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【手放すTALK LIVE#046】 出版記念イベント 『大きなシステムと小さなファンタジー』 一つ一つのいのちが大切にされる社会へ(全4記事)

ビジネスが育てば育つほど失われるもの クルミドコーヒー影山知明氏が語る、「売上が減っていく会社」をつくることの価値

『大きなシステムと小さなファンタジー』の刊行を記念して開催された本イベント。著者で、クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店店主の影山知明氏がゲストに登壇し、社会や組織にある大きなシステムのなかで、「どうすれば一つ一つのいのちが大切にされるのか」について語り合いました。本記事では、「売上が減っていく会社」をつくることの価値についてお話しします。

「一つ一つのいのちが大切にされる社会」をつくるには

乾真人氏(以下、乾):次は356ページです。「思いある人が思いあるシステム/制度をつくり、そのシステム/制度によって、思いある人が育っていく。その好循環を通じて、『一つ一つのいのちが大切にされる社会』が顕現してくると信じる」。僕、「顕現」って使ったことがなくて。

(会場笑)

影山知明氏(以下、影山):(笑)。これ、そこがオチですよね。拾っているのはどちらかというと、そこですよね(笑)。

乾:そうなんですよね。いや、「一つ一つのいのちが大切にされる社会」というところが……。

影山:これ、たぶん前半がなくてもいいくらいですよね。

乾:いや、「一つ一つのいのちが大切にされる社会」って、この本のテーマじゃないですか。それに対して「顕現」という言葉を持ってこられた影山さんの思いを聞きたいということです(笑)。

影山:近い言葉で言うと、「顕在」と「潜在」という言葉がありますよね。顕在的、潜在的って。「顕在化する」、あるいは反対に「潜在化する」という表現の中には、対比関係があると思っていて。

「顕現してくる」という言い方をすると、眠っているものとか潜んでいるもの、目には見えていないものだけど、確実にあるものが芽を出すという。そういうニュアンスが出せるといいなって。

乾:なるほど。

影山:(笑)。「一つ一つのいのちが大切にされる社会」が今どこにもないわけではなく、例えば一人ひとりの気持ちの中には、そういうものが本当はあるはずだと思っているから、それが表に出てくるといいなって。

乾:なるほど。すごく納得感があります(笑)。

武井浩三氏(以下、武井):いやもう、これは感性をビンビンにしておかないと、ぜんぜん入ってこないというか読み解けない。すごいな。

乾:すみません、拾い方がマニアックで。

武井:本当にマニアック(笑)。

影山:このディテールで拾っていただけるというのは(すごいな)。いや、でもそういうところをちゃんと見てくださっているのは本当に著者冥利に尽きますよ。

あえて「いのち」はひらがなで書く

乾:ついでにじゃないんですけど。ここには書いてないんですが、僕が気になったのが漢字の使い方。「いのち」をひらがなにしているのは、なにか理由があるんでしょうか?

影山:それもなかなか客観的に説明しづらいところがあって、明らかにまず感覚的な部分はあるんですけど。選択肢としては「生命」と書くか、漢字1字の「命」と書くか、ひらがなの「いのち」かなんですよね。

「いのち」の例えば1つの分かれ目として、風にいのちがあるか? 雲にいのちがあるか? 湖にいのちがあるか? みたいになった時に、「生命」という言葉とか漢字の「命」で言うと、それは「ない」という説明が、たぶん科学的で適切だと思うんですよね。

だけど、そこに何か「いのち」……特に僕ら日本人はそうかもしれないけど、「いのち」みたいなものを感じることがあるじゃないですか。それを含んで書きたい時にひらがなを使う。

乾:なるほど。

武井:俺もこれからひらがなで(書こう)。

(会場笑)

乾:「いのち」はひらがなでね。

影山:すごいな。こんなことを聞かれるとは思っていなかった。

「お金も1つのいのちである」

乾:もう1つその流れでおうかがいしたいんですけど、「言葉」も漢字とひらがながあったんですけど、ここはどんな思いで(書き分けたので)しょうか?

