2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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狩野恵里氏(以下、狩野):つんく♂さん、はじめまして。今日はどうぞよろしくお願い申し上げます。なんと今日はハワイとつながっているんですね。時代ですね(笑)。個人的な話なんですけれども、1986年の10月29日生まれの狩野です。
つんく♂氏(以下、つんく♂):お~!
狩野:そう、同じ誕生日なんですよ。よろしくお願いします。
つんく♂:ホリエモンもですよね。
狩野:そうなんです! 堀江(貴文)さんもなんと今回の「Climbers」に登壇されていて、10月29日生まれの人がたくさん集結しています(笑)。
つんく♂:お~、さそり座祭りだ。
狩野:そうなんです、『さそり座の女』なんです(笑)。今日はどうぞよろしくお願い申し上げます。
つんく♂さんはご自身もアーティストとして、プロデューサーとして、作詞・作曲家として、そして会社の代表として、さまざまな顔を持って活躍していらっしゃいます。今日はつんく♂さんがこれまでにどんな壁に直面して、それを乗り越えてきたのかをうかがっていきたいと思います。
ではまず、50年ほど遡りまして。つんく♂さん、まず小さい頃から音楽はお好きだったんですか? 身近にあったんですか。
つんく♂:僕は基本的にはラジオっ子でした。小学生の頃からラジオを耳元に置いて寝ていましたね。
狩野:ラジオから流れるDJの回しだとか音楽を聴きながら、小さい頃から身近にあったんですね。
狩野:小さい頃から音楽に慣れ親しんでいらしたつんく♂さんですけれども、音楽をずっと続けていって、学生時代にはアマチュアバンドを組んで。そのアマチュアからプロに切り替えようと思ったきっかけ、そしてタイミングはいつだったんでしょうか。
つんく♂:長男だったので、いろんな耳年増な情報を含めて、お兄ちゃん代わりにラジオがありました。
狩野:確かに、いろんな情報が入ってきますね。
つんく♂:なので、そうやってラジオで育ちながら、実家の商売をしてる場所にはいつも有線が流れていて。洋楽、邦楽を毎日聴きながら、ビートルズがベースになって音楽を始めます。
狩野:根底にはビートルズの音楽があって、そこからシャ乱Qにつながっていくわけですね。
つんく♂:小学生くらいの頃から芸能界には憧れはあったけど、リアリティにプロになりたいって思ったのは大学生かな。
狩野:大学生。その時ちょうどアマチュアのバンドを組んでいらした時で、路上ライブなどもやっていらした時ですね。
つんく♂:東京では「原宿のホコ天」が流行っていて、大阪にはそんなのがなくて。何か東京に負けてる気がして……。
狩野:(笑)。血気盛んな関西人は、その時に何を思ったんでしょうか。
つんく♂:悔しかったので、自分で作ってやろうって思って。
狩野:「自分で作ってやろう」、いいですね。
つんく♂:大阪の大阪城で「城天(しろてん)」を始めました。
狩野:「ホコ天」ならぬ「城天」! 相当人が集まったでしょうね。
つんく♂:それが19歳くらいの頃かな、20歳くらいか。それがシャ乱Qです。
狩野:まさに花の大学時代ですね。その「城天」をやっている時から、もうプロを目指していたんですか?
つんく♂:シャ乱Qは完全にプロ志向でしたね。少なくとも僕は。
狩野:初めからこのままプロになって(いこうという思いがあったんですね)。その時の夢って何だったんでしょう?
つんく♂:大阪にこだわったバンドではなく、全国のバンドになりたかったですね。
狩野:目指すはやはり日本一でしょうか。
つんく♂:「日本一になってやる!」ってのは決めてましたね。
狩野:その時に感じた壁は、何かありましたか? 一から大学生が始めるのはなかなか大変だと思いますけれども、どんな壁があったんでしょう。
つんく♂:大阪なのである程度自由でしたが、プロになる方法がわからず苦労しましたね。ライブハウスにはなかなか相手してもらえなかったし。なので、とにかくファンをつけることを意識しました。日本一になるにはまず大阪一だろ! って感じですかね。
狩野:なるほど。まずは大阪一になってから、そこから広げていって、日本一に。
つんく♂:有料のお客さんが難しいのであれば、無料のお客さんさんをつけちゃえ! 的な感じです。
狩野:「城天」ですと、誰でもウェルカムですもんね。
つんく♂:「城天」は無料なので中学生でも来られるのがよかったです。最後いろいろ重なってスカウトもあったんですが、きっかけの1つはNHKのコンテストで日本一になれたこと。
狩野:もう天下を取ったんですね、早いですね!
