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著者と語る朝渋『WE ARE LONELY BUT NOT ALONE』著者・佐渡島 庸平さん(全2記事)

「僕の人生は、僕以外の誰も真剣に考えてない」 佐渡島氏が語る、人生を自分のものにする思考法

2017年6月11日、Book Lab Tokyoで開催されている会員制朝活コミュニティ「朝渋」の人気企画「著者と語る朝渋」にて、株式会社コルク代表取締役社長ある佐渡島庸平氏を招いてトークセッションが行われました。後半となる本パートでは、「豊かな人とはなにか」「幸せとはなにか」といった大きなテーマについて、佐渡島氏が語ったセッションの模様をお送ります。

アウトプットしない限り学ばない

佐渡島庸平氏(以下、佐渡島):ファンコミュニティというもの自体に対して、仕組みをこっちでむちゃくちゃ作るってすると、運営側の人数がものすごく必要になってくるんだよね。

だから結局、例えば学校であれば、リッチな学校だと生徒200人とか300人に対して先生は30人いますみたいな。1割が運営側みたいな仕組みがあったりするんだけども、1割が運営みたいな仕組みだと、年間の授業料が50万とか、それぐらい平気でかかってしまいますと。それで、そうじゃない仕組みというものができるんじゃないかと。

さらに、運営のほうがすごくしっかりしてると、何が学べて、どういうふうに学ぶのかが規定されるから、結局はすごく受け身な学びになるんだよ。学び自体っていうのは、受け取るときに価値はなくて、アウトプットするときにそれが本当の学びになっていくわけだよね。

それで先ほど、一番はじめに言ったとおり、情報が爆発している時代に、上質なインプットというものは存在するのかっていう話。もはや上質なインプットは、ほぼ存在しなくなってきていると。そういう仮説の元だと、どうアウトプットするのか、ということがすごく重要。

井上皓史氏(以下、井上):重要ですよね。

佐渡島:そういうふうに思って。だから、コルクラボに来てアウトプットをしない限りは結局は学ばない。それに圧倒的な学びの仕組みみたいなものは作ってなくて。

ラボの中でアウトプットをするために自分が活動していくということで、ラボのさっきの理念とか行動指針が仮になってるのは、今ちょうどみんなでラボのスローガンについて、この理念をむっちゃ話し合ってるの。

これを僕が1人で決めて、「こうですよ」ってやるんじゃなくて、みんなで決めて、むっちゃ議論してるんだけど、その議論というか、プロセスによって、すっごく学びが多いはずなんだよね。コミュニティにどんなタイプの理念ができると、みんなの振る舞いがどう変わるのかということが観察できるから。

井手桂司氏(以下、井手):なるほど。

佐渡島:というのが、今コルクラボがやろうとしてることかな。

別にダラダラ生きて、ダラダラ死んだっていい

井手:行動指針のところもちょっと突っ込んで聞きたいんですけど、さっきお題でも出てた「会社」というコミュニティと、コルクラボみたいな会社外のコミュニティの違いというところに、アプローチできるかなと思っていて。

コルクの行動指針はさらけだす、やりすぎる、まきこむで、ラボがさっき話した「1. 自分の安全安心を知る」「2. 自分の言葉を紡ぐ」「3. 好きなことにのめり込む」「4. 頼り方を知る」ですよね。会社と、こういう社外コミュニティの差みたいな部分って、サディ的にはどういうところだと?

佐渡島:本当は別に違いを出さなくてもいいんだけど……。というか、人生自体において、やりたくないことはやんなくていいんだよ。

なんか、みんなここに朝来たりして「学ばないといけない」とか「成長しないといけない」と思ってるんだけど、別にダラダラ生きて、ダラダラ死んだっていいんだよ(笑)。

そのダラダラ生きて、ダラダラ死ぬのもけっこう難しくて。みんな何かここへ来ると、より楽しく生きれる、なんか情報を得られるんじゃないかと思ったりして、「成長すると幸せに生きられるんじゃないか」と思ったりしてるわけだけれども。

まぁ、成長したらとか、そもそも幸せとは何かというか……。「幸せを追求したほうがいい」っていうのも、ある種、これは現代社会の病みたいに思うわけだよね。昔の人は、たぶん縄文時代の人なんか、幸せになりたいと思って生きてないと思うんだよね。

