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人生をかけて取り組むべきことは何か(全3記事)

12歳で売られてエイズに 少女たちを救った日本人医師のある行動 - 人生をかける意味

特定非営利活動法人ジャパンハート創設者の𠮷岡秀人氏がIVSに登壇し、海外の医療現場での実状や、若者たちに向けてメッセージを語りました。

テレビを観るために、体を売ってエイズになる少女たち

後で学生のチームの人たちが話してくれると思うんですけど、あんまり時間もないのでちょっと急ぎます。皆さんも本当にね、いろんなこと勉強した方が良いです。僕は小さいうちはあまり本も読まなかったし、あれだったんですけど。

自分が本当に知的なね、金儲けだけじゃなくてもう一つ、ものすごく知的な人生を歩もうとすると、自分のレベルに合わせた人しか周りに来ないから。だから色んな分野に精通して色んな事を学んで、いろいろ知っていた方が良いと思います。歴史のこともね。

ミャンマー、タイ、中国、ラオス、あの辺は昔はね、「ゴールデントライアングル」って言ったんです。なんでゴールデントライアングルって言うかといったら、麻薬作ってるんです。今でも作ってます。ケシ栽培しています。

国境の方に入っていくと、山の斜面のこっち側は普通の木ですけど、逆斜面はケシがまだたくさんあると言われています。歴史の話ですけど、このケシはかつてイギリスが買い込んでいたんです。イギリスが買い込んで、シナ大陸ですね、中国大陸に、ばんばん吸わせていたんです。アヘン戦争って聞いたことあるでしょ?

アヘン戦争は、シナ(中国)がそれを拒否した。それをイギリスが国家ぐるみで叩き潰して、そのまま無理矢理売った戦争です。だからアヘン戦争の時のイギリスの議会が、こんな恥ずかしい戦争はないって言って、いっぱいの人が反対したんですよ。でもごり押しで戦闘ふっかけてやったんです。

あの時の中国の清は、なかなかの人がいたんですけど、それもイギリスがその後はずさせて。あともう中国大陸は色んな国に活用されていくんですけど。まずイギリス、その次はアメリカです。戦後はアメリカがやって来て、ベトナムとか、ベトナム戦争を始めて、色んな所に売りさばくわけです。

だけど、戦後でも最近はみなさんご存じのように、非常に厳しくなってきて、ここで撲滅していこうという流れもあるわけです。ケシの栽培を禁止されて、今まぁやっていますけどね、裏で。でも大分少なくなったんです。そうすると、元々ずーっと何世紀もケシを作って生きていた人達です、この人達。もう生きていく術がないんです。

例えばケシの代わりに何か他の作物を作っても、安いから売れないでしょ? 生活出来ない。で、どうしたかというと、女の人たちは国境を越えて働きに行くんです、子供も。女の人は主にね、要するに風俗産業に従事するようになるんです。それで皆エイズになるんです。

どんどんバタバタ死んでいきます。夫婦の片一方がエイズになったら、死ぬでしょ? 片一方もエイズになるでしょ? 親が二人ともエイズでバタッと倒れたら、子供たちだけ残るでしょ? おじいちゃん・おばあちゃん・子供たちとかいうセットが非常に多いんです。

これ29のお父さんですけど、これはエイズですよ。奥さんも死んで。こういう風になっていくんですね。

国境に行った時に、通訳が言っていました。「先生見てくださいよこれ、この家々」。山の斜面に泥を塗り固めた様な家なんです、この人たち元々。ところがその中にね、汚らしいって言ったら怒られますけど、煉瓦がこうむき出しになってる。一応煉瓦造りの家もあるんですよ、いっぱい。

そこにはタイの衛星をキャッチするパラボナアンテナがあって、テレビを観れるんです。通訳が「先生ちょっと見てください、あれ」と。僕らから見たら、とても綺麗な家とは言えない煉瓦の家、パラボナアンテナ。「あれは何かと言えば"女たちの命"です」と言ったんです。女たちはこれだけの、たったこれだけの贅沢を手に入れるために、命懸けでタイへ行って、売春して、エイズになって帰ってきて、皆死んでいくと。

