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「禅僧×俳優」の異色の問答 この時代に自分らしく生きる秘訣とは(全3記事)

26歳で建設現場の正社員になるも、ふたたび俳優の道へ 松重豊氏が語る、仏教の教えから学んだ「縁」の大切さ

さまざまな壁を乗り越えてきた各界のトップランナーによる、人生の特別講義を提供するイベント「Climbers(クライマーズ)」 。今回は、俳優の松重豊氏と僧侶の枡野俊明氏によるトークセッションの模様をお届けします。松重氏と枡野氏が、共著『あなたの牛を追いなさい』を執筆した背景や、両氏のこれまでの経歴を明かしました。

松重豊氏×僧侶・枡野俊明氏によるトークセッション

福田典子氏(以下、福田):お二人と一緒にお話ができるなんて、本当に光栄でございます。そうそうたるトップランナーが登壇する、このClimbersの中でも、今回は他とは少し違う趣になるかと思います。

あらためてご紹介させていただきます。ご登壇いただくのは、曹洞宗徳雄山建功寺の第18世住職、枡野俊明先生。禅僧でいらっしゃると同時に、世界的な庭園デザイナー、そして大学教授、著述家といった多くの顔を持ち合わせていらっしゃいます。今日はよろしくお願いいたします。

枡野俊明氏(以下、枡野):よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

福田:そして、テレビ東京のドラマ『孤独のグルメ』や、現在放送中のNHK大河ドラマ『どうする家康』に出演中の俳優、松重豊さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

松重豊氏(以下、松重):よろしくお願いします。

(会場拍手)

福田:今回の講義は、2023年1月に発表されたお二人の著書『あなたの牛を追いなさい』をきっかけに実現しました。本の中では、働くことや生きることなどについて、お二人の禅問答が繰り広げられているわけですが、今日はいわばその本のスピンオフ、ライブ版と言ってもいいかもしれません。

お二人のライフストーリーに沿いながら、さまざまなテーマを横断して、何かと悩み多き今の日本に必要なヒントをうかがっていければと思っております。

松重:わかりました。

共著を出版した経緯とは?

福田:最初に、お二人はどういうきっかけで出会って、出版に至ったのかをうかがってもよろしいですか。

松重:もともと僕は夢を持ってこの仕事を始めたわけなんですが、「早くこの仕事でご飯が食べられるようになったらいいな」と思っていて。40歳前後の頃、やっとこの仕事でちゃんと生計を立てられるようになって。

こういう仕事は普通の職業とは違って、「お金のために何かをする」というものとは、ちょっと食い違うような部分が出てきちゃうので、職業俳優としてやっていて、いろんなことで矛盾を感じたりすることが多くなってきたんですね。

その時、たまたま京都で撮影をやっていて、撮影所の横に広隆寺というお寺があって、国宝第1号の弥勒菩薩像が置かれていました。

そこは、京都の中でも穴場なので、午後とかはわりと人も少ないんです。仏像と向かい合っているうちに、「仏教って何だろうな?」と思って、そこからいろんな仏教、禅宗、座禅とかも勉強するようになりました。

禅の教えを描いた「十牛図」に惹かれて

松重:1人で勉強していたものですから、ちゃんとした師匠の方にお話をうかがうことはせずにここまできたんですが、たまたま雑誌の企画で枡野先生とお話をして、僕の質問に答えていただいたんです。それが非常におもしろかったんですよ。

なおかつ、枡野先生の建功寺というお寺で、枡野先生がデザインされたお庭をバックにしてお話ができた。僕にとって非常に貴重な時間だったので、できれば延長戦をやりたいということで、書籍化の流れになったんです。

