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パネルディスカッション(全2記事)

日本型企業は「60歳で市場に放り出す」 フリーランスたちが考える、人生100年時代のキャリアプラン

「仕事2.0 人生100年時代の変身力」を執筆した佐藤留美氏が2018年8月10日、新著刊行を記念してトークイベント「変わる時代の変わらないリスク。ちがう明日を生きるための『仕事2.0』」に登壇しました。書籍のテーマと同様に、多様かつ柔軟な働き方をすればどうすればいいのか? 専門家や実践者をゲストに迎えて議論しました。本パートでは、著者の佐藤氏をモデレーターに、フリーランス協会の平田麻莉氏、法政大学大学院教授・石山恒貴氏、フリーアナウンサー楪望氏らが現在のワークスタイルを振り返り、働き方の未来についてディスカッションしました。

定年まで大手勤務の予定が、大学院へ

司会者:続いてのパネルディスカッションでは、佐藤留美さんと3名のゲストをお呼びしてディスカッションをしたいと思います。改めて拍手でお迎えしたいと思います。よろしくお願いいたします。

(会場拍手)

仕事2.0 人生100年時代の変身力 (NewsPicks Book)

では、この後モデレーターの佐藤さんに変わるんですけれども、最初のテーマが「自己紹介とこれまでの変身歴」ということから始めさせていただくので、最初に石山先生の方から、自己紹介と変身歴についての話をいただけますでしょうか。お願いします。

石山恒貴氏(以下、石山):はじめまして、石山と申します。よろしくお願いします。今私、法政の政策創造研究科というところにいるんですけれども、こちらが社会人大学院というところでして、20~30代ぐらいがいっぱい学びに来てくれているので、私53歳なんですけども、私のちょうど真ん中ぐらいですね。

40~60代の方が熱心に毎日学びにいらっしゃっていて、平日は6時半から10時まで、土曜は朝から晩までということで、だいたいみなさん働きながら来ているということなんですね。

みなさん自分でお金を払って学びに来られていて、そういう意味で言ったら新しいことを作る方がいっぱいいらっしゃる人のなかで、私は6年ほどやっております。

ただ、変身歴って言われると、みなさんに言うほどの変身もないんですけども。もともと私は1988年に大手電機メーカーに入ったんですが、その時はとくに何も考えてませんで、ただ安定して定年まで大手電機メーカーにいるだろうなぐらいしか全く考えていなかったんです。

その後何社か転職しまして、6年前からこちらでお世話になっているということです。そんなにたいしていないんですけども、なんでこうなっちゃったかは、あとでお話したいと思います。よろしくお願いいたします。

佐藤留美氏(以下、佐藤):ありがとうございます。

(会場拍手)

成り行きの業務委託でフリーランスデビュー

佐藤:次、平田さんお願いします。

平田麻莉氏(以下、平田):はい。フリーランス協会の平田と申します。よろしくお願いいたします。私自身は今フリーランスとして、いろんな企業の広報のアドバイザーやエグゼクティブ向け研修の教材を作ったりというような仕事をしつつ、去年の1月にフリーランス協会を立ち上げまして代表を務めさせていただいてます。

変身歴は、大学在学中に、その後入社することになる会社で一番最初のインターン仕事として、オフィスを作るところから参画しまして。20代はすっかり仕事人間だったんですけれども、そのあとアカデミアの研究者になりたいと思いまして、大学院に行きまして、修士、博士課程へと進学しました。

修士はビジネススクールだったんですけれども、日本のビジネススクールのケースコンペティションとしてJBCCというのを立ち上げて、博士課程へ進もうというときに先生から「事務員として広報とか国際連携の仕事をしてほしい」とおおせつかいまして。それが業務委託だったというのがフリーランスかつパラレルキャリアのデビューです。

本当に成り行きではあったんですけれども、やってみるとすごく自分に合っていたので、そのままフリーランスとして続けています。途中、子育てが楽しすぎて専業主婦になったり、いろいろあったんですけど、今もフリーランスとして働いているような感じです。

佐藤:仕事がプロジェクト型になっていく中でフリーランスの働き方はますます増えていくんでしょうけれども、一方でフリーから会社員になったらすごく安心した部分もあったんじゃないかと。そのことについても聞いていきたいと思います。