なんかそもそも、多くの人の思考のフレームが、わけわかんないことになってるから。まぁ、せっかくだから、コルクラボみたいな自由な場所では、わけのわかんない思考のフレームワークを外そうと思ってて。

すべての人が等しく、家族のような関係においても、会社との関係においても、全コミュニティで自分のやりたいことだけをやる、という自由は与えられてるはずなのに、なぜか「仕事っつうのはやりたくないことをやってお金をもらうんだ」とか、あと「勉強っつうのはつまらないもので、それを耐えるから何かが得られるんだ」とか、「我慢したほうがいい」って思い過ぎてるんだよね。

井上:会社でけっこうがんじがらめになって自分を出せない中で、コミュニティにボーンと入った時に、どうやってアウトプットしたらいいかみたいなのを、けっこう迷われる人が多いんじゃないかなと思うんですよね。

佐渡島:そうそう。だから結局は、コミュニティに入ってきても、どういうふうにアウトプットすればいいのか指示がほしいっていう。

井上:そうですね(笑)。

佐渡島:そういうことを言ってて。でも、それの指示は絶対に出さないから。

井上・井手:(笑)。

「聖なる1歩」を踏み出す

井上:そこで1歩ハードルを踏み越えるために、コルクラボでやってることってありますか?

佐渡島:そこは、けっこう仲間同士での声かけが大きくて。コルクラボに関しては、中で生まれた一番いい言葉だと思ってるのは「聖なる1歩」という言葉があって。

井上:聖なる?

佐渡島:うん。みんな、僕から見たら大したことない行動でも、怖いと思ってできてないんだよね。

井手:うんうん。

佐渡島:それで、それをあえてやったりすると、みんなが、Slackを使ってるんだけど、Slackで「聖なる1歩!」っつってね。

井上:いいですね(笑)。

佐渡島:「あっ、これが聖なる1歩だったんだ」みたいな感じで、みんな自信を持って次の行動をしたりというふうになったことがあるけどね。

僕は、すべてのところがこれで別にいいと思ってるんだけど、会社だとやりたくないことはやらない、というのをあんまり強く打ち出してると、その選抜方法がすっごくシビアで。

明確なビジョン共有ができている人間だけが入ったら、やりたいことが一致してるから大丈夫なんだけど、そうじゃなくてフリーライダーが入っちゃった時に、これを強く主張して「会社が目指してる方向と違うことを自分はやりたいんだ」って言い出した時に……。

コルクラボ自体はどっちの方向へ行くかというのはないけれども、コルクというのは「エンタメをIT化する」っていう、やりたいことが明確で、その船に乗る人以外は乗ってきてもらっちゃ困るというかたちで。「いやいや、エンタメはアナログが好きなので、僕はアナログ周りの仕事しかしません」とかって、コルクに来てやられると困っちゃうから、1(やりたくないことはやらない)は打ち出してはいないけど。

コルクのビジョンを理解している上で1を言ってくるぶんには、まったく問題ないとは思ってるんだけど、まだ打ち出せるだけの強さをうちの社内では持ってないから言ってないって感じだね。

みんなの周りにある見えない檻

井手:なんか理解としてなんですけど、コミュニティっていうのは、居場所みたいなところが大事なのかなと。で、会社はやっぱりビジョンに基づくアウトプットが大事で、どちらかというと、チームみたいなものなのかなと思っているんですけれども。

佐渡島:まったくそのとおりというか、会社というのは、もしもコルクっていう会社が利益を出さなくても、「今年は利益を出さなかったから、給料が減るのはみんなOKだよね?」「OK!」って言ってくれる人が集まってるんだったら、僕の出していく行動指針なんかも、そういうものになってくるけれども。

みんなからの経営側に対する「給料が安定的に増えるような仕組みでやってほしい」とか、なんらかの要求があるわけだから、僕もその要求に応える代わりに、みんなもこの要求に応えてねっていう、ある種の約束が存在してると思うかな。

でも、それに対して、コルクラボのほうは、そういう約束がないっていうか。コルクラボは月額1万円なんだけれども、もしも「それを越えれるだけ儲けられる組織、コミュニティにしてください」っていうオファーが来てたとするじゃん。それで、それに対して僕が握り返してたとすると、まったく違う振る舞いだろうし、まったく違う行動指針になるだろうとは思う。

井手:確かに。

佐渡島:ちょうど先週僕のブログに書いたけれども、僕自体がコルクラボで目指しているのは、みんなが実はとらわれているというか、みんなの周りに見えない檻(おり)がいっぱいあるんだよね。

井上:檻ですか?

