【3行要約】 ・大企業からスタートアップへの転身は困難も多いけれど、「0→1」の創造に喜びを見出せる人には大きな可能性があります。
・「価値の出し方が真逆」という壁に直面しながらも、自分が心からワクワクする環境に身を置くことで高いパフォーマンスを発揮してきたと振り返ります。
・転職を考える30代後半の方へ「直感で選んだ方が結果的にいいキャリアが開ける」というメッセージを送ります。
※このログは
Startup Magazineのインタビュー記事を転載したものに、ログミー編集部でタイトルなどを追加して作成しています。
これまでとはまったく違う領域に30代後半で飛び込む
スタクラ:まずはじめに、生い立ちから現在のキャリアについて教えていただけますか?
杉山琢哉氏(以下、杉山):私は愛媛県の今治市出身で、実家は縫製工場を経営していました。祖父の代からやっていて父の代で閉じたのですが、中小の工場ってすごく大変だなということを子どもながら感じていましたね。
東京の大学に進み、新卒でアクセンチュアに入社、製造業向けの戦略コンサルタントを13年ほど経験しました。30代後半になって、「新しい領域にチャレンジするんだったら、そろそろ最後のタイミングだろうな」と思い、一番違う領域に飛び込む決意をしました。
そして、36歳になる2018年に、環境系のものづくりスタートアップに転職して、そこで5年間ほど新規事業の立ち上げや、新しい工場の立ち上げを経験しました。その後、再度転職して、2023年から現在勤めているフツパーに入社して今に至ります。
スタクラ:どのような軸で転職活動をしましたか?
杉山:30代後半に差し掛かり、このまま一生コンサルをやり続けるかどうかという、キャリアの分岐点の時期でした。転職を考えたときに、どうせ新しいことをやるなら、もう極端に違うことをやってみようと思い、大企業の経営企画やもう少し近いところのピボットではなく、まったく違うスタートアップにいこうと考えました。
ただ、軸として、ものづくり系にいきたいという思いがあったので、2社目はものづくりのスタートアップで、かつ環境系素材という、経験したことのない分野にチャレンジしようという思いで決めました。
価値の出し方の違いに苦労した
スタクラ:2社目のものづくりスタートアップに入社していかがでしたか?
杉山:入社してからの半年間は本当に大変な思いをしました。それこそ新しい景色が見えてよかったなと思っていますが、戦略コンサルタントとして出す価値と、スタートアップで出す価値は、価値の出し方が真逆でぜんぜん違いました。その価値の出し方の違いを自分でアジャストすることには、だいぶ苦労しましたね。
スタクラ:その苦労をどうやって乗り越えたのですか?
杉山:何か成果をひとつ出すことですね。戦略コンサルタントの時は、大企業にいろいろな利害関係や立場が違うステークホルダーがたくさんいるので、誰もがそれがいいと思うロジックとエビデンスが必要で、しっかりとアウトプットを緻密に作り上げることが求められます。
でもスタートアップって、そんなことが一切必要なくて、創業者がオッケーと言ったらすぐ進むわけです。だからその合意形成のためのアウトプットを詰めることは求められてないし、必要ありませんでした。「そんなことを机でやってるぐらいだったら、現場走り回って1件でも営業取ってこい」っていう話だったんですよね。
その中で、新しい開発の案件があり、開発のプロジェクトマネージャーに加え、自分で営業もしていました。周りからはどんなもんや的な目でしばらく見られてましたが、半年後ぐらいに初の大型受注を自分で取ってきて、自分で納品したのです。
それで少し認められた気もしていて。そこから積極的にいろいろな案件の相談が来るようになったり、いろいろなことを任せてもらえるようになったと感じています。
0→1に楽しみを見出せるようになった原体験
スタクラ:ご活躍していた中、なぜ転職をしようと思ったのでしょうか? まずきっかけからおうかがいできますか?
杉山:5年間、本当に脇目も振らずやってきました。最後の3年間ぐらいに新規事業として新しいリサイクルプラントをゼロから作ることをやったことが、一番長く大きな仕事です。最初はリサイクルも工場を作るのも素人の僕が、試行錯誤しながら、なんとか合意を得ながら進めていきました。
工場や企画設計メンバーも50人ぐらい採用して、工場竣工して本格稼働させるまで、新しい挑戦の連続でした。ただその後、自分がいないと回らない状態はフェーズとしては終わり、やりきったと感じています。
新しいことに挑戦している時が一番ワクワクするので、もっとワクワクするところがあったら転職を考えたいなと、少しだけアンテナを張り始めたぐらいの感じでした。やはり0→1をやりたいっていうのが一番にあるのかもしれません。そういうところに心躍る性分なんです。
スタクラ:0→1をつくることに楽しみを見出せるようになった原体験はありますか?