AbemaNewsとフリーランスの二足のわらじ

佐藤:ということで、次は楪さん。よろしくお願いします。楪さんはまだ31歳なのに今まで2.5回変身してきたということですね。

楪望氏(以下、楪):はい。みなさん今日はどうぞよろしくお願いいたします。今フリーアナウンサーをやっています楪望と申します。社会人9年目になります。

まず私は、局アナとして広島の局と大阪の局で合計4年間、会社員として局アナをやってました。

そのあとフリーアナウンサーになるんですが、「局アナからフリーアナウンサーって今はよくある話かな」と私のイメージだったので、2.5回のうち、0.5は局アナからフリーアナウンサーへの変身かなという認識をしています。

佐藤:アナウンサーはなんでやめたんですか?

:局アナをやめたのは、もっと広い分野の仕事がしたくなったからですね。

フリーになってから100パーセントフリーでやってたのは1年半で、そのあとコンサルティングベンチャーの社長さんにお会いしまして、フリーアナウンサーとして働いて「うちで兼業しないか」ということでそのベンチャーに入ったんですが、そこで1年ほどお世話になっています。私はマスコミ業界しか知らなかった部分があって、その1年はすごく勉強になりました。

みなさんが「どういう副業をしていきたいか」はわからないですけれども、私はやはりマスコミで生きている人間として、マスコミ業界以外の仕事を兼業するのはちょっとしんどかったかなと。コンサルティングベンチャーを1年離れて、その後AbemaTVのニュースチャンネル「AbemaNews」と出会うんですね。

「AbemaNewsと契約しないか」って言われたときに「私はフリーとしてもやりたいんだ」と申し出たら、「兼業でやっていきましょう」ということで。今はAbemaNewsとフリーランスの仕事を両立しながら「2足のわらじ」で働いています。

佐藤:どのぐらいの割合なんですか?

:そうですね。今AbemaNewsはテレビ朝日の中にあるんですけれども、月曜日から金曜日までお昼の番組を帯でやっているので、月~金は基本的にはテレビ朝日にいます。それ以外の時間は自分で調整しながら働いているという感じですね。

佐藤:なるほど。みなさんさまざまなかたちで変身されているかと思います。それでは次のテーマに移りたいと思います。

大手電機メーカーからGEへの大転換ストーリー

佐藤:みなさんの変身ストーリーをお聞かせいただいたのですが、「きっかけは何だったのか」と「その後の変化」をお聞きしたいなと思います。

石山先生は「企業から大学に行く」ってかなりのチャレンジだったかと思いますし、かなりの変身だったと思います。

石山:一番の変身だったのは、42まで大手電機メーカーにいて、そこで転職したときの方がむしろチャレンジでしたね。

佐藤:外資系ですね。全然社風が違うと。

石山:もともと会社に入る前は小説家になりたいって思ってて、なれそうになかったので就職したので、会社に入ってもとくにやりたいこともない。

それで思いつくまま配属希望を「営業をやります」って言ったら人事に配属されて。人事の方には多いと思うんですけど、いろいろ大変なこともありますけれども、人材育成とかあって「これはおもしろいな」と思いながらも、何かやっぱり自分に向いてないなと。

そんなある日、EQという心の知能指数の開発者が日本にきてワークショップでキャリアの棚卸しみたいなことをやってくれるときに、「君は人事どうなの?」って言われて「つまらないですね。向いてません」みたいなことを言ったら、「じゃあ、何がやりたいんだ?」って言われて。

「小説家になりたいんです」って言ったら、「人事の中でもマニュアルとか書く仕事はいっぱいあるでしょ。嫌がらずに人事の中のそういう仕事やってみたらどう?」とか言われまして。「なるほど」とやり始めたら、確かにいろいろ書いていくのっておもしろいなって思い始めました。そんなときに上司とか友達が、「社会人大学院がいいぞ」「今はそういうのすごくいいぞ」って言ってくれて。40歳のときに上司がすごい理解がある人だったんで行けたんですね。

学んでいたところ、外資系の人事とかかわる仕事がありました。外資系の人事とやり取りすることはあまりなかったんですけど、日系企業と全然違う人事の仕組みがあるなって思ってまして。そのとき、外資系の人事の人から「あなたは今の会社に10数年いるけど、このままここにいても能力の成長に限界があるよ」という話をされて。