佐渡島:うん。自分の行動を制限する檻。僕なんかでも檻はもちろん存在するんだけど、みんな、かなり身の回りのすぐ近くに檻があって(笑)。ほとんど動かずに我慢して生きてるから、その檻を取っ払う思考方法を身につけられるような場所というのを僕は目指してるから。

だから、この1個前にあった理念みたいなのでいうと、なんか今みんな贅沢な時間の過ごし方が「お金をたくさん使う」ぐらいしか思いつかないと思うんだよね。

豊かな人生というものの答え

井上:消費みたいなところですよね。

佐渡島:そうそう。でも、すごく消費しても、結局はそんなに贅沢には感じられなくて。虚しくなっちゃうだろうから。

たぶん、この中で「じゃあ、1千万渡すから、この1千万を30日間で使い切って贅沢な時間を過ごしてください」って言った時に、30日間、それをやり切れるだけ贅沢な時間の過ごし方を知ってる人って、下手すると1人もいないんじゃないかなと思うんだよね。

でも、「自分はこういう生き方が好き」「自分はこれを大切に思ってる」ということが明快にわかってたら、それをやれると。「贅沢な時間、贅沢な1ヶ月を過ごしたな」ってめちゃくちゃ思えるだろうし、その時に1千万必要なのか、実は10万しか必要じゃないとかいうこともわかる。

だから、贅沢な時間を過ごすために、自分にどれだけの時間と、どれだけのお金が必要かっていう質問に答えられる人自体が、そもそもいない。みんな贅沢な、豊かな人生を送りたいと思ってるんだけど、「その豊かな人生はこうやったら手に入れられます」ということの答えを知ってる人が、そもそもぜんぜんいないんだよね。

井手:確かに。

井上:「働かなかったら何をやりたい?」っていった時に、「どうしよう」みたいな人が多いですよね。

佐渡島:そうなっちゃう。だから、ラボに1年とか2年いると、それに気づいていけるんじゃないかなというか。だいたい今のみんなの変化を見ていると、1年ぐらい経つと、やっとアウトプットしだすよね(笑)。

井手:うんうん。

佐渡島:それでアウトプットをしだしていく中で、アウトプットの質によって、そういうところの気づきみたいなところが生まれてくる。スピードには差があるけど。

井手:そのスピードは遅くてもいいという佐渡島さんの判断ですか?

佐渡島:いいんじゃん? まぁ、でも人生100年の時代になっちゃったから、そこで1年も2年も別に大して変わんないなと思うけど、早いほうが楽しいよね。ただ、それって急かされたら早くたどり着く場所なわけでもないし。なんかさ、人生って振り返ったら、回り道するほうが楽しい可能性もあって。

自分の芯を見つけるのがすごく重要

佐渡島:青木雄二さんという漫画家が講談社のモーニングに入った時に、僕がけっこう初期にいろいろ選出させてもらったのね。青木さんって、20代で漫画をいろんなところに持ち込んだんだけど、全部「つまらん」「つまらん」って言われて。

それでもういろんな職業を転々として、お金にも苦しみまくって、社会の仕組みをよぉくわかったから『ナニワ金融道』が描けたわけ。そうすると、青木さんにとって、40代後半ぐらいまでの苦しかった時代って無意味だったのかというと、それも楽しかった時代だろうし。今となってはね。

そういう感じで、何が無意味だったかっていうのは、後から振り返らないとわからないから。迷ってたっていうのもすごく重要な時代だし。

ただ、確実に自分が何をしたいのか。青木さんの中でそれを「マンガに表現したい」というところがブレずにあったから、最終的には「あれもいい経験だった」と振り返れるわけで。「あれもいい経験だった」って振り返れるようにするための芯を見つける、というのがすごく重要だよね。

井手:あと話を聞いてると「すべき」みたいな、いろんなshouldみたいなのを勝手に自分で思っちゃったりするじゃないですか。「仕事するべき」とか、「幸せになるべき」とか。

