【3行要約】・「謙虚に振る舞ううちに本当に自信がなくなる」という現象は、多くのビジネスパーソンが抱える共通の課題です。
・文芸評論家の三宅香帆氏は「エッセイを書いて過去を振り返ったことで、キャリア選択に納得感が生まれた」と自身の経験を語ります。
・谷川氏と三宅氏は、キャリア選択には「自分はうまくいく」という健全な自信と、本や物語から得た指針が重要だと提言しています。
前回の記事はこちら キャリアの納得感を生む「振り返り」の効果
谷川嘉浩氏(以下、谷川):今のキャリアに、納得感はありますか?
三宅香帆氏(以下、三宅):私はわりとあるかな。「もうそれ以外なかったよな」と思ってしまう。
どのルートをたどろうとしても、あのタイミングであれをするしかなかったというか。諦めに近い納得感。別の自分だったら違う道もあったかもしれないけど、自分の性格や能力、環境を考えると、これが一番よかったし、そうするしかなかったよなって思うんです。
谷川:なるほどなぁ。それって、個人の特性だけで決まるというより、時代とのマッチングも大きいと思っていて。今日、対談だから個人的な話も出るかなと思って、この本を持ってきたんですけど。三宅さんの、あまり知られていないエッセイ集を……。
三宅:私の本の中で、一番部数が少ないんですよ(笑)。
谷川:めちゃくちゃいい本なので、みなさん読んでくださいね。
三宅:わぁ、うれしい。
谷川:2022年でしたっけ? わりと最近の
『それを読むたび思い出す』っていう本で、青土社から出てますよね。
三宅:そうです。ちょうどキャリアで悩んでいた真っ最中に書いた本で、京都の思い出をけっこう綴っているんです。「京都には戻らないな」みたいなことを書いてるんですけど、その年のうちに戻った(笑)。
谷川:(笑)。
三宅:たしか2月の発刊で、12月くらいには作業が終わっていて、「はぁ、やれやれ」みたいな気分になって。その過程で、大学時代の思い出とかをたくさん書いていたら、自然と納得しちゃって。「会社辞めるか」って気持ちになったという(笑)。
谷川:気分を整えるのに、振り返りが意外と役に立っちゃったわけですね。
三宅:そうそうそう。12月くらいに書き終えて、次の年に入って、実際に辞めたのは7月くらい。だから2〜3月の間に気持ちが固まった感じですね。東京で原稿を書いていた頃で、「どうしようかな?」って、キャリアに悩んでいたというか、考えあぐねていた時期だったと思います。
谷川:だから、三宅香帆の前史を知るには、この本を読んだほうがいいですよね。
三宅:けっこう人生について書いてますよね。
自分の周りにいる人たちがキャリアに与える影響
谷川:この本の前半には、郊外文化論というか、ブックオフやイオンの話が出てきますよね。私もブックオフとイオンに囲まれて育ったので、すごく共感できました。あとルートも似ていて、そこから京大に進むという共通点もある。「京都とぬるい肯定感」っていう名エッセイも入っていて……。
三宅:ありがとうございます。
谷川:「95パーセントの凡人と5パーセントの天才が云々……」という話が出てきますよね。「俺は5パーセントだけどな」って言う、あれは先輩でしたっけ?
三宅:同級生です。京大って自由の学風で知られていて。でもなぜ自由かというと、「5パーセントの天才を育てればいいから。95パーセントはどうでもいい」から。でも「俺はその5パーセントだけどな」と、みんなが思っている(笑)。
谷川:そうそう、それ(笑)。
三宅:そういう大学なんですよね。
谷川:本当にそう。
三宅:私は地元にいた頃、「人は自信なさげにしているほうがいい」「謙虚であるべき」みたいな価値観が強かったんです。
「謙虚でいるのがいい人間だ」と思い込んでいたから、「自分は天才の5パーセントだけどな」みたいな空気に触れた時、「あっ、それ言っちゃっていいんだ」と驚いたんです。すごく刺激になった。大学で友人と出会ったことは、自分の性格が少し変わったきっかけでもある。そのことをエッセイには書いています。
谷川:1990年代に生まれて、郊外で文化に触れながら育って、そこから京都に行って、自分のことを「変だ」と思っている変なやつらに囲まれることで、自分の性格や振る舞いがちょっと変わる。それって、キャリアにもすごく影響している気がするんですよね。
不良とも仲良くできるポジション確保…“田舎の優等生あるある”
谷川:私も、「ぬるい肯定感」っていう感覚、すごくよくわかるんです。私はヤンキーに囲まれて育ったので。
三宅:あれですよね、谷川さんは兵庫の「ヤンキーの町」って、よくおっしゃってますよね。
谷川:そう、工場地帯で、本当に周りはヤンキーばかり。親世代もヤンキー気質が残っている人たちで。だから、下手に目立たないように、おとなしくしておくのが無難という空気があって。
三宅:わかります。不良に絡まれないためにはね。
谷川:そうそう。本を読んでいてもいいんだけど、休み時間に読んでいると、それだけで変なメッセージを出してしまう気がして。だから気をつけないとっていう。
三宅:本は隠れて読むもの、みたいな雰囲気、ありますよね。
谷川:そう。図書館に行く人もいたけど、私はそこまで本にのめり込んでいたわけでもなかったし、「バスケ行こうぜ」みたいなのに普通に乗ってました。
三宅:不良と仲良くできる優等生、みたいなポジションを確保しておく。田舎の優等生あるあるですね。
