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自分と向きあう『ジョブレス時代』の過ごし方~篠田真貴子さん(エール/ALLIANCE監訳者)×大野誠一さん(ライフシフト・ジャパン)(全3記事)

「40代は不惑」ではなくなってきている 人生100年時代の生き方を模索するタイミング

ライフシフト・ジャパン株式会社による、人生100年時代の豊かな生き方のロールモデル(ライフシフター)を招いたトークライブシリーズ「LIFE SHIFT LIVE」。今回のゲストは、ほぼ日取締役CFOを辞し、1年3ヶ月のジョブレス時代を経て、エール株式会社の取締役に就任した篠田真貴子さんです。同じくジョブレスの経験者であり、ライフシフト・ジャパン代表の大野誠一氏との対談の模様をお届けします。本パートでは、50歳を前に仕事を辞めた大野氏の体験談や、篠田氏がジョブレス明けに見出したものについて語りました。

「50歳になるな」と思った瞬間に、仕事を抜けたくなった

大野誠一氏(以下、大野):先ほど、2~3ヶ月のつもりだったのが、2人の友人の方から「1年ぐらいはジョブレスを続けたほうがいいよね」というアドバイスを受けて、けっこう長く「ジョブレス」でいることが決まっていったというお話がありました。いろいろなご友人の方々とか、かつての仕事の同僚の方々と接点を持つことが多かったんですか?

篠田真貴子氏(以下、篠田):はい。そうですね。直接の過去のお仕事の同僚もいますし、その紹介でゆるくつながっている知り合いもいて、ジョブレス期間は毎日3つ4つアポがある時期が続いて、一時は忙しかったですね。

大野:おお、けっこう忙しかった(笑)。

篠田:私のような、50歳前後で一遍会社を離れるという方々は、みなさん「2ヶ月ぐらいはずっと飲み会が続いた」とかおっしゃっていました(笑)。

大野:そうですね。私も49歳のときに「ジョブレス」を経験しています。私の場合は篠田さんとだいぶパターンが違うんですけど、2008年だったんですね。私もまずは半年、仕事を離れようと思いました。私の場合は、「50歳になるな」と思った瞬間に、一回、仕事を抜けたくなっちゃったんですよ。

このまま50歳に突入しちゃうと、抜けるタイミングがなくなるんじゃないかなという感覚がありました。先ほどの「ライフシフトの法則」で言うと、すごく心が騒いだんですね。

ただ、そのあと予想外の出来事が起きたんです。2008年の春に初めて「ジョブレス」になって、ちょうどその夏が北京オリンピックだったので、すごくゆっくりとテレビを見られました。

「これはいいじゃん」と思っていたんですが、オリンピックが終わったあとにリーマンショックがやってきました。世の中の風景がガラッと変わって、「これはちょっと、悠長なことを言っている場合じゃなさそうだな」と(笑)。

ただ、「今慌ててもだめだな」とも思いました。世の中が冷え込んでいく状況だったので、結果的に僕はちょこちょことした仕事を1年後ぐらいから始めたことは始めたんですが、ちゃんと居場所を決めるまでに、3年ぐらい「ジョブレス」だったんですね。

だから、篠田さんとはだいぶ展開は違うんですけど、意外と長いジョブレス期間でした。そこをさっきのプロフィールでは「フリーランス」と書いていますが、当時は「プータロー」と呼んでいました。

40~50代と70~80代に、生き方を再考する人が増えていく

篠田:(笑)。それこそさっき私に向けていただいていた質問と近いんですけれども、この期間、ちょっと不安になられたりとか……?

大野:いや、すごく不安でしたね。やっぱり、リーマンショックがぶつかってきたこともあり、「仕事に戻れないんじゃないかな……」という感覚になることもありました。

ただ、少しずつ個人で仕事を受け始めて、「もしかすると、こういう働き方を続けていけばいいのかな」と1年後ぐらいには思い始めました。けれども、けっこう不安な時期が長かったですね。篠田さんは1週間しかなかったということなんですけれどね(笑)。

篠田:(笑)。本当にそこは、お話をうかがっていても、やっぱり個人ではコントロールしがたい運のような部分はありますよね。私の場合は非常に幸運だったし、大野さんの今のお話は、かなりアンラッキーというか……。

