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新時代に向けて、働き方本の大ヒット著者たちが語る 「新時代の自分の仕事をつくる術」(全5記事)

BE的動機がないと仕事は“空しい”だけ 一生懸命働く人ほど陥る「なんだか疲れる」の正体

2019年6月20日(木)、&Co.代表取締役であり「Tokyo Work Design Week」オーガナイザーの横石崇氏による新著『自己紹介2.0』の刊行記念トークイベント『新時代に向けて、働き方本の大ヒット著者たちが語る「新時代の自分の仕事をつくる術」』が、銀座 蔦屋書店で開催されました。本イベントには、楽天大学学長 仲山進也氏、キャリア・ポートレートコンサルティング 村山昇氏がスピーカーとして登壇。「仕事のモチベーション」「チームワーク」「自分らしさ」を軸に、働くことの未来像について語りました。このパートのテーマは、昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わるなかで「仕事のモチベーション」はどう変容してきたのか。各時代をフレームワーク化して導き出したお三方の答えとは?

3段階で捉える時代変化

仲山進也氏(以下、仲山):(Facebookの)メッセンジャーで打ち合わせしていて送られてくる、村山さんからのお題がすごい(難易度が高い)ですよね(笑)。

横石崇氏(以下、横石):まずはこの「仕事のモチベーション、チームワーク、自分らしさ」の3つについてお話をしていきましょう。順番に上からお話をしていったほうがいいですかね?

仲山:まずは、村山さんから出題意図を聞いてみましょうか。

村山昇氏(以下、村山):今日いらっしゃっているみなさんにとって身近な話題かなというところです。

仲山:最初のお題は、「昭和を1.0、平成を2.0、令和を3.0としてフレームワークをお互いに考えて出し合うというのはどうですか?」というものでした。

村山:今日の話は時代の変化を3段階に分けて、どういう流れできているかというのを考えてみようということです。最初のお題は仕事のモチベーション。

みなさんもなにかしら動機をもちながら働いていますよね。その働く動機が昭和のコテコテの人たちと、平成の人たちと、これからの令和の時代とで、ベースになる働く動機がどのように変化していくのかを話し合いたいと思います。

この図は、時代の変化を3段階で分けたときに考えた図です。例えば昭和、平成、令和というように時代がフェーズアップして、きちんと世の中が進化していくということもありますね。これはわかりますよね? 進化系ということで。

これは進化していくんですけど、勢いよくきちんと進化していくよりは、フェーズⅠもこの時代には多少残骸が残っていて、引きずりながらもメインはこっちに移っていくという図です。あとは違うパターンもあったということで、フェーズダウンというような、時代とともに進化ではなく退化していくこともありやしないかとか。

次は時代って振り子なところもあります。時代Ⅰが左にあったけど、右へ違うほうに触れたことで時代Ⅱに代わって、右に来た反動で左に戻るとか。戻ったとしても、時代Ⅰとまったく同じではなく、少しかたちを変えて左に寄り戻しがくるような場合もあるかなと思います。

このあと我々三人で、時代が3段階に代わってくるという話をするのですが、こういうフェーズの変化に対応するのかどうかを前座としてお話をしておきます。

HAVE的動機で働いていた昭和時代

村山:では早速、私の仕事のモチベーションの話です。仕事のモチベーション1.0、2.0、3,0ということで、昭和コテコテの時代、平成の時代、令和の時代に分けています。

昭和コテコテの時代がどういう動機が主流だったというと、「HAVE的動機」と書きました。戦後日本はモノがなく、高度成長期とともに働けば働くほど、マイカーや家電製品、マイホームといった三種の神器が持てるようになった。

だから「もっと持ちたい」という欲求に応える形で、会社は年収額や役職や福利厚生を充実させて、従業員に働いた分だけ与えたわけです。物質的に多く持っているのがやりがいになって働いていた時期なのかなという気がします。

それから平成の時代になって、モノがだんだん充実してきた。自己実現という言葉が流行りましたが、楽しく仕事をやりたいとか、自分のやっていることを人に見てもらいたいという、いわゆる承認欲求ですね。楽しくやるとともに成長したいということです。