「残る物はこれだけなんです」と言ったんです。で、この家も同じですね。ミャンマーは、今は知りませんけど、かつてこの頃は13人に1人しか、エイズの薬くれないです。だから12人は死んでいくんです。助かっても、熱が出たり、下痢をしたり、もう働けなくなるんですね。

このお父さんも兄弟が5人、これ5人子供がいたんですけど、ほとんど一週間に1回とか2回とか、オートバイでちょっと荷物運んだりするしかない。だから生活していけないです。

この前に僕が行った時は、米櫃の中、空ですよ、空。子供いっぱいいるのに。村に行くと。で、そこのお母さんに「これ米ないんだけど」って言ったんですよ。「どうするの? 今晩」って。「ないから食べません」と言っていました。こんな小さい子もいっぱいですよ。「ある時食べます。ない時食べません」って言っていましたよ。まぁ当たり前なんですけど。

ここも5人兄弟だったんです。皆から向かって一番右の子は10歳ですね。で、隣が8歳かな? ここといるんですけど。実はこの上に12歳の女の子がいた。だけど何が起こっているかと言うと、要は人買いですよ。人買いが起こっているんです。タイか中国側から人買いがやって来て、おじさんがやってきて、こう言うんです。

「生活するの大変でしょ? お宅の娘さんを預けて下さい」と。「預けてくれたら、ご飯食べさせたり、お手伝いさせたりしてね、少しお金もあげるし、ご飯も食べさせますよ。だから私たちに預けてくれませんか?」と言うんです。そうやってね、すっごい数の人たちが、子供たちが連れて行かれてるんです。国境を越えて。

本当にどれくらい連れて行くかと言うと、これ12歳ですけど、この位から連れて行くんです。6歳7歳8歳位、早ければ。小さいうちは家で子守りさせたりとか、本当にお手伝い、お掃除させたりとかするんです。だけど12歳くらいになると、もう売春宿に連れて行かれて、売春させられるんです。

そうしたらエイズになるでしょ? そうしたら国籍が違うでしょ? 誰も構ってくれないんです。もう働けなくなってくると、捨てられるんです、そこから。そして行く所がないから、彷徨うんです、子供たちは。橋の下にいたりとか、トコトコどこかに隠れていたりとか。それを保護されるんですね。保護されるか、捕まるんですよ。国籍が違うから。

そして、ミャンマーだったらミャンマーの国境警備隊に引き渡されて、最後は施設ですね。エイズの子供たちを集めたような施設に入れられて、そこで10歳ちょっとの人生を皆終えていくんです。20歳になる前に、皆死んでいくんですね。治療も受けられないからね。

160人の子どもたちを救うためにつくった施設

僕は医者だけどね、この事実を知っていてどういう風にしたらいいかな? とずっと悩んできたんです。だってマフィアがめっちゃ絡んでるでしょ? だから僕らのスタッフを行かせてストップさせたら、スタッフが殺されてしまうんです。だからどうしたらいいかと、ずっと考えてですね。

とにかく、対応施策をしようと思ったんです。とにかく親たちにね「僕に預けてくれ」と。「そしたらもう腹いっぱい飯食わせるよ、あなたの子供には」と。そして、今学校も行ってないけど「もう好きなだけ勉強させてやる。学校も行かしてやる。それから学校を卒業した後は、何かテクニック、技術を付けて、あなたたちにお返ししますよ」と。

「それはすぐにはお金にならないかもしれないけれど、5年10年したら、みんなそのお金で生活出来るようにしますから」って言って、僕ずっと国境の所で待ったんです。もう最初は、新しい人身売買のやつかな? と思われて、大分怪しまれましたけど。だけどずーっと待ってね。そして人が集まり始めたんです。