谷川:そうそう。そうやって周囲に合わせて振る舞っていたのが、京大に行ったら、そんなの気にしてる人いなくて。みんな、自分が一番賢いとか、一番変だと思ってるような世界です。だから自分の振る舞いも変わっていった感じがします。
あんまりこういうことを表立って言うのもどうかと思うんですけど、「自分は特別だ」って思う気持ちに対して、日本ではどこか抑圧があるじゃないですか。
三宅:めっちゃわかります。
谷川:でも一方で、SNSでそれを前面に出しすぎると、それはそれでナルシスティックに見えてしまう。でも、「自分は特別かもしれない」っていう健全な感覚って、やっぱりあるべきだと思うんです。私がそれを自然に持てるようになったのが、京都とか京大っていう場所の力だったのかもしれません。振る舞いを変えてくれた場所というか、助けられた感覚がありますね。
“謙虚モード”が自信を削るというあるある
三宅:話を聞いていて思ったんですけど、「自分はうまくいく」とどこかで思わないと、選べない道がありますね。
私もよく「会社を辞めるのって、勇気がいりませんでしたか?」と聞かれることがあるんです。でも私の率直な感覚としては、そもそも勇気が必要な状態だったら、たぶん辞めていなかった。
谷川:なるほど。
三宅:勇気をふりしぼらないとできないようなことは、私はやるべきじゃないと思っていて。だから辞めた時も、もう「そうするしかない」と感じていた。ただそれを言葉にすると、「自信がある人ですね」と思われることも多くて。
実際に自信がある面もあるんですけど、それをそのまま伝えるのも、けっこう難しい。というのも、「自信がないのが普通」という前提がやはり社会にあるから。そこにズレがあると、本当のことを伝えるのが難しくなる。
そういう意味でも、「自分の選択はある程度うまくいくだろう」と思えることは、決断において大事なのかもしれないですね。
谷川:三宅さんって、けっこう慎重なところもあるんですね。
決断するには時間がかかるっていう見通しを持っていたり、うまくいくとどこかで思えているからこそ、踏み出せるというか。
でも、話を聞いていて思ったのは、「自信のなさ」と「謙虚さ」って、本来は別のものなのに、それをあまり区別せずにいることが多いのかもしれない、ということなんですよね。
三宅:確かに。謙虚に振る舞っているうちに、本当に自信がなくなっていく、みたいなことはよくありますよね。あくまで社会的な振る舞いとしてやっているつもりだったのに、それがどんどん内面化されてしまって。
謙虚に振る舞っているうちに、本当に自信が持てなくなっていく感覚は、男女問わず、今の時代わりと“あるある”なんじゃないかと思います。
谷川:でも、やっぱり女性のほうがそういう社会的な規範にさらされやすいから、より強く出る傾向があるかもしれないですね。
意思決定を支える「指針」の見つけ方
三宅:そうした枠を超えるために、哲学とか物語は、役に立つのかもしれないですね。
谷川:というと?
三宅:つまり、自分が読んできた作家や物語は、「自信のなさが美徳」みたいなことを言っていなかったな、と思うんです。
谷川:あぁ、なるほど。
三宅:私は好きな作品を読んできた経験が、自分の判断の指針になっているんですよ。
谷川:つまり、「恩田陸や村上春樹はそんなふうに言ってなかったぞ」って思って、自分の中の違和感に気づくというか、やめようと思える、みたいなことですか?
三宅:そうです。心のメンターが作家にいる、みたいな。
谷川:なるほど、なるほど。
三宅:私は身近な人から直接アドバイスを受けて決断する、ということはあまりないんですけど、決断する時に「本に書いてあったことが自分の指針になっている」という感覚は、すごくある。
谷川:それはわかるかも。私の場合は、作家そのものというより、作品単位とかキャラクター単位で指針になることが多いかもしれないですけど。でも、そういう存在って確かにありますね。
三宅:例えばどんな?
谷川:実在の人物もいるんですけど……例えば、たぶんあんまり知られていない漫画でいうと(笑)、なんで知らない例を挙げるのかって感じですが、ゼロサムコミックス(『月刊コミックZERO-SUM』)というところで連載されている作品なんですけど。『Landreaall』っていう、おがきちかさんという方の作品で。
三宅:おもしろいですよね。
谷川:おぉ、さすが(笑)。43巻まで出ている、けっこう長編のファンタジー漫画なんですけど、余裕がある時に定期的に読み返して、キャラクターを脳内に再インストールする、みたいなことをよくやるんですよね。完全に架空のメンターとして使っている感覚です。
三宅:好きなキャラがいるんですか?
谷川:いっぱいいますね。それぞれのキャラに、それぞれの立派さとか、正直さがあるんですよ。あの作品って身分制度のある世界なんですけど、身分制って聞くとちょっと遠い世界の話のように感じるけど、実は現代社会とそれほど違わなくて。
現実でも、「この場面では言えないこと」ってあるじゃないですか。例えば私の場合、教員という立場上、授業中には学生にストレートに言えないけれど、授業が終わった後なら伝えられる、みたいな。そういう“立場があることで発言が制限される”感覚が作品の中にもあるんですよね。
だから『Landreaall』を読む時は、そういう読み方をしていて。定期的に、儀式のように、そのキャラクターたちの存在を思い出して、自分の中の“脳内メンター”として再起動させる時間をつくっている感じですね。
三宅:なるほどな、おもしろい。