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『左ききのエレン』に学ぶ、天才になれなかった人が「何者か」になるまで。(インタビュー)(全2記事)

新卒でエリート部署に配属されるも、3ヶ月後にまさかの異動 『左ききのエレン』作者が、広告代理店時代に味わった“葛藤”

「天才になれなかった全ての人へ」というキャッチコピーでおなじみの『左ききのエレン』。広告代理店出身で、自身もクリエイティブの世界を生きてきた作者のかっぴー氏をゲストに迎え、「何者か」になるとはどういうことなのかを探求します。本記事では、広告代理店に入社するきっかけにもなった幼少期〜思春期のエピソードを振り返ります。

『左ききのエレン』作者のかっぴー氏が登壇

鈴木宣彦氏(以下、鈴木):ご紹介にあずかりました、株式会社NOBU Planningの鈴木宣彦と申します。私は新卒で広告代理店に入社しまして、昨年独立して会社を設立しています。

このG's ACADEMYの卒業生で、G's ACADEMYで作ったプロダクトで起業をしていて、なおかつコピーライター、クリエイティブディレクターとしても活動しております。本日はよろしくお願いいたします。

ではさっそくですが、本日のメインゲストのかっぴーさんにご登場いただきます。みなさま拍手でお出迎えください。

(会場拍手)

鈴木:よろしくお願いいたします。

かっぴー氏(以下、かっぴー):よろしくお願いします。

鈴木:ありがとうございます。じゃあかっぴーさん、いきなりですが、初めに自己紹介をお願いいたします。

かっぴー:代表作『左ききのエレン』の漫画家、かっぴーです。よろしくお願いいたします。

鈴木:お願いいたします。

(会場拍手)

かっぴー:(照明の)光がすごいですね。びっくりした。

鈴木:そうですね。眩しいです。

かっぴー:バターにされる、と思って。

幼少期は、うっすらと「漫画家になりたい」と思っていた

鈴木:かっぴーさんにご質問する前に、まずは会場・視聴者のみなさまにご質問をさせていただければと思います。本日は、どういった方が来ているのかをお聞きできればと思っています。

まず、クリエイターやプランナーとか、広告関係のお仕事をされている方はどれくらいいらっしゃいますでしょうか。手を挙げていただけますか? 少しいらっしゃいますね。ありがとうございます。

G's ACADEMYとか、プログラマー、エンジニア関係の方はどれぐらいいらっしゃいますでしょうか。ちらほら。

「かっぴーさんのファンですよ」という方はどれくらいいますか? あ、一番多いですね。ほぼファンの方々が来ていただいているということで、ありがとうございます。

ではさっそくインタビューというかたちで、かっぴーさんに人生や夢ついていろいろお聞きできればと思っています。

「かっぴーさんの人生について教えてください」ということで、大変僭越ですが、人生を4つの期間に分けさせていただいております。幼少期~学生期、広告代理店期、プランナー期、そして現在の漫画家期。

まず、幼少期〜学生期について、どういった夢とかを持たれていたかとか、いつ頃から漫画家を目指されていたのかとか、そういったところをお話しできればと思っております。いかがでしょうか?

かっぴー:けっこう普通というか。ちっちゃい時って「漫画家になりたい」という子は多かったじゃないですか。幼少期はちょうどそれぐらいのモチベーションで、ガチで漫画家になろう、というテンションはまだぜんぜんなくて。

たった30人のクラスでも、自分より絵が上手い人はいる

かっぴー:今はもう存在しない幻の筆記用具のルーズリーフってあると思うんですが、ルーズリーフに漫画っぽいものを描いて、友だちに見せたりしていたんです。

それでもやっぱり、30人のクラスでさえ自分より絵がうまい子はいたし、自分より絵がうまい子が「いや、漫画家なんてなれるわけないじゃん」みたいなことを言っているんですよね。だから「ああ、じゃあ俺はなれないんだな」と思っていましたね。

鈴木:なるほど。その頃はどういった漫画を描かれていたんですか?