福田:「十牛図」というものについて、お二人が禅問答をされる内容ですよね。

枡野:初めに松重さんから「十牛図をテーマに」というお話をいただいた時に、「え? なんで十牛図?」って、正直私も思ったんですよ(笑)。

松重:(笑)。

枡野:ただ、今のお話にもありましたように、いろいろなことを迷いながら一つひとつつかみ取っていくプロセスが、まさに十牛図に当てはまるんですね。

十牛図というのは、もともと悟りを開くまでの過程を10段階の絵解き図にしたものなんですよ。中国の宋の時代に、廓庵禅師という方が作ったものなんですが、非常にわかりやすいんですね。松重さんはそれにすごくご興味を持たれて、「これでやりましょう!」というお誘いをいただいて、「わかりました」と。そういういきさつでございます。

十牛図は、従来の物語の「起承転結」を拒絶している

松重:物語の中に生きていると、やはり起承転結で考えるというか。10個の物語があったら、「それを積み重ねていって何かに到達する」という頭で読もうとするじゃないですか。十牛図は、それを明らかに拒絶しているんですよね。

牛を見つけにいって、足跡を見つけて追いかけて、格闘して捕まえて、家に持って帰って、そしたら牛のことを忘れて、何もなくなって、なぜか知らないけどそこから自然に戻る……。

枡野:もう一回、真に返るんですよ。

松重:真に返るというね。西洋的な起承転結でいくと、物語としてはすごく破綻しているんです。どっぷり物語の中に生きている人間なんですが、「そこばかりを信じているんじゃないよ」という、いろんな思考の可能性を広げていかないと人生は広がっていかないなというのが、十牛図の中にはすごくあるような気がして。

自分の中ではまだよくわかってない部分はあるんですが、枡野先生に一つひとつ質問しながら、わかるまではいかなくてもいいので、なんとなく「人生ってこのぐらい複雑でおもしろいな」というところがお聞きできればなと思ったんですね。

枡野:補足させていただきますと、十牛図の牛は「本来の自己」といって、私たちの中には、一点の曇りも、塵も、埃もないような美しい心がみんなにあるんですけれども、それを牛に例えているんですね。

ですから、「本来の自己と出会おう。それと一緒になって暮らしていこう」というのがこのストーリーなんですが、それがどこか遠いところにあるんじゃないか? といって、さまよいながら探し歩くところから始まる話なんですよ。

でも最後には、「なんだ、自分の中にあったじゃないか。遠くまで行く必要はなかったんだ」ということに、気づくか気づかないか。気づいたところが「悟り」なんですよ。

小学5年生の時から庭園に興味を持つように

福田:十牛図の話をすると、たぶんお二人はずっと話せると思うんですが、今日は本来の自分を探すために少し遠回りした話もうかがえればなと思っておりますので、簡単に枡野先生のお話を説明させていただきます。

枡野先生は、1560年から続く横浜の建功寺の住職の家系にお生まれになって、幼少期に京都の龍安寺の石庭を見て感銘を受けて、高校生の時には日本を代表する造園家・斉藤勝雄先生に弟子入りして、庭園の勉強を始められたんですよね。

そこが、庭園デザイナーへのスタートではあると思うんですが、勉強を始めた頃、どんな思いで動いていたんですか?

枡野:「勉強を始める」という意識はなかったんですね。と言いますのは、私が生まれ育った建功寺は、戦争中に非常に荒れてしまって、一時は畑を作って庭をしまっていたんですよ。ですから、私が生まれた頃は庭らしい庭なんかなくて、どこを走ってもいいような状態だった。

小学校5年生の時に、親に連れられて京都の龍安寺に行った時に、あの石庭を見てショックを受けるわけです。「なんて美しい庭。自分が生まれ育った寺とはまったく違うぞ。同じ禅寺でもこんなに違うのか」というショックから興味を持ち始めたんですね。

