本企画、「キャリアをピボットした人の哲学」では、インタビュイーにこれまでの人生を折れ線グラフで振り返っていただき、その人の仕事観や人生観を深掘りしていきます。
今回は、『コンサル時代に教わった 仕事ができる人の当たり前』著者の西原亮氏に、今までの人生を振り返っていただきました。本記事では、コンサル→家業の牛乳屋を継いだ同氏がぶつかった壁や、1,000万円の借金を抱え、赤字ギリギリでも新卒採用をした理由について語ります。
コンサルから牛乳屋へ…斜陽産業とわかっていながら家業を継いだ理由
——前回までは、コンサル時代のお話を中心におうかがいしました。ここからは、事業承継に至った経緯や経営でぶつかった壁、乗り越えられたきっかけなどをおうかがいしたく思います。
30歳で家業の牛乳屋さんを継ぐ決断をされますが、業界的にも後継者がいないのが深刻な問題になっていたとうかがいました。最初に「家業を継ぐのはぜんぜん考えていなかった」ともおっしゃっていましたが、どんなきっかけがあったのでしょうか。
西原亮氏(以下、西原):継ぐきっかけは父親の余命でした。もう半年後には亡くなるんじゃないかっていうのがわかっていたんですね。
あとは牛乳屋さん業界が斜陽だっていうのはわかっていたけど、当時は邪な気持ちもありました。というのも、全国に牛乳屋さんって3,000社あるんですが、全部別の会社なんです。千葉県で100社ぐらいあったんですけど、オーナーの平均年齢が60歳を超えていたんです。
だから「これ、M&Aすれば簡単に規模が広がるんじゃない?」みたいな。斜陽産業は一律そうなんですけど、唯一の勝機は、「潰れる会社があるからこそ、買収して規模を拡大できる」というところ。潰れる会社なので安く買えるから、簡単に規模が上がるんじゃないかなと思いました。
あともう1つは、対面の接点ですね。当時ちょうどデジタル化がすごく進んでいて、ネットショッピングも1年前ぐらいからどんどん伸びていました。
でもこの牛乳配達の商売って、ヤクルトレディみたいな感じで、毎週お客さんに対面でコミュニケーションを取っているんですよ。お家に上がってお客さんの困りごとを聞けるような関係性は、絶対にGoogleやAmazon、Yahooも持てないインフラだなと思ったんですね。
何に活かせるかわからなかったんですけど、そのインフラを押さえられるのは魅力的だし、これだけはデジタル化がいくら進んでも残り続けるなと思っていました。
引き継いだ時点ですでに1,000万円の借金が
——斜陽産業だったり、昔ながらの事業がむしろ強みになると考えられたんですね。家業を継ぐにあたって、当初はどのような不安や課題がありましたか?
西原:会社員と経営者の一番大きな違いの1つが、お金の問題ですよね。30歳で引き継いだ時に、利益が1パーセントぐらいなので赤字ギリギリで、すでに1,000万円の借金がある状態でした。
経営者保証といって、「1000万円を返せなかったら、あなたが連帯保証人として個人で全部返済するんですよ」というのを背負った時、きれいごとを言えなくなっちゃったんですよね。
実績を出さないと意味がないという、お金に対してのマインドセットが一気に大きく変わりましたね。当時はそこの意識が薄れていたために、たくさん社員を採用してどんどん赤字を出しちゃったんですけど。
事業を引き継ぐ上で大事なのは、やはり「資金がいくら減ったら事業を縮小するのか」とか「お金をどこまで使っていいのか」という線引きを、最初から持てるかどうか。今振り返ると、ここがすごく大事だなと思いました。
例えば会社のお金が今、5,000万円あります。2,500万円になったら営業活動はいったん停止して、既存のお客さんだけで利益を求める体制にして店舗を閉鎖しようとか、いかにワーストケースのシナリオを作っていけるか。
「このラインより下回ったらこういうアクションをしよう」としていかないと、本当に経営が傾いちゃって、きれいごとだけ言って結局最後はリストラみたいになっちゃうので。それを僕は3年目ぐらいに体験しちゃってるんですよね。
赤字ギリギリ状態でも新卒採用をした理由
——会社を引き継いだ2年目には、新卒採用をされているんですね。中途採用しかしない中小企業も多くある中で、なぜ新卒採用をされたのでしょうか。
西原:自分のマインドとか考え方を浸透できるような、何も染まっていない人が必要だったんですね。理由は、僕が生まれる前から社員だった人や、15年ぐらいアルバイトをされている人がいたのですが、本当にお金を横領されるとか、嫌がらせで車のタイヤをパンクさせられるといったことがあったんです。