かっぴー:一番最初のデビュー作は『ダイコンマン』ですね。

鈴木:『ダイコンマン』。かわいらしいですね。

かっぴー:『ダイコンマン』は、『ドラゴンボール』のパクリです。パワーアップすると、大根のこの(葉っぱの)部分がぼわんって。

鈴木:葉っぱの部分が(笑)。

(会場笑)

かっぴー:『ダイコンマン』、今だったら逆にバズるかもしれないですね。

鈴木:そうですね、おもしろいです。ぜひ出していただきたいですね。

思春期は「モテるキャラクターになりたい」と思っていた

かっぴー:『ダイコンマン』でデビューして、でもそこから中学生ぐらいになる頃にはもう描かなくなっていて。簡単に言うと「俺、漫画家になるんだ」「絵が好きなんだよね」とか言って、クラスで絵を描き続けていたらモテないって気づいたんですよ。

鈴木:(笑)。

かっぴー:あんまりそういうタイプはモテる傾向にない、というのに気がつきました。

鈴木:なるほど。思春期の頃に気づいたんですね。

かっぴー:でも、かといって別にスポーツタイプでもないし、勉強がめっちゃできるタイプでもないし。だから、絵が好き・漫画好きをちょっとピボットして、モテるキャラクターになりたいと思って。

鈴木:なるほど。

かっぴー:そのあたりから、映画監督(になりたいなと思ったり)とか。「映画撮りたいわー」みたいな。

鈴木:(夢が)映画監督になったんですね。

かっぴー:もうちょっと知識を入れた高校生ぐらいになってくると、放送作家とか、「最近おちまさとって人がさ……」みたいな感じで徐々にピボットしていって、ちょっとずつ漫画から離れていきましたね。

文化祭用に描いたクラスTシャツが学校で評判に

かっぴー:広告代理店との橋渡しとしては、高校2年の文化祭の時にクラスTシャツというのがあったんです。

鈴木:ありますね。

かっぴー:クラスTシャツは、きっと今もあるよね。クラスで誰か任命された係の人が、クラスを代表するイラストを描く。

その時、逆に私は「イラストは描きたくない」「そういうのをやってないんで」みたいな。もちろんPhotoshopやIllustratorを使えないし、その存在すら知らない時期ですから、どうしようかなと思って。

イラストなんだけど、地球の線描で処理したみたいな感じで、ちょっと地球のカッコいいイラストを描いたんです。それを出してTシャツにしたら、なんかけっこう評判が良くて。

他のクラスのTシャツは、普通にキャラクターを描いたみたいな「えいえいおー」系じゃないですか。

鈴木:よくありますね。

かっぴー:「うちは違うぞ、線描だぞ。カッコいいでしょ」みたいな感じで。

鈴木:おお、なるほど。

広告代理店を目指したきっかけは“先生からの一言”

かっぴー:クラスに、自分とはまったく縁がないタイプの一軍っぽい人たちがいるじゃないですか。そういう人たちも(クラスTシャツを)すごく気に入って、文化祭が終わった後にも着ていたんですよ。

鈴木:すばらしい。

かっぴー:町田の古着屋に行くようなやつらが(自分が描いたクラスTシャツを着てくれるんだ、と思って)。……結局、町田なんですけどね(笑)。

(会場笑)

かっぴー:町田が悪いわけじゃないです。「町田の古着屋に行くような層が俺のTシャツを愛用してるぞ。これはちょっとうれしいな」と思っていたら、先生からポロッと「自分の友だちが広告代理店でデザイナーをやっているんだけど、そういうのどう?」と言われたんですよ。

その時は広告代理店が何なのかもわかってなくて、「地球の絵を描いていたから旅行代理店のことだ」と思って、「ワールドワイド的な?」という感じで聞いたら、「いや違う。広告の代理店」「へえ」みたいな。