そうではなくて、やっぱり自分が何をしたいのかっていう、want思考みたいなものを磨いていこうと。それがコミュニティを楽しんだりとか、コミュニティをよくしていく、つながっていくみたいな理解で捉えているんですけれども。

佐渡島:そうそう。だから全部、自分次第だよね。全部、自分次第。

井手:そこで1個聞きたかったのが、サディももともと講談社っていう、どっちかというとヒエラルキーが強そうな印象の会社で、仕事を始められてるじゃないですか。

それで20代になって、30代になって会社を作ったりとか、いろいろ結婚などもしていく中で、ご自身の中でそういう変化って、本にも「呪縛から解放されるのが一番大変だった」みたいに書いてあったんですけど、個人として変わってきたなと思う部分って大きいですか?

佐渡島:それは大きいかもね。この中で自分が人生で一番大切だと思う人は、手をあげてください。

(会場挙手)

佐渡島:あれ? ぜんぜんいない。人生において自分が一番大切。じゃあ、身の回りの人が大切っていう方?

(会場挙手)

佐渡島:じゃあ、それよりも……なんだろう。社会の正義が大切?

(会場笑)

井上:正義強さですね(笑)。

佐渡島:「美」が一番大切で、芸術のために死ねると思ってるという人います?

井上:何が大事かわからないかもしれないです。今、パッと言われても。

佐渡島:僕はね、自分が一番大切。僕のいろんな人生が始まったのは、自分が一番大切って開き直ってからです。

井手:うんうん。

自分の幸せと、他人の幸せ

佐渡島:なんか、「他人を大切にできる人のほうが、自分を大切にしてる人よりも立派なんじゃないか」って思ってる時期があって。それで僕も「他人の喜びこそが自分の幸せ」みたいな考え方をしてたんだけれども。

井上:それって講談社時代ですか?

佐渡島:とかね。30歳直前ぐらいまで。他人の幸せこそが自分の幸せって、結局はでも自分を幸せにしたいわけじゃん。だから他人の幸せも、実はよく考えると、自分の幸せの下位概念というか、自分の幸せのほうを優先しているのに本当は近くて。

それで、やっぱり僕が強烈に思ったのは、20代の後半に離婚をしたのね。離婚するときに、その当時の妻は「離婚したくない」と主張して、僕は「離婚をしたい」っていうふうに思って。

まぁ、結婚するときに、妻というのは、僕が身の回りで、世の中で1人だけ選んで、一番幸せにしたい人って思ったから結婚したわけだよ。だから一番幸せにしたい人って思ったけれども、でも、この人とずっと一緒にいると、自分は一番幸せにはなれないと思ったんだよ。

つまり、この人の幸せよりも、自分の幸せのほうがぜんぜん重要だなというか。そういうふうに強く思ったんだよね。その時に「結局、自分は自分を大切にするんだな」というか。

井手:そこで気づいたんですね。

佐渡島:そうそう。だからその時に、妻を幸せにしながら自分も幸せになる方法っていうのを一生懸命考えるわけだよね。「どういうふうにすれば、僕の心が納得するんだろう?」と。

一番波風を立てないのは、相手は離婚したくないって言ってるわけだから、離婚をしないで、僕が納得さえすれば、僕が「このままでも幸せになれる」ということさえ想像できれば、全部丸く収まるわけだから。でも、どうやってもそれがうまく想像できなくて、それで「やっぱり離婚させてくれ」と言って離婚した。

でも、これってすごく当たり前のことで、自分の体が健康的で、ある種自由に動けてなかったとしたら、周りの人を気遣うことなんてできないんだよ。やっぱり幸せな感情も伝染するから。

人は自分を大切にするほど、他人のために動く

佐渡島:身の回りの人のことを考えるって、身の回りの人のことを自分が考えて、「いいことをしてあげてるんだから、あなたは私のことを考えてよ」っていう、「他人からいろんなものを伝染させて」という気持ちだなって思ったわけ。

そうじゃなくて、まず自分の体を大切にして、自分の精神を大切にして、まず自分が健康だったら余力があるから「何かしてあげようか」と体力的にも思うし、自分の精神が健康だったら、自分の元気なハッピーな気持ちを周りに分けようって気持ちになると。

