趣味やスキルを活かした低投資・低成長・低関与の「そこそこに稼ぐ」ことを目指す起業スタイルに注目した「そこそこ起業(ライフスタイル企業家)」。本イベントでは、東京都立大学大学院経営学研究科准教授の高橋勅徳氏が登壇。今回は、局所的に発生する需要に目をつける立地戦略など、「そこそこ起業」のポイントを語りました。
コロナ禍で一番強かったお店は「町中華」
高橋勅徳氏:最後に立地戦略なんですが、『なぜあの人は好きなことだけやって年収1000万円なのか? 異端の経営学者と学ぶ「そこそこ起業」』の第5章、ゲイタウンの話。第10章、写真を出していますが、京都の炙り餅の話。第11章、魚のさばき屋さんの話をしているんですが、その章も参照していただきたいと思います。
実は、局所的に小規模な需要が安定的に発生する立地ってあるんですよね。炙り餅屋さんだったら、京都のけっこう大きい観光名所のお寺があって、その門前町の中にあります。
定期的に必ず人通りがある場所。ただし、いわゆるスターバックスとかマクドナルドとか、ナショナルフラッグシップのブランドのチェーン店が入るには人通りが少ないような場所が、実はけっこう町中にたくさんあるんですよね。
この炙り餅屋って、1,200年くらい続いているんですけど。そういう場所には低資本で低技能でも開業できるような、小規模ビジネスのお店屋さんが集まってくるのですね。
焼き鳥屋さんとかでも、町中でよく見る個人経営の焼き鳥屋さんは、まさに局所的に小規模な需要が発生しているような、あるいは人流が発生しているような立地の中で、小さな規模でお店を開くケースがあります。そういう立地が活かせるようなビジネスをやると、実は低投資で安定的に稼げるのを、私達は見落としがちです。
低投資で開業できるような資源をあらかじめ持っている人は、この世にいます。親がちっちゃなアパートを持っていたり、貸しビルをやっているみたいな。あらかじめ(資源を)有している人が、細く長く稼ぎ続けられるお店を持っているケースが、町中を見るとたくさん溢れています。
実は近年注目されているような町中華のお店は、コロナ禍で一番強かったと言われています。要はお店を開く時の経営学的発想の時によく言われるのは、「そんな人が少ないところでお店をやるんだから、お店に魅力を持たせなきゃいけない」とか「そのためにマーケティングをちゃんとやらなきゃいけない」とか。それは「そこそこ起業」の観点では、真逆の話になります。
「PRとかSNSを使って戦略的に動かなきゃいけない」と言われるけど、そんなことは関係ないよと書いているのが、5章、10章、11章になります。
河川敷に男性と子どもを集める簡単な方法
もっと専門的に言うと、物質性の利用という話をしています。僕が好きな漫画家さんで、物質性の話を非常にうまく表現してくれているもので、「男の人を集めようと思ったら簡単だ」って話があります。
例えば、河川敷に男性と子どもを集めようと思ったらすごく簡単で、「焚き火と棒を置いておいたら来る」と言うのですね。男は勝手に寄ってきて、焚き火があったら火をもっと大きくしようとしたり、何かを焼こうとしたりすると。
棒が落ちていたら、チャンバラするか、野球するかのどっちかだって。それだけで集まってくるから、焚き火が人を呼び寄せるんだと。
要は、「そこで何かをやりたい」と思う根拠を持つものがそこにあるだけで、人が集まってしまうと。その集まった人の中で成立するような小規模なビジネスを考えるという、実はマーケティング的ではない、逆の手順があります。
ベンチ1つあれば人は集まる。だったら、そのベンチの近くに何を置くか。ベンチで集まった人にどういうサービスを提供するかって商売のやり方が考えられますよと。何かを始めるために人の集め方を考える。そのために、人のニーズは何かを探るというのは、実は本末転倒だと。まず集まる状況を作ってから考えようと、『そこそこ起業』では書かせていただきました。
そうすると重要な考え方は、「人が集まっている場所(の近く)を通る、数少ない人間の中から、どういう稼ぎ方をするのかを考えていったらいいんじゃないか」という話になりますよね。