平成の時代の転職する若い人たちの動機をいろいろ見ていると、「この会社には成長機会がない」「成長できなさそう」という(声が多く)。年収は二の次で、成長機会がないという理由が1位に躍り出るのが平成時代(の特徴)です。

令和以降はどうなるかというと、「どうあるべきか?」という自分の存在意義を仕事で確認していきたい「Be的動機」(が顕著)です。(平成以前は)Do動機で成長機会や自己実現欲求、承認欲求を満たすという理由もありました。

嫌な言い方をするとジコチュー(自己中心)的な「自分だけ!」というわがままに暴走する人もいたりしました。世の中的にも自己中心を意気盛んに言っている若者を斜めにみる年配者がいたりします。

それの修正版で「楽しくやりたい」ということだけど、きちんと世の中のためにつながり、働く意味とか深い次元で人と繋がって共創していく。それが自分の中で納得できて、泰然自若と構えられる。そこらへんに移っていくのではないかと思います。 

世の中をどう処していくかという方法論から、自分の在り方とは何なのかに関心が移るんじゃないかなというのが私の考えです。

訓読みすると見えてくる「自由」の定義

横石:仲山さんは1.0から3.0の話をうかがって深いうなずきをしてましたが、どう見ていますか?

仲山:おっしゃるとおりだなと。

横石:ご自身もそうですか? HAVE的な動機からどんどん変化していった?

仲山:それも踏まえて、僕の考えてきた意見を先に言ってみてもいいですか? 

村山:どういう差異があるのか。共通点があるかですね。

仲山:僕の働き方の本は、『組織にいながら、自由に働く。』というタイトルです。さっき言ったみたいにあまり会社に行かないプレースタイルでやっていると、「いいよね、自由で」と言われることがあって、なんとなくモヤッとするんです。

なぜそうなるのかと考えてみたんですけど、「いいよね、自由で」の“自由”の意味が「こっちはちゃんとやっているのに、お前はわがまま放題、好き勝手やってていいよな」と言われているニュアンスを感じるから。今、村山さんが「自己中」とおっしゃってましたけど、自分では「わがまま放題、好き勝手というわけでもないのにな」と思うのがそのモヤッと感の原因だと思って。

「自由」という言葉をタイトルにも出すぐらいだから、ちゃんと定義をしたいなと思って考えました。まず自由の対義語から考えてみようと思って、拘束とか束縛、強制、統制とか、そういうのが思い浮かびます。それって全部「わがまま放題、好き勝手」なやつをなんとかしようという意味合いだから、あまり広がらないなと。そこで今度は自由を訓読みしてみました。

「自分に由(よ)る」とか「自分に理由がある」と読める。自分がやりたいと思えて、自分で意義があると思えるからこの仕事をやろうと選び取ってる感覚が、自分の中にあると思いました。これでいけるなと思って。ということは、対義語は「他人に理由がある」。それで「他由(たゆう)」という造語を使っていくことにしました。

スライドの上のほうに「他由」という言葉が出てくるのは、そういう意味です。組織で働いていると、仕事の始まりはだいたい他由スタート。つまり、上の人から「これやって」と言われて始まります。

その仕事を自分なりに解釈して、意味のタグを付け替えたりして、「こういうふうに捉えると自分でやりたいと思えるな」と思えれば、自由に転換できたことになるんじゃないかなと思っています。僕の自由の定義はそういう感じなんです。

仕事から私事へ

横石:言葉いじり繋がりでいうと、仕事って「仕えること」じゃないですか? それはやっぱり他由だと思います。僕は「Tokyo Work Design Week」で去年、“「仕事」を「私事」へ”というコンセプトを打ち出しました。

仲山:「私事」というのは「自分事」という意味合いですか?

