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30代・40代。”悪くない”を抜け出して”ほんとうの”自分を生きたいあなたへ。最高の人生のつくりかた(全5記事)

人は成功すれば外側が充実し、失敗すれば内側が成熟する 『ジーニアス・ファインダー』著者が語る「自分」という考え方

大人の自分らしいライフシフトを支援する「ジーニアス・ファインダー」は、30代40代に向けて実践法を伝える無料セミナーを開催しています。今回はその中から「30代・40代。“悪くない”を抜け出して“ほんとうの”自分を生きたいあなたへ。最高の人生のつくりかた」の模様をお届けします。最終回の本記事では、後半の山口揚平氏の講演を公開。山口氏が考える「自分とは何か」「決断の本質とは何か」が語られました。

後悔しない人生はない

山口揚平:そんなかたちで、僕にとっての一番のライフシフトは30歳でした。30歳でどう会社を辞めるかという問題があって、ひたすら悩んだ。コンサルティングとか、投資ファンドとか、そういうキャリアから、僕はその道を踏み外して教育というところを行ったんです。

決断はどうしたのか、その結果として何を得たのか、何を失ったのかという話をしたいと思います。「後悔しない人生はない」と言っています。さっき「迷った時はつらいほうを選ぶこと」という教訓の話をしました。なぜならばつらい道を選んだ方が後悔がないからと言うんですが、僕の場合は体を壊したりして、けっこう後悔しているんですね。

でも後悔するかどうかというのは「これからどういうふうに自分を上書きしていくか」ということでもあると思ってはいます。なので、僕はこれからどこまでもどこまでも、世界に溶けていきたい。自分というものが生まれてこなかった、あるいはしたがって死ぬこともないくらいの溶け方。禅で言うと「悟り」のような方向に、僕自身は寄っています。それくらいのフレキシビリティを、知力と胆力と努力を持って目指しているのが、僕の生き方です。

「考える」ことに見出した、自分の天才性

こういった自らの経験を通して学び、血肉化した「知」を社会に還元する。言語化能力が高かったり、イメージで物事を整理することができるので、僕の生き方は「考える」というのがいつも中心軸にある。その「考える」というのは常人が到達できないような、あらゆる観察される事象の有機的なつながりを見い出すということです。「そこまでつながっていることを見出しているの?」ということを言われるのが好きなんですよ。

そこに僕は自分の天才性を感じていて、今も過去も本を書いているんです。なので、本を深読みしてほしいんです。『1日3時間だけ働いておだやかに暮らすための思考法』とか、『ジーニアス・ファインダー』もそうですけど、特にその前に書いた『お金のしくみ(『新しい時代のお金の教科書』)』もおすすめです。

そこではすべてが有機的につながって書かれていて、僕自身は美しいと思っています。「この美しさの旋律に気がついてくれないかな」なんてことを思っています。

それが僕の天才性だし、そこの糸を紡いでいくと、ある時には未来が洞察できるから投資に使えるし、ある時にはキャリアに使えます。

外的な成果と、内的な成熟

さて、この言葉が大好きです。「成果と成熟:得たものと失ったもの」ということで、30歳の時大きな決断をしました。

「人は成功すれば外側が充実し、失敗すれば内側が成熟する」と言いますけれども、成功しても失敗してもどっちもいいよという話なんですね。

みんなが目指すのは外的成果としての「経済的資産」「知人とか友人の幅広さ」これは僕のケースですが「著作物と社会的評価」って、そんなのあるかわからないですよね。あと「時間」ですよね。僕自身は1日3時間働くというスタイルを確立しています。

あとは「若さ」若さというのは何かというと、考え方が若いと、時間の回転率とかが違うので、そこが大きいかなと。外的な成果としてはこういうものを得ましたと。

次の内的成熟については、「自己に対する理解と実践」があります。特に「私とは何か?」に対する理解と実践。あとは「人間と社会に対する洞察」「優しさと謙遜さ」本当にあるのかな? と思うんだけど、そういうものを内的成熟としました。

失ったものは「プライベート」で、これは言えるんじゃないかなと思うのが、「人生短いですよ」ということです。さっき秋津さんから話があったように、30代、40代ってすごく上と下が迫ってくるんです。子どもとか家庭とか欲しい人は焦らないといけないし、親がだんだん弱ってくるもんなんです。まさか僕も40代で親が弱ると思わなかったし、兄貴が死ぬと思わなかったので、びっくりですよね。

実際には自分のために使えるのは20年しかないんですよ。さっき言ったように20代で「修行」して、30代で「挑戦」して、40代で「成果を出す」ことをやらないと、間に合わないかなと思っていますね。

言葉をうまく使えると、金を使う必要がなくなる

僕は「プライベート」は何も持っていないです。だから社会にコミットしているんです。

自分ではけっこう欠けている人間だと思っています。でも「うーん、欠けているな。欠けている自分もいいな」と思っていて。いいなというか、「欠けていてもいいんじゃないかな」と思っている。あとはもう少し言葉遣いをしっかりしないと、周りが離れていくなと思っていて……勉強しないといけないですね。