大野:(笑)。ただ、私たちがインスパイアされた『LIFE SHIFT』という本には、「エクスプローラー」というステージが提示されていて、「探索者」と訳されていますけれども、本を読んだ時には、20代ぐらいの大学を出て就職する若い時に、イギリスの「ギャップイヤー」のように、世界を旅してきてから何をするか考えるような時間を取ろうという意味かなと思っていたんです。

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

しかし、あの本では、若い時代と40代後半くらいにそういう人が増えるでしょうと書いてあります。あとは70~80歳ぐらいでもあるんだと書いてあって、やっぱり40~50代のミドルの危機のようなタイミングでそういう時間を過ごすことは、けっこう大事になりますよね、とあの本では書かれているんですよね。

「元〇〇」という肩書きと距離を置けるようになった

篠田:なるほどですね。今、お話をうかがいながら、さっきのご質問のお答えにもう1個足したくなってしまいました。期間をおいて何を得たかというところですが、仮に過去の自分の職歴の看板があるとするならば、そことの距離ですね。

ジョブレス期間をもったことで、自分は過去の看板から精神的に距離が置けたし、周りの方が私を評価するときも、「元○○」とか、「前の仕事の知見を生かして……」というご期待をされなくなりました。「元○○」で次の仕事をしたいとはまったく思っていなかったので、私はそこをプラスに捉えていました。

逆に、過去のノウハウを直接持ってくることを期待されて一緒にお仕事をしてしまうのは、ちょっとよくないなという感覚がありました。さっきお話しした私の内面の変化がもっとも重要なんですけども、加えて、他の方々が「篠田真貴子」を働く者として評価するときに、過去の看板への期待がなくなったのはよかったなと思います。

大野:質問にも、今のお話に関わるものが来ています。「今現在、ジョブレスです。今までの経験やスキルと新しい挑戦のバランスは、どういうふうに考えられましたか?」という質問が来ていました。

篠田:もちろん、これまでの経験の中で自分が身につけられたものでしか、次の仕事、少なくとも出発点のチャレンジは作れないと思うんですよね。

私が今感じてお話をしたのは、自分が「経験」だと思っているもののある部分は、やっぱり「ネーム」であったり、私が過去にいたさまざまな会社に対する「他者のイメージ」に応えるようなことだったりするわけです。ジョブレスになったばかりの時期はそこがちょっと、自分の中でも峻別できないんですよね。私は多少、そこを整理していけたと思います。

前職の経験をまったく使わないことはあり得ないんですけども、経験を使うことと、「元『ほぼ日』だから」とか、「昔マッキンゼーにいたから私はこれができます」というのはまったく別の話です。新しい環境に入っても発揮できそうな、本来の意味での自分の血肉になった経験を峻別するという感覚でした。

大野:なるほど。わかりました。前半は「ジョブレス」がらみの質問を少し先行させてやらせていただきました。

社会で自分を役立てるためのヒント

大野:今回のインタビューでは、「ジョブレス明け」のときに、自分をどう社会に役立てるのか、自分をどういうところでどう有効活用するのか、というお話が出ていたと思うんですよね。

やっぱりその辺に関する質問もけっこう来ていて、「自分の今までの経験をどう役立てていけばいいのか、すごく自問自答して悩んでいます」というものがあります。「自分の有効活用の仕方を考える」という意味で、ヒントや見つけるための手法など、アドバイスがあったら教えていただけますか?

篠田:ありがとうございます。2点あって、1つはみなさんもう当然よくおわかりと思うんですが、仕事の評価は他者が決めます。

「自分がどうしたいか」は、もちろん続けていく動機として大事なんですけど、需要がないところには仕事がないので、「自分が何をしたいのか」とあんまり自問自答しすぎちゃうと、ちょっと乖離してしまいます。だから、「呼ばれたところに行く」というのがまずは大原則だと私は思っています。

その上で、さっき大野さんが触れてくださった「自分をどういうところでどう有効活用するのか」という内容を私が学んだのは、デイヴィッド・ブルックスという、アメリカのコラムニストの方が書いた『あなたの人生の意味』という本です。

あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」

それを「ジョブレス」になる前に読んでいるんですが、そこには「人が生きていく上で、一見相反する2つの考え方を、共に自分に問いながら私たちは生きていくのだ」という内容があります。

