2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
リンクをコピー
記事をブックマーク
小林こず恵氏(以下、小林):ここからは「はみだし先輩」である大木浩士さんに来ていただいて、個人としての活動を小さく始めるヒントを、いろんな角度からお話をうかがっていきたいと思います。
ちなみに、この後に大木さんから自己紹介はあると思いますが、「企画プロデューサー」なんて書かせていただいてますけれども、大木さん自身はいろいろな肩書きをお持ちです。今日は、突っ込みたくなるような謎の肩書きもいっぱい登場するかなと思いますので、楽しみにしていてください。
主なトークテーマとしては、「会社に勤めながら小さく始める方法って何だろう?」というところですね。
今日ご参加いただいている方で、フリーランスの方とかもいらっしゃると思うんですが、今メインでやっているお仕事じゃないことをやるとなった時に、「何から始めたらいいんだろう?」というヒントになるかなと思います。
さらにブランディングという視点で、「自分らしさを出していくのってどうしたらいいんだろう?」とか、「すぐにでもできる、何か小さなはみだし」もうかがっていきたいなと思っています。
今回は特にQ&Aの時間は取っていなくて、みなさんからの質問を随時受け付けながら、うまく拾いながらやっていきたいなと思っていますので、ぜひたくさんご質問をいただけたらうれしいです。
そして、「今日はこんな話をするぞ」みたいなところも、きっちり決めているわけじゃないので、みなさんからの質問がないと成り立たない部分もあります。なので、ぜひいただけるとうれしいです。
小林:ということでここからは……あ、大木さん、「山伏」というコメントも入っています。
大木浩士氏(以下、大木):どこから入手した情報なんでしょうね。興味深いです。
小林:いやいや。みなさん、けっこう見ていらっしゃると思います。では、あらためて大木さんを拍手でお呼びしていきたいと思います。大木さん、よろしくお願いします。
大木:どうもみなさん、こんばんは。ほとんどの方がはじめましてですね。
小林:大木さん、最初に簡単に自己紹介というか、大木さんに関することを教えていただけたらうれしいです。
大木:じゃあ、写真を見たほうがイメージできると思うので資料を出してみたいなと思います。あらためて、大木と申します。よろしくお願いします。今はOOKIWORKSという屋号で仕事をしております。54歳です。
僕のキャリアを簡単にお話ししますと、もともと経営コンサルタントの仕事をしておりました。途中から博報堂という会社で働くようになり、マーケティング関連の仕事をしておりました。
そんな時、2011年に東日本大震災があり、これは自分にとって大きな転機になる出来事でした。
大木:2011年の6月、僕は岩手県と宮城県の沿岸部に足を運んでみたんです。地震の発生から約3ヶ月後、現地の状況は僕にとって本当に衝撃的で、「会社の仕事ばかりやっている場合じゃないな」と思いました。
現地ではたくさんの方々のお話もうかがいました。そのお話を通し、目の前に広がる壮絶な光景を目の当たりにし、「自分も何か動かないといけないんじゃないか?」と、そんな感情がわき起こりました。
さらに、「命には、限りがあるんだよな」「いつかやりたいことがあっても、そのチャンスが突然奪われてしまうことがあるんだな」との気づきが生まれ、「ならば、命ある今、やりたいことは全部やらなきゃ」との考えに至りました。
そして会社とは別の個人の活動、小林さんのお話で言うと「マイプロジェクト」というものを、次から次へと始めていきました。
会社の仕事はマーケティング系だったのですが、会社の仕事も「やりたいことをやろう」と考え、会社に提案して中高生向けの教育プロジェクト事業を立ち上げました。
大木:会社とは別に個人の活動もスタート。取り組んだことの1つは「都市と地方の人をつなぐ活動」でした。
例えば、東京で活躍している社会起業家たちを被災地に連れていく。東京の大企業で働くみなさまにも声をかけ、被災地に案内する。そして地元のリーダーとつなぎ、新たな動きをつくるきっかけとする。そんなことに取り組んでおりました。
2011年の11月には「里都(さと)プロジェクト」という団体を仲間と一緒に立ち上げました。これは被災地とは関係なく、首都圏に住んでいる人と地方の人たちをつなぐことを目的とした活動体です。
主な活動時期は、2011年から2013年くらい。当時はイベントやツアーなどを月イチのペースで開催していました。
こういうことをやっていると、自分の中に場づくりのノウハウがたまってきます。私のふるさとは栃木県なんですが、2014年くらいに「東京にいる栃木県出身者と地元の人をつなぐってどうかな?」と考え、新たな場を立ち上げたりもしました。名前は「とちぎDay@東京」です。