影山:「言葉」も、例えば今こうやって発していることによって、五感でキャッチできるものになっていますよね。耳で聞ける。あるいは文字に書くことによって読める。そういう五感でキャッチできる状態になっているものを比較的漢字で書いています。

ただ、その手前の言葉もあると思っているんですね。だから、目に見えるものとか耳に聞こえるものになってはいないけれど、「確実にある」と表現したいものに迫りたい時に、ひらがなを使っています。

乾:ありがとうございます。聞いて良かった。こんな感じで、飛び飛びですけど行かせてもらいますね。今度は460ページ。

影山:また、コラム7ですね。

乾:「ことばや音、時間と同じように、お金の正体もいのちなのではないかと思っています。ですので、まちをめぐるそれらと一緒になってお金も流れひびくことができるはずです」。お金の正体がいのち、お金がひびくというこの表現を聞いて、お金の専門家のたけちゃん的にどんな感じを受ける?

影山:そこだけを抜いて聞くのもなかなかのことだよ(笑)。

乾:「お金がひびく」ってすごい表現だなと思って。

武井:すごいな。ちょっとそこはまだ腹落ちしていないぐらい、すごく素敵な表現ですけど。お金の専門家の私としましては、お金も1つのいのちであるというのは、そのとおりだと思います。

これはちょっと理屈っぽい話ですけど、お金って人間が生み出したゲームのルールみたいなもので実物なんてなくて。「仮想通貨は怪しい」と言うけど、日本円も仮想通貨なわけです。1万円札は紙ですからね。

紙を動かして、僕らは本当は何を動かしているのかというのがお金の本質で、それは人間が動いているわけであって、まさに時間泥棒の『モモ』みたいに、人間そのものなわけですよね。だから、お金を支配すると人も支配できるというのは、人の時間を使える(ということ)。だから、お金はいのち。

乾:なるほど。

「食うための仕事」は自分のいのちを差し出しているようなもの

武井:そう。ちょっと理屈っぽいけど、本当にそのとおり。実際ライスワークみたいに「食うために仕事をしなきゃ」というのは、まさに自分の時間、いのちを差し出しているような状況。

乾:なるほど。だからどっちにも使える感じなんでしょうかね? お金に支配されるのか、お金を使うのか。自分次第でお金に対してどういうふうに向き合うのかみたいなことが変わってくるという。

影山:それは間違いなくそうでしょうね。武井さんもずっと言っておられることだけど、いかに僕らがお金から自由になれるかという。ただ、それはお金を悪者にするとか、お金と付き合わなくするということではなくて、お金が本来持っていたはずのピュアなかたちに僕らが気づく必要があるということ。

実はこれには伏線があって、僕はもともとお金は何かというと、仕事を交換する媒介だと、その本質のことを思っているんですね。

だから、例えばここで話をするという仕事があって、それを聞いてくださっているみなさんがいて、僕の仕事を受け取るためにみなさんはお代を払ってくださる。けど、みなさんはそのお代をどこかで手に入れるために、別のところでお仕事をされているわけですよね?

乾:はい。

影山:また、そこでお代を受け取られている。ということがめぐりめぐってここで交換されているわけなので、あなたの仕事と私の仕事を交換しているというのが、お金の正体なんじゃないかと思っているんですね。

「仕事の正体は時間である」

影山:じゃあ、仕事とは何かを考えると、前の本の『ゆっくり、いそげ』の一番最後の第7章に、「仕事の正体は時間である」ということを書いたんです。つまり、なにか形になっている、ここで言葉として表出されていることの背景には、それを僕が編んできた、あるいはそれを練ってきた自分の時間があって、その時間をみなさんに提供しているという言い方もできる。

そうやってさかのぼっていくと、お金の向こうに仕事があって、仕事の向こうに時間があって、時間までくるとかなりいのちと存在が近づいてきますよね?

時間とか、いのちとか、なんならことばとか、そういったものをすべて取り扱っている本が、ミヒャエル・エンデの『モモ』だと思っていて、そのインスピレーションがこの表現につながっているという。

乾:なるほど、そんなふうにつながっているんですね。

武井:俺は最近、企業もそうですけど、個人も、お金の使い方を見るとその人の人格がわかるなと思って。稼ぎ方よりも使い方に人格が現れるとすごく思います。

投資家と起業家の間で起こる「消費される関係性」

乾:ちょっとこのままお金のお話にいきたいんですけど、ここは飛ばします。たぶんここも今のお話の流れかなと思うんですが、「利害関係が一致したところで投資が成立する。こうしたお互いを利用し合う関係は、関われば関わるほど関係を消費していく」。