コミュニケーションは「4K」と言って、4つあるんです。「紙」でコミュニケーションする人。「コネ」でコミュニケーションする人。これは生まれとか人に好かれるとか何もしゃべらなくていいですね。あと「金」でコミュニケーションできる人と、「言葉」でコミュニケーションできる人というのがいます。

40年くらい前の合コンで、目の前に座った女性のネックレス見て、「君のネックレスになりたい。そうすれば君とずっと一緒にいれるから」なんてことを言ってた人がいたわけです。

言葉をうまく使えると、金を使う必要がなくなるんです。逆に金を使うと言葉が雑になると思うし、カネとかコネとか、どれかが卓越するとコミュニケーションがすごく雑になったりするんです。

社会人の場合、モチベーションを上げる源泉だって金を配することはできないでしょう? 言葉しかないんですよ。言葉を配するしかなくて、それをすごく意識していきたいなぁなんてことを思います。

自分とは「偏在する意識」ないしは「知覚する主体」である

もう終わりの時間なので最後に言いたいこと。「自分とは何か」ということで、結論から言うと「私」というのは所有するものでなくて、身体でもなくて、「偏在する意識」ないしは「知覚する主体」である。僕自身はそう定義して生きているんです。

これは何かというと、僕はさっき(成熟の部分で)内側とか外側という言葉を使いました。でも、本当の僕が思っている内側と外側というのは、ちょっと違うところにあるんです。

(この図は)みんなが思っているものとは少し違うと思います。これは(下に向かって)だんだん内側に入っていくイメージです。家とか物とか財産とか、これは明らかに外側だなと思うんですね。

例えば(所有物やお金を見せて)「これが自分だ」と主張する人もいます。お金も人工物なので、アイデンティティが明らかに人工物なんです。そういうものに意識が張りついている人もいて、ちょっと残念だと思う。あとこれらをパートナーに望むとすぐなくなるから駄目だと思います。

五感よりも内側にある「意識の動き」

だいだいみんなが「自分」だと思っているのは、思考とか五感とか感情とか、特に身体のことを自分だと思っているんじゃないでしょうか。

五感は、視力・聴力・触覚を指していて、そこから外にあるものが「外側」で、「内側」にあるものが「自分」なんてことを思っているんじゃないかなと思いますね。

でもその下に「意識の動き」というのがあるんです。何かというと、まず「知覚」というのがあります。知覚は物事をキャッチするということ。パーセプション(per=前に、ception=つかむ)というやつで、「前につかむ」が語源ですです。

それに対して、何らかして自分にパースペクティブ(見通し、認識)という視点があるんですね。

例えば水を飲むと、「喉に流れたな」と認識をします。「水って冷たくておいしいな」という認知があって、それが記憶として溜まっていきます。この知覚と認知と記憶。間に視点が入ってクルクル回っているわけですね。この4つが意識の大きな流れだと思います。

これをみんな「自分」だと思ってない。なんなら自分の意識ってほとんど真ん中のレイヤーにあるんですよ。でもこれが起こっている背景にある、自分は何を知覚して、そして何を認知したか。どう認知したか。認知するたびにどういう視点を使ったか。そして自分が何を記憶として持っているかということを俯瞰して、自己認知できている人ってほとんどいないんですよ。

自分を俯瞰認知する「ジーニアス・ファインダー」

それを解きほぐしていくのが、「ジーニアス・ファインダー」だと僕は思っています。過去を棚卸しして、自分は何を知覚し、認知して、それをどういうふうに記憶のポケットに置いてきたのか。そういうものを俯瞰認知していくと、自分は「俯瞰している存在」そのものだということがわかるんです。

それを「G」としています。「G」というのはジーニアス(Genius)、「霊性」を意味するラテン語のゲニウス (genius)からきました。僕らは「天才性」という言葉を使っています。Geneは「遺伝子」、Genuineは「真」です。僕のアイデンティティはここにあるように意識しています。

だから僕が「自分とは何か」と言った時は、僕はこの「知覚する主体」だと、「偏在する意識のことだ」と思っています。だからできるだけ「自分は今、何を考えていて、何を感じていて、そしてどういうようなことが身体感覚としてあるのか」ということを、俯瞰認知する意識をしているんです。

そうすると、何がどういう知覚が、どういうような視点でどういう認知を与えたのかということがわかってくるんです。だから自分の固定観念とか偏見とか、自分の先天的外的なものを見ることができる。見て外部化できる以上は、そこを整理することができるようになるんです。

整理することによって、この「G」、ジーニアス自身がすごく動きやすくなることを僕は知っています。僕自身が「何なの?」と言われた時に、僕はここ(知覚)にいますよと。

ここにいて、意識というものを鵜飼いの鵜のように使っている。その存在を自分が「自分である」として生きている。そうやってがんばって努力しています。そういうためにもトラッキングシートを作ったりとかしています。

