『大きなシステムと小さなファンタジー』の刊行を記念して開催された本イベント。著者で、クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店店主の影山知明氏がゲストに登壇し、社会や組織にある大きなシステムのなかで、「どうすれば一つ一つのいのちが大切にされるのか」について語り合いました。本記事では、同氏がマッキンゼーからカフェ店主に転身した経緯や、所信表明のつもりで書いたという本書についてお話しします。
クルミドコーヒー店主の影山知明氏が登壇
乾真人氏(以下、乾):今日のゲストは影山さんです。本(『大きなシステムと小さなファンタジー』)の53ページを開いていただき、さっそく内容に入っていきたいと思います。
(会場笑)
影山知明氏(以下、影山):特定の仕方がすごいですね。確かにこれは53ページに書きました。
乾:「ぼくの仕事はカフェ店主という枠組みに当てはまらないことも多く、そういう意味では『影山知明』を仕事にしている感覚」(と書いてあります)。
武井浩三氏(以下、武井):ちなみに今日は、こういう質問が50個以上ピックアップされているらしくて、絶対に終わらない(笑)。
乾:終わる気はしていないんですけども。今日は僕が影山さんに質問したいから影山さんに来ていただいていて、50個近くある影山さんへの質問を僕が(影山さんに)聞くのをみなさんに聞いてもらうという会なので、ご了承いただけたらと思います。
(会場笑)
乾:ではさっそく、このフレーズから自己紹介をお願いしたいと思います。どんなお気持ちでこういうふうに書かれたのかというところも含めておうかがいしたいなと。
マッキンゼーで働く中で抱いた違和感
影山:僕が「影山知明」として仕事をしたいと言い出したのが実は2001年ぐらいで、ウェブの記事にしてもらったことがあります。その直前はマッキンゼー・アンド・カンパニーというコンサルティングの会社で仕事をしていました。

今振り返ってみても、とてもよくできている会社なんですね。ある種の組織論の1つの極みというか、資本主義の中で効率的な、あるいは生産的な仕事をすることを隅々まで突き詰めると、ああいう会社になるみたいな1つの例だったんじゃないかなと、いまだに思うんですけど。
そこで仕事をして、すごく鍛えられた一方で、そういう枠組み、求められる1つの規格化された人材に自分がなっていく過程を新卒で経験していった。だから確かに仕事はそれなりにできるようになっていっている気はするものの、「影山知明」はどこか置き去りになっているという。
「そもそも俺って、何が好きだったんだっけ?」とか、「何を美しいと思うんだっけ?」みたいなことがどんどん萎れていくということを同時に感じていた時期だったので。そこから解き放たれて、次は先輩と一緒にベンチャーキャピタルの会社を始めたんですけど、その時に真っ先に自分の中で思い返した表現がこれだったんです。
肩書きをなくして活動するということ
乾:なるほど、ありがとうございます。たけちゃんも「職業、武井浩三」って言っていましたよね。
武井:うん。最近は「社会活動家」という肩書を使っていますけど。社会活動家って、みんな社会活動家なので別になんの意味もない言葉じゃないですか。学生も社会活動家だし。昔は「ダイヤモンドメディアの武井浩三です」と名刺を出していたんですよね。「代表」という肩書は付けていなかったんですけど。
自律分散的な会社で、そこではすごくおもしろいことばっかりやっていましたけど、やはり「ダイヤモンドメディアの武井」というレッテルの中に自分自身がはまっていたことに後で気づいたんですよね。
やはりいろんなことがあって、変化の中で、自分自身が会社を辞めるタイミングだと思った時、その肩書がなくなることにすごく恐怖を感じたんですよね。「ティール組織を日本で最初にやりました」みたいに調子に乗っていた俺が、「肩書がなくなることが怖い」という感覚になったんです。
もちろん仕事の不安とか、金銭的にどうしようみたいなのもあったけど、同じぐらい肩書がなくなった時に、「『自分は何者になるんだ』と(不安に思う気持ちが)俺にあったんだ」という恐怖感で。
でも、これはあんまり良くないぞと思って。だから、これから活動する時は「武井浩三です。こんな会社とか、こんなプロジェクトをやっています」みたいな順序にしないと、繰り返すことになるなとすごく感じて。それで、社会活動家みたいな訳のわからないふわふわしたものを、とりあえず上に置いているという感じです。
