2024.10.10
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My Lean In Story 関美和さん 〜広告代理店→投資銀行→法学部→翻訳家→起業家!? 通説を疑う! わりとノープラン!? な自由なキャリアのストーリー(全3記事)
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古城佑希氏(以下、古城):本日のゲスト、関美和さんです。このイベントにお申し込みいただいた方の中には、関さんのことをすでにご存じの方もいらっしゃるかと思うんですけれども、関さんからこれまでのキャリアについて自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか?
関美和氏(以下、関):今日はお招きいただいて、とってもうれしいです。ありがとうございます。
私には“3つの帽子”(※複数の役割・仕事を兼務しているという英語の比喩表現)があります。1つ目は、キャシー松井さん、村上由美子さんと一緒に立ち上げたMPower Partners Fundで、ベンチャーキャピタリストとして仕事をしています。これが本業というか、今は私の時間の120パーセントを費やしています。
2つ目は翻訳者で、もしかしたら翻訳者としての私をご存じの方も多いのかなと思います。今は、翻訳者の仕事を中断しているんですけれども、私のキャリアの大きな1つの柱であることには変わりないと思います。
そして、もう1つの柱が、12年前(2008年)にバングラデシュで設立されたアジア女子大学という国際大学です。
バングラデシュ周辺の、いわゆる「最貧国」と言われるミャンマー、カンボジア、ベトナム、スリランカ、アフガニスタン、あるいはミャンマーとバングラデシュの国境沿いにあるロヒンギャの難民キャンプなどから、家族で初めて高等教育を受ける「第1世代」と呼ばれる女性を対象に、質の高い教育を提供するのが狙いです。
(彼女たちが)欧米並みのリベラルアーツ教育を全額奨学金で受けられるようにするために必要なファンドレイズのお手伝いを、この12年間、キャシー松井さんと一緒にやっています。それが3つ目の柱です。
私が今やっていることは、この3つです。
関:最初は、日本の大学を出て電通に就職したんですけれども、ぜんぜんダメダメ社員でして、1年で辞めました。
そこから、外資系の証券会社・投資銀行(スミス・バーニー)に運良く転職できて、2年間アナリストをした後、ハーバードビジネススクールに行って、帰ってきてからもずっと金融の仕事をしていました。
モルガン・スタンレーの投資銀行部門に行って、それからお客さんだったクレイ・フィンレイという投資顧問会社で、日本の成長株の投資・運用をしていました。なので、ファンドマネージャーとしてのキャリアも10年以上で、そこから長く続けていました。
実は、翻訳者になったのはその後で、今まで60冊ぐらいのビジネス書を翻訳してきました。
『FACTFULNESS』が出たのは2019年で、その前にも、実は『ゼロ・トゥ・ワン』など、運良く売れた本がいくつかあって。MPower Partners Fundは、2021年の5月に3人で設立しました。というのが、これまでの経歴です。
古城:ありがとうございます。
古城:深掘りしたいポイントがすごくたくさんあるんですが、まず、今回のイベントのサブタイトルにも掲げております「わりとノープラン」というワードについて。
関さんが大学を卒業して、新卒で電通にご入社された時には、もともとはどういうキャリアイメージやキャリアプランを描かれていたんでしょうか。将来どういうふうにステップアップしていきたいか、ですとか。
関:それも、実はわりとノープランで(笑)。でも、大学を卒業する時点では、やっぱり大企業にずっといるイメージだったかもしれないですね。
古城:じゃあ、最初は電通に長くいるイメージだったと。
関:イメージとしては、ぼんやり……電通に長くいるイメージだったと思います。
古城:なるほど。実は参加者の方からの事前コメントに「関さんの今のキャリアは計画したものだと思っていたので、ノープランというのに驚きました」というものがありまして。当初描いていたものと今とでは、ぜんぜん違ったものになっているんですね。
関:そんなに具体的に描いてなかったところはあるとは思いますけれども、ぼんやり考えていたものとは違うかなぁとは思います。
古城:なるほど、ありがとうございます。
古城:次のスライドには、関さんのこれまでの人生の転機について書いてきていただきました。最初の電通の時、社会人1年目にダンプカーにはねられたということで、(この出来事が)どういった転機につながったんでしょうか?
