【3行要約】・キャリアに悩む多くの人が「意識的な振り返り」に苦しむ一方で、無意識の選択から自分を知る方法があります。
・三宅香帆氏と谷川嘉浩氏が、日記の再読や本の選択パターンなど、日常の何気ない行動に現れる「無意識の計算」の価値について語ります。
・より自分に合ったキャリア選択ができるようになる、表面的な欲求の奥にある本質的欲求の見極めとは。
前回の記事はこちら 自分のキャリアの振り返り方
三宅香帆氏(以下、三宅):もう1つおもしろいなと思ったご質問があって。「キャリアの振り返りってしたほうがいいと思いますか?」と。「私の場合、振り返ると『あの時、もっとこうできたな』と後悔ばかりが出てきてしまいます。そもそも振り返る必要ってあるんでしょうか? あるとしたら、どうやって振り返ればいいんでしょうか?」というものでした。
谷川嘉浩氏(以下、谷川):三宅さんは
このエッセイ集を書く中で、
結果的にキャリアの振り返りをされたわけですよね。
三宅:そうですね。
谷川:文章には表れないかもしれないけど、キャリアの転換とか、具体的な悩みのドロドロした部分も含めて振り返った。もちろん、文章としては読みやすいかたちに整えられてはいるけれど。
三宅:そう言われてみれば、そうですね。あと私は、日記を書いているんです。
谷川:読み返したりもしますか?
三宅:します、します。自分の日記って、意外とおもしろいんですよ。
谷川:へぇ。どんなタイミングで、どんな日記を読み返すんですか?
三宅:本当に目的なく読み返す(笑)。非公開のブログサービスを使っていて、誰にも見せていないんですけど、ブログって関連投稿とか過去記事を下にサジェストしてくれるじゃないですか。あれで「そういえば、こんなこともあったな」って普通に読んで、「同じことでまた悩んでるな」と気づいたり。結果的に振り返りになっている。
谷川:おもしろいなぁ。
意識せずとも“無意識が勝手に計算してくれる”という発想
三宅:谷川さんもキャリアの転機があるじゃないですか。そういう時に、振り返ってみたりすることはありますか?
谷川:いや、私は……ほとんど振り返らないですね。
三宅:今を生きている(笑)。衝動派ですね。
谷川:はい、今を生きてます(笑)。もちろん、人に話したり文章に書いたりするなかで、結果的に思い返すことはあるんですけど。だから、「意識して振り返る」っていうより、仕事の中で自然とそういうことをせざるを得ない立場にある、という感じですかね。そういう意味では、けっこう恵まれているのかもしれません。
それと、私はどこかで「無意識が勝手に計算してくれる」って思ってるところがあって。
三宅:谷川さんっぽい。
谷川:人間って、自分自身に一番興味を持つようにできていると思うんですよ。スペック上の話として。それが好きか嫌いか、自分を好意的に見ているかどうかは別として。だから、自分の過去も、きっと自分について考えるためのリソースとして使っているはずなんですよね。そういう意味でも、私は性格的に、あえて意識して内省しないようにしているところがあります。
内省的になりすぎることへの恐れ
谷川:もう1つ理由があって、内省が“内省っぽく”なってしまいそうなのが怖いというか、クリシェっぽくなってしまいそうで。
三宅:それはどういう意味ですか?
谷川:うまく言えないんですけど……例えば、太宰っぽいというか。
三宅:ああ、必要以上に暗くなっちゃったり……。
谷川:そうそう、悩みに酔ってしまうんじゃないかとか、あるいは必要以上に露悪的に悩んじゃうんじゃないかとか。
三宅:露悪的に悩む、ありますよね。
谷川:そういう“悩みモード”みたいな状態って、私にはあんまり向いていない気がしていて。だから、無意識に任せるとか、機会があれば悩むとか、人に適当なことを言ってもらうとか、そういうかたちがちょうどいいなと思っていて。
例えば、「谷川くんは、あんまりテレビに出ないほうがいいんじゃない?」って言われたことがあって。もちろん、依頼があれば出ることもあるんですけど、別ルートで何人かに似たようなことを言われて、「ああ、確かに自分はテレビにあんまり出ないほうがいいのかもな」と、ちょっと思ったりして。
三宅:キャリアで悩んだ時に、誰かに相談したりはするんですか?