乾:なるほど。影山さんは、「影山知明」に戻りたいというところから肩書を付けずにというかたちだから、登っていった先は同じだけど、登り方が違ったみたいな感じですかね。
影山:経緯は少し違う感じなのかもしれませんね。
影山氏が行っている「くにづくり」とは
乾:じゃあ、ちょっと次へ行かせていただきたいんですけど。
影山:こういう調子(の質問)が50個ぐらいあるってことですか? すごいですね。
乾:はい、そうなんです。こんな感じで進みます。本を読んで先日のイベントに参加させていただいて、影山さんのお話を少しうかがったんですけど、こちらの新しい本ができた時に、出雲大社に行かれたと。
以前、『ゆっくり、いそげ』を出版されて、今回こちらを「ゆっくりいそげ2」として出版されたんですけれども。影山さんはその中で、出雲大社に行かれた理由に、「くにづくり」をされていると書かれていました。
影山:真顔で言う話じゃないですよね。でも、そういうことです。
乾:そうですよね。『ゆっくりいそげ』から「ゆっくりいそげ2」に行って、たけちゃんは社会活動家を、影山さんは「くにづくり」を今されているところで、本を出された経緯と、「くにづくり」とはどんな感じなのかをうかがいたいなと。
影山:繰り返さないでください。けっこう恥ずかしい(笑)。
(会場笑)
影山:もともとそれは、実は僕が言い出したのではなくて。2008年にクルミドコーヒーというお店を始め、今ご紹介いただいた『ゆっくり、いそげ』という1冊目の本が出たのが2015年だったんです。その後に、2つ目のお店を作っていく過程で、「かげやまカレッジ」という勉強会をやっていました。
今回の『大きなシステムと小さなファンタジー』の一番後ろに勉強会を3つ挙げていて、そこに参加してくださった方のお名前も記載させていただいているんですけど。そのかげやまカレッジの参加者の1人に、「あ、影山さん、くにづくりをされようとしているんですね」と言われたんです。
お金を稼ぐだけでもない、政治でもない「くにづくり」
影山:その当時の自分を振り返った時に、「自分はカフェ店主である」という名乗りに対して、とてもプライドを持っているつもりだったし、それが自分のことを十分表現してくれているという気持ちは確かにありました。
ただ、特定の場所としてのお店ということの活動だけではない、僕にとっての地元である国分寺という町とのつながりとか、そういう関わりの中から起こってくるプロジェクトがいろいろあったので、これらをまとめて僕が何をしようとしているのか。
それはビジネスとも言えない、お金を稼ぐだけとも言えない、かといって政治家でもない、NPOでもない。みたいな中で、ひっくるめて、「要はくにづくりをしているんだ」と言われたことが「あ、そういうことなのかも」と意外と腑に落ちた。で、くにづくりの先輩といえば、大国主大神なので。
(会場笑)
乾:先輩(笑)。
影山:ええ。2021年に、「この本を本格的に書こう」となった最初の時点でも、まずはごあいさつに行こうと。
乾:書こうとする時に行かれたんですか?
影山:はい、まず行きました。だから1文字も書いていないというか、2021年の秋に行って、「これから本格的に本を書こうと思います」と、ちゃんと事前にごあいさつにお参りしました。
そして本が形になって、2024年の12月1日に発刊されたんですけど、真っ先に行かなきゃと思ったのも、大国主先輩のところでした。「なんとか書き上げました」というご報告とお礼に。
武井:すげぇ。
乾:なるほど。ありがとうございます。
影山:僕をよく知っている人からすると、「あ、そういう一面もあるのね」という話なんです。だけど、今日はじめましての方がすごく多いからさ、「いきなりそこからかよ」っていうね。
乾:ちょっと掘り下げていくところばっかりやっていくので。
影山:(笑)。そうですね、最後はみなさんの中で、なんとなくパズルがそろうぐらいの感じでね。
武井:いや、でもこれはなかなか他では聞けない掘り下げ方なので、貴重ですね。
乾:「大国主先輩」と言われる方に初めてお会いしました。じゃあ、さっそく内容に行きたいんですけど、まず……。
影山:今の、内容じゃなかったんですか(笑)?
(会場笑)
乾:今のが序章だったんですけども。でも、9ページの前書きからなんです。これは何と読んだらいいんですか? 三角と逆三角?