つんく♂:ヤマハのコンテストでも決勝まで残って、2つの賞をもらえました。レコード会社もいくつかから声がかかりました。
狩野:いろんなコンテストでも結果を残したんですね。初めから順風満帆のように感じますが……(笑)。
つんく♂:(笑)。
狩野:どうでしょう、アマチュアからプロに変わった瞬間は、そこまで壁は感じなかったんでしょうか。
つんく♂:そうですね。今とは違ってあの頃は、レコード会社に所属するとかプロダクションに入るとか、わかりやすいものがあったのでよかったですね。それがないと、「ミュージシャン」といくら説明しても「ああ、フリーターでしょ」っていつまでも言われますからね。
狩野:なるほど。「自称ミュージシャンでしょ」って言われてしまったりするかもしれないけれど、実際にプロになってプロダクションに入ったり、レコード会社に所属すれば、プロと認められる。実際にプロになってからは順風満帆だったんでしょうか?
つんく♂:大阪で一番! って感じで、調子に乗って上京するんですが、でもそこからはしばらく売れなかったですね。
狩野:そんな時期があったんですね。ヒット曲を飛ばして、というイメージでした。
つんく♂:少なくとも1年半は売れなかったです。
狩野:1年半は長く感じたでしょうね。大阪ではナンバーワンだったんですもんね。
つんく♂:そうですね。デビューして1年半くらい経った頃に出した『上・京・物・語』というシングルがベスト50に入って。「お!」って(思ったけれども、)なんとかなるのかどうか……微妙な売れ方でしたね(笑)。
狩野:やはり1年半は長かったんでしょうか。
つんく♂:1年半は、当時は長かったですね。今振り返れば一瞬ですが。あの当時、日本自体がバブルが弾けて、みんなが尻すぼみな感じでどんどん弱っていったので。
狩野:バブルが弾けた時代ですね。ちょっと前まではイケイケどんどんだったのが、みんな少し元気をなくしているような時代ですか。
つんく♂:いつまでも僕らに予算を投じてくれない、そんな危機感がありました。
狩野:なるほど、そういった影響もあったんですね。少し前なら企業にお金がたくさん余っていたから、どんな人にも投資ができたけれども。もうかなり厳選されて「本当にこの人たちは売れるんだろうか」という、一段階厳しい目があったんですね。でもその中でベスト50に入って、そしてどんどんヒットを重ねていくんですよね。
つんく♂:そのあと『シングルベッド』が売れて。
狩野:『シングルベッド』、良い曲ですよね! 大好きです(笑)。
つんく♂:そのヒットの仕方もすごく変わってたんですが、1年かけてジリジリ売れて。それがよかったですね。
狩野:1年半かけてまず初め(のヒット)があって、そこから1年かけて少しずつ売れていって。そのときはどんな心境でしたか?
つんく♂:でも、テレビとかにまだガンガン出演できるような立場でなく、曲だけが有線やカラオケでじわじわヒットして。それである程度浸透してからテレビに出だしたので。「あの曲歌ってたのがこいつらなんや~」って世間が思う感じです。
狩野:「シャ乱Qのあの曲良いよね」でははなく「あの曲、シャ乱Qなんだ」と知られていった。良い曲だから広がっていったんですね。
葛藤はなかったですか? 大阪で一番になって、みんながシャ乱Qって知っていて、いざ上京してみたらまた一から始めで。自信をなくしたりですとか、不安になったりはしなかったんですか。
つんく♂:不安はたくさんあったけど、でも、正直楽しかったですね。売れない時期。
狩野:へぇー! それを楽しめるメンタルが根底にあるんですね。
つんく♂:あの頃は「山」さえ越えたらなんとか食っていけそうな気がしていたので、少々の苦しさも乗り越えられたし、なにより楽しんでいました。「絶対、売れたる!」って思ってたし、「東京に負けない!」って気持ちで戦えたし。
狩野:いいですね! 落ち込んでる暇なんてないですね。
つんく♂:正直あの頃すぐ売れてたら、なにも考えずに育ってたと思うので、きっと「モーニング娘。」には出会えなかったでしょうね。売れない時期に、かなり音楽の勉強をやり直したので。
狩野:シャ乱Qにとって、つんく♂さんにとって必要な時期であったんですね。「楽しかった」と言えるのがすごいですね。壁を壁と感じない。「つらい、つらい、つらい」と思わない。「楽しい、楽しい、楽しい!」と(笑)。
つんく♂:貧乏、楽しかったですけどね。仲間もいたし。音楽もそこにあったし、ライバルが売れていったのを見てるのも楽しかったし。
狩野:「悔しい!」とか、ジェラシーで「あー!」とかはならないんですね。冷静ですね。
つんく♂:下北とかで愚痴りながら飲んでるのも、今思えば楽しんでいたよね。当然、その頃は胃が取れそうなほど悔しかったですが。
狩野:それはつんく♂さんが今成功してらっしゃるから「あの時は楽しかった」と思える、そういうわけではないのでしょうか。
つんく♂:「売れない」という状況も「貧乏」も、真横に(いた)ミスチルやスピッツが先に抜け出した時は「なにくそ!」って思えたし、ウルフルズやTMR西川とかが後から追随してきてる時も、なんか楽しかった。その頃は必死やったけどね。
でも、必死になれてるってことは、その時点で楽しんでいるんよね。まあ「本当に苦しい状況を『楽しい』って言葉に置き換えたくない!」という人もいるでしょうが、でもそういうのって「充実感」というのかな。生きてる感じがするでしょ!?