杉山:新しいものが好きなのでしょうけど、子どもの頃から飽きっぽいところはありました。過去を振り返ると、新しいことに挑戦していて、気持ちが乗ってきた時の方が、確かに特に成果を出せていたなと思います。
アクセンチュアの時も、次のものづくりスタートアップでも、今振り返ってみて自分が成果を出したなと思えた時は、やはり心からワクワクしてやってる時だったと思います。パフォーマンスって気持ちによって左右されると思うんですよ。僕自身がたぶんその影響を受けやすいタイプだと自認しています。
自分が成果を上げて周りに貢献する意味でも、自分自身が一番ワクワクする環境に積極的に身を置くことが、結果的にみんなにとっていいことであり、自分にとってもいいことだという思いはありますね。それをベースにいろいろ働く場所や内容を選んだりしています。
打算ではなく直感で決めたから踏ん張れた
スタクラ:1社目のアクセンチュアには13年、2社目のものづくりスタートアップには5年いましたが、振り返ってみていかがですか?
杉山:コンサルタント業界はちょっと特殊だったかもしれません。長く同じプロジェクトをやるようなこともありますが、僕の場合は半年から1年ぐらいで別のプロジェクトに手を挙げて、新しいプロジェクトを担当するということをずっとやってました。ある意味、転職を繰り返してるようなものでした。13年やり切れたのは、どんどん新しいことをやり続けてたということがあります。
ものづくりスタートアップは、ぜんぜん違う業界に飛び込みましたが、5年間勤めることができました。打算じゃなくて、直感で決めたから踏ん張れたっていうのがありますね。ステータスとか報酬とか、立場とか打算で決めると、思ってたことと違うことが出てきたときに、他にすぐ移りたくなるじゃないですか。それとは違い、直感で決めると、その後すごくしんどいことがあっても、なんとか踏ん張って乗り越えていこうという馬力が生まれると思っています。
転職活動の軸とエピソード
スタクラ:転職活動について、最初は積極的に動いてなかったとのことですが、仕事を決めるうえで軸はありましたか?
杉山:製造現場に貢献したいなっていうのと、スタートアップでやりたいなっていうことぐらいでした。そこに自分がワクワクする世界があるんだったら考えてもいいなぐらいの感じでしたね。そのくらいふわっとしてました。
転職活動をはじめてみたら、アマテラスさんがフェイスブックの広告に出てきて、「スタートアップ専門」とあったのでクリックしました。「AIアマテラス」をやってみて、候補企業に「フツパー」って企業が出てきたんです。せっかく候補企業で出たので「気になる」を押してそのままにしてました。そこからすぐフツパーから連絡いただいて、もうそこで転職活動が終わったという感じです。
スタクラ:選考過程での思い出やエピソード、不安に感じたことなどがありましたら教えてください。
杉山:フツパーにお声がけいただいた後、出張ついでに関西のオフィスを初訪問しました。そこで2時間ぐらいメンバーと雑談して、そのまま飲みに行きました。選考というよりはみんなで話して飲んで、普通に楽しく話している中で、一緒に働くことにさせてもらったという感じです。
その時に、「僕はこの会社以外考えられないな」とビビッときました。これは建前じゃなくて、もう全部良かったんですよ。初めてオフィスに行った時に、無駄のないお金の使い方をしているというのが一目でわかるようなオフィスでした。備品も貰い物だったり、壁に吸音シートを自分たちで貼ったり、そういうのっていいなと思ったんです。
スタートアップはキラキラさせたいから、本丸の事業以外のところにお金を使ってしまうこともあるかと思いますが、この会社はそれがなく、すごく好印象でした。
ものづくりの現場主義だということを主張しているし、自分たちも徹底して、事業としてやろうとしている。ものづくりの現場に対して、現場主義で先進テクノロジーを送り届け、自称で終わらせず、粘り強くやりきるんだと。それに伴うプロダクトに対する活動や思想が一貫していて、建前で上っ面のことを言ってる会社では決してないと感じました。
あと初訪問の時も、主要メンバーとエースのデータサイエンティストが横で寝転がりながら打ち合わせをしていて、それもいいなと思いました。経営陣も尊敬はされているけど、一切気は使われてないんです。本当にコミュニケーションがフラットで、もう全部オープンで。
もともとプロダクトの魅力もあり、新しい領域の挑戦としてもおもしろいだろうなとは思っていました。そこに組織カルチャーだったり、メンバーの良さだったり、実際に見てすべてが良かったという印象です。
ビビッとくるところがあって、そこにジョインできるんだったら、絶対に成果を出せるという思いがありました。不安はまったくなかったです。