横石:そうです。他由から自由へシフトしていくという考え方に共感します。

仲山:ちょっと進めると、そもそも1.0とは何かというのも考えようと思いました。左側の「世界観」の欄にあるのは、フィリップ・コトラーさんの本『マーケティング3.0』に出てくる分類です。1.0は製品が中心だった時代。これが昭和と言ってもいいと思います。2.0がお客さん中心、3.0が理念とか人間中心です。

1.0の仕事は「工場の生産ラインで働きます」というのが典型イメージです。指示命令されたことをやりますと。仕事では「やれ」と言われたことができないのはNGなので、凸と凹があったら、凹を無くすようにがんばる。そういう働き方になります。

横石:規格化された働き方。

仲山:モチベーションという視点だと、「怒られないためにがんばる」という感情的プレッシャー。あとは、食べていくのに困るようになったら大変だという経済的プレッシャー。

または惰性。同じことをやり続けて飽き飽きしているんだけど、惰性でやるという動機です。あえてネガティブなものに寄せてますけど、1.0はそういうイメージです。もちろん、そんな時代にも楽しく働いていた人はいると思うんですけど。

チームビルディングはジグソーパズルと似ている

横石:2.0は?

仲山:まさにさっきのDoと繋がるのが2.0だと思うですが、「自分が楽しいからやってます」というイメージですね。その仕事をやっていると、喜ばれたり成長できたりするという動機で働いているのが、2.0のイメージです。

1.0は凹を埋める働き方でしたけど、2.0は凸を活かす。強みを発揮していると、「いいね」と褒められてうれしいからもっとやりたくなる。どんどんお客さんが喜んでくれるような働き方をしていくようなかたちです。

僕は、チームビルディングの本も出させてもらっているんですけど、チームビルディングはジグソーパズルと似ているなと思うんです。ピースである一人ひとりに凸と凹があって、うまく組み合わさるとチームになるんですが、1.0だとみんな自分の凹を埋めようとがんばって、四角くなろうとする。凸か真っ直ぐな辺しかないジグソーパズルになったら、1個も組み合わさらないよね、みたいな。

チームになるためには、「凹は誰かの凸を活かすために、わざと空けてあるもの」という発想が大事です。それが3.0の「凹を活かす」の意味合いです。イメージ的には人の凸の面積と凹の面積って、だいたい同じようにつくられているんじゃないかなという気がしています。

凸がでかいと凹もでかい。凹を矯正しようとか隠そうとするのではなく、凹のまま活かすのが人間らしい働き方かなと。「そのままでいいんだよ」という表現がありますが、僕は今言ったようなニュアンスでとらえています。

Beが抜け落ちた仕事には虚しさしか残らない

横石:お二人とも最後、Beと書かれていますけど、別に前もって合わせたわけじゃないですよね? お二人がこれから、令和なのかわかんないですけど、これから先にBeにヒントがあると思われたことにはどういう意味があるんですか? もちろん1.0から2.0に変遷してきたのは、個人的な体験もあるのかなと思いますが。

仲山:村山さんいかがですか?

村山:1つの角度からいうと、大企業中心の研修をやっている中で、人が疲れているというのが第一印象なんですよ。昭和のモーレツが一段落して、みんながだんだん疲れてきたんでしょうね。モノ中心、命令中心で、会社や組織が起点になって何かをやらされる。

その次にDoの時代がやってきます。Doで一生懸命やるんだけど、根底にちゃんとした確たる意味を掴んでないものだから、とりあえず忙しく働いてDoしまくるけど、なんか疲れちゃう。

みんなが「なんで疲れているんだろう」と思ったときに、自分の存在というBeに意識が向きだした。Beが抜け落ちたまま、モノを追ったり動き回ったりして、空虚感や疲れが残った。

だから、Beという自分の存在とか意味とか使命、理念などを埋めたうえでのDoじゃないといけない。そのうえで結果的に持つものが増えてくるとうれしい。そっちの順序にようやく気付いたということじゃないのかな。

横石:お二人の話だと『自己紹介2.0』の「2.0」が真ん中でブリッジする平成の時代の話のように聞こえますが、念のために補足しておくと「2.0から3.0へいこうぜ」というのがこの本の真意です。「自己紹介3.0」にしておけばよかった(笑)。

肩書きに縛られた結果、肩書きとして(の人間を)演じるわけですよね。過去にばかり縛られて自己紹介してしまいがちなんだけど、本来は肩書きや役職を抜けて、人間中心、Beをどう語っていくかみたいなことを伝えられるといいなと出した本です。

今日三人で話したかったのは、2.0から3.0へ向かう真っただ中で、実践としてどういうことができるといいのかなという話です。もう少しスライドを進めていって、仲山さんの話で進めましょうか? 

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