例えば僕が「こういうふうにやりましょう」って言っても、古株の社員が信頼しているのは先代なので、「息子が出てきたよ」みたいな感じなんですよ。だから、あえて僕の言うことと真逆のことをするみたいな現象が起きてしまったんです。
古株社員から「ドラマみたいな嫌がらせ」をされる日々
——なるほど。最初から社員に受け入れられたわけじゃないんですね。
西原:呼ばれ方も「社長さん」って他人みたいに呼ばれて、ぜんぜん受け入れられませんでした。一緒に掃除したり配達や営業をしたとしても、やはり変わらないんですよ。
ぜんぜんマインドも違くて、タバコを吸いながら配達したり、僕が「営業を伸ばしましょう」と言えば、お客さんに「うちの会社やめたほうがいいよ」って言ってやめさせたり。ある日、会社の外階段に犬の糞が塗られていたり、ドラマみたいな嫌がらせをされていました。
僕はこれを「オセロの黒」って呼んでいるんですが、黒と白があった時に、会社全体が真っ黒なオセロになっちゃって。でも、オセロだったら四つの角に白を置いて、全体を白く変えられる。
だからまったく組織に染まっていない新卒を入れたらどうかというので、当時、リクルートとかの「1人採用したら成果報酬でいくら」みたいなサービスを使って採用しました。就活がうまくいかなくて、最後まで内定が出なかった人をなんとか引き入れたみたいな感じでしたね。
指示がまったく伝わらない…新卒のマネジメントに苦戦
——なるほど。新卒のマネジメントでは、どんな苦労がありましたか?
西原:とにかく新卒が欲しかったから、採用基準はゆるかったんですね。「とりあえず入ってくれるなら誰でもいい」みたいな感覚だったんですよ。その結果、まったく笑顔であいさつができない人とか、「ありがとうございます」と言えない人もいたり。
あともう1つは、前職でコンサルをやっていたところから、新卒と古株社員しかいない世界に行ったので、大きなギャップがありました。「こういうチラシを作ろう」と言っても、チラシってそもそも何のためにあるのかや、作り方から説明する必要があったりして、「指示がまったく伝わらない」ということに悩みましたね。
——コンサル時代に当たり前にしていたこととのギャップがあったんですね。
西原:はい。そういう意味でベースが低すぎちゃったりとかもして、そこの苦労は1つありました。
就業規則すらない、立ち上げに近い状態からのスタート
西原:2個目の苦労が、牛乳屋さんの事業をちゃんと伸ばすというのは僕自身も初めてだったので、営業のやり方も固定のものがない。どうしたらお客さんを伸ばせるかっていう検証からのスタートだったんですよね。
方法論がないからPDCAを回さなきゃいけないんですよ。それを新卒のメンバーまで巻き込んだものだから、全員わけがわからなくなっちゃうんですね。この1週間は訪問でこういうふうにやってみたけど、次は電話営業してみたりといろいろなことを試したので、みんなから「なんかふらついてる」と言われました。
前はこういうふうに言ったのに、1ヶ月後には言っていることが変わっちゃうから、どうしたらいいか迷ってしまうと。
そうすると、今度は「みんなが迷わないようにするにはどうしたらいいか」って気を遣いすぎて、本質からずれちゃったり。当時は就業規則すらない、本当に立ち上げに近い状態で新卒を入れたので、いろんな問題が起きちゃったんですね。
売上が前年比200パーセントアップした秘訣
——そうした苦労がありながらも、売上が前年比200パーセントアップしたとのことで、どんなところがポイントになったのでしょうか?
西原:これは人間の力によるところが大きいですね。当時僕は週7で会社に出ていたので、配達して営業して、ひたすらロープレを磨き上げました。
当時は(業界的にも)直接訪問してインターホンを鳴らして営業するスタイルがほとんどだったので、例えばイオンとかスーパーに行って試飲会をやったり、他の業界では当たり前にやっていることをしただけなんです。古い業界って、ほかの会社で当たり前のことをやると革新的になるっていうのはありますね。
当時はほとんど残業代も出ないし有休もない中、みんな朝の8時から夜の12時とかまで働いて、パワーでやっていましたね。
——特に古くからいるメンバーで、そのやり方についてこられない方や納得できない方もいたんじゃないでしょうか。
西原:そこはもうチームを分けていましたね。古い人たちは「知らねえよ」って感じだったし、そういう人は配達だけやって終わりで、営業とかは新卒メンバーとチームを組成してやっていました。
参考リンク:
『コンサル時代に教わった 仕事ができる人の当たり前』(ダイヤモンド社)