2024.12.19
システムの穴を運用でカバーしようとしてミス多発… バグが大量発生、決算が合わない状態から業務効率化を実現するまで
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アマテラス:清水さんのここに至るまでのお話をいろいろ伺っていきたいと思います。まずは生い立ちについてお聞きします。小さい頃はどういった環境で過ごされたのでしょうか。
清水敦史氏(以下、清水):実家は岡山県の南部にあります。最寄り駅は無人駅、電車も1時間に1本しか来ないような自然の中で育ちました。母子家庭で決して裕福ではなかったので、外食や旅行の記憶はほとんどありませんし、みんなが持っているファミコンも買ってもらえませんでした。
ただ、私がやりたいと言ったことについては何でもやらせてくれたことには感謝しています。裏山の木の上に家を作ったり、手製のボートで農業用水に漕ぎ出してみたり、ファミコンがなかったからこそ作り出せた遊びの数々が私の原体験になっていると思います。
アマテラス:その頃に抱いていた夢などはあったのでしょうか?
清水氏:小学生の頃は、周囲とは違う家庭環境がコンプレックスであると同時に、「人と違うのが僕なのだ」という自我が芽生え、いつの間にかそれが自分のアイデンティティになっていました。ツリーハウスだって、船だって自分で作れるのだと。大きくなったらもっと思い切り変わったものを作ってみたいという思いから、「将来はエジソンになりたい」という夢を持っていました。
また、このような生活の中でいつしか「この状況を自分の力で突破して行くんだ」というハングリー精神も培われた気がします。私には代々受け継いだ土地や財産などもありませんから、失敗を恐れる必要もありません。元々がゼロからのスタートですから、失敗しても元の位置に戻るだけです。そういった「失うもののない強み」というのも私の1つの糧になっていると感じます。
アマテラス:中学卒業後は高専に進学されたのですね。
清水:経済的な事情もあり、大学進学は難しいと考えていたため、高校に進学する選択肢はなく高専が唯一の選択肢でした。ものづくりができ、エジソンへの最短経路になるかもしれない高専に進学したいと思ったのです。ロボコンやスペースシャトルは私の憧れでしたから。
しかし高専入学後、実際にはロボコンのチームには入らず、バンド活動や古着ファッションに目覚めてしまいました。授業を抜け出してバンドの練習に行ったり、バイト代を握りしめて神戸に古着を買いに行ったりと面白おかしい毎日を過ごしていた記憶があります。
4~5年生になると、さすがに将来のことを考え始めました。3年生までは「音楽で食べていくか、就職するか」などと考えていたのですが、4年生の時に先生から「卒業後に大学に編入してみたら」という話があり、国立大学であれば進学できる可能性があるということが分かりました。そこから「大学でもっと学びたい」という思いが一気に強くなりました。
編入試験は東大しか受験しませんでした。理由はいくつかありますが、元々卒業後は東京に出るつもりだったというのが大きかったです。音楽の道で自分の実力を試したいという思いがあったのです。もう1つの理由は、進学相談の席で先生から「東大以外なら狙える」と言われたことです。チャレンジ精神に火が点き、「では、東大しか受けません」と答えて、本当に東大だけに願書を出しました。
結果的に、工学部の船舶海洋学科に無事合格することができました。高専からの編入の場合、一般的な大学は3年生に編入できるのですが、東大は2年生からのスタートでした。最初の1年間は教養課程を学ぶことになります。1年間の自由な時間が得られたことは、私にとってはむしろラッキーでした。元々半分は音楽をしに来たつもりでしたから、東京で最初にしたことは裏原に行くことと、ネットのバンド募集に応募することでした。
アマテラス:大学ではどんな生活をされていたのでしょうか。
清水:授業料免除のために良い成績を取ることは絶対条件だったので勉強は頑張りましたが、その他はやりたいことを全部やろうと考えて暮らしていました。
まず、運動会バドミントン部に入部しました。高専時代は津山市の団体戦チャンピオンだったこともあり、東大でもエースを目指そうと思って入部したのですが、入ってみたら練習もきつく、レギュラーにもなるのも大変でした。
週3~4回の部活の他にも、他大学のメンバーとのバンド活動や生活費を稼ぐために短期アルバイトを継続的にやっており、大学時代は「やりたいことを全部やった」という感覚があります。
アマテラス:大学院でさらに2年間研究をされた後は研究者の道には進まず、就職を選択されたのですね。
清水:研究は面白かったのですが、昔も今も私がなりたかったのはやはりエジソンであり、研究者ではありませんでした。大学に残って論文や学会発表に時間を費やすよりもビジネスで勝負したい、何より経済的に自立したいと思い、博士課程には進まず就職することにしました。
就職先は大手電機機器メーカーを選びました。最大の理由は給料の高さです。ずっと苦労して来たので、高給取りになることは人生の一発逆転、コンプレックスからの解放でした。また、同じメーカーでも私は大きな製品の一部分を作るのではなく、徹頭徹尾自分が把握して「これは自分が作った」と言えるものづくりがしたいという希望がありました。