「あなたみたいに英語ができない人がチームにいてもほぼ成功する確率はないから、死ぬ気で英語をやって、もし英語がうまくなったらなんとかなるかもしれない」みたいに言われて、英語がうまくなるのは厳しいだろうなと思いながらも、「一切成長しないよ」って言われたのが刺さって、思わず外資系に行ってしまったんですね。

ビジネスの世界で自分の立ち位置を相対化することができた

石山:しばらく苦労しながらも転職先で仕事をしていたのですが、その会社自体が他社に買収されることになりました。それで、どうしようとなりまして。

その外資系の会社の仕組みが学びたくて行ったのにどうしようということで、そのままそこの会社をやめて別の会社に転職したんですけれども、そのときにまたモヤモヤしちゃって。

そのままどうしようかなって思っているときに月島でもんじゃ焼きを食べていたら、そこでもんじゃ焼きを食べていた友達が、「今、法政の社会人大学院でゼミをやってるんだけどすごく楽しくて、博士を絶賛募集中だから行ったらどう?」って紹介してくれて。先生に会ってみたところ、入学を勧めてくれて、そこに働きながら入ることになったんですね。

佐藤:なるほどね。やっぱりそういう偶然の出会いとかがあるってことですよね。麻莉さんはどうですか。変身の機会とか。

平田:そうですね。私はずっと広報の仕事をやっていたんですけど、広報って経営と近いというか、対峙するのも経営者と直接が多かったんですね。あと、ベンチャーだったので自社の経営に関してもさまざまに勉強をさせていただいて、そこから経営というものに興味をもって、研究者になりたいって思っていったんですね。

本当にずっとビジネスの世界で生きてきたんですけれども、ビジネススクールで気づいたことというか変化として「自分の立ち位置が相対的にわかった」のがすごく良かったなと思っていて。

フリーランス協会も「ピン芸人」の中で成り行きで生まれた

平田:やっぱり1つの会社にいることは、ある意味、同質化した集団の中にいるので、社会全体の中で自分はどういう価値で貢献できるのかが見えにくかったんです。私が行ってたビジネススクールはけっこうタフでハードって言われてるんですけど、私は夢中で24時間働いているような「仕事人間」だったので、意外と楽だったんですよ。

そのビジネススクールでの授業とか勉強の余力でいろんな課外活動をやってたんですけど、そうすると自分のこのスピード感は異常なんだなとか、逆に自分に足りなかったものとかを理解できて、そういう意味ですごく良かったなと思っていまして。

実際、その次の変身としてフリーランスで働くことになったきっかけは、さっき言ったとおりではあるんですけれども、研究者って今すぐ世の中の役に立つかどうかわからなくても、新たな知を発見して論文を書くために自分の熱意を持って一人で壁と向き合うのが求められるんですね。

私は顔の見える誰かに喜ばれるみたいな、そういうことがしたかったので、あまり研究は向いていなかったかもしれません。フリーになったら、自分のやりたいことを1個に絞らずにいくつでも可変で、居場所を増やしていけるのがすごくいいなと思って。フリーになってよかったなって思います。

佐藤:協会をやられているのはなぜですか?

平田:協会は、本当にそれも成り行きなんですけれども、経済省がフリーランスの研究会を立ち上げるニュースをFacebookで見て、「私たちの時代キター!」みたいな感じでシェアしたら、私の周りにはすごくフリーが多くて、それもいろいろな職種でいるのでバーっとコメントがついて。最初その研究会に呼ばれてたのが人材会社の方だったんですね。クラウドソーシングの会社さんとか。

でも私を含めて昔からフリーで仕事してるほとんどのフリーランスの方はピン芸人で、クラウドソーシングを使ったことがない方が多くて。「こんなピン芸人の声は誰が届けてくれるんだろうね」みたいなことを仲間内で話してて。「でも、きっと政府の人も聞きたくても聞けないんだよね、みんな点在してるし」と。

なので「そういう窓口作りますか」みたいな。「じゃあ、わたし幹事やります」みたいな。バーベキュー企画する感じで立ち上げたんですよね。

自分の市場性を高めるために「報道」と「ゲーム」の専門性を見出した

佐藤:すごい話ですね。わかりました。楪さんは今「二足のわらじ」になったきっかけは何なんですか? なぜ2つやろうと思ったんですか?