それが2010年の暮れ位です。2010年の暮れ位に、集めて施設つくったんです。1000km離れた所に造りました。傍に造らなかったんです。なぜかと言うと、日本の昭和の初めの頃もそうですけど、弟や妹が食べてないと、お姉ちゃん自分で身体を売られに行くんです。自分で国境を越えて。

食べてないでしょ? それがもう可哀想だから、自分が犠牲になるんです。だから慣れないような遠い所に施設つくりました。1000km。で、この施設をつくったんです。2010年の終わり。

そして最初にやって来たのが、この28人だったんです。

ご飯も腹いっぱい食えと、もうどんどん食わしてます。最近ちょっと肥満の子が増えているくらいで。たくさん、ご飯もうなんぼでもおかわりできて、おかずは限られちゃうんですけど、ごはんはなんぼでもおかわりしていいと言ってあるんですよ。で、今たくさん食べています。

でね、今一番向かって左の奥に見えるのが、最初の施設です。その倍の大きさのやつをこっち(右)に造りました。こっち(右)が女の子、向こう(左)が男の子ですね。

これは食堂も作りました。ミャンマーの社会福祉庁というのはですね、お金出さないけど口はめっちゃ出してくるんです。だから皆さんの親と一緒で、食堂を作れとかうるさいんですよ。で、まぁ食堂作りました。ここでみんな食べています。

クリスチャンの子が多いのでね、8割くらいクリスチャンなんですよ。お祈りしたり。仏教の子も2割。ミャンマーは仏教の国なんですけど、国境地帯はクリスチャンが多いんですよね。これは遊んでいる所ですね。

これはまだ途中ですけど、今ここに160何人になりました。2年位で。僕はいつも言うんですよ。皆さんもね、想像力を働かせて、もし僕の立場ならば何をしたか考えて欲しいんですよ。手をこまねいて見ていたか、諦めたか、それとも何か一つでも行動したか。

僕が言ったように、最初から何百人助けられないと思っているし、無理だという事はわかっているんです。だけど医者だからね、一人一人頑張って助けるんです。山登りと一緒だから。皆さんの成功も同じでしょ? 足下見て、高い山登る時は上ばっかり見ないで、時々上見るんですよ。普段は、足下を見るんです、自分の足を。そして、一歩一歩と登っていくしかないんです。高ければ高いほど。

だから一人、そしてまた一人と集めてきて、しっかり面倒を見ていくっていう事ですね。結果的にまぁ2年位で160人以上の子供たちが今ここに収容されたんです。

映画のように残酷な、ゴールのない現実

皆さん想像して欲しいんですけどね、映画の1シーンで皆さん観客ですよ。映画が始まって、夜ごはん食べていない弟妹が「ごはん! お腹が空いた」と泣いている。お父さんも死んでしまっていない、お母さんが小さい子供の面倒を見ている家に、コツコツコツコツと、夜に外からブローカーが近づいてくるシーンから映画が始まったと想像して下さいよ。

コンコンと戸を叩く。開ける。ブローカーが来て「お宅の娘さん預かってもいいよ。ご飯食べさせるよ。私に預けないか?」と言って、大体1万~3万円くらい置いていくんですよ。連れて行く時に。「これで弟妹に何か食べさせてあげて」と連れて行くんです。その時にブローカーに手を引かれて、この10歳位の女の子が。

もう本当に荷物っていってもちょっとしかないからね、リュックサック一つもないですよ。みんな自分の私物なんか、こんな小さな手提げぶら下げて、おじさんに連れていかれる。小さいうちは、本当に家でお手伝いさせられるんですよ。掃除させられて、勉強、学校なんか行かせてくれないですから。子守させられたり、料理させられたりするんです。

中学校入る位の年齢になったら、ある日突然連れて行かれて売春宿に立たされる。選ばれるんですよ。ざーっと並ばされるんです。そしてお客が来て「あの子、この子」と言われて、選ばれて、部屋に入っていくんです。そして最初の日からね、ずーっとこう繰り返して、変な熱が出始めて、そして熱が引かなくなって、とうとう伏せていたら家から叩き出されて、行く所ないからウロウロウロウロするでしょ?