東京で出身者のコミュニティを作ったり、交流イベントを開催したり、有名人のご自宅に訪問したこともありました。そこから派生した栃木県関連の活動は数えきれないぐらいあります。
小林:思い出の数々ですね。
大木:個人の活動をはじめて間もない頃、「人がやりたいことのお手伝いもしたい」とも考えるようになりました。その思いからスタートしたのが「企画書講座」です。
自分が抱くアイデアを、1枚の企画書にまとめる講座です。アイデアを形にする時は、このペライチのメモがとても重要だと思ってるんですね。
個人の活動を始めてからわかったのは、「企画書なんて書いたことがない」という人の多さです。やりたいことはあるけれど、それを紙にまとめることができない。だから、人にうまく伝えることができない。
それならということで、体験型のレクチャー講座を始めてみたのです。最初の開催は2011年12月。現在までに50ヶ所以上の場所で開催してきました。
他にも、栃木県庁と組んで「マイプロジェクト」をテーマに市民ワークショップを開催したり、「自分の小さな仕事をつくろう」を合言葉に、東京都のNPOと連携して「ジブンの仕事・構想塾」を開催してみたり。活動内容はいろいろです(笑)。
先ほども少しお話しましたが、子どもたち向けの教育にも取り組んできており、主に(半年前までの勤め先だった)博報堂の社会貢献活動として取り組んできました。体験を通して、発想力やプレゼン力、ブレスト力を学んでもらうワークショップ型の内容です。
講師は僕以外にも、博報堂で働くデザイナー、コピーライター、マーケティングプランナーたちにも担ってもらいました。「子どもたち向けに授業をやってみない?」「ワークショップのファシリテーターを体験してみない?」、そんなふうに声をかけ社員を口説いていきました。
この取り組みは、経済産業省が主催するキャリア教育アワード2016で経済産業大臣賞と大賞を受賞しました。日本一の賞になるわけですが、受賞した時は嬉しかったです。
小林:いい顔してますね(笑)。
大木:そんな感じで、たぶん数えたら1,000個くらいのプロジェクトを形にしてきたのではないかと思います。これは会社の仕事も入れてなんですけどね。振り返るとバカだなぁと思います。
本も3冊書いています。(これまでのキャリアを)振り返ると、「変化の担い手を作りたい」という思いが、僕の中にとても強くあります。自分自身も変化の担い手になろうと思っていたし、そういう人をたくさんつくりたいと考えてきた。
現在は企業向けに、社員の皆さまと一緒に「マイプロジェクト」を立ち上げる伴走支援の仕事をしています。
BtoBの会社が、社員の発想でBtoC型の商品を開発する。SNSで会社のPR活動をスタートしたり、仕事環境の改善に取り組んでみたりと、社員の発想からたくさんのマイプロジェクトが生まれています。支援をしていてとてもワクワクしています。
先ほども話題に出ていましたが、山伏も13年ぐらいやっています。怪しげですね。
あと、神社研究家歴は30年です(笑)。全国の主だった神社をことごとく巡り歩いておりまして、その内容を「ぶらり寺社めぐり」というWebサイトの中で紹介しています。
これは僕のTwitterのページ(@ooki_hiro)ですけど、ここにも肩書きがいっぱい書いてあります。宇都宮大学で非常勤講師をしていたり、中小企業診断士の資格を持っていたりと(笑)。今日はよろしくお願いします。
小林:ありがとうございます。
小林:突っ込みたいキーワードがすでにたくさんありすぎて、どこから聞いていこうかな? という感じなんですが、さっそくいろいろお聞きしていきたいなと思います。
みなさんも、気になっているところはすでにたくさんあると思いますが、ぜひコメントで書いてみてください。今、肩書きの話が出てきましたが、「山伏」「神社研究家」「とちぎ未来大使」と。
大木:そうそう。
小林:これって、年々増えていっているんですか?
大木:以前はもっと多かったです。栃木県さくら市の移住促進アドバイザーとか、栃木県のブランド向上委員だとか。
中小機構の人材支援アドバイザーを拝命したこともありました。一時期はめちゃめちゃ肩書きを持っていたんですけど、コロナで減ってしまい、たぶん今は15個ぐらいだと思います(笑)。
小林:それでも、そんなにあるんですね。でも、大木さんは1人じゃないですか。それだけたくさんの取り組みを、どうやってうまく切り分けているんでしょうか。
きっと(別のプロジェクト同士を)つなげているところもおありなんでしょうけれども、時間の使い方はすごく気になるところですね。これまでに携わったプロジェクト、1,000個とおっしゃいました?
