2024.10.21
お互い疑心暗鬼になりがちな、経営企画と事業部の壁 組織に「分断」が生まれる要因と打開策
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よく「かわしも」さんと呼ばれますが、「かわした」と申します。珍しい名前なのでメールで「川下」と打っても、返信で「川上さん」と返ってくることがほとんどです。
(会場笑)
そのうえ残念なことにぼくの誕生日は昭和49年8月9日です。これを省略して読むと四苦八苦になるんです。
(会場笑)
ですから生まれてから楽できたことがなくて、受験も1回失敗するし、だいたい1回失敗してから、もう1度リベンジする。だいたいそんな人生です。ちなみに同じの誕生日の人は池上彰さんです。
Wikipediaで調べると誕生日が同じ人がわかるんですが、あともう1人挙げるとすれば黒柳徹子さんでした。
(会場笑)
今日のお題はぼく最近自分の関心事でもある「一人多職」にしました。
どっちが本業で、どっちが副業、というのではなく複数の職業を持つことをぼくは「多職」と呼んでいます。
その上でぼくは多職を持つことができれば、ハッピーになれると思っています。今日はこのテーマでみなさんとたくさん議論させていただければと思っています。
ただそうは言っても、多職を実践しようと思うと現実的には難しいということもたくさんあると思います。後半はみなさんが多職を持つことに対してどのように思われているかをぜひお聞かせいただけましたら幸いです。
入社してからしばらくはマーケティング部門に所属していました。
広告会社のマーケティングというと今はかなり仕事の内容が変化してきましたが、昔はテレビCMやグラフィック制作に際して、どんなターゲットに向けて、どんな広告をつくったらいいかを考える仕事が中心でした。
世の中で言うマーケティングと広告会社の場合はちょっと違って、どっちかというと広告宣伝の戦略を考えるというのが主な仕事だったと思います。
そのあと自分の希望と会社のニーズが合致して、PR部門に移動しました。
そこからWebメディア、テレビ局、ラジオ局、新聞社、雑誌社の方々に自分の得意先の製品やサービスについて紹介してもらえるように企画したり、交渉したりする仕事に携わりました。もっと簡単に言うと、新商品や新サービスが出たときに昔でいう瓦版に当たるニュースリリースというものをつくって「こんな商品が出ました。サービスが出ました」と伝えたり、イベントを開催したりして、ニュースとして取り上げてもらうことに取り組んできました。
それからPRだけでなく、広告やグラフィックを制作するクリエイティブ・ディレクターという仕事をするようになりました。
そしてできたものをPRしたり広告したりするうちに今度は製品やサービス自体をつくりたいと思うようになり、新規事業開発に取り組んでいるグループ会社に兼務出向することになりました。
川下:そのほかに今、本を3冊書いていて、一番右側は『家計簿をつけたら、ヤセました!』という本なのですが、ぼくは2年前今より20キロ以上太っていて、80キロオーバーでした。でも家計簿つけたら痩せたんです。
(会場の参加者を見ながら)キョトンとされてますよね。「何言ってんの?」みたいな(笑)。
もともと何も考えずに欲望のおもむくままに食べてたんです。だけど家計簿をつけたら食べるものにこんなにお金使ってるんだっていうのがわかって、自己コントロール力が働くようになったんです。
するとみるみる痩せていって効果が出るのが楽しいと思うようになると、そこから筋トレをするようになってどんどん体が引き締まっていった体験を書きました。
ほかには今、東洋経済オンラインで『組織内返事列伝』という連載を書いています。
ここでは組織内で変革を起こしている人を取材して記事にしています。あとは日経、産経、Forbes Japanなどに執筆・寄稿させていただいています。それと次は小説を書くことにチャレンジしたいなと思っています。
自己紹介が少し長くなってしまいましたが、ここからはぼくが多職を得るまでのヒストリーを紹介できればと思っています。
ところでみなさんは幼いころ「将来は何になりたいですか?」と先生から発表させられた経験がないですか? そのときみなさんは1つの職業を答えていたのではないでしょうか。
でもふとみんな当たり前のように1つだけ答えるのですが、「それって決めつける必要はないよね」と思ったんです。発想が一人一職ですよね。
ぼくも小さいころは「警察官になりたい」と答えた記憶がありますが、今思えば1つだけ答える必要はなかったと思うんです。
川下:それと誕生日だけお伝えして、どこの出身かを言っていませんでしたが、この県がどこかわかる方はいらっしゃいますか?
(会場挙手)
そちらの方。
参加者:兵庫。
川下:正解です。兵庫県です。ちなみに兵庫県ご出身の方はいらっしゃいますか?
