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Voicy緒方憲太郎氏(全2記事)

中毒的におもしろかった「スタートアップならではのドラマ」 Voicy立ち上げ前のキャリアを緒方憲太郎氏が語る

手軽に音声放送を配信できるプラットフォーム「Voicy」を運営する株式会社Voicy・緒方憲太郎氏のインタビュー。Voicy立ち上げまでの苦労やキャリアプランなどを語りました。※このログは(アマテラスの起業家対談の記事)を転載したものに、ログミー編集部で見出し等を追加して作成しています。

アナウンサーの父を見て育つ

アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):緒方さんの生い立ちを教えていただけますか。

緒方憲太郎氏(以下、緒方):兵庫県に生まれ、中高が神戸、大学が大阪でずっと関西に住んでいました。運動が大好きで、好奇心旺盛で何でもやりたがったという幼少期だったと思います。

サッカーと、あと父の影響で日本拳法をしていました。父はアナウンサーで礼儀に関して厳しく、私は滑舌や発音にもよく注意されていました。

公認会計士の資格を取得、新日本監査法人へ

緒方:大学時代、テニスに熱中していたのですが、他にも何かやった方がいいと思い、公認会計士の資格を取るために専門学校にも通い始めました。しかし、試験勉強を始めて一年目の試験は、全カリキュラムの20パーセントも終わらない状態で試験を受けに行くという暴挙に出て、見事に不合格。

これで危機感を感じ、自分に合う勉強方法を模索して、だんだん点数がとれるようになり、運よく次の年で合格できました。私はやれるときに一気にやるタイプだと思うので、ここで落ちていたら次の年まで気持ちが持たなかったと思います。

藤岡:2回目の挑戦で公認会計士試験合格し、新卒で新日本監査法人の大阪事務所に入ることになりましたが、その時の話を聞かせてください。

緒方:新日本監査法人には5年弱勤めました。初めは監査でいろんな会社に行けるので面白かったです。とくに良かったなと思ったのは、大阪が担当ということもあり古き良き会社をたくさん見ることができたこと。

税金を納めるとか、社員を大切にするとか、ただ稼ぐだけではないところに投資をしていくというビジョンを持った会社が多くて、そういう会社を見て、会社は何のためにあるのだろうとか、社会に対してどういうポジティブな影響を与えるのか、ということを考えました。

そのときから、社会に価値を生みだす存在としていつか会社を起こしたいなと思っていました。

休職をして訪れたアメリカでゼロイチの面白さを知る

藤岡:新日本監査法人で5年間働いてからアメリカに行っていますね。留学ですか?

緒方:語学学校には一応行っていたのですが、1年間会社には留学するということで休職をもらい、旅をしていました。休職した理由としては、会計士登録が完了したとき、このまま監査の仕事を続けるべきなのか迷ってしまったからです。

監査業務とはビジネスの結果をまとめた会計をチェックすることなのでもう全て事後的で、クリエイティブなことをしても何も意味がなく、むしろできる限り無駄のないことだけをやるという世界につまらなさと感じていました。もっと大きな世界を見たいなと思い、英語の勉強も兼ねて、とりあえず全部リセットしようという気持ちで海外に行きました。

藤岡:全部リセットするために海外へ。その海外では何をしていたのですか?

緒方:これから何をしていくのかは全然考えていませんでした。2011年にアメリカにいたとき、日本で震災が起こったのが転機だったと思います。

そのころアメリカのボストンに日本人の医者がたくさんいて、彼らが「日本にいる被災地以外の医者は目の前の患者対応で被災地に行くことができないのではないか。むしろアメリカにいる自分たちなら現地に行ける。」と言っているのを聞きました。

じゃあ自分はボストンの日本人医師が被災地に行くための組織をつくろうと、医者と弁護士を集めてNPOを立ち上げました。

JALと交渉して無償で渡航できるようにしてもらったり、日本医師会に話してどこに何が足りないか把握できるようにしたり、いろんな工夫をしました。目的を持って事業を作っていく側を初めて経験して、ゼロイチで立ち上げる面白さを感じました。

藤岡:実際にゼロイチを経験してベンチャービジネスに関心を持ち始めたのですね。

緒方:はい。ただその時は好きなことをしてお金を稼げるとは思っていなかったので、趣味と仕事は別だと思っていました。その後はボストンシンフォニーホールでオーケストラのマネジメントをしていました。

でもイベントビジネスはコストが先に決まって収入が当日に決まる、下手すると売上が出ない可能性もあるような資金繰りの厳しいビジネスで。もう2度とやりたくはないです(笑)。

そんな旅の中で、事業をイチからつくっていく面白さを知るだけではなく、いろんな人の力が組み合わさるとめちゃくちゃ面白いものができるということも知ることができました。NPOもオーケストラも、「儲けたい!」ではなくて、「こういうことがやりたいんだ!」という同じパッションの人たちが集まっていたので一体感もありとても刺激的な経験でした。

NYタイムズスクエアでたまたま見つけたErnst & Young社に飛び込む

藤岡:そして、Ernst & Young(EY)のニューヨーク支店に入社していますよね。新日本監査法人のグループ企業に転籍したということですか?(注:ロンドンを本拠地とした世界4大監査法人の1つ。新日本監査法人はこのグループに属する。)

緒方:転籍ではなくて、ローカル採用で飛び込みでした。転籍だったら、新日本監査法人の大阪ではなく東京事務所のダントツで優秀な人、しかも3年に1人くらいしか駐在に行けないので。だからこそ、ニューヨークオフィスからしたら、日本から来る人はすごく優秀なんだと思われていました。

そのおかげか、英語はできなかったのですが無事受かり、ビザ取得までの期間で日本に帰国して新日本監査法人を退職しました。大阪事務所では驚かれましたね。まさかあの緒方がニューヨーク支店にはいっちゃったと。でも栄転に見えて給料は超安かったです。当時は極貧でした。

藤岡:でもなぜ、旅行している最中にEYに入ろうと思ったのですか?