谷川:「相談したいのでご飯行きましょう」みたいなことは、あんまりしないですね。雑談の中で、適当に何か言ってもらう感じです。「この仕事を受けるのってどう思います?」とか、「私が今の仕事を辞めるって言ったら、どんな印象ですか?」とか。
三宅:なるほど。そういう問いかけなんですね。
谷川:そこで、あまりにガチトーンで深刻に返されると、こっちも“悩みモード”に入ってしまう気がするので。
三宅:確かに、言う側も空気感をつくる役割がありますよね。
キャリアで悩んだ時の相談相手
谷川:だから、適当に言ってくれそうな人に、適当に言ってもらうのがちょうどいいんですよ(笑)。
三宅:しかも、そういう人が複数人いるのはいいですね。
谷川:そう思いますね。誰か一人に依存するんじゃなくて。例えば、名前を出せる人でいうと、嶋浩一郎さんがたまに適当なことを言ってくれて。「谷川さんは、テレビにはあんまり出ないほうがいいかもね」とか(笑)。
それはたぶん、私の性格とか、メディアのスピード感と自分の雰囲気や振る舞いの相性とか、そういうことを総合して感じて言ってくれてるんだと思うんですよね。
三宅:なるほど。おもしろいですね。
谷川:このあたりは、けっこう性格による部分が大きい気がしますね。適当なことを言われて、「私の何がわかんねん!」って思う人も、たぶんいますよね。
三宅:確かになぁ。私はアドバイスを言われた時どうしているんだろう……でも、あんまり人の話を聞いていない説があるな(笑)。
谷川:(笑)。本とか作家はちゃんと心にいるのに。
三宅:あんまり人の話は聞いていない気がします。だから何か言われても「はぁ、そうですか」みたいな感じになるし、あと、本当に悩んでいることって、あまり人に言えないですね。
谷川:それは、私もそうです。本気で悩んでいることほど、人には言わないですね。
三宅:会社を辞める時に誰かに「どう思いますか?」って相談した記憶はないですね。
本屋での行動に“無意識の悩み”が現れる仕組み
谷川:そこでちょっと聞いてみたいのが、「悩む」っていう行為そのものについてなんですけど、いかにも「悩むぞ」って構えて悩んだり、悩み相談の形式で悩んだり、そういうパターンもあると思うんですけど、そうじゃない悩み方もあるんじゃないかと。
もっと広く、決断の仕方が多様であるように、悩み方ももっと多様でいいんじゃないかと思っていて。私はそういう時に、『Landreaall』とか『違国日記』みたいな作品をインストールするんですよね。
三宅:ああ、『違国日記』。
谷川:はい。何か、そういう「ここに帰ってくる」みたいなものでもいいし、「悩んでいる時ほど、こういう遠回りをするな」みたいな、自分なりの回避ルートというか。そういうのってありますか? 「いかにも悩む」じゃない、「悩む」。
三宅:なんとなくぼんやりどうしようかなと常に考えていることはありますね。でもやっぱり、悩もうと意識するとけっこう疲れちゃうんですよね。だから自分は、本を選ぶ行動に、悩みが無意識に表れているのかなと思います。
谷川:ああ、「今、何を読みたいか」とか?
三宅:そうです。私は基本的にいつも何かしら本を読んでいるので、「次に何を読もうかな?」、書店に行って「この本、なんか気になるな」と思ったり。そういう本の選び方に現在の悩みが、たぶん無意識に出ている。
谷川:なるほど。
三宅:あとから「あ、今ちょっと疲れていたんだな」とか、「悩んでいたんだな」とか、自分のコンディションに気づくこともあります。
谷川:なるほど。それはめっちゃおもしろいですね。その感覚、私もすごく大事だと思っていて。つまり、選んだものの軌跡から自分が見えてくるというか。
すでに意識が向いていることについては、ぶっちゃけ時間が解決してくれると思うんです。でも、意識が向いていないけれど、どこかで引きずっているようなことって、可視化しないとわからない。その点、本屋で目にとまる本って、すごくいい取っ掛かりになる気がします。
三宅:そうですね。例えば外出先で何か読みたい時に「積ん読してた本がカバンにあるけど、なぜか前に読んだ小説を電子書籍でまた読んでしまう」みたいな時、自分の無意識が出ている気がしますね。
谷川:なるほど。内容をすでに知っているからこそ、そこに何かを求めているはず、ということですよね。
三宅:そうそう。でも「それを求めにいくぞ!」っていう気持ちではなく、なんとなく読んじゃってる、みたいな感じなんです。