狩野:確かに、そうですね。
つんく♂:同じような時期に貧乏してた奴らも、抜け出した奴はやっぱり、なんらか個性と努力があったと思うし。僕らが傍目から見てても「リスペクト」できる部分があると思う。
でも、結局一瞬パッと売れてもダメになってった奴とか、結局売れなかった奴は、ズルいことしか考えてなかったり。本質的な「音楽」と向き合ってるのではなく、「音楽業界」とか「テレビプロデューサー」のことだけ見てて、作品は二の次、三の次だったような奴が多かったように思う。
要するに「貧乏」を楽しめない奴はダメだし、世間や周り、そして環境のせいにしてる奴はいっつも不幸です。売れたからといって「幸せ」かどうかは知らないけど、「不平」「不満」「文句」しか言わない奴は少々売れてもずっと愚痴ってる。楽しそうじゃない。そういう奴からは「幸せ」は逃げていくと思う。
つんく♂:ただ、僕の格言ですが「いつかきっと売れるのなら、売れるのは遅いほど良い」(笑)。
狩野:格言が出ましたね。その心は?(笑)。
つんく♂:いつかきっと売れるかどうかなんて、誰にもわからないんです。なので、賭けなんですよ。でも、結果50歳になってから売れたとしたら、そこまで粘ったその間ず~っと夢を見られてたわけで。そんな長い間夢を見られる人って何人いるでしょう! みたいな。それほど夢を見られるなら、そんなに幸せなことはない。買いたいくらいだ。
狩野:確かに。夢を見るのはすごく幸せなことですが、つらかった時代も「夢を見ていた期間」だと(考えるんですね)。
つんく♂:ただ、売れるかどうかはわからない。だから夢に価値がある。
狩野:夢が必ず叶うかどうか、売れるかどうかはわからないけれども、夢を見ている時間は幸せで、だから価値がある。夢は叶ったほういいですが、ただ「夢を見ている時間」は確かに幸せですよね。格言をいただきました。
狩野:そんなつんく♂さんですが、ご自身がボーカリストとしてヒット曲をたくさん掲げて、アーティストとして成功していらっしゃるその傍ら、プロデューサー業務も二足のわらじとしていくわけなんですけれども。
そもそもそのプロデューサー業務は、テレビ東京がお願いしたと聞いたんですけれども(笑)。ご自身は初め、正直あまり乗り気じゃなかったんでしょうか。どうなんでしょう、。
つんく♂:乗り気でないといえば嘘になるんですが。なんちゅうか、せっかくつかんだ当時のポジション(だったのに、)自分じゃない誰かに曲を作るって、ちょっと僕らミュージシャンからすると「邪道」といいますか、魂を売る的な感覚もあるのね。
なので、当時の僕もせっかく神様からチャンスをもらえて、ようやく売れて、なのにまた調子に乗って誰かに曲を振る舞う。そんな感覚って「お前、また調子に乗るんか!」って神様にツッコまれる感じ。そんな恐怖感がありました。なので、躊躇した記憶がある。
狩野:だから戸惑っていらしたんですか。でも結果プロデューサーとして、もう数えきれないぐらいのユニット・グループを輩出していって、どれも大成させていくわけですけれども。ご自身が歌う「アーティスト」、そして「プロデューサー」としての仕事の内容は、ぜんぜん違うものですよね。そこでの壁や大変さはあったのでしょうか。
つんく♂:そうですね。なので、手を抜かない。自分じゃない誰かが歌うものであっても100パーセント戦う。そのくらいの気持ちを投影させて、魂を注入してく。そんな気持ちで「モーニング娘。」が立ち上がりました。
もちろん、僕だけの努力だけでなく、当時の『ASAYAN』のあり方。ナインティナインの立ち位置。『ASAYAN』のスタッフとの信頼性。アップフロントとのタッグ。吉本さんや電通さんとの呼吸。テレ東さんのバックアップ。本当にいろんなものが重なって、ヒットにつながったと思っています。
狩野:いろんなものがうまい具合に相乗効果になって、どんどん(人気を)押し上げていって、結果、世界的に有名な「モー娘。」を作り上げたと。
つんく♂:神様がちゃんと見てくれたんだと思っています。「まあいいだろう!」って(笑)。
狩野:「ここまでやるならいいだろう!」と(笑)。
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