「真実はいつも1つ」じゃなくてもいい
工藤:この本にはいろいろな物差しの話が出てきていて、それこそ引用されるジャンルも多岐にわたっていると思うので、その1個1個をリスナーの方もぜひご覧いただいてという感じなんですけど、今の話でいうと、「本当の原因はこれ」みたいな、「強力な因果関係があって、それさえつかめばどうにかなるって考えがちだけど、そんなこっちゃないよね」という話も、この本の中に出てくるじゃないですか?
井上:はい。
工藤:僕には、今6歳の娘がいて、1年前から娘に付き合ってずっと『(名探偵)コナン』を1話から全部見ているんですよ。
井上:20年ぐらいかかるじゃないですか。
工藤:もう20年かかるんですよ。延々と見ていて、毛利(小五郎)の声も変わっちゃったところまでたどり着いたんですけど、コナンって「真実はいつも1つ!」って言うんです。そこだけ切り取ると本当に因果関係のるつぼというか、「それよ、そういうことを言うのが良くないのよ」って思います。
だけどやはり物語が豊かだなと思うのは、コナンって話(「わ」と発音)によって犯人の扱いがめちゃくちゃドライなこともあれば、めちゃくちゃウェットなこともあるんですよ。
量刑で言ったらとてもエグいことをしている人に対して、もう同情せざるを得ないアングルばかりで描く話(「わ」と発音)もあるんですよね。明らかに猟奇的な殺人をしているんだけど、その人はそういうことをせざるを得ない環境だったと、美化して。
そうすると、「ルルルー……」っていう、お決まりの悲しげなBGMが流れてくるんですけど。
だから、やはり「物事って見方でぜんぜん違うし」という、とても当たり前のことが、ビジネス戦士になってくると、「そうじゃなくてさ」と(なる)。
「原因と結果をきちんと分析して、これに相関があるかどうか見ようよ」みたいなグラフだけになって、「こっちだと売れるね。こっちだと売れないね。ということはこれでいいんだよね」みたいな話になる。そういうもの(物事は見方でぜんぜん違うこと)がぜんぜん差し込まれなくなっちゃうというか。
さっきのAIの話もそうなのかもしれないんですけど、1個の事件とか1個の物事の見方も本当は多様なのに、そういうのを追いやってナンボみたいな圧は強まっている気はしています。
あえてそっちに行くならいいんだけど。たぶん人はあえて最初、そっちに行っていると思うんですけど。
井上:最初はね。
工藤:そう、最初は。けど気づいたらそれだけになっちゃっていてもう戻れない感じとか、この本を読んでいて、「あぁ、そうだよな」と(思いました)。いろんな学者さんの引用をしているんだけど、「それはそうでしょう」みたいな話がけっこう書かれている。
その見方を変えるというプロセスが大事なのかもしれないと思って。
井上:うん、そうですね。「普通のことを言う」にとどめるのもそれなりに大事だなと思って。僕が本気を出して書いたのが、そんなに突き抜けたものではなかったというのはあるんですけど、それとは別にして、すごく革新的な答えがどっかにあるんじゃないかと考えている限りは、ずっとしんどさが増していくというか、現在において、目標に対する不足という差分しか見えなくなると思うんですよね。
結局言っていること自体はすごく穏当。それはやはりさっきも言った、「世界はそんなにめちゃくちゃ良くできるもんじゃないぞ。自分に関しても」(ということですね)。もちろん良くできるし、少しずつ良くしていく努力は僕もしたいと思っているんだけど、そもそもワンチャン思想というか、「何か革新的な答えがあればこの状況が良くなるんだ」という勘違いをみんなが持っているがゆえに起きている悲劇はすごくたくさんあるなという気はしますね。
工藤:(『弱さ考』は)回り回ってというところで、本当にいろいろなヒントをたくさんもらえる本で、「現在の手段化しているんじゃないか?」みたいな話も、僕は今「確かに」と、手元(のメモ)に書いているんですけど。
井上:うん(笑)。
工藤:「未来のために今を使ってしまうっていうことを僕らはやっていませんか?」みたいなこととか、「確かにな」と思いつつ、「あぁ……」って言いながら次のミーティングの予約を入れたりするわけですよね。「Zoomの時間です」ってなったら、「はい」と言って、ポチッてつけてZoomするわけですよね。
そのリズムというか、実際に目の前で起こっている現実にきちんと沿わせて読んでいくと、簡単な本じゃないなという思いもあって。
井上:でも、そうですよね。それこそ未来のために今を使うなと言いながら、今もZoomをぜんぜん使っているし。今日、この時間だけじゃなくてもね。
でも、そんなもんだよなという。何て言ったらいいんでしょうね。「それじゃいけない」と思わなくなりましたね。
工藤:あぁ、なるほど。
井上:そういうもんじゃないですか? 僕、シンプルな理由から経済が発達したのは本当にすばらしいよねと何回も言っていて、本にはなかなか書かないけど、こういう場だったらストレートに言いますね。経済の力が強くなり過ぎたせいで、世の中はクソみたいになったところもいっぱいあって。
どんどん仕事の密度が上がっていったり、お金のことを考えないと不安で不安で夜も眠れなかったりみたいなことに対して、「でも、そういうもんだからな」という、さっきの言葉に戻れる。きちんと戻れるぐらいには考えたという感じですかね。
だから、あれなんですよね。「一発この思想を社会に実装すれば、世の中がめっちゃガチッと良くなる」みたいなことを言うと、もうその時点で違うなと思うというか、どこまで行ってもクソだよという。
工藤:(笑)。
井上:ごめんなさい、ちょっと本音を言い過ぎましたね。
工藤:いやいや(笑)。きっと、あらゆることに対して距離を置けているということですよね。
井上:距離を置きつつ、しらけつつ、楽しむところは楽しむという感じ。適度にしらけるのはすごく大事だと思うんです。
工藤:はいはい、「適度にしらける」ね。確かにつかず離れずみたいな話というか、どちらかのサイドに立って「俺はこうだ」「えっへん」とやったほうが強さは出るけど、そのままで立ち続けるって疲れるし。
井上:そうですね。どちらかの極に立って、「こっちだ」「いや、逆張りでこっちだ」といって、ラディカルなことを言うと、やはり聞いている時にはすっきりする。でもそれって実在しないフィクションで、すごく粗い論理だけで成り立っているから成立するオピニオンじゃないですか。
だからそこに対してしらけつつ、そういうことも言うよねと思えていたならいいんですけど、それこそ20代の時だったら、わりとそれに乗っかっちゃって、「あっ、そういう革新的な答えが世の中にはあるし、まだ提示されていないのかもしれない」みたいな。
工藤:はいはい。
井上:「だから俺が全部変えてやるんだ」みたいなテンションになっちゃうと、鬱になってしまう。「鬱になる」はちょっと言い過ぎですか。
工藤:強くなるためには、やはり何が来ても打ち砕かれない硬いものを、ギュッて握り締めてやらなきゃいけないかもしれないけど、そうじゃない立ち方というか、物のつかみ方みたいなものがある感じなんですかね。
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