時間や仕事みたいなところの、「関係が消費されていく」という表現がわかりやすいというか、まさにそうだなと感じた部分なんですけど、もう少し詳しく聞かせていただきたいなと思いました。

影山:僕の職歴的には、学校を出てマッキンゼーという会社に行き、その次はベンチャーキャピタルの仕事をしたと申し上げましたね。このベンチャーキャピタルというのはまさに投資の仕事なので、僕は投資をする側として、新しく事業を興す起業家の方とか、新規事業……最近だとスタートアップと言ったりしますけど、そういったところに対して投資しますよね。

正直、投資家と……インベスター(investor)とインベスティー(investee)と言いますが、投資先の関係も、僕が直接担当した先で数えて10社ぐらいあるんですけど、とてもいい関係になって、なんならいまだに関係が続いているところもあれば、続いていないところもあるんですね。

続いていないケースはまさにこれで、向こうがなぜ我々の投資を受けたか。あるいは僕の関与を求めたかというと、それはひとえに彼らの理屈であり彼らの損得で、お金を出してもらえたらありがたいから、メリットがあるから「お願いします」と。

僕らも、それに対してそれ以上に僕の思いとか、僕らが投資に込めている哲学とかはあんまり気にしてくれていないけど、僕らもお金が増えて返ってきたらありがたいから、「そこは計算して割り切って投資します」という関係を結んだ先が、やはりあるんですね。

こういうものは一見、ビジネスがそれなりにうまくいったり、仮に本当にIPOしたり大成功しても、その人と自分の関係はあくまで利害関係に基づいたものでしかない。だから例えば僕が、お金を持っていなかったり、投資家でもない立場になった瞬間にその縁は終わるわけですね。

ところが、そうじゃない関わりをしている人は、もともと僕の存在に対してリスペクトしてくれているから、利害関係を失ったとしても関係が続く。そうやって関係が育っていくタイプの関わりと、関係が消費されていく関わりがあるというのを投資の場面で感じていました。

「売上が減っていく会社」をつくることの価値

武井:関係が育っていくっていいですね。

乾:そうですよね。だから、お金を返しても関係が育っていくのか、たけちゃんがよく言うファイナンスはフィニッシュの語源っていう。そこの話とも同じなのかなと感じていたんですけど。

武井:もともとお金というものが、知らない人と取引をするために生まれた交換の道具なので、今も昔も家族の中でお金のやり取りをしないのは必要がないから。だから、俺は本当に家族みたいなものを広げていけたら、お金のない世界にたどり着くんじゃないかと思っているんですけどね。今世でいけるかな?

影山:そこを膨らませると、これも極端な言い方はアレだけど、お金を使うことで関係って省略できるわけですよね。つまり相手のことをよく知らなくても、お金を持ってさえいれば物を売ることができる。

ということは逆に言うと、ビジネスをして売上が伸びれば伸びるほど、その分だけ関係が省略されていっているという言い方もできるわけじゃないですか。だからビジネスが育てば育つほど、例えば町という単位で言うと、社会関係資本はむしろ失われていくケースがある。

だから僕は将来的にはお店という単位でも会社という単位でも、売上が減っていく会社にできるといいんじゃないかって。

乾:売上が減っていく会社?

影山:それでも成り立つということは、逆に言うとそれは関係性が育っているから、何かを仕入れるにしても何かを売るにしても、成り立つということじゃないですか。だからそういうものも1つイメージの幅にはあっていいんじゃないかなって。

乾:いや、もう本当、このあたりのお金に対する考え方が、僕たちも手放す経営ラボラトリーというところでやらせてもらっているんですけど、儲かっている会社ではなくてですね(笑)。

(会場笑)

乾:お金だけを見ると、なかなか厳しい。

影山:お金だけを見るとね。

乾:はい、そういうところなんですけど、最初にご紹介させていただいたように、仲間がたくさんいるんですね。僕たちには株主が36人いるんですけど、その仲間たちに株価を上げないという前提で株を持っていただいているんですよね。

だから、メリットがないのにお金を出してくれている人がいるということで、人と人との関係性があるから僕たちは生きていられるというか成立するという。そんな組織になっているというところが、今お話をおうかがいしていても同じような感覚だなと。売上は上げたいんですけどね(笑)。

影山:そうですね、上げたいですよね(笑)。

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