(会場挙手)
あ! いらっしゃいましたね。ありがとうございます!
ちなみに兵庫県のどちらですか?
参加者:姫路市です。
川下:ありがとうございます。姫路はこのあたりですが、兵庫県は日本海と瀬戸内海両方に接しているんですよね。
縦に長い県なので一概に県民性といっても、瀬戸内海と日本海のほうでは気候も違うのでけっこうカルチャーに差があるんです。
ぼくは小さいころ、芦屋市に住んでいました。ここで小学4年生まで過ごしたのですが、ここから北上して加東市というところに引っ越しました。当時は加東郡でした。
祖父が加東市で保育園の園長をしていて、都市に戻ってきたのでみんなで暮らそうということになったのです。
加東市と比べて当時の芦屋市の暮らしは便利でした。親に「買い物に行って来て」と言われたら歩いて市場に行けましたし、本屋さんもあるし、不自由しない生活を送っていました。
川下:それが加東市に突然引っ越すことになったのです。地図で見るとそれほどたいした距離じゃないと思われるかもしれませんが、ご覧の通り、都会から田舎への移住でした。
近所には日本酒で有名な山田錦を作っている田んぼがあって、行けども行けども田んぼでした。車がないとどこにも出かけられないので、親を口説かなければ買い物にも行けませんでした。
つまり昔便利な生活を送っていただけに、田舎暮らしになるともう一度街に出たいなという思いがありました。そこで都内の大学に進学しようと思ったのです。
そのとき夏目漱石の(研究の)第一人者だった江藤淳さん(注:慶應義塾大学教授等を歴任した文学評論家・文学博士)という方がいらっしゃるんですが、当時のぼくはこの人の授業を受けてみたいと思って関東への進学を志しました。ただいざ実現するとキャンパスは東京ではなく、藤沢の田舎でしたが(笑)。
加東郡とたいして変わらない光景で、田んぼとか肥やしの臭いがするキャンパスでした。
ただ本当は大学を選ぶ際も「専門性を持たないと食っていけない」と思っていました。だから本当は法学部や経済学部などを選択したほうがいいんじゃないか、という思いもありました。
ところが実際にたどりついた湘南藤沢キャンパスは専門性に特化した教育というよりは、課題に対して必要な解決方法を身につけようというカルチャーを重視していました。
とはいえ何か自分に柱がないと不安だなと思って、大学3年生からコンピュータ・グラフィックス(CG)のゼミに所属して、大学院まで4年間自分の強みづくりに取り組みました。
川下:そのゼミで金子満さんという、日本で最初にCGの会社をつくられた方に師事しました。
そこから大学院を修了して、広告会社に入りました。それで冒頭に申し上げたようにマーケティング、PRを担当したあとにもっとクリエイティブ全般に携わりたいと思うようになり、クリエイティブ・ディレクター(CD)の仕事に取り組みました。
PRというのはお題として預かった商品、サービスをニュース化するのがミッションだったわけですが、それだったらもともとニュースになるように事業開発の部分から関わりたいと思ったのがきっかけで、新規事業開発をなりわいとするグループ会社に兼務出向することになったのです。
それともともとは文章を書くのが好きだったのでもっと書く仕事をしたいと思って、本を書いたり連載を書いたりするようになっていきました。これがぼくの歩みです。
川下:ではなぜ今、多職の時代が来ていると言えるのかを考えてみました。
1つ目は、「働き方の変化」です。
時代が変わったとはいえ、日本ではまだ終身雇用がメジャーです。外資系でもなければ「明日からもう来なくていい」なんて言われることはそんなに頻繁にはないですよね。
ただ「一度会社に入ったら、定年までは確実に守りますよ」という約束は会社もできなくなってきているのではないかと思います。
昔は「ずっとあなたを守ってあげます。でもその代わり定年まで滅私奉公してくださいね」という御恩と奉公のような関係が会社と個人にはあったと思いますけれども、その関係が徐々に崩れていくように考えています。
もっと言えば今は定年が60とか、65が多いと思うんですが、もっと長く働く方も出てきています。そうしたときに最後まで雇用することを約束すると、どんどん会社の負担は大きくなっていきます。
ですから「あなたを生涯守ることを約束はしません」。でも「代わりにあなたは別の仕事を持ってもいいですよ」という空気がこれからもっと出てくるように思うんです。
川下:それに効率性を求める働き方から、創造性を求める働き方になってきていると思います。この絵の1つ目の坂は20世紀の戦後経済の上り坂を表現しています。右肩上がりになっています。
この絵のリンゴを仕事の比喩だとすると、経済が右肩上がりだったのでお願いしなくてもどんどんリンゴが転がってくる。