そこで調べ始めて逆算して、「美大に行けば広告代理店に入れるらしい」というのを聞いて。

鈴木:じゃあ、その段階で美大を目指すと決めて。

かっぴー:そうですね。高校2年で目指していたので、代理店を目指したのは早かったですね。

かっぴー氏の原体験を詰め込んだ『左ききのエレン』

鈴木:でも、大学時代も美大時代も、「広告代理店に行きたい」という思いはずっと変わらず持たれていたんですね。

かっぴー:ほぼ変わらずですね。途中、フリーマガジンや学生団体のファッションショーとか、そういう授業じゃない活動にハマっていろいろやっていたんです。

鈴木:なるほど。『左ききのエレン』にも出てくるような原体験があるんですね。

かっぴー:漫画の中ではキャラクターそれぞれが、ある人はフリーマガジンを創刊し、ある人はファッションショーを主催しているんですけど、あれは両方とも俺がやっていたことです。だから、本当はフリーマガジン編を描きたかったんですよ。

鈴木:そうなんですか?

かっぴー:加藤さゆりというキャラクターが、フリーマガジンを作るという。

鈴木:「stART」というやつですね。

かっぴー:そうそう。「stART」というスペルには「ART」が入っているじゃないですか。実際に僕が作ったのは「PARTNER」という雑誌で、それも「ART」が入っているんですよ。だから、「ART」が入っている英単語つながりでちょっと変えてるっていう。そのままじゃないけど、けっこう自分の体験を描いていますね。

鈴木:なるほど、そうなんですね。ありがとうございます。

エリート部署に配属されるも、3ヶ月後には異動

鈴木:そんな美大期を経て、広告代理店期。こちらはいかがでしょうか?

かっぴー:そうですね。はたから見たら、たぶん広告代理店期は一番キラキラしてそうな時期に見えるかもしれないですけど、僕としては一番日の目を見なかった時期というか、3年ぐらいずっと何もなかったですね。

鈴木:そうなんですね。

かっぴー:というのも、入社して一番最初にエリートな部に配属されたんです。一応会社の中で、なんとなく扱っているクライアントがそれぞれあって「あの部はエリートだな」みたいな。新卒でそこに配属されたんですね。「わ、期待されてるじゃん」とか思ってたら、本当に3ヶ月ぐらいで異動と言われて。

鈴木:そうなんですね(笑)。3ヶ月で。

かっぴー:「俺、目に見えて俺ダメだったんじゃん」と、本当に思って(笑)。

鈴木:そうなんですか。

かっぴー:今思うと関係ないのかもしれないけど、俺は普通に「あ、終わった」と思って。なんかいろいろ言い訳されて「若いクリエイターを求めている部署があるんだ。これからは未来への投資だ!」という感じですごく言われて。

突然の部署異動は「飛ばされたような気持ち」だった

かっぴー:それが、ただの異動じゃなくて。本社が赤坂見附だったんですが、分室といって渋谷にサテライトオフィスがあったんですね。「そこに行ってくれ」と言われて。だから渋谷勤務になっちゃったんです。せっかく見附に通いやすいように、新宿御苑とかに住んでいたんですよね。

鈴木:丸ノ内線とか。

かっぴー:若干そっち寄り。だから渋谷は微妙に遠いし、何より同期とかも周りにいないわけで、急にサテライトオフィスという。肌感としては普通に飛ばされたような気持ちで、しかもそこは長くて3年ぐらい過ごしたんですね。

鈴木:そうなんですね。

かっぴー:そこで何をやっていたかというと、東急百貨店というデパートのチラシやカタログとか、ファッションキャンペーンのポスター、クリスマスキャンペーン(のポスター)とかを作っていたんです。

鈴木:漫画(『左ききのエレン』)でも出てくるような、カタログ作りとか。

かっぴー:そうですね。ちょうど今描いている第3部に子会社が登場するんですが、そこは僕が飛ばされたというか、配属になった渋谷オフィスを舞台にしてます。

鈴木:なるほど、ありがとうございます。

広告代理店から転職するきっかけになった出来事

鈴木:そこから転職をされるわけですが「プランナー期」ということで、転職しようと決めたきっかけや思いってありますか?