その時はもうこっちが分けたくて分けてるだけだから、「見返りがないとダメ」っていう気持ちには一切ならないでしょ。でも、自分がギリギリで他人を先に大切にしてると、「こっちはこれだけそっちを大切にしてるんだから、そっちも大切にしてくれないと、ちょっともう自分の身がもたないんだけど」みたいになって。

井手:精神面が合わないんですね。

佐渡島:そういう話になっちゃう。それで、とにかく自分を最強に大切にしてた時に、どんどん自分に余裕が生まれてくるんだよね。自分に余裕が生まれてくると、コミュニティの中で生きていると、自分だけを大切にしてるとコミュニティの中で居心地が悪いから、より自分を大切にすればするほど、結局は他人のために動くんだよね。

井手:うんうん。

佐渡島:だから、自然と2番目が行えるというか、「他人のために生きる」っていう。これを無理なく、ある種、滑らかに行うための一番いい方法が、自分を超大切にするということで。

僕の人生は、僕以外の誰も真剣に考えてない

佐渡島:講談社で、僕がもうモーニングの中でかなりいろんな仕事をやりきって、ほぼほぼ国内で成長できるところがなくなったなと僕自体も感じてたところで、会社の上司から、講談社アメリカかなんかをしっかり作って運用させていく中で、僕を1号社員としてニューヨークに行かすっていう話を聞いてたの。

それで「それはおもしろそうだな」ってけっこうやる気に溢れてたんだけど、リーマンショックかなんかが起きて、講談社アメリカの話を数年先に延ばすという話になったのよ。

数年先に延びたら、そのまま『宇宙兄弟』とかが忙しくなっちゃっていて、その話がなくなったわけ。その時に「あっ、僕の人生って、僕以外の誰も真剣に考えてないんだな」と。

それで会社の外に出て、自分は自分の人生プランをしっかり立てたほうがいいなって思ったんだよね。

クリエイターのエージェント会社自体も、クリエイターの人生というものに対して、長期プランでクリエイターよりも本気で考える職業になったほうがいいなというか。他人の人生プランに対して、自分事化する職業を作りたいっていうので始めた。

さらにはコルクという会社自体を作る中においても、「経営ってなんなんだろう?」と考えた時に、そこに集まった人たちの人生プランを考えるだとか、一緒に共にする時間において、どういうふうに成長してもらうのかを設計していく、ということが経営の役割だなって思って。

だから会社においては、会社の仕事というある種のアクティビティを通して、社員自体が成長する仕組みをどうやって作っていくのかっていうふうに考えるし。コルクラボみたいなところだと、まず一番はじめにみんな人生が大事で。なんか、少なくとも「会社が」とか「政府が」っていう主語で何かを批判する人って、人生がめっちゃ他人ごとだよね。

井手:そうですね。

佐渡島:「会社が何かしてくれない」とか、「政府が何かしてくれないとおかしい」とか。これって「国連が」と言ってもいいはずだし、そのさらに先にいったら神様になるんだろうし。でも、全部人生が他人ごとで、「いやいや、あなたがどうしたいの?」「自分でどうするの?」という思考法になるようにというのが、コルクラボで僕が目指してることっていう感じで。

「べき」思考が人を縛る

井上:スライドゥがけっこう溜まってるかもしれない。

井手:それでは、すごくいろいろ話を聞かせてもらってあれなんですけど、スライドゥのほうも拾っていきたいなと思ってまして。

佐渡島:この1番目の人いいね。これ、僕はこの人をディスりたいわけじゃないですからね。

井手:匿名です(笑)。

佐渡島:「周囲の人たちにうまく説明しづらいのですが、何かよい方法はありますか?」っていうのって、「周囲の人たちも自分と同じ考え方になってくれないと動けない」というのが、自分の人生をもう他人に委ねちゃってるよね。

井上:うんうん。さっき井手さんが言ってた、「◯◯すべき」みたいなところに近いことですよね。

佐渡島:そうそう。「コミュニティが大事であるべきってみんなも思うべき」っていう。これはもう「べき」思考で。質問では「べき」っていう言葉は使ってないんだけど、いっぱいその人を縛っちゃってて。

それで、もしもどこかのコミュニティに入ってて、その人が楽しんでれば、「なんで元気になったの?」とか、「何してんの? 連れてって」って言われるはずなの。誰もなんか大事なことを聞きたいとは思ってなくて、楽しいことをやってると「ちょっと教えてよ」と。