そのとき企業はどうしていたかというと効率化を追求し、リンゴを拾う人、リンゴの皮を向く人、リンゴを切る人、リンゴを配膳する人という具合に分業制を築いたのです。
広告業界でもコピーライター、デザイナー、CMプランナーという具合に専門性によって分業制が敷かれてきました。たくさん広告をつくる上で分業が発達したほうが効率がいいわけです。これが20世紀の象徴的な働き方です。
ところがこの坂を上ると踊り場です。そうすると勾配がないので、リンゴが転がってきません。それではリンゴを獲得して食べていくためにはどうすればよいのでしょうか。
この絵には芽を書きましたが、「リンゴがないなら、リンゴをつくろうぜ!」という人が出てきたり、「どこからリンゴを取ってくればいい」という人もいるでしょう。あるいは「リンゴがないなら、バナナをつくればいい」という人が出てくるかもしれません。
いずれにしても待っていたらリンゴが転がってこないので、自ら創造することが必要になってくるわけです。だから効率性よりも創造性が必要になってくるというわけです。
そのときにいろいろな職能を持っていると、「あの手とこの手を組み合わせれば、こんなことができるんじゃないか」と発想することができるようになるのです。
川下:さらに時代は「分業」から「合業(ごうぎょう)」に向かっていると感じています。個々人がそれぞれの持ち場で切り分けられた仕事をすることも大切ですが、多様な能力を組み合わせることでイノベーションを起こしていくことが必要になってきています。
2つ目は「人間の変化」です。今日ご参加のみなさんはすでにかなりの方がお読みになられているのではないかと思うのですが、少し前にリンダ・グラットンさんが『LIFE SHIFT』という本を書かれました。
このなかで冒頭から彼女が強調しているのが「健康寿命の伸張」です。最近方々で語られるようになりましたが、「人生100年時代」になっていると書かれていました。
この寿命が伸びるということの意味がものすごく大きいのです。寿命が伸びると働ける時間も伸びるでしょう。
一方、人間の「専門性の習得にかかる期間が短縮化」しているように思います。昔は英語を勉強しようと思うと参考書を買って苦労して習得する、といったイメージがありましたけれども、今では思い立ったら瞬時に動画サイトでネイティブの英語に触れることができるわけです。
弁護士になろうと思うと昔は判例を調べるのは図書館に行ったり、専門雑誌を買ったりしなければならくて大変だったと思いますけれども、今では英語と同じようにインターネットを使えば以前よりもはるかに簡単にリサーチすることができるでしょう。
このようにテクノロジーの発達によって専門性習得期間が圧倒的に短縮化されるようになったと思います。
川下:健康寿命が伸びて、専門性の習得期間が短縮かすると何が起きるかというと、この図のようになります。
つまり「短命一職」から「長寿多職」になるということです。例えば人生50年だったとすると働く期間も短いですから、1つの職業をまっとうしているうちに寿命を迎えることになったでしょう。
この寿命のグラフに対して、職業が1つしかはめ込むことができなかったわけです。
ところが寿命が伸びると、さらに職業1つあたりの習得期間が短くなると、この寿命のグラフのなかに複数の職業をはめ込むことができるのです。
そうすると1回の人生のなかでいつも職業を持つことができるようになるわけです。すでにこうした時代が訪れているように思います。
そして最後に挙げられるのは「テクノロジーの進化」です。
なかでもIoTという単語を聞いたことがない人はいないと思います。これはInternet of Thingsの略でモノがネットにつながるという意味ですが、SNSで人もネットにつながるようになりました。造語にするとIoP、Internet of Peopleなんて言えるかもしれません。
今までは会ったことがない人に会おうと思うとものすごく苦労しました。ぼくは長年PRに取り組む過程で会いたい人に電話をしてもツテがないとすぐに切られるということは日常茶飯事でした。ところが今ではインターネットで趣旨を伝えるとすぐに「ぜひ会いましょう!」となることも少なくありません。すごくチャンスが広がったなと思います。
人と会いやすくなったということは職業を探しやすくなったということでもあります。昔は就職活動一発勝負で、それがその後の人生を決めるという印象がありましたが、人と会って話ができる機会が増えればそこから仕事を得ることもできるのです。
もっと大胆に言うと、いつでも人とつながれるので、いつ就職活動をしてもいい。あるいは1つの仕事を持っていながら別の仕事を獲得できる時代になったと思います。
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