:そうですね。今、自分の価値(の話題)は平田さんがおっしゃっていましたが、本当にその重要性に気づいたところが私にとって大きかったです。フリーでやっていくとなるとマスコミ業界では人脈というのがすごく重要で。

他の業界のことはわからないんですが、人脈作りにはすごく時間がかかりましたし、それを捨てるのもすごく勇気がいることだなと思ったときに、ちょうどタイミングよく世の中が副業解禁だのなんだのって言われ始めたんですよね。

兼業したいと申し出てみたら通ったのがきっかけで、それと同時に、より考え始めたのが自分の市場価値でした。それまでの私というのは、先ほど佐藤さんがおっしゃっていた「副業1.0」の仕事が多かったんです。

結婚式の司会だったり、「誰でもできる」と言っては失礼かもしれないですが、私じゃなくても良い仕事もたくさんありました。汚い話かもしれませんが、名指しでのオーダー仕事の方がいただけるお金も多くて……。しかし、生きるためにはお金も必要です。

「もっと自分の市場価値を高めていくにはどうしたらいいか」を考えていくと、「専門性」が必要だということに気付き始めました。今の私の専門分野は「報道の世界」と、あともう1つは趣味が仕事になりました。実は私、ものすごくゲーマーなんです。eスポーツが世界で注目されるようになってから、ゲームの仕事が世の中に増え始めました。

しかし「ゲームの世界でしゃべることができるアナウンサー」って、これまであまりいなかったんです。結果論にはなりますが、その流れで「私にお願いしたい」とオーダーしてくださることが増えていきました。

マスコミ業界だけでなく、さまざまな市場の方向性を見ていくうちに、やはり専門性ってすごく大事なんだなって感じるようになって。そこからですかね。

いろいろなアンテナを張っていると良縁を引き寄せることもある

佐藤:みなさん変化してきているんですけど、変化って辛くないですか。変化するのは本来すごくしんどいことですよね。

平田:私とかはけっこう成り行きなんですよね。全部のびのびというか、いろいろなアンテナを張りつつも、「今だ!」って縁が向こうからやってきたときにためらわず、ノリの良さというか、そういう感じですごく考えてるわけじゃなくて……。変化しようと思って変化したというよりかは、アンテナを張ってたら変化してたみたいな感じですかね。「プランドハプンスタンスセオリー」と言ったりするんですけど。

佐藤:石山先生はどうですか?

石山:僕も今麻莉さんがおっしゃってた、プランドハプンスタンスで、偶然を大事にするのはわりと実感がありまして。

自分ですごくやろうとしてやったわけではなくて、実は転職したときにもなんとなく人事関係の飲み会や勉強会に行ったら、隣の席の人がたまたまその会社の人事の人だったんですね。

社交辞令で褒めて「貴社の人事って最高ですよね」「かっこいいですよね」って言ってたら、「そんなにいいなら言っておきますよ」って返答されて、引っ込みがつかなくなった感じなんで偶然なんですよね。

佐藤:なるほど、偶然の変身みたいな。ありがとうございました。

では、ここからは変身しやすい世の中になっているかどうかをテーマに話してたいと思います。

兼業や副業解禁など、実際会社がフリーランスの働きやすい環境になってきたか、あるいは副業兼業者が働きやすくなってきたか、女性活躍はどうか。このあたりについて話していきましょう。

従来の日本企業的な考え方がまだまだ支持されている

佐藤:世の中の働き方って、実際問題変わってきてると思いますか。石山先生は、日本型の雇用がけっこう根強くて変わってないんじゃないかっておっしゃてましたけど、どうでしょうか?

石山:そうですね。そこらへんをデータで説明しますと、日本の働き方の雇用率って上がる一方で、今9割近くまできてます。だからむしろフリーランスが減っていると言ってもいいし、また終身雇用の支持率は上がる一方です。

佐藤:すみません、学生さんだけじゃなくてみんながですか?

石山:そうですね。全体では約88パーセントが支持、30代も約88パーセント支持とかそういう状況ですね。

佐藤:終身雇用にですか?

石山:そうですね。

佐藤:年功序列もある?