「小さくても世界初」といった業種に興味があったため、工業用センサーなどを扱う大手電機機器メーカーが最適な選択でした。天職と高い給料に恵まれ、ある意味「人生あがり」のような思いで生活を満喫していたのですが、5年ほどすると「何か違う」という違和感が芽生え始めました。
高専時代にバイト代を貯めてビンテージジーンズを買ったときや、原付を買って100キロの道のりをツーリングしたときの天にも昇るような気持ち。そういった感動が、自分の中から消えてしまっていたことに気が付いたのです。あれほど憧れていた人の羨む生活とはこんなものなのか、私にとっての幸せはお金では手に入れられないものなのかもしれないと、迷いが生じて来たのです。
2011年3月11日の東日本大震災が起きたのは、まさにそんなタイミングでした。
アマテラス:震災のとき、清水さんは大阪にいらしたのですね?
清水:はい。大阪も揺れましたが、そのまま仕事を続けましたし、帰宅するまでは被災地の惨状も知りませんでした。次の日になるとテレビなどで福島の原発事故が報道されるようになりました。その状況を目の当たりにし、衝撃を受けると同時に「この負の遺産を次の世代に背負わせてはいけない。我々の世代が脱原発に向けて行動しなければ」という使命感が湧いて来ました。
今振り返ると、あの原発事故は世界的なエネルギーシフトのきっかけとなった歴史的な出来事ですが、私自身もあの事故から「エネルギーシフトで自分ができることは何か」と考えるようになりました。紆余曲折を経て、「自分の手で何かを作って世界を変える。エジソンになるのだ」というあの頃の気持ちが戻ってきたのです。
アマテラス:そこから、どのような活動をスタートさせたのでしょうか?
清水:再生可能エネルギーについては全くの専門外だったので、『再生可能エネルギー入門』といった本を読んで基礎知識を得ることと、この分野に関する特許調査から開始しました。仕事で特許調査の経験があり、特許はある意味宝の山だと知っていました。
世の中にどんな課題があり、どんな解決方法があるのかという先人の知恵が詰まっているのが特許ですし、特許独特の表現方法などの勉強にもなりました。全て読み終わった頃には、風力発電の課題について相当理解できていたと思います。
清水:代表的な再生可能エネルギーには太陽光や風力がありますが、日本では大抵の人が太陽光発電を想像すると思います。実際、太陽電池に関する特許は数万件あるのに対し、風力関連は数千件程度でした。一方で、日本は台風による強風のリスク等が普及の大きな壁になっていましたが、世界の主流は風力であり、非常に大きなポテンシャルを秘めていることも分かりました。
ポテンシャルだけの視点で見れば、日本の条件は悪くありません。ヨーロッパに偏西風が吹くように、日本は洋上や海際では常に風が吹いています。風力発電大国になれる可能性はあるのに、日本の環境に合った風車がないことで普及が進んでいない。そのマーケットギャップに大きな可能性を感じました。そして何より、自分がこの風力発電界のエジソンになりたいと考え、台風に耐えられる風力発電機の開発に取り組むことにしたのです。
アマテラス:風力発電で行くと方針が決まり、次は具体的な検討に入るわけですね。
清水:特許調査から得た知識をもとに、まずは「日本の環境に合った風力発電」というコンセプトを練りました。
1つめのコンセプトは「プロペラのない風力発電機」です。風力発電というとプロペラを使った発電機を思い浮かべますが、プロペラは強風で容易に壊れる上、暴走のリスクがあります。そこでプロペラの代わりに、マグナス効果を利用するアイデアを考えました。
マグナス効果とは、物体を回転させると風向きに対して垂直方向に力が動く物理現象です。この力を利用すると、プロペラのない発電機を作れるのではないかと目を付けました。マグナス式風力発電機であればプロペラは必要ありませんので、強風による悪影響が格段に低くなると考えました。
2つめは「垂直軸風車」です。日本は欧米と比べて風向きが変わりやすいという特徴があります。プロペラ風車は常に風向きに合わせておかないと、発電効率が落ちたり、破損したりする可能性がありますが、台風時などは風向きの変化についていけなくなるリスクがあります。
そこで、日本の環境に合っているのは、風向きの影響を受けない「垂直軸風車」だと考えました。
清水:実のところ「マグナス式風車」は、海外では100年も前に考案されており、日本でも既に開発されていました。垂直軸風車に至っては、1000年前から存在します。「垂直軸のマグナス式風車」も、海外では90年前に特許出願があり、日本でも三菱重工と関西電力が特許出願していることが分かりました。
私自身も「日本の環境に合った風力発電」は、垂直軸のマグナス式風車だという結論に達したのですが、同時に、特許出願が数件しかないことに驚きました。そこで、この領域には新しいアイデアの余地があると思ったのです。実際に、既存の特許のいずれとも違う新たなアイデアを考案し、2011年6月に特許を出願しました。夢のエジソンへの第一歩を踏み出したのです。
特許の出願書類も書店で入門書を購入し、自分で書き上げました。修士論文よりも分厚くなりましたが、自分のアイデアの特許を自分で書くという時間は本当に楽しかったです。
アマテラス:清水さんの発電機のオリジナリティはどこにあったのでしょうか?
