2024.10.10
将来は卵1パックの価格が2倍に? 多くの日本人が知らない世界の新潮流、「動物福祉」とは
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西村佳哲氏(以下、西村):こんにちは。
青木将幸氏(以下、青木):こんにちは。
西村:今日は参加人数がけっこう多くて、107人ぐらいかな。別にそんなに多くもないか(笑)。
青木:あはは(笑)。
西村:マーキー(青木氏の愛称)が、これまでミーティング・ファシリテーションをした、一番大きなミーティングって参加人数はどれぐらい?
青木:300人ぐらいですね。
初めましての方、今ご覧くださっている方、もしくは後日動画をご覧になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、青木将幸、マーキーです。僕は今、実家に帰っています。Twitterのアカウント名にaokimarky@淡路島と書いてあるんですけれども、ふだんは淡路島にいます。
僕は出身が熊野で、和歌山県と三重県のちょうど県境ぐらいで生まれ育ちました。和歌山県新宮市の神倉山には、熊野信仰の一番のベースとなった、神倉神社という大事な神社があるんですが、今はその真横に立っている神倉書斎という素敵なお宿にいます。まさにごく最近、友達がクラウドファンディングで立ち上げたお宿です。
まだちゃんとリリースはしていないですけれども、僕に「お試しで1回泊まっていいよ」と言ってくださったので、この度泊まりに来ています。実家に帰る時にネット環境がないと仕事にならないんですよ。恥ずかしながら、僕はずっと「オンライン会議なんてだめだ」と触らずに来た人間なんですけれど、コロナになってリアル会議の仕事はなくなってしまったので。
西村:ほぼ全部なくなった感じ?
青木:ほぼ全部なくなった。3月30日ぐらいに誰かと会ったのをきっかけに、それ以降、一歩も淡路島を出ず、すべての仕事はキャンセルされたのが僕にとってのコロナ体験です。僕はミーティング・ファシリテーターという仕事をしているので、人と人が集まって話し合いをする進行役をずっとやってきたのです。2003年からだから、17年ぐらいですかね。
年間100本ぐらいの会議・話し合い・ワークショップ・打ち合わせ。いろんな言い方をするんだけど、人が集まってワイワイ話し合う場を進行させていただくことだけをやってきたので、僕の17年のキャリアは塵と化したというか(笑)。
西村:塵(笑)。
青木:「風の前の塵に同じ」みたいな。『平家物語』か! みたいな感じです(笑)。
西村:それでどうする? というね。
青木:ここ数年で、仕事の質みたいなものはやっぱり……年間100本はあまり変えないようにしたの。僕の亡くなった師匠で加藤哲夫さんという方がいるんですけれど。その方も同じくワークショップの講師といったファシリテーションができる方だったので、僕は若い頃に加藤さんに影響を受けて、この仕事に入っていく良い刺激をいただきました。
加藤さんは年間200本弱ぐらいやっていて、僕より段違いに忙しかったんだね。当時は僕も150本ぐらいはやれていたんだけど、「いや、200本を超えるのは大変ですね」と尊敬の眼差しで見ていたある時に、加藤さんががんになられて倒れて「もう動けません」と。僕は加藤さんが亡くなられると思って「すみません、お話を伺いたいです」とお願いをしました。
加藤さんががんになってからですけれど、最後のインタビューを3時間少しさせていただいて。彼がやってきたワークショップやファシリテーションの歴史を、誰かが後世に語り継がないといけないと僕は思ったんですね。録音を撮りながら、メモを取りながら、ありがたくもお話をひとしきり聞かせていただきました。
その最後の最後で話をしているところで、「ところで青木君、今、年間何本分ぐらいだ」と訊かれて、「僕は150本ぐらいですかね。もうちょっとがんばればいけるんですけどね」と言ったら、「この仕事はね、身体に悪いから」って言って(笑)。
すごく笑えないけど笑えるジョークにして、「こうなっちゃうから、そんなに本数入れたらダメ。人前に立つのは、やっぱり交感神経と副交感神経を猛烈に刺激する仕事。自分を奮い立たせる仕事。全力を尽くす仕事としてね、おそらくがんばっちゃうだろうから。あんまりいっぱいやりすぎると体に悪いよ」と言って死んでいかれたの。