石山:年功序列も約76パーセントぐらい支持している。日本の人事部も「日本は日本型雇用でいいんだ」というのが多数派です。一方フリーランスで活用している企業は18.9パーセント。8割ぐらいの企業は兼業副業を禁止しているというのが今のところ実態です。

佐藤:なるほど。なぜ兼業副業に否定的なんでしょうね。

石山:いろいろ理由を聞くと「情報漏えいが怖い」「働きすぎて過重労働になる」などいろいろ理由が出てくるんですけども。

ただ、一言でいうと「忠誠を尽くさないやつは嫌いだ」ということだと思います。

佐藤:そうですよね。浮気されたくないみたいなのはありますよね。実際にうちの会社とかも副業と兼業を持ってたんですけど、結局会議とかでやってたりすると、もっとちゃんとやろうよって思ってる自分もいたりするんですよね。

その会社に在籍したいのか、名前が欲しいのか

佐藤:日本型組織はメンバーシップ型とかよく言いますよね。日本以外ではジョブ型とか「就社と就職の違い」なんて説明されますよね。日本人ってメンバーで同じ釜の飯を食べてわいわい、和気あいあいやってるのが本来的に好きなんですかね。石山先生、どうですかね。

石山:よく日本型雇用って、聖徳太子の頃からの日本の和を尊ぶ文化の話ではないかってよく言われるんですけれども、戦前の工場労働者の転職率は7割です。日本型雇用とかってたかだか高度経済成長以降のここ数十年のことにすぎないので、日本の文化そのものではないと思います。

佐藤:そうですね。

平田:私も本当にそう思いますね。戦後とかはほぼ全員アントレプレナーだったわけで。なんにもなければ自分で作るしかないということで1人1人が自分の中で感じた課題を解決していこうと思っているんですけど、今は大企業がたくさんできちゃった弊害で、会社を作るために入るんじゃなくて作られた会社に入るみたいなメンタリティの人が増えている。

でも、それも今後5年とか10年とか待たないぐらいの間に、またどんどん変わっていくんじゃないかなって思いますね。

:ちょっと最近思ったのが、人事異動で、部署異動させられると会社にいるの嫌にならないのかなと思うことはありますね。私が専門職だからなのかもしれないですけれども。

例えば、物書きをしたかったという志向があったとして、それが総務に移されてしまいましたと。全く自分が違う業界というか、同じ会社でも違う部署に行ったときに、それでもその会社に在籍していたいのか、会社のブランドの看板を持っていたいのか、それとも外にでることが怖いだけなのか。そのあたりって人生1回きりなのになんで、みんなもったいない。なんで飛び出さないのかなって思っちゃったりすることもありますね。

石山:それってすごいポイントだと思うんですよ。さっき佐藤さんがおっしゃった、51歳まで希望をもたせるというか、そうすると51歳までひょっとしたら社長になれるかもしれない、社長が無理なら役員になれるかもしれないというと、会社の中で昇進するというのに動機づけられて、総務から営業になる、営業から人事になるというのはしょうがないと社員は考えてしまう。

そうすると、なんかあまり自分でお金を出して学びに行ってもどうせ3年でリセットされちゃうからという構造になるのって、そのあたりのポイントだと思ってるんですけど。

平田:本当そうですよね。

人生100年で考えたときに1社で勤め上げるのはリスキー

佐藤:でも、辞めないほうがお得になってきますよね。50代だと退職金とかも今年やめるか来年やめるかで200万違うとか、どんどんそうなってくる設計じゃないですか。

平田:今はそうやって終身雇用を前提にまだ制度が残っている会社って多いと思うんですけど、これから人生100年って言われると、1社で勤め上げることが一番のリスクだと私は思うんですよね。

60歳で市場に放り出されて、「あと30年間、会社の看板なしにどうやって食べていこう」と考えると、早めに自立して転職するなり副業するなり、ポートフォリオを分散してやっている方がよっぽどリスクヘッジになると思います。

石山:そうですね。あらゆる企業にあるわけではないんですけど、典型例で言うと、53、54歳とかで役職定年になって、65歳まで定年再雇用で継続就業すると、53~65歳で引退モードになっちゃうという問題があって。

そうすると、今までひょっとしたら社長になるかもしれないって言われていたのが、突然頑張るってなって、そうすると新しい仕事が来ても「いやこれは私の仕事じゃないですからこういったことは若い人に」みたいな話になっていくと、53~60歳ぐらいまで成長しなくなっちゃって。