松重:小学校5年ですよ(笑)。

福田:その時に感じられるというのがすごいですよね。

俳優業から離れ、建設現場の正社員をした時期も

枡野:いや。松重さんは、小学校の時から劇を一生懸命やってらっしゃったから(笑)。

松重:いやいや。劇に気持ちを入れるのと、庭を見てそういうことに気づくのは、レベルが違うような気がします。

福田:でも、その頃から俳優を目指されていたと。

松重:結果として俳優という道に入ったことになるんですけれども、観客席か・舞台か、どっちかと言うとステージの向こう側に行きたかったんです。

その中で、自分が何に向いているか、どういう職業に就くべきかを考えている時に、俳優という仕事が道筋として見えてきたんです。だけど、この仕事でちゃんと生計を立てるのはなかなか簡単な道じゃないので、いろいろと紆余曲折はありました。

福田:26歳の時に、一度俳優業から離れられているんですよね。

松重:そうですね。一回完全に辞めて、建設現場の正社員として働いて、「そういう人生もありかな」と思っていましたが、いろんなご縁でこの仕事に戻ってきた。本当に、ご縁というのは仏教でも大事ですよね。

枡野:そうですね。

松重:本当に、人生にはいろんな岐路やターニングポイントがあると思うんです。何かの縁でこちらに来た、こういう仕事に就いた、こういう局面でこっちを選んだ。

その場で正解だとは思わないでしょうけど、その縁を全部自分の糧にしていくと、十牛図じゃないですが、「本来の自己が何であるか」ということにたどり着くような流れの中で、今まで過ごしてきたのかなと思いますけどね。

厳しい修行を経て気づいたこと

福田:松重さんは紆余曲折あったというエピソードでしたが、枡野先生も庭園に興味を持って、京都のお寺をいろいろ回られて、大学の時にはいったん庭園から離れたことがあったんですよね。

枡野:京都へ行ってスケッチしたり、測ったりするのは高校生の頃もやっていて、大学の時にはずっと恩師に付いていろいろやっていたんですよ。夏休みとかは、10日間だけまとめて京都に行ったりしておりました。

福田:そして、卒業後には修行に行かれたと。

枡野:本当は、卒業してすぐに雲水修行に入ろうと思って、計画もしていたんです。ところが私の恩師・斉藤勝雄先生は、当時80歳を超えていましたので、「今教わっておかないと、修行から帰ってきた時には遅い」と思って、学生時代から26歳までずっと付いていたんです。それから雲水修行に行きました。

福田:その修業が、かなり大変なんですよね。

枡野:大変といえば大変。でも、みんなそれを乗り越えてきているわけですから、乗り越えられないものではないんですよ。ただ、何がすごくありがたかったかと言うと、それまで当たり前と思っていたことが、みんなありがたいことなんだということに気づいたことです。

日々の生活の「当たり前」のありがたみに気づく

枡野:例えば、お腹が空いていたら好きな時に食べられるとか、好きな時に足を伸ばせるとか、歩けるとか、寝られるとか。

「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」と言うんですが、当たり前にしていたことが全部、きちんと決められた生活に縛られてしまう。要は、たがをはめられてしまうんですよ。そうすると、座禅と正座ばかりで足は伸ばせないし、しびれてくるし、食べたい時に食べられない。もう、脚気とか栄養失調になるわけですよ。

そうすると、食べられることのありがたさ、足を伸ばせることのありがたさ、寝られることのありがたさとか、「当たり前と思っていたことがすべてありがたいことなんだ」ということに、まず初めに気づくんです。これは、人生の中ですごく大きな気づきでしたね。

福田:それに加えて、禅の庭作りにも通ずることがあったとうかがっております。

枡野:自然というのは、人間のように「こうしてほしい」「ああしてほしい」といった、はからいごとがないんですよ。ですから、そこには世の中の真理が現れ切っちゃっている。禅で言うと「すべてが仏じゃ」という感じなんですよ。要は、真理が露呈していますと。

そういう考え方と庭は、昔からぴったりくっついているというか、切っても切り離せない関係にあったということを知って、おもしろくなって、さらに奈良にのめり込んでいっちゃうんですよ(笑)。

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