井上:確かに。

佐渡島:そういうふうになるから、その人がいいコミュニティに入って、楽しんでりゃいいだけなの。

井上:確かに。こないだメンバーに朝渋に入るデメリットを聞いたら、「会社との温度感がすごい」と。

(会場笑)

井上:出社する時に、なぜかテンションが高いから、みんなそこだけ合わせたいみたいな話になったんですけど。でもその人って「楽しそうだな」っていうオーラが出てるということですよね。

さまざまな評価軸があっていい

佐渡島:そうそう。(スクリーンの)もうちょい下に行ってもらって。この「スポーツの価値は高まっているか自分は考えています」というので、僕も最近これはすごく思っていて。今度、みの編(箕輪編集室)の人とフットサルをやるんだよね。

井上:へぇ〜。コミュニティを通して?

佐渡島:そう。こういう争いは楽しいんだよ。

(会場笑)

佐渡島:現代の戦争ですから。

井上:いいですね。入れてください(笑)。

佐渡島:やっぱりスポーツっていうのは、インテリジェンスな戦争というか代替だと思っていて。人間は理念だとどうしてもすぐ対立しちゃうところがあるんだけど、僕のすごく好きな小説で、E・M・フォースターという人の『インドへの道』というのがあって。

その『インドへの道』で、インド人とイギリス人が、小説の一番はじめにクリケットを一緒にやるわけ。

それでクリケットを一緒にやってると、「インド人というのもいいやつだな」とか、インド人も「イギリス人っていいやつだな」って思う。でも実際は、既得権益の取り合いでめっちゃ争う。だけど、スポーツやってる時だけはいいやつだなって思えるというシーンから始まるんだけど。

人間って、すごく動物だから、肉体的なコミュニケーションから入って「いいやつだな」って思ってから、その後いろいろな言葉によるコミュニケーションが起きるほうが、人間関係がうまくいきやすいから。

井手:いきやすいですね。

佐渡島:そう。いろんなものがスポーツを入り口に仲良くなるというか。飲み会とかよりも、先にスポーツをやっちゃったりするほうが話が早いかなと思っているよね。

井上:上下関係もなく、フラットですもんね。

佐渡島:そうそう。あと小学校とかだと、勉強がうまいやつもいたり、スポーツがうまいやつもいたりというので、いろんな軸で「あいつ、すごいよね」っていうのが認められるじゃん。

これが会社だと、どうしても金儲けしてるやつだけが「すごいよね」っていう軸で見られてしまう。実際は人間ってさまざまな軸があっていいんだけど、その軸の存在に気づかせてくれる場所っていうのがすごく少ないから、ラボの中だったらその軸を複数用意したいなとは思っていて。スポーツもまたいいよね。

そのコミュニティは新しく作る必要があるか?

井上:では次は「コミュニティを主宰できるようになるには、どんなスキルが必要?」。僕もこれ朝渋をやっててよく聞かれます。「コミュニティリーダーになりたいんですけども、何を大事にしていますか?」って。佐渡島さん、どうですか? 

佐渡島:まず、そのコミュニティがどういうコミュニティなのかという概念を、しっかり言語化できるかどうかというか。「それって、わざわざそこで新しくコミュニティ作る必要ないんじゃない?」って。

井上:そもそものところからですかね。

佐渡島:地域コミュニティって、必ず場所が存在しないといけないから、絶対にそこにコミュニティを作る必要があるんだけど。好きっていう概念を中心に集まってるコミュニティって「わざわざ新しく作る必要ある?」みたいなことがある。「それ、自分が中心になりたいから?」とか。

井上:そういうのありますよね。

佐渡島:けっこうしんどかったりするから。

井上:やっぱり自分の実体験に基づいた、何か社会に対しての訴えかけだったり?

佐渡島:そういうものがあったほうが、他人が動きやすくなるよね。「なるほど」と思ってやりやすいかなと。

井上:「お前のストーリーに乗った」みたいな感じですかね。

佐渡島:理念に共感していても手段がやりたくないことの場合って、別に手段だって強制されてるわけじゃないだろうから、違う手段で実現しちゃってもいいんじゃないかなという気もするけれども。でも、手段が違うと往々にしてアウトプットが違うものになるから。実は理念も精査していったら、共感してないんじゃないか? っていう。

井上:ありますね(笑)。なにか気になるものありますか?