1つは「自分はどういう人生を送りたいのか」というものです。これを突き詰めていくと、ちょっと功利的になってくるんですよね。「自分にとっての成功は何か」「その成功をするために何をしたらいいのか」という問いです。

もう1つの問いが、「人生は私に何を求めているのか」「何を問うているのか」です。こちらはやっぱり、どちらかと言うと「良い自分の人格を磨く」といった方向にドライブがかかる問いです。

そうすると、例えば前者のマインドでいくと成功が大事なんですけど、後者のマインドでいくとむしろ成功だけだと危ないんですね。失敗をして、そこで自分をもう一段深く理解して、さらに人間として成熟していくことが必要になってくる。そういうことを、さまざまな例を用いて説明した本なんです。

その本を通して「自分が何をしたいか」ということと、「他者」、もっと広い意味では「世の中」や「人生」が私に投げかけてくる課題や機会が難しいものであっても、それを基本的にちゃんと受けることに意味があると考えるようになりました。

「自然体の自分」が価値を生み出せると思える分野

大野:なるほど。今回の篠田さんは、「ジョブレス明け」に向けてというときには、「人生が自分に何を問いかけているのか」ということを、具体的にどんなもので感じられましたか?

篠田:本当に私はちょっとラッキーすぎるなと思っています。「ジョブレスでーす」「仕事しません」と周りに言っている中で、ちょこちょこカンファレンスでお話をする機会があったんですよね。

「何か文章を書きませんか?」というお誘いもありましたが、別に収入が目当てではなく、基本的に「ジョブレス」なので、大変申し訳ないんですけど「これはおもしろそうだ」と思うところだけを選ばせていただくような、わがままができちゃうぐらいだったんです。

その辺を見ていくと、例えば大野さんとご一緒したイベントもそういった文脈だと思うんですけれども、やっぱり「人」と「組織」の関係では、「組織」が主語ではなくて、「自分が生きていく中で、『働く』というのはどういう意味なんだろう」と問うようなテーマでお声がけいただくことが多かったです。

そこに喜んで出かけていく自分を発見したので、その分野で何らかの仕事ができるならば、おそらくは何らかの求められているお役目があるんだろうし、自分としても「自然体で何らかの価値が生めるのかな」と思いました。

大野:なるほど。

篠田:その文脈でエールとの出会いがあったので、これがもうラッキーというか……。

大野:なるほど。ラッキーというのはいろいろな準備をしている人に来ると思うんですけど、今のお話とちょっとからんだ質問が来ていて、「篠田さんは誰かと自分を比べて苦しくなることってありますか?」というものがあります。

周囲と自分を比較して悩んだ時期

篠田:今はあまりないんですけど、45~46歳ぐらいまではすごくそうだった(笑)。

大野:すごくそうだった(笑)。

篠田:(笑)。そうですね。一番わかりやすいところでいきますと、インタビューでもお話をしましたように、34歳でマッキンゼーを辞めた理由は、業績不振です。「あなたはもうここにいないでください。お引き取りください」と、要は退職勧告的な状況だったわけですね。それでものすごく落ち込んだし、情けないし、傷ついた。

そこから子どもを持ちながら仕事をするという、新しい人生のあり方を試行錯誤したことも組み合わさっていたと思うんですけど、基本的に「自分はだめなんだ」というところから脱却できずに、10年ぐらい過ごしちゃいました。

その頃は、同年代の活躍している人を見て、うらやましい気持ちもあれば「なんで私にそういうチャンスが来ないんだ」というような腹立たしい気持ちもありました。

すごく他者と自分を比べて、あるいは周りの……とくに、当時の価値観でいくと男性の友人かな。(彼らは)子どもがいても、以前と変わらず仕事に100パーセント没頭して、それで成果を上げている。

だけど、私は乳幼児を抱えているから、時間的にも精神的にも仕事にフルコミットできない。このハンデがありながら、「なんかずるくない!?」という意味でも、他者と比べていましたね。

肩書きや序列にとらわれない生き方への転換点

大野:そういう感覚が抜けていったのか、変わっていったのかはわかりませんが、ご自身で変わったタイミングというのはあったのでしょうか?