「そこそこ起業」の研究、Lifestyle entrepreneurshipの研究では、ハッキングの話と引きこもりの話は、先ほど言った行為戦略のリストの中で非常にたくさんあります。
それに対して立地という話については、去年くらいからようやく注目されるようになった、もう1つの行為戦略の類型です。
例えば定年退職後に物件や資産を持っている人が「そこそこ起業」で小銭を稼ぎながら楽しく生きていくために優先して考えるべきなのが、この立地という行為戦略なんじゃないのかなと改めて注目しています。
起業は本来は小さくまとめられるもの
最後に「おわりに」ということで、なんで僕が『そこそこ起業』という本を書いたのかといいますと、1つは先ほど冒頭で言いましたように、親父の研究がしたかったと。
僕は2024年でちょうど50(歳)なんですけど、親父はこの50の年にガンで死んじゃったんですが、死ぬ前年まで、仕事を選んで自分が建てたい家を建てました。
子どもの僕を大学まで行かせて、妹も専門学校に行って、結婚目前のタイミングで結婚式に出られずに死んじゃったんですけど。けっこう男としての人生を満喫して死んだんですよね。やっぱり最後は幸せそうでした。
ただやりたいことをやりきって借金を残したんじゃなくて、やりたいことをやって周りの人も幸せな状態で生きていく人たちが1人でも増えたら、当然社会は幸せになると思います。
生きづらさが現代社会のキーワードの1個になっていると思いますけど、好きなことだけやって幸せそうに生きていくことが、10人に1人くらいできるようになったら、もっと少しは風通しがいい社会になるんじゃないかなと思っています。
そうした時に、企業家研究の研究者としては、まさに起業という概念に取り憑いているロマンチシズム、罠・トラップって言い方を僕はしたりしますが、そこからいかに起業という行動を解放するかを考えなきゃいけない。
社会的理由が起業に求められてしまう現代は、本来は「小さくまとめられる」はずの商いを、ステークホルダーがよってたかってハイリスクのビジネスモデルに仕立て上げるのが現実ではないかと思います。
こういう状態が行き着くところまで行ってしまうと、社会的に起業する理由がない人たちが、それでもなんか好きなことをやりたい、そのためにお金がいる、お金を稼ぐためにどうしようってやっているうちに、ネットワークビジネスとか投資ビジネスとかに誘導されて、もっと悲しい状態だったり、下手したら犯罪に巻き込まれたりする。
そうした時に、もう1個のオルタナティブとして「そこそこ起業」は必要なんじゃないかということになります。
好きなこと・やりたいことがなくても「そこそこ起業」はできる
だからこそ、世界の研究者が「ウェルビーイングや解放やレジリエンスという成果を獲得するための方法として、起業があるんだよ」と位置づけ直していくのが、世界の研究トレンドの一つになっているのだと思います。
同時に、この本を書いた時に感想としてあったのが、「僕には好きなことがないんですけど」「私には得意なことがないんです」という人がいて、「それじゃあ『そこそこ起業』は無理ですか」と聞かれるんですけど、「そんなことないですよ」と僕はよく言っています。
なんでかと言うと、商う力は人間が本来持っている力だからです。最近私はそれを「野生の経営感覚」と言っているんですけど。先ほど言った歌舞伎町で出会った怪しいおっちゃんだって、ただの印刷屋の営業マンだったんですよ。彼は知識とスキルはあったけど、特にやりたいことも好きなこともない人でした。
それでもある日気づいて、発想を変えるだけで週3日(仕事をすれば)、あとは飲み歩いているだけで生きていけるようなライフスタイルを獲得していった。
そう考えていくと、この能力を会社のためや国のため、地域のために使うんじゃなくて、自分が楽しむためにどう使うのかっていう、人間が本来持っている感覚をどう取り戻すのかというのが、そこそこ起業、ライフスタイル起業に込められた1つの提案になります。
そういう意味で『そこそこ起業』の理論的B面として書いているのが、『アナーキー経営学』という2024年2月に出たものです。これも合わせて読んでいただくとうれしいなと思います。ひとまず私からのお話はここまでにしたいと思います。