清水:垂直軸型マグナス風力発電機こそが、「日本の環境に合った風力発電」だと確信を持っていました。それではなぜ今まで誰も実用化していないのか、と思いますよね。実は、垂直軸型マグナス風力発電機の実用化には技術的な壁があるのです。
回転する円筒が風を受けるとマグナス力が発生しますが、この時マグナス力の向きは風向きと円筒の回転方向で決まります。円筒の回転方向が同じ場合、風車の風上側にある円筒と風下側にある円筒が発生するマグナス力の向きは同じになります。そのため、それぞれ風車を回そうとする方向が逆になり、お互いの力を相殺してしまうので、風車が回転しないのです。これは物理法則ですからどうしようもありません。
そこで、風上側でも風下側でも風車の回転方向にマグナス力を発生させるための方法として、円筒を2本1組にして、逆回転させるというアイデアを考案しました。
この形であれば風上側だけでなく風下側でもマグナス力が風車の回転方向と一致するため、効率よく発電できるはずと考えたのです。
アマテラス:その当時はまだメーカーで働いていらしたのですか?
清水:はい。ですから、風力発電の研究や試作は帰宅後や土日にやっていました。そして、2012年のゴールデンウィークに、初めて模型の回転に成功しました。自作の模型が初めて回った瞬間、「ああ、俺はこのために生まれてきたんだ」と思いました。その時の感動は今でも忘れられません。
しかし、これですぐに起業したわけではありません。一流企業で働くことで「失うもののない強み」がなくなり、「失うことの怖さ」を知ってしまったのです。
私はこの技術に人生を賭ける前提として2つの条件を設定していました。1つめは「模型でもいいから、本当に風車が回ること」で、これは2012年のゴールデンウィークにクリアできました。もう1つは「出願した特許が取れること」で、こちらも少し待ちましたが2013年3月に特許化されました。
そして、ついに2013年6月、私の34歳の誕生日に辞表を提出しました。33歳最後の夜は、それまでの人生で一番眠れない夜になりました。
退職後は東京で起業の準備を進めていましたが、大きな転機は2013年冬に株式会社リバネスが開催した第1回テック・プラン・グランプリです。ものづくり限定という、私のために作られたようなビジネスコンテストでした。早速応募し、起業前にも関わらず最優秀賞を受賞することができました。
リバネスの方にはその後も会社の作り方、定款の書き方など起業に関わるあらゆることを手取り足取り教えていただきました。また、後ほどあらためてお話ししますが、審査員だった浜野製作所の浜野社長との出会いは、その後の事業展開に大きな影響を及ぼすことになります。
チャレナジーを起業したのは2014年10月です。私はよく「コネクティングドット」という言葉を使うのですが、昔から今につながるさまざまな経験と、ご縁やご厚意の積み重ねの結果がチャレナジーという形になったのだと思っています。
アマテラス:チャレナジーという社名はどうやって決めたのですか?
清水:「チャレンジ」と「エナジー」を組み合わせて、チャレナジーという名前を考案しました。「エネルギー問題に挑戦する」という意味はもちろん、「困難に挑戦するエネルギーを持ち続けよう」という意味も込めています。
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