかり落ちていて、それは良かったっちゃ良かったのかもしれないんですけど(笑)、そこで、当たり前に大学院に行くものだと思って大学にいたので、「あっ、落ちるんだ」みたいな。「あっ、これって落ちるもんなんだ」みたいな感覚を覚えたのをすごく覚えていますね。
清野:なるほど。大半の人が(大学院に)行く中で、受かるもんだと思っていたのに、実際には落ちてしまったところで、落ちたということがわかった時、心境的にはどんな状況だったんですか?
大西:本当に、目の前が真っ暗になるという感覚が、当時すごくありましたね。「誰が合格です」みたいなリストがあるんですけど、そこに番号がないわけで、「あっ、どうしよう」みたいな。「あっ、ない」……自分の頭の中にそれ(落ちる想定)がなかったので、本当に思考が止まった記憶がありますね。
清野:そうですよね。ちょっと想定外のこと過ぎて(笑)。
大西:想定外でしたね(笑)。