関:ちょうど(電通に入社して)1年が経つ前だったと思います。私は1988年の入社で、1986年に男女雇用機会均等法が施行されたばかりで、当時は同期の男性社員数は120人ぐらい、女性が10数名ぐらいだったんです。
今ではちょっと考えられないんですけれども、採用のプロセスも男女でまったく違っていて。女子は、大学の学長推薦が必要だったり、筆記試験が2回くらいあったり、面接も一緒じゃなかったりと、(男性とは)ぜんぜん違うプロセスでした。
そこからだんだん採用のプロセスも変わってきたんですけれども、その頃の築地本社には8,000人かもっと少ないくらいの社員がいた中で、大卒女子の、いわゆる総合職職員は20人くらいしかいなかったんです。
その中で「女子同期と一緒に旅行しよう」というプランを誰かが立ててくれて、築地の電通本社の前での待ち合わせに行く途中で、ダンプカーにはねられました。
古城:えぇ!? そんなタイミングなんですね。
関:生死を危ぶむほどではなかったんですけれども、本当に大怪我を負って、けっこう長期間の入院を強いられました。
その間に「大学生の時に考えていた社会人生活とはちょっと違うぞ」と思っていたこともあり、お休みもあったので、もうちょっと違う世界を見てみたいかもしれないと思いました。なので、非常に大きな怪我を経験したことは1つの大きな転機になったと思います。
古城:もともと(今のキャリアに対して)少し違和感があったところに、お仕事から離れる時間もあって、この時に実際に行動を移して転職をされたんですね。
関:はい。わりとその後すぐに転職しましたね。
古城:なるほど。ここから金融の畑のほうに移られたと。
関:はい。でも、転職が先ではなくて、やっぱり海外で学びたいっていうのが1つありました。その先の目標はあんまりなかったんですけれども、「海外の大学院に行こうかなぁ」と思っていました。
そうすると、すぐには行けないかもしれないので、やっぱり準備期間を1~2年はとりたいなぁと思って。じゃあ、どこに自分を置くのがいいのかな? と。
30年前のゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどの外資系投資銀行は、みなさんが今思い浮かべる一流投資銀行の姿とはぜんぜん違っていて。ゴールドマン・サックスの日本オフィスも30人くらいのイメージで、まだ黎明期だったんですね。
私の同期の男子も、東京銀行とゴールドマン・サックスの両方から内定をもらっても「絶対に東京銀行に行く」みたいな世界だったので、逆に女性は(外資系の投資銀行に)わりと入りやすかったかもしれないです。
古城:なるほど。じゃあ、今とはぜんぜん環境が違ったんですね。
関:違います。知名度も人も少なく、ただ、おもしろい人は集まっていた感じでした。
古城:でも、海外の大学院に行きたいっていう思いがあったのは、何か勉強したいものがあったんですか?
関:いや、あんまりなくて、ただの憧れみたいなのがあって。たまたま、後でリーマン・ブラザーズと一緒になる、スミス・バーニーという投資銀行に入ったんですけれども。
そのスミス・バーニーにお友だちがいて、ちょっとお話を聞かせてもらおうと思って会いに行った時に、ちょうど「これからビジネススクールに行きます」という女性の方にたまたまお会いしました。
その方が「2年間ここで仕事をした後に、ハーバードのビジネススクールに受かったので、これから行くんです」とおっしゃっていて、すごく良いなぁと思って。じゃあ、私もがんばろうと。
それまであんまり考えてなかったんですけど(笑)、同じ人間だから、まぁできるかな? ぐらいの、ものすごく大きなくくりで、ちょっとやってみようかなぁと思いました。
古城:すごいですね。「同じ人間だから」って考えられるそのマインドが本当にすばらしいなと感じてしまいました。ありがとうございます。
2点目は、ハーバードに行かれて、お子さんもご出産された後に離婚をされていると。
関:私が離婚したのは44歳の時で、20代の前半から44歳まではそんなに波風のない人生だったんですけれども。
子どもも男の子と女の子の2人いて、私の記憶が正しければ、上の子が中学1年生で下の子が小学校5年生の頃だったかな。夏休みが終わった9月の最初の週に、子どもたちを学校に送り出した朝ぐらいのイメージなんですけど。