そうしたら65~80歳ぐらいまでまだまだ生き生き働けるのに、非常に重要な期間の学びがなくなっちゃうんですけど。引退モードになるのが大変まずいんじゃないんかな。

佐藤:それはありますよね。周りにも気を使わせますよね。部長をやってた人が役職定年になっても部長って呼ばれてるとか、すごく気を使わせてるって話もいろんな会社で聞きます。

セルフマネジメントの結果をアウトプットする棚卸し

:そうですね。個人的には副業兼業を認めてくれて、それで会社員にさせてくれているという環境には非常に感謝しています。その分セルフマネジメント、セルフスケジュールはすごく必要になってきますし、より緊張感を持って仕事をしていますね。こういう働き方をするようになって2年が経とうとしています。

1年目は本当にスケジュールが上手く立てられなくて仕事を入れすぎて、休みが全く取れないことが続きました。明日の仕事のことしか考えられなくて毎日馬車馬のようにしていたんですが、2年目になって、きちんとスケジュールを立てられるようになりましたね。

無理をすることはもちろんありますが、休みを作ることも必須だと思うようになりました。社会人生活9年目になりますけど、今の自分が一番好きですかね!

「自分の棚卸し」に関してですが、1ヶ月に1回という決まりを作っていて、「この日!」というのは正確には決めていません。すごく忙しかったけど最終的にはちょっと休めるという日を棚卸日にしています。

1ヶ月ごとにということで、ノートに今月は走りきったこと、やりきったこと、できなかったこと、あとは出会った人、出会えなかった人、本当は今月会いましょうって言ってたけど出会えなかった人、それも含めて来月の目標を書き出すと、いろいろなことがアウトプットされて整理されて。私はそれを棚卸しというようにしてますね。

佐藤:ちなみに今月達成したというか、やりきったことって何になりますか?

:8月はけっこう反省をしてて。というのもちょっとプロフィールに書かせていただいたんですけど、昔から広島の原爆問題についてずっと追及し続けてきていて。今月は原爆特番も抱えていたり、8月6日に向けて走り続けてきた日々でした。

ようやく落ち着いた日を棚卸し日に設定したんですが、ノートに書きだしてみると、今月はプライベートをかなり逃していて、会いたい人にも会えず、ほとんど行きたい場所にも行けない結果に終わってしまいました。

今日は何をしたのか本当に思い出せないときがあった

佐藤:それはおもしろいですね。棚卸しはプライベートと仕事の境目なく書くってことなんですか?

:そうですね。去年1年間ががむしゃらすぎて自分が見えなくなっていて、1年間気がついたら終わっていたんです。反省しながら「これはやっぱり休みをきちんと取らなければいけないんだ」って自覚したときにプライベートもしっかり充実させないと仕事もうまくいかないということにも気付きました。

佐藤:プライベートって具体的にはどういうことなんですか。趣味がどうとかコミュニティがどうとかってことなんですか?

:そうですね。友達とご飯に行くというのもそうですし、同級生に会いに行く、それこそ同窓会に参加する、友達に会いに行くとか。本当にちょっとしたことなんですけど、映画を1本見るとかドラマを見るだけも。そういう「本当にちょっとしたこと」ができるかできないかで変わってくるんじゃないかなって思っています。

佐藤:すごいですね。どのぐらいの時間を持てるんですか?

:私はまずボーっとする時間を作るんですね。例えばお散歩をしに行くとか、お風呂に入るとか。その時間に今月何ができなかったかなというのを30分ぐらいかけて整理をして、そのあとにだいたい1時間ぐらいかけてノートに書き上げていくって感じですかね。

佐藤:それはフリーでやっていくってことですけど、アサインされる仕事が多いと上手く承認されていっちゃうこと、自分で振り返る時間帯が摩耗していくことからきてるんですか?

:そうですね。本当に自分が「今日、何やったっけ」というぐらい忙殺されたりすることがあったので、自分を振り返らないと仕事の向上にもつながらない。振り返りも含めて棚卸しをしましたね。

佐藤:振り返りって、リフレクションって最近すごいキャリア用語にもなってキーワードにもなってますよね。どういった効果が見込まれるのでしょうか、リフレクションというのは?

石山:そうですね。一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会の代表理事は、みんなそうなんですけど、やりっぱなしじゃなくて自分で振り返ってみる。そうするとそこで言語化するとまたいろいろな新しい気づきも起きるんで、とにもかくにも一番重要ですね。

佐藤:自分のPDCAを回すということなんでしょうかね。

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