影山:ええ、三角と三角なので、結果的には「大きなシステムと小さなファンタジー」、「システムとファンタジー」と言ってもいいと思いますけど。
乾:ここは僕、単純に「かっこいいな」と思ったっていうか。第3の道が書かれた本だというところが、本当にかっこいいと思った、ということを言いたかっただけのスライドです。今度は459ページ、終わりに飛びました。
所信表明のつもりで書いた『大きなシステムと小さなファンタジー』
乾:「一人一人が頭で考えすぎるのではなく、心や体で感じて、遊び、野生のいのちとしてふるまえたとき、それは周囲の自然と調和して、世界に流れるその流れを強くする。僕らはそうした流れに包まれていると同時に、ぼくらがそうした流れを包んでもいるのです」。これも、かっこよすぎるんですけど。
影山:いやいや(笑)。あ、今かっこいいシリーズですか?
乾:最初と最後について、僕のメモにも「しびれる」って書いてあるんです。
(会場笑)
乾:出だしと最後だけ、まず持ってこさせてもらったんですけど。一連の流れを通して、どんなふうに感じられたのかをいきなり聞かせていただきたいなと。
影山:いきなり総括みたいな話に(笑)。いやいや、これは、最後にできるだけ希望が残るような本になったらいいなという気持ちはもちろんありました。僕はこの本を、自分なりの所信表明のつもりで書いていて、そこに書いてあることをこれから本当に実現していきます、実践していきますという気持ちを込めています。
ただそれが僕の自己満足ということだけでもなく、どこかで同じ思いを抱えていて、(その)思いが重なる方とのご縁を通じて、自然とそういうものが広がっていくといいなという気持ちをもちろん抱いていて、そういうものが1つの流れになっていくイメージがあったんですね。
その流れがつながっていくとか、表面に出てくるプロジェクトのかたちや使っている言語は違っていたとしても、ベースの流れは同じとか。そういったものこそ、手をつなぎ合っていけるんじゃないかと最後に思う部分があって。
客観的にそれを証明できるような事柄ではないんですが、僕の感覚はまさにこういうものだったので、本編ではなくコラムとして最後に書かせていただきました。
「クルミドコーヒー」と「自分」がお互いに影響し合い、一緒に育っている
乾:この「流れに包まれていると同時に、流れを包んでいる」という表現になるのが本当にすてきだなと思って。
影山:これはもちろん、僕のオリジナルということではなくて、日本の哲学者の西田幾多郎さんが言っていることでもあるんです。
さらに言うと、西田幾多郎さんが言っていることをどう読むかみたいなことについて、生物学者の福岡伸一さんが、西田さんの系譜を継ぐ池田昭と対談をされている。それを今回の本の中でもご紹介しているんですけど、その中で「包まれつつ包む」というのが命のありようで、自然のありようだという表現が出てくるんです。ということから、僕も参照させてもらいました。
乾:なるほど、満足しました。ありがとうございます。
影山:そして、僕の実感としても、クルミドコーヒーというお店をやっている時に、まさにこういう感覚なんです。
例えば、僕は僕で店頭に立っていて、クルミドコーヒーというなにか1つの存在に包んでもらっている。自分がそのクルミドコーヒーの一部になっているという感覚がある。一方で、僕の中にもクルミドコーヒーという存在があって、クルミドコーヒーは僕の一部にもなっている。そういうふうに、お互いに影響し合いながら、一緒になって育っていっているという感覚が実感としてあったという、この背景にはそんなものがあります。
乾:しびれません?
武井:いやぁ、かっこいいなと思って。
乾:かっこいいですよね。
武井:これは組織論のホラクラシーとかと同じ概念で、ホラクラシーは「部分は全体であって、全体は部分である」という。「ホロン(holon)」という言葉は、全体子という意味なんですけどね。
だからやはり、外側が上で中が下とかじゃなくて、いわゆるフラクタルというか……これもわからないですけどね、一人ひとりの中に宇宙があるみたいな世界線。いや、カッコつけようと思ったら、今ぜんぜん言葉が出てこなかった(笑)。
乾:これもすごく感覚的な話ですけど、これからの時代に大切なことというか、やはりどっちかじゃないというか。そういう感覚を持つことは大事なんだけど、なかなか難しいところで。
最後にこのことが書かれてあったんですけど。この本の中で影山さんがずっとおっしゃっていた、「どっちかじゃなくて、どっちも」というお話がすごく印象的だったので、最初に持ってこさせていただきました。