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わび氏インタビュー(全3記事)

常に誰かを標的にして攻撃するパワハラ上司を「ちょっと厳しい方」と認識… 気づきにくいメンタルダウンの「予兆」

本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。

今回は、『人生から逃げない戦い方 メンタルダウンから生き延びた元幹部自衛官が語るユル賢い生存戦略』著者のわび氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、元エリート幹部自衛官だった同氏が、36歳で転職を決意したきっかけについて語ります。

元陸上自衛隊でうつサバイバーのわび氏

——まず、20代の頃に自衛隊の高射特科小隊長をされていたとのことで、どんなことをされていたのでしょうか?

わび氏(以下、わび):自衛隊って階級がけっこう分かれていまして、陸上自衛隊だったら、幹部、陸曹、陸士と、大きくざっくり3つに分けられます。

幹部で入ったら、まずほとんどの人がやるのがこの小隊長です。小隊長というのは、本当にその名のとおり小さい部隊の指揮官をします。私の場合は高射特科だったのですが、航空機を撃ち落とす部隊の小隊長をしておりました。部下が十数人いて、その人たちの指揮をするポジションになります。

エリート幹部自衛官として期待されていた

——初めての配属で、部下が十数人もいるようなマネージャーの仕事を任されていたということでしょうか?

わび:たぶん普通の会社だとなかなかイメージできないとは思うんですが、配属の前に1年ほど幹部候補生学校というところで学ぶんです。そこで戦術の基本や戦闘訓練など初級幹部として必要なことを、ほぼ1年みっちり教えていただいて、そこから配属というかたちですね。

でも、普通の会社員の方がイメージされるマネージャーとは若干違うんです。例えば、初級幹部は部下の人事にあまり口出しできませんし、予算などもそんなに扱うことはありません。本当に運用面でのマネジメントだけですね。

——チームのリーダーみたいなイメージでしょうか。当時はどんなキャリアを想定されていましたか?

わび:そうですね。自衛隊は自分にけっこう合っているなと思っていましたし、自分で言うのもなんですけど、部下からも上司からもけっこう信頼を置かれていたと思います。

定期的に自衛隊の学校に入るんですけど、その学校でも良い成績だったので。順調にいったらけっこう上までいくのかなとは思っていましたね。

朝5時から25時まで残業、上司のパワハラも

——この後、31歳の時に方面総監部へ異動され、残業やパワハラがあったとグラフにあります。当時の働き方や、上司との関係性についてうかがえますか?

わび:はい。まず私は情報科に職種変更したので、その前にいた部署の師団司令部だったら師団長、異動後の方面総監部だったら方面総監という、それぞれすごく偉いトップの人が状況判断をするために必要な情報を集めて分析して提供する。ざっくり言うとそんな仕事をしていました。

指揮官の方が状況判断する前から活動しないといけないので、朝も早くから来ていろいろと情報を集めて分析して提供する必要があるんですね。情報は絶え間なく入ってくるので、どんどんそれを集めて分析して、ということを繰り返していたら、夜も必然的に遅くなってしまって、だいたい朝5時から25時まで働いていました。

——帰って寝る時間もほとんどないような働き方をされていたんですね。

わび:そうですね。まぁ自衛隊って、家は駐屯地の近くなのですぐ帰れるんです。でもそれが良くなかったかもしれないですね。

——上司や同僚との人間関係はどうでしたか?

わび:同僚の方はすごく良かったですね。上司の方は、今思うと常に誰かを標的にして攻撃することによって、自分を高めるような性格の方だったんじゃないかなと思います。私の前にずっと標的になっていた方がいましたし……。

その方は私の先輩で、私も当初は「大丈夫ですか?」とか気を使いながら接していたんですが、ちょっとその方がいよいよダメになった後に次の標的が私だったということですね。

メンタルダウンで休職…当時は気づけなかった「予兆」

——なるほど。その後にメンタルダウンで休職されたとのことで、メンタル不調の予兆は感じていらっしゃいましたか?

わび:まずは、だんだん眠れなくなってくる。次の日も、「何か失敗するんじゃないか」とか「また何か言われるんじゃないか」というのが頭の中をグルグルめぐって眠れないし、ご飯も進まないというのが最初の段階ですね。

もっと酷くなっていったら、車を見て「このままぶつかったらちょっとは楽になるかな」と考えたりもしましたね。

——やはりメンタル不調に陥っている時は、自分がすごく追い込まれていることに気づけないのでしょうか?

わび:そうですね。やはり当初私はこの組織はすごく自分に向いていると思っていましたし、いろんな方が評価してくれていたので、「もっと自分ががんばれば、なんとかなる」と思っていました。当時はその上司が異常とも思っていなくて、「ちょっと厳しい方」ぐらいの認識で、「いつかきっとわかり合えるかな」と思いながらやっていましたね。

「公務員や自衛官は一般企業では使い物にならない」という刷り込み

——もし当時の自分に今アドバイスできるとしたら、どんなことを伝えたいですか?

わび:まずは私が本でよく言っていることで、「道は1つじゃないよ」ということですね。
例えば転職ということで言うと、今から十何年前は公務員の転職なんてほとんど前例がなくて。

あの時インターネットで「転職 公務員」とか「転職 自衛官」って調べると、次に続く言葉が「使えない」なんですね。今はあんまりそういうのは出てこないと思うんですけども。

やはり「公務員や自衛官は、普通の会社に行くと使い物にならない」と言われていて、私もそれを信じていたので、そもそも「転職する」という発想がなかったんです。

36歳で退職に踏み切った、ある出会い

——当時は自衛官のスキルが一般の企業で使えるというイメージがなかったんですね。この後、36歳で自衛隊を退職されますが、踏み切ったきっかけはありますか?

わび:はい。私はメンタルを病んでから異動になったんですけど、その異動先で2人ほどキーパーソンとなる方と出会いました。まず、インテリジェンスの分野で有名な上田篤盛さんという方が私の異動先の上司でした。

でも、はっきり言ってあんまり自衛官っぽくない方だったんですが、ものすごく頭が良くて、自衛隊という世界以外のこともいろいろと教わりました。その方といろいろお話しするうちに、自分の価値観や考え方が変わりましたね。

私はすごく視野が狭かったというか、スコープが短くて、本当に1年、2年先ぐらいしか考えていなかったんですけど。上田さんは戦略やインテリジェンスをされている方なので、10年ぐらいの単位で物事を考えているんです。「仕事の面でも生活の面でも、それぐらい先まで考えて生きたほうがいいのかな」と思うようになったんですね。

それから、もう一人の高瀬淳嗣さんは、元ロシア防衛駐在官で、当時から「将来は自衛隊の外でも活躍できるようになりたい」とおっしゃっている方だったんですよ。

自衛隊では絶対出世するコースに入っているのに、そういうことを言われる方で、本当に視野が広いというか、その道にこだわらないという考え方の人で。その言葉のとおり、ロシアから帰ってこられてから、外資のコンサルに転職されました。

——お二人と出会ってから、キャリアや人生においても視野が広がり、自衛官を辞めて転職する決意ができたんですね。

関連サイト:人生から逃げない戦い方 メンタルダウンから生き延びた元幹部自衛官が語るユル賢い生存戦略

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