佐渡島:コルクラボで次回か次々回ぐらいからやってみようとしてるのが、ちょっと僕、機械の名前がわかんないんだけど、FabCafe行ったことある人ってどれぐらいいます?

(会場挙手)

井上:道玄坂のとこですね。

佐渡島:FabCafeのところの四角いやつで、倒すと店員が来たりするあの機械の名前ってなんていうんですかね? IoTのちっちゃい機械があるんですよ。

それでFabCafeは、倒すと店員が来てくれたりとか、倒し方を変えるとお会計してくれたりっていうので、機械によっていろいろな指示が出せるっていうのがあるんだけど。

次回か次々回のコルクラボでは、その機械を10個用意しておいて、それでその日の楽しさをみんなが押しにいって、答えられるようにして、毎回のイベントの全員の満足度の数値を取るっていうのをやろうとしてるのと。あと同じ会場で同じ場所にずっと置くことで、その日のイベント中の湿度と温度の変化を測ってみようかなぁとしていて(笑)。

(会場笑)

佐渡島:それによって、どれぐらい熱気があふれたか……。

井上:変わるんですかね?

佐渡島:いや、まずやってみて(笑)。何で定量的に調べるかというのも、今いろいろ試そうとしている時期かな。

自分の体の声を聞く

井上:なるほど。ちょっと時間もあれですけど。

井手:そうなんですよ。7時50分。このあとサディが少しだけ残って……。

佐渡島:(スクリーンを見て)「自炊しますか?」だって。

(会場笑)

佐渡島:これはどっちの意味の自炊なんだろう? 本?

井手:料理ですかねぇ。します?

佐渡島:俺、大学の時にさ。あの三茶の今「座・和民」になってるところにイタリアンがあったの知ってます?

井手:わかんない。

佐渡島:15年も前だからわかんないか(笑)。そこで僕、3年間ぐらいコックのバイトをやっていて。

井手:へぇ〜!

佐渡島:イタリアンで、だいたいお酒も含めて1人5,000円から8,000円ぐらいで食べられるぐらいのお店のメニューだったら僕は全部作れるから。家でも。

井手:サディ料理会ができそうですね(笑)。

井上:他に質問ありますか?

井手:このあと佐渡島さんが少しだけ残っていただけるみたいな話もあったので、気になることがあれば質問だったりとか、サインほしいという方はぜひ言ってもらえればと思うんですけど。

締めの一言ということで、「どのコミュニティに入ったらいいですか?」みたいな質問がさっきあったんですけど、コミュニティに関してどういう関わり方をしていくべきかみたいな点も、最後に言ってもらいましょうか。

佐渡島:たぶん頭で「これが得になる」とか「これが役立つ」と思ってることって、もはや価値観が古くなってきていて、そんなに得じゃないこともけっこうあるだろうなって思っていて。みんな、けっこう頭で間違った意思決定をしているというか。

それに対して、自分の体はけっこう「誰とつきあえばいいか」とか「何をすればいいか」って本当は知ってるんだけど、体の声をみんな無視する流れがありすぎるかなと思って。やっぱり、体の声をしっかり聞くようになるのがいいんじゃないかな。

井手:『宇宙兄弟』のシャロンが言った、「ここ(頭)じゃなくてここ(心)で」みたいな話ですよね。

佐渡島:うん。でもまぁ、自分の感情を大切にするっていうのが重要。まず、感情に気づいてないと思うんだよ。例えば、最近僕が石川善樹と感情についてずっとしゃべってて。コルクラボ(のPodcast)で僕と石川善樹がしゃべってるのが聞けるんだけど、夜寝る前に「今日、最も感じた感情はなんだろう?」「どの感情をどれぐらい感じただろう?」っていうのをメモできるかって。

ほぼ、しっかりと言えないと思う。感情とかの流れちゃうものについて、ほぼ記憶する癖がないんだよ。それをしっかり考えられるようになっていくと、いろんなことへの観察力が上がっていくかなと思う。

井手:ありがとうございます。では改めて、佐渡島さん改めサディに大きな拍手をお願いします。

(会場拍手)

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