西村:そこで(インタビュー中に)息を引き取ったわけじゃない(笑)。
青木:そこで息を引き取ったわけじゃないけれど、もう彼としてはそれを最後に、別れ際にちゃんと僕に伝えようと思ってくれたんだな。それで、「これは受け取らねば」と思って、年間100本を自分のある種のキャップ(上限)にして、それ以上やるまいと。概ねそれぐらいの数でここ10年ぐらい仕事をしてきたんですけれど、その100本が飛びました。
西村:そうだね。
青木:2月の末に「学校に行くのやめようぜ」と、お辞めになった安倍総理がバーンと言って。うちの子どもたちも休んで、「学校やめ! 学校に行かせない」というのは、いろんな批判の声もあっただろうけれど、日本人に「これはただごとではないぞ」というのを示すには、非常に良い方針だったなと思ったんだけれど。
これはただごとではないと言って、社会がぐぐぐっと急ブレーキを踏んだんだよね。人々が集まらない、集まれなくなって、僕の仕事はゼロになり。そういうリアル会議の種は、2月、3月、4月、5月、1本もなかったですね。今だってなくて。だから、4月の1日に、僕は「ファシリテーター廃業宣言」というのを出しました。
西村:え? ファシリテーター廃業宣言?
青木:うん。リアルファシリテーターね。その時はそういう言い方はしていなかったけど、僕はミーティング・ファシリテーターは、実質上の廃業だと。だって人々がミーティングできないんだもん。廃業状態に追い込まれましたというか、これはいろんな希望的観測が当時……今もあるだろうけど。いつか戻るとみんな思っていたし、「コロナが収まればまた人々は集まれるはずだ」という期待を僕も抱いていたけれど。
暇だから、感染症の歴史の本などを読むわけですよ。ペストや天然痘の歴史についてザーっと読むと、長いもので本当にハードな伝染病から復活するには、歴史的に80年とかかかるわけ。これはどうもすぐには収まらないなと思って。2ヶ月後、3ヶ月後、半年後、1年後に、人々が集まって会議をするようにはならない、と僕は踏んだので。4月1日にファシリテーター廃業宣言を出して、「ここから先はオンライン・ファシリテーターとしてイチからやり直します!」って。
西村:あはは、そういう宣言(笑)。
青木:4月1日に。僕は未だに覚えてる。エイプリル・フールだったからね。僕がミーティング・ファシリテーターの仕事を始めた2003年は、日本で初めての会議ファシリテーション専門事務所だと言われているんですけれど、当時の日本には「お金を払って会議を他人にやってもらう」という文化・風習がほぼゼロで。
西村:ないよね。
青木:「なんでお前に金払わなきゃいけないんだよ」という(笑)。「ほとんどエスキモーに氷を売るような仕事だ」と言われたんですけど。
西村:あはは(笑)。
青木:「会議するってさ、何で金かかるの?」という状態から仕事を作ってきた自分からしても、「オンラインの会議はダメでしょ」と、それまではずっと思っていたの。
西村:なんでダメなの?
青木:まだコロナになる前も、Zoomとかいろんな仕組みはちゃんとあったんだよ。でも「オンラインでミーティングして、あなた、心と心が通じると思いますか?」と、僕は思っていたの。
西村:そう言っていたりもしてね(笑)。
青木:うん。「手も握れないんだぜ」とか「肩も叩けないでしょ、相手の息吹とかほとんどわかんないわけじゃん」って。「同じ釜の飯も食えないのに、オンラインでミーティングなんかね、ダメですよ!」とちょっと思っていたり。恥ずかしながら、そういうふうに言っていた自分が、廃業宣言で4月1日前後からぐーっとオンラインの勉強をして(笑)。
やっぱり40いくつになってきて、ある程度キャリアを積んでしまうと、イチから勉強をやり直す機会自体は少ないというか、貴重な機会だったなと思っていて。
僕はオンラインのミーティングの仕組みをゼロから勉強し、「オンライン・ファシリテーターです」と名乗り、お仕事をしていくということを、この数ヶ月させていただいて。これはファシリテーターノートと呼んでいるんですけれど、昨日までで137本のミーティングを進行しています。
西村:4月1日以降?