目に見えない「絶対価値」の解像度を上げる

最後は「決断」の話です。僕は決断が一番厳しいと思っています。だからこれに対して、まず第一にマッチョな方向で「とにかく金だ」とか、短絡的なジャッジメントを促すようなことはしない。まずはジーニアスに戻って、そこから新しい1つの世界に導くということをとても丁寧にやります。

決断の時に確保したいものは何と言ったら、助走期間だったりとかセーフティネットと言っています。自分の精神的な余裕率とか、肉体的なストレスとかというものには限界があるので、そのセーフティネットをどうやって作るのかということです。

2つ目。結局何で決断するかというと、「絶対価値」です。「これはコスパがいい」「これは儲かる」「このキャリアに乗っていけば楽ができる」とか、そういう損得勘定ではありません。

自分のいらない価値観というか、積み上げてきた偏見とか、固定観念とか、自分が蓋をしていたものを全部取り去らないと、「絶対価値」は見えてこない。そこで振り返りとかを丁寧にするプロセスが必要なんです。

でもね、これまでのアカデミズムでもそうだし、ビジネスの現場でもそうだけど、この過程を丁寧にほぐして、解像度を高く、自分の解体新書を作った人はいないと思うんです。だから暗黒大陸で、スピリチュアルなんですよ。

だけどそうじゃなくて、厳密に存在しているし、みんな認知できているわけです。だからこそきちんと丁寧に解析して、解像度を上げて、理解して組み立て直すことが大事。もちろん上のほうの環境だとか物だとか財産とか、そういうのは目に見えるからね。目に見える物というのはわかりやすいんです。

でも目に見えなくても存在しているもの。見えるけれどもわかっていなかったものに対して、きちんとした言語で、きちんとした角度から掘り下げていくことをすれば、必ず再構築できるんです。それをやりましょうよと言っているんです。

「ジーニアス・ファインダー」が考える、決断の本質

僕らが「ジーニアス・ファインダー」で挑戦しているのは、再現性のあるかたちで、すべての人の人生を、きちんと丁寧に整えることなのかなと思っております。そこにこれまで何百人もの人が入ってきてくれて、少しでもそこの解像度上げてきました。

自分にとっての暗黒大陸だった、「自分」はどういう固定観念で、どういう判断軸を持って、あるいはいつどういう時にトラウマを得てどう克服したのか。あるいは今、何が蓋をしているのか。そこに対しては、いいとか悪いとかもないんですよ。

ないものを透明化する。透明化して俯瞰的に見て、自分に対して「よいもの」を主体的に選択する。なんなら神さまが主体的に伸ばしていくので、「その方向に従えばいいや」と、もっとなだらかなタオイズムみたいなものが発生する。これが「決断」の本質だと僕は思っているんですよね。

無理しないほうがいいです。そうじゃなくて、少しずつ少しずつ、自分の培ってきたものの本質を捉え直すことが大事かなと思います。

最後の最後は「M(マゾ)力」と言って、失敗や不幸を笑い飛ばす。どうやったらネタになるかなと考える「M力」です。ここは失敗している時は感じられないものですね。

社会は僕らが思っているより繊細で柔軟で、そして優しい

あと「人生観・死生観」というやつですね。最近人気がある成田悠輔さんがいらっしゃいますが、彼の発言が話題に上がりました

成田さんは「お金がなくなったらどうするんですか?」「死ぬよ」と言ったそうです。確かに、お金って一番の同調圧力です。それでいて、フェアじゃないんです。戦後の更地からゼロスタートした日本ももう4代目になると産まれたときから圧倒的に家庭環境も家計資産もちがう。

だから僕は、お金を気にして生きることを辞めたんです。独立する時に僕は勇気でる言葉をある人からもらいました。「大丈夫だよ。社会に役立っている限り、必ず食いっぱぐれないから」その言葉通りでした。社会は僕らが思っているより繊細で柔軟でそして優しい。どんなにお金がなくても社会に尽くしていけば必ず誰かが助けてくれるんです。

「生きるって何?」と言ったらば、ただ生きているわけじゃなくて、味わうことでしょ。味わえるような人生観だったりとか、「活かす」という意味がある。

僕がせっかく素粒子の粒として、電子の波として、この物理世界の中に現象化した以上は、その現象化する流れの中で味わい、全うしたいなと思っています。ただ単に人工物の作った都市の中で、単に存在していることが、僕は生きることだと思えています。

まさに「LIVE」ですね。生きることをそう捉えていて、もしお金が減っているんだと思うんだったら、非常に過激な言い方したら、「お金がなくなったら死ねばいいんじゃね?」って自分自身に対しては思うんです。そういう世界観もあるかなと思いました。

すいません。長くなってしまいましたけど、私の話はいったんここで締めさせていただきます。ありがとうございました。

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