大木:会社の仕事も入れるとなんですが、個人の活動だけでカウントすると、たぶん200〜300個ぐらいじゃないですかね。
小林:先ほど、東日本大震災がきっかけだとおっしゃいましたけど、ということは、この10年くらいでそれだけのプロジェクトを立ち上げられたと。
大木:そうですね。そういうことになります。
小林:最初の一歩をお聞きしたいんですが、震災をきっかけに、最初はどんなプロジェクト・どんなことから始めたんですか?
大木:(スライドを指しながら)被災地に行った時の写真がこれなんですが、2011年にこういう状況を目の当たりにしたんです。光景もさることながら、現地でたくさんの方々のお話をうかがいました。その1人がAさんです。
Aさんと出会ったのは、岩手県陸前高田市。「コミュニティがぼろぼろになってしまい、孤独さを感じている方がたくさんいる。人のつながりをもう一回構築したい。そのための新たなプロジェクトを生み出したい」、そんなことをおっしゃっていました。
被災地の課題は、僕にとって大きすぎる。でも、Aさんが言う「新しいプロジェクトづくり」というテーマなら、何かお手伝いができるかもしれない。知り合いなどに声をかけ、現地に案内することで、新しい何かが生まれるかもしれない。そんな感じだったんですよね。
小林:じゃあ、具体的に「このプロジェクトをやろう」と言って動き出したよりも、「まずは何かプロジェクトをやろう」というところから、声を掛け始めたんですか?
大木:はい。振り返れば、活動の大きな原動力になったのは、リアルな人の声でした。テレビの中で見た、知らない誰かの声ではなく、今、目の前にいるAさんの思いに直接触れる。そうすると、何とかしたい。役にたちたい。そんな思いが芽生えてくる。
すべての課題に応えることは無理だけど、こんな自分でもできることが1つはあるかもしれない。あるなら、できる範囲で動いてみよう。そんな感覚がありましたね。
小林:そういうところから始まって、プロジェクトを起こしていくというのは、これまでのお仕事でもあったんですか? それともこの震災をきっかけに、初めてそのようなやり方でプロジェクトが生まれていったんですか?
大木:震災前はぜんぜんです。先ほども言いましたが、職場は広告会社で、大手メーカーさんの仕事をしていました。
メーカーさんから「こういう商品のCMを作ってほしいんだよ」とか、依頼が来るわけですよ。個人の利益ではなく企業利益につながるような依頼があって、それに応えていくわけです。
震災後はそれが変わりました。個人として本当に困っていたり、悩んでいたりする人に出会う。それに対して「力になりたい」という思いが芽生え、動いていく。震災前と震災後は、ぜんぜん動き方が変わってきたと思いますね。
小林:じゃあどっちかと言うと、震災を目の当たりにして動かざるを得なくなったというか、いてもたってもいられない気持ちになったことも大きかったんですかね。
大木:そうですね。自分の中には「できること」と「できないこと」がありますが、せっかくできることがあるのなら、誰かの笑顔につながることがしたい。そんなことを考えるようになりましたね。
お給料のために、会社の仕事を機械的にこなしていくのもいいんですけど、仕事ってそれだけじゃないのかもしれないと思ってしまったんです。
小林:先ほどもコメントで「すごい巻き込み力ですね」なんてありましたが、「何かやろう」「やりたい」と、周りに声を掛けていく。それ自体、みなさんがやろうと思っても、なかなかできない方が多いんじゃないかなと思っています。
2024.11.13
週3日働いて年収2,000万稼ぐ元印刷屋のおじさん 好きなことだけして楽に稼ぐ3つのパターン
2024.11.11
自分の「本質的な才能」が見つかる一番簡単な質問 他者から「すごい」と思われても意外と気づかないのが才能
2024.11.13
“退職者が出た時の会社の対応”を従業員は見ている 離職防止策の前に見つめ直したい、部下との向き合い方
2024.11.12
自分の人生にプラスに働く「イライラ」は才能 自分の強みや才能につながる“良いイライラ”を見分けるポイント
2023.03.21
民間宇宙開発で高まる「飛行機とロケットの衝突」の危機...どうやって回避する?
2024.11.11
気づいたら借金、倒産して身ぐるみを剥がされる経営者 起業に「立派な動機」を求められる恐ろしさ
2024.11.11
「退職代行」を使われた管理職の本音と葛藤 メディアで話題、利用者が右肩上がり…企業が置かれている現状とは
2024.11.18
20名の会社でGoogleの採用を真似するのはもったいない 人手不足の時代における「脱能力主義」のヒント
2024.11.12
先週まで元気だったのに、突然辞める「びっくり退職」 退職代行サービスの影響も?上司と部下の“すれ違い”が起きる原因
2024.11.14
よってたかってハイリスクのビジネスモデルに仕立て上げるステークホルダー 「社会的理由」が求められる時代の起業戦略