私にとってはある日突然、夫から「実は好きな人ができて、離婚してくれないか」と言われました。
関:朝、向こうが言いにくそうに「ちょっと時間ある?」みたいな感じで言ってきたので「いや、ちょっと今は忙しいので、帰ってきてからにしようか」とか答えました。
ちょうどその時、私はクレイ・フィンレイという投資顧問会社の日本支社長みたいなものを辞めて、9ヶ月前ぐらいにちょっとお休みしていたんですね。子どもも思春期に入るし、ちょっとお休みして次のステップに行こうかなと思って。
その間に少しだけやろうと思って始めた翻訳の仕事の締め切りがあって、その日の朝9時までに原稿を出さなくちゃいけない状況でした。「ちょっと今は忙しいから、その話は帰ってからでいい?」と言ったら、「いや、帰ってからじゃだめなんだ。自分は帰らないから」と言われて。
「あ、出張なのか」と思って、「今日出張だったっけ?」って言ったら、「いや、そういうんじゃなくて。実は……」って切り出されてですね……。という事件が2007年にあり、そこから1年後ぐらい経った2008年に離婚しました。
(その時に)「これ、やばい。仕事に復帰しなきゃ」と思ったんですけれども、リーマンショックの時だったので、いくつか金融業界の面接を受けたもののぜんぜんうまくいかず。「あ、これは無職だ。どうしよう」みたいな感じになって。
翻訳の仕事を始めていたので、とりあえずがんばろうかなと思って10年ぐらいやっている間に、『FACTFULNESS』が大ヒットしたという。今振り返ると、それ(翻訳の仕事)は、実はすごく私に向いてたのかなぁと思います。
古城:いやぁ、すごいですね。
古城:翻訳の仕事は、もともとはちょっとずつ始めたと思うんですけれども。
関:はい。初めはちょっとやっていました。
古城:「趣味」と言ったら軽いかもしれないんですけれども、それ(翻訳の仕事)は「副業」のような位置づけでやられていた感じなんですか?
関:そうですね。その時はこれが本業になるとはあんまり思ってなかったですけど、「老後はこういうことができたらいいかもしれないから、ちょっと準備しようかなぁ」ぐらいの気持ちでした。
古城:リーマンショックという外部環境はありながらも、翻訳をメインの仕事にしていこうっていう大胆なキャリアチェンジをしたことが、すごく大きな転換かなと思うんですけれども、「失敗してしまったらどうしよう」といった不安はなかったんでしょうか?
関:別に、それまでの人生で何か成功を成し遂げたわけでもないので「失敗したらどうしよう」という不安はまったくありませんでした。
でも、生活の不安はもちろんありました(笑)。翻訳の仕事は儲からないので、ずっと「どうしようかなぁ」と思っていて。「もっとちゃんとお給料がもらえる仕事にいつ戻ろうか」みたいなことは、ずっと考えていました。
古城:でも、そこを考えつつも結局は転職して、一般の企業に勤めることはされず、翻訳を選ばれたのはなんでだと思われますか?
関:わりと最初の頃に、いくつかの本を出版する機会にたまたま恵まれて、すぐにこの仕事が楽しくなっちゃったっていうのはあるかもしれないですね。
関:あとはやっぱり、編集者の方とか新しい人との出会い。今は『WIRED(日本版)』の編集長をやっている松島(倫明)さんと出会って、何冊か一緒に本を作ったのがとっても楽しかったっていうのがあります。
古城:すばらしいです。お仕事が楽しいところを選ばれてきたんですね。
関:まぁ、たまたまですけれども。あとは、翻訳者として積み上げてきたものがたくさんある方がいらっしゃる中で、ぜんぜんそういうものがない私を選んでくれて、一緒に仕事をしてくださった編集者の方に、何か恩返しをしたいなという気持ちはありました。
古城:なるほど。やはり、10年後に『FACTFULNESS』が出たことが、すごく大きな変化につながった感触はありますか?
関:はい、自分の中ではすごく大きかったですね。
その前に出た『ゼロ・トゥ・ワン』という本も大きく売れたんですけれども、やはり今130万部売れている『FACTFULNESS』のような本に巡り合うことは、一生に一度とかじゃなくて「五生に一度」ぐらいの確率なので、自分の中ではとても幸運に恵まれたなという気持ちはあります。
古城:ありがとうございます。
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