本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。
今回は、『人生から逃げない戦い方 メンタルダウンから生き延びた元幹部自衛官が語るユル賢い生存戦略』著者のわび氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、キャリアチェンジで失敗しないための教訓について語ります。
自衛隊でのメンタルダウン、36歳で市役所に転職したわけ
——前回、自衛隊でのメンタルダウンの経験や転職を決意されたきっかけについておうかがいしました。この後、36歳の時に市役所に転職されますが、どういう条件や環境を重視されたのでしょうか?
わび氏(以下、わび):市役所の方には申し訳ないんですけれども、これはちょっと失敗だったなと思っています。仕事選びの時は、私が今までやってきたインテリジェンス、情報の分野を専門にする仕事はなかなかなかったんですね。そこで次に何ができるかというと、防災や危機管理の分野だったらできるかなと思いました。
というのも、東日本大震災や熊本地震、宮崎県の口蹄疫(こうていえき:家畜のウイルス感染で起こる病気)といった災害派遣を経験していまして、自治体がどういう動きをするかも把握していたので。
そういった自分の武器というか軸は変えずに仕事を変えようと考えた時に、当時はちょっとしんどかったので、若干楽できるところと考えて、市役所を選びました。
メンタルは回復するも「人生に虚無感を覚えていた」
——書籍の中では、市役所では無理なく働いていたけれども「人生に虚無感を覚えていた」と書かれています。実際に入所して1年後に転職されますが、当時はどんなところで虚無感を感じられていましたか?
わび:仕事自体は、軸を変えていなかったので非常にやりやすかったのですが、市役所が目指すべき方向と私のやりたいことの温度感がぜんぜん違ったんです。当時の市役所の仕事って、ちょっと語弊があるかもしれませんが、決められたことを決められた範囲内で、規則とかに基づいて淡々とやっていく。
私のいたところだけかもしれませんが、新しいものを考えて作り出していくことがあんまりできなかったので。日々ルーティーンを回すだけで、虚無感を覚えていました。
もともと、「もう無理して働きたくない」と思って市役所に転職したので、その面では合ってはいたんですね。でも、転職して自分のことを誰も知らない環境でまたやり直して、どんどんメンタルも体力も回復していく中で、「もっと働ける」となってきたのが誤算だったところです。
キャリアチェンジを失敗させないための教訓
——働いていく中で、当初の転職の目的とのズレが出てきたということですね。この経験から、キャリアチェンジを失敗させないための教訓はありますか?
わび:そうですね。私の場合は、市役所に転職した大きな目的が「楽できるかな?」という思考だったので、どちらかというとネガティブな転職になってしまったなと思っています。
でも、転職はあんまりネガティブな動機でやらないほうがいいかなと思います。もちろんすごいブラック企業とかにおられて、「ここから抜け出したい」という場合は別ですが、できる限りポジティブな理由で転職するのが、キャリアチェンジがうまくいくコツかなと思います。
——なるほど。ポジティブな転職というと、自分のやりたいこと起点で考えるイメージでしょうか。
わび:そうですね。例えば市役所の次の転職先は、具体的にはなかなか言えないんですけど、日本のほとんどの人が知っているような課題を解決するということで、非常にやりがいがありました。なので、自分がやってきたことの「軸を変えない」というのは鉄則ですけど、プラス、チャレンジングな転職のほうが、わりとうまくいくのかなと思います。
——37歳の時に、市役所から今お話に上がった航空業界の外資系企業へ転職されて、一気にモチベーションも回復されていますね。
わび:そうですね。やはり市役所にいた時は、決められた範囲の中で仕事をすることに、けっこうしんどさを感じていたので。
転職先では、どんどん自分の意見を言って、採用されれば仕事の枠も広げられて、課題の解決につながって会社だけでなく、社会全体が良くなるというので、非常にモチベーションが上がっていきましたね。
#市役所から外資系企業への転職、年収も2倍に
——市役所から外資系企業への転職で、年収も2倍になったと拝見しましたが、そうした異業種の転職に成功された秘訣はありますか?
わび:先ほどお話ししたように、航空業界の大きな課題を抱えていた企業だったので、採用する側も、「今までの航空業界の人材だったら、おそらく業界の課題をクリアできないだろう」と思っていたのだと思います。そこに、私の自衛隊時代の災害派遣をはじめとする、いろいろな経験がマッチしたのかなと。
面接では、「こういう課題を持っているんですが、あなたならどうアプローチしていきますか?」とズバッと言われて、「私だったらこういうふうに進めて解決していきます」と、その場でざっくりとお話ししました。その答えが、採用する側としてはしっくり来たのかなと思います。
畑違いの部署へ異動、ぶつかった壁
——この後、41歳の時に畑違いの部署へ異動されたとのことで、どんな壁がありましたか?
わび:危機管理とか防災の面で、まだまだやりたいことがあったんですけど、自衛隊の時にインテリジェンスとかもやっていたので、組織の要求があってIT関係に異動になったんですね。
でも、インテリジェンスをすごく活用できるかというとぜんぜんそうではなくて。細かい作業的な仕事が多く、「自分よりも若手に任せたほうがいいんじゃないか」という仕事をすることになって、ちょっとモチベーションが下がっていきました。
——なるほど。その部署で働き続けるか転職するか、どんなふうに考えられましたか?
わび:私が一番嫌いなのは、やってもいないのに「嫌だ」とか「向いていない」とか言うことなので、とりあえず1年はやってみて、やはり違うと思ったら転職しようと、異動になった時から決めていました。それで1年やって、やはり違うなと思ったので転職しました。
——この後にエンタメ業界に転職されます。すごく意外な選択だと感じましたが、どうして外資系の航空業界からエンタメ業界という道を選ばれたのでしょうか?
わび:別に私はエンタメが好きなわけでもなく、どちらかというとあんまり明るい性格でもないので、あんまり向いていない業界かなとは思っています。
ただ、いろんな企業を受けていく中で、最後の役員の方々の面接の時に、やはりITの部署に異動した時と同じで、「これは別に私じゃなくてもいいかな」という感覚があったんです。しかし、そのエンタメ業界の企業だけ、「これはちょっとチャレンジングだな」と思ったんですね。
航空業界の2回目の転職は個人的には成功だったし、すごくおもしろかったので、それとまったく同じ感じで、「軸はずらさずに、チャレンジングかどうか」が決め手になりました。