緒方:そこにあったんですよ。

藤岡:意味がわからないです(笑)。

緒方:タイムズスクエアに行ったらEYがあったんです(笑)。あったので、話してみたいなと思って話に行ったというのが一番初めでした。飛び込みで行って、一応採用ルートに乗せたほうが採用しやすいから、ボストンキャリアフォーラムに申し込む形にしてくれということで、せっかくなので他にも数社受けました。

内定をもらった会社はいくつかありましたが、EYに決めたのは仕事で使う監査ツールが新日本監査法人と一緒だったという理由からです。自分は英語が得意ではなかったので、言語とさらにスキルが違うと厳しいなと思いました。同じ監査ツールだったら、困ったとき和訳したものを日本から取ってくればなんとかなる。これなら英語の不利を補えるだろうと思いました。

ニューヨークで1200人を超える日本人団体の立ち上げを経てトーマツベンチャーサポートへ

藤岡:ニューヨークEYを経て日本のトーマツベンチャーサポートに転職されていますがこの背景を教えてもらえますか。

緒方:転職した大きな理由としては、ニューヨークで立ち上げた日本人団体でもうやることがなくなったということがありました。僕は人がとにかく好きで、人のいいところを引き延ばすのが大好きなので、ニューヨークでいろんなバックグラウンドを持った面白い日本人たちと“ニューヨーク日本人勉強会”というものを立ち上げました。

日銀の職員が語るアベノミクスの話とか、医者から厚労省に入った人や医者からガン研究者になった人の話、弁護士が犯人をどう吐かせるのかといった話などを聞いて、僕がレビューをし、懇親会をするというイベントを月一回開催していました。

いまだに続いているのですが、はじめ20人でやっていた団体にだんだん人が集まって、当時1200人くらいの組織まで成長しました。今では2000人くらい登録があって、ニューヨークの中でも相当大きい日本人組織になっています。それなりに話題になりました。これ以上やってももう苦しいというのもあったし、やることはある程度やったなと思いました。

そのタイミングで実家に帰ったときに、フェイスブックで知り合ったスタートアップ支援を行うトーマツベンチャーサポート(TVS)で活躍する斎藤祐馬さんに「面白そうなことしてますね」というメール送ったら、「そっちも面白そうなことしてますね」と返事をもらい、その流れで飲んで話そうということになりました。

そうしたら「面白そうだね、いっぱい走り回れる会計士を集めているんだけど一緒にやらない?」と言われて。「じゃあ、ニューヨーク帰って辞めてきます」と言ってジョインしました。

TVSはスタートアップ支援をする組織ですがTVS自身がスタートアップとしてゼロから立ち上がるところでしたし、海外事業部をつくろうとしていたりとゼロイチに関われることが面白いと思ったからですね。とりあえず道に迷ったら面白いほうを選ぶと決めているので。

毎日ドラマが繰り広げられるスタートアップと仕事をするのが楽しかった

藤岡:TVSではどのような仕事をしていたのですか?

緒方:私はハンズオンという仕事をずっとやっていました。社外取締役のような立場で、経営の一端を担わせてもらい、事業のサポートを行う仕事です。

自分は、企業の状態を分解していったり、未来をイメージしたり、何がポイントなのかを考えたりすることが好きだったので、この仕事はすごく楽しかったです。また、意思決定をする経営者に近いところで仕事ができたので、いろんな企業の経営をしているようで面白くて仕方がなかった。

日本のベンチャーキャピタル(VC)は実際のところ投資をするところまでで、実際に経営現場に入り込んだハンズオンでスタートアップ支援をしているところは多くはなかったので、それなら私が日本で一番多くのスタートアップを見て回りたいと思っていました。

そうしていろんなスタートアップの担当をするうちに多くの失敗談、成功談を聞くことができて、こうやったらこのへんで壁にぶつかるとか、こういうマネタイズがあるんだとか、スタートアップ経営の知見も深まりました。

これはスタートアップならではだと思うのですが、毎日ドラマのように状況の変化があるんです。それが中毒的に面白かった。役に立ちたくて仕方なかったので、誰よりも一番情報収集して、それをアウトプットして、マッチングしたりしていました。

そうしていたら、自分が経営者から必要とされるようになってきたんです。とにかく自分だからこそできることにコミットしていくことで、バリューを生むことができるというのはすごく良いなと思いました。

藤岡:緒方さんの「人の役に立ちたい」という“ギブ精神”には私もとてもお世話になっていているのですがその源はなんでしょうか?

緒方:TVSに入る前に、自分の価値って何だろうというのをすごく考えていた時期があって。その時に思ったのは“価値のある人になりたい”ということでした。その価値というのは、自分の存在があったときとなかったときの社会の差だなと。

自分がいることによって、周りに喜びが増えるというのが、自分にとって一番うれしいことだと思ったんです。だから、自分だけができることにコミットしていきたいと思っています。

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