青木:以降。
(西村、拍手)
青木:加藤さんとの約束は破っているんだけれど(笑)。気が付いたら、めちゃめちゃたくさんのお仕事や機会……お金にならないような仕事も含めてね。そういうオンラインミーティングのファシリテーションなり進行なりをお手伝いをさせていただいていて。今おかげさまで、すごく忙しくさせていただいて。
そのうちの3本だけがリアルの仕事(笑)。リアル会議は3本なので、もう2パーセントぐらいですか(笑)。98パーセントはオンライン会議のファシリテーションを仕事にしている人間です、という自己紹介でした。みなさんよろしくお願いいたします。すみません、長くなっちゃって。
西村:あはは(笑)。いやいや。本数がたくさんできるのは、やっぱり移動を伴わないことが大きいよね。
青木:大きいね。僕は出張族だったからなぁ。北海道に行くと、ウニ丼とかイクラ丼とか鮭丼を食べられるわけですよ。
西村:そういう話する?(笑)。
青木:ごめん(笑)。僕の仕事ってやっぱり、ものすごく集中力がいる仕事なの。北海道へ行くなら、羽田に着く。着いて飛行機に乗る。千歳に着く。この間、ずっとそのミーティングのことを考えて行くわけ。
「どうできるかな、どんな人が来ているんだろうな、こんな進行の仕方でいいのかな」と思って、ぐーって集中して作り込んでいって、いざ北海道に立つと、「僕の想定とぜんぜん違う参加者だ」と、またびっくりして(笑)。そこでぐーっともう1回、一生懸命やるわけ。
西村:わかる、わかる(笑)。
青木:やっぱり、加藤さんが言ったように全力の仕事だなと思っています。ものすごく自分の全身全霊をかけて会議を進行して、終わったあとはウニ、イクラ、鮭丼と、北海道の地酒でバーって「終わった!」と言って、がーって寝て帰ってくるような仕事だったのが、オンライン・ミーティングだと「ホストが許可をします」と言って、もう北海道に着いちゃうわけ(笑)。それでウニもイクラもなく帰ってくる。
西村:そっか(笑)。
青木:その日の夜には沖縄の仕事です、ということで、バーっと沖縄にまた行っているわけ。これはこれでありがたいですけれど、準備が大変だなという……。
西村:心の準備?
青木:準備が8割。僕は「グッドミーティングを作るには準備が8割だ」とずっと言っていて。良い準備ができればミーティングなんて良くなるわけです。ただ、今は僕が行きの飛行機などで一生懸命準備していた時間がないので。移動がないのは大変いいことなんだけれど、1個1個の準備を疎かにしないように、自分でちゃんと時間を確保したり、心を落ち着けたり整えたりすることは大事だなと思って。最近、反省をしたり失敗をしたりしております。
西村:オンラインになって移動を伴わなくなると、詰め込もうと思えば、空いているところにポスポス入れていけるようになっちゃうよね。その前のリードタイムというか、準備とおっしゃったけど、心を整えたり予習をしたり、いろんな想定をするということですよね。
場合によっては、それをミーティングが始まった瞬間に丸ごと捨てるわけだけれど。そういう時間をあまり取れなくなっているということ? だって、4月1日からすでに百何本もやっているというと……。
青木:そう。本数的にもめちゃ多いので、移動の時間が減ったぶん増えている。実際、帰りの移動はほとんど何も考えてなくて、廃人みたいにぼけ~っとして帰ってくるわけですよ。だから、そこをカットしても別にいいんだけれど。
いや、でもほけ~っとする時間は大事かな。その本数をこなせるのは大変いいことなんですけれど、1本1本の質をちゃんと上げないと、誰の役にも立たないなぁというのを気をつけたいです。
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