かっぴー:そうですね。それこそG's ACADEMYさんみたいな感じで、宣伝会議がやっている「アートディレクター養成講座」に会社のお金で行かせてもらったんです。「たぶんあんまり向いてないぞ」と思っていたので、それで自分ではっきりさせようと思って。

「向いてないぞ」と思っていた上に、今となっては言い訳ですが、3年間流通の仕事をやっていたので実践から離れてたんですよね。流通の仕事との関わり方ってけっこう外注が多かったんです。けっこうというか、100パーセント外注だったのかな。

鈴木:そうなんですね。

かっぴー:つまり、手を動かさずに指示だけしていたんです。だから、クリエイティブディレクションとかアートディレクションとか、そのへんのディレクション能力は年齢のわりにはあったと思うんですが、3年間ぐらい手を動かさなかったんですね。造形力というか、手に職という意味では身につかなくて。

養成講座の卒業制作で、転職する覚悟が決まった

かっぴー:優秀な若い子がどんどん後輩に入ってくる中で、「ここらでちょっと養成講座へ行って実力を確認して、ダメだったら身の振りを考えよう」と思っていたんですね。

そうしたら、すっごい何とも言えない結果で。思ったよりぜんぜん評価されたんだけど、最後の卒業制作では、生徒が百何十人いる中で4位だったんですよ。

鈴木:おお、すばらしいじゃないですか。

かっぴー:すごいじゃないですか。

鈴木:すごいですね。

かっぴー:でも俺は知っているんですよ。そこで3位ぐらいに入らないと、世に出られないって知ってる。俺は世に出たかったので、サラリーマンというか、普通にその職業でただ飯が食えているだけじゃ嫌だったんですよ。

だけど今思い返してこの話をする度に、「百何十人いて4位だったら、辞めなくてよかったんじゃないかな?」って思うんだけど。

鈴木:(笑)。そうですね。

かっぴー:でもその時は覚悟が決まって、「おし。3位に入れなかった。だって、1、2、3位しか表彰台ないじゃん。4位だったってことは、たぶん神さまが『辞めろ』って言っているんだな」ということで、デザイナーを辞めたんですよ。

「トップ3に入れなかったら意味がない」と思っていた

かっぴー:それで、転職してプランナーという感じですね。面白法人カヤックという、けっこうユニークな会社があるんですけど。

鈴木:そうですね、有名ですね。

かっぴー:そこでプランナーとして採用されて。その時も、採用された後に「デザイナーやんないの?」と、ずっとしつこく言われて。広告代理店のデザイナーという出身だから、ぶっちゃけカヤックが欲しい人材だったんです。

入ってからも「デザイナーやんないの?」「今からでも変えられるよ」「デザイナーどう?」と言われて、「いや、僕はデザインはできないので」と。

「できない」のハードルがちょっとおかしかったんですが、「俺は東京のデザイナーで4番目だからできないです」みたいなことを言っていて(笑)。今思えばできたかもしれないけど、当時は「俺はプランナーで3位に入る。トップ3に入れなかったら意味がない」と思っていたので。

鈴木:なるほど。じゃあ、結果が3位とか2位とかだったら、まだ広告代理店にいらっしゃったかもしれないですか?

かっぴー:たぶんいたと思います。

鈴木:(4位以下だったら辞めるというのは)最終課題をやる前から決めていたんですか?

かっぴー:決めてましたね。養成講座に行く理由がそれだったので、「ここで1番か2番か、せいぜい3番にならなかったら辞めよう」という感じで思っていました。

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