篠田:1つ目はたぶん、前職にいた途中ぐらいからだと思うんですけど……。その前、「ほぼ日」に入る前ぐらいからかな? それまでの私のキャリアは、わりと世の中ですばらしいとされる学歴を修め、すばらしいとされる会社をいくつか経験して、なんだか世の中的に良いとされる「カード」を集めているような感じでした。

それしか知らないので、「カードを集めている」と自覚してはいませんけれどもね。そうじゃないものを選ぶ発想がなかったがゆえに、その価値観にとらわれていました。

例えばビジネススクール。今思うと本当にひどいんですけれども、経営コンサルティングの会社がアメリカにもいくつかある中で、「マッキンゼーは偉いけど、A社はいまいち」みたいな、どうでもいい微細な差でスクールカーストが成り立っているんです。

結局、そのコミュニティの感覚のまま30代を過ごします。自分の人生の価値の多寡を、その微細な差で測られているような感覚にとらわれていたと思うんですよね。

それが「ほぼ日」という、その物差しではまったく測りようがない仕事の機会を得たことで、結果的に細かい差でもって人と比べる世界から抜け出しちゃったというのは、すごく大きかったと思います。

大野:なるほど。環境要因もあったということですね。

篠田:すごくあったと思いますね。そこでしか見られない世界があって、そこでしか経験できない仕事があって、それをおもしろいと思える自分がいました。

2つ目は、やっぱり私はそこが本当におもしろいと思ったからだと思います。「このおもしろさは、申し訳ないけど、あなたがたの立派な大企業じゃ味わえないわけよ」という(笑)。

大野:(笑)。「ざまあみろ」という感じですか?

篠田:「ざまあみろ!」という気持ちになれたのは、すごくよかったですね。「この問題を解いている人は、私しかいないんだ」という感覚に変われたのが非常に幸運だったと思います。

マッキンゼー時代の挫折を乗り越えられたきっかけ

大野:先ほどちらっと「退職勧告に近い状態だった」というマッキンゼーでの話が出ましたけど、今回のインタビューで私も読んで一番びっくりしました。今、あの話ができちゃうところがすごいなと思ったんです。

質問にも「マッキンゼー時代の挫折を人に話せるようになったきっかけは何ですか?」というものが来ているんですが、そこを教えていただいてもいいですか?

篠田:段階としては2つあったと思います。1つ目は2013年の初めだったんですが、私が自分のキャリアのことを初めてWebメディアに出るかたちでお話をしたのが、そのタイミングなんですね。

これはインタビューをしてくださったのが、伊賀泰代さんという方です。「伊賀泰代」と私の名前で検索するとその記事が出てきますけれども、彼女はマッキンゼーの採用マネージャーだったんです。そのちょっと前にマッキンゼーを辞めて独立されていて、ご自身のウェブサイトを開設されて、そのコンテンツにと私にインタビューをしてくださることになったんですね。

要は、私が初めて自分の過去を振り返って話すその相手が、私がマッキンゼーを辞めた事情をつまびらかにご存じだった方なんです。ですから隠しようもないし、隠す意味もない。

結果、それですごく救われました。私としては本当にお恥ずかしい話なんですけど、やっぱりそういうかたちで辞めたときは、事情を知らない友達や職場の仲間には当然、本当のことなんて言わないし、私が辞めた事情をわかっている伊賀さんのような方には、ほぼご挨拶もせずに逃げるように辞めているんです。

そこで初めてちゃんと、10~12年経って振り返ると、「あれはやっぱり自分がこういうところが足りなかったんだと思う。だけど、そのときの自分には、まったくわかっていなかった」ということが話せたんです。そこがすごく大きかったんです。

だから、そのインタビューが普通の「はじめまして」という記者さんだったら、その話はできず、そのままになっていた可能性があります。

もう1つが、その数年後に、女性向けのカンファレンスで「失敗談を話してください」というテーマのものがあったんです。そこで、改めてきちんと自分なりに振り返って話をすることができて、それにログミーさんが入っていて、それが記事化されたときに、私の期待値をかなり超えるバズり方をして(笑)。

なんて言うんですかね……。そういう自分に、他者が「それで大丈夫だから」と言ってくださったんだという感覚を覚えたということでしょうか。だから、やっぱりそこも運が良かったと思います。

大野:けっこう荒療治で乗り越えたという感じですね。とくに伊賀さんのインタビューというのは(笑)。逃げられない、羽交い締めのようなものですね。

篠田:そうです。逃げられない。

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