そして、警察の怖いおじさん、制服着た怖いおじさん達に捕まって、何かわからないけど引き渡されて、施設に放り込まれて、最後そこで死んでいくね。これが彼らのストーリーですよ、ほとんどの。これをみんなが映画で観た時に、我慢できるかという話です。どこまで我慢できるかという話だと思う。

で、僕はもうダメだと思ったんです、生理的に。だから何か一つでも、さっき言ったたった一つでも良いから、この世からそのシーンを消せるだけで満足だと思ったんです。僕は今でもそうなんですけどね。頭良くなかったんです、本当に。

で、医者になったでしょ? で、今たくさんの人たちに接して、本当に死にそうな子供、本当に大変だった子供達を一人助けるでしょ? 助かるでしょ? もうそれだけでね、苦労して医者になったけど、医者になった元を取れたと思うんです。後はもう付け足しだなと思うんです、ここからは。

もう本当に苦労したけれど良かったと思いますよ。一人助ける事ができたら。そしてそれを一つ一つと、また積み重ねて今がある。そうやって積み重ねて、今160何個の人生を、さっき言ったストーリーからこちらへ引き戻したんですね。

これはですね、実は戸田恵梨香さんという女優さんが来て、一週間ここで滞在していきました。それはテレビで流れたんですけど、ずっとNHKに。一緒に国境も行って、子供たちも5人か4人一緒に連れて行きました。一週間くらいここで一緒にお世話していました、彼女。彼女も人生変えたかったと言っていました。

色んな有名な女優がいるんですよ、彼女のプロダクション。小雪とか、広末涼子とかみんないるんですよ。だけど彼女が今一番売れているんです、その中で。その事務所のドル箱は彼女なんですね。だけどね、それは同じなんだけど、芸能界って成功した奴は腐るほどいるでしょ? それでいっぱい消えていくでしょ? その中で一握りの成功した人間でも、今だって満足していないんですよ。悩んでいるんですよ、みんな本当に。ゴールなんてないんだから。

これは今サッカー教えています。ミャンマーの女子のナショナルチームの監督は日本の監督なんです。日本のサッカー協会から有名な人。その人たちが、子供たちにサッカーを教えに来てくれています。

これは僕がいて、真ん中の二人は日本の全権大使ですね。サポートし始めたんですね、個人的に。僕は大使に言ったんですよ。その大使はNGOが大嫌いなんですよ。金せびってみたいな感じです。すぐ政府に金せびってっていう感じなんです。大っ嫌いなんです。

だけど僕の事だけは非常に可愛がってくれているというか、大切にしてくれていて。それはたぶん僕がこう言ったから。僕がこの施設を始める時もそうだったんですけど、医療もそうなんですけど、「お金があるからやるんじゃないんです」って言ったんです。「やらないといけないと思うから、やってるだけです」と。

「だからそれが僕は医者なんで、一人でも二人でもいいんです。結果的に1000人になるかも、2000人になるかもしれない。だけどどっちでもいいんです。それは一歩一歩のぼって行った結果だから。でも大切なのは、やっぱりやらないといけないと思ったから、やってきただけなんです。ここの施設も一緒です。この子たちこのまま放っておけない、放っておいちゃだめだと思ったから、やり始めたんです。それで今160人超えただけなんです」って言ったんですよ。それから非常に信頼してくれていますし、今、奥さんなんか自分の時間を使ってここへ来られたりしていますね。

これは安倍昭恵さんといって、今首相夫人ですけれど、彼女もこの前来た時に公式訪問してくれまして。

こうやって見て行ってくれました。まぁ昔からずっとサポートしてくれているんですけど、今回正式にこうやってこう来てくれたんで、首相夫人として。ミャンマー政府がやたら協力的になりました。それが良かった所ですね。

これが何かというとですね、実はまだ内戦しているんです、ミャンマーって。最後の内戦地があって、そこにこの間手術しに行ってきました。1年前に行った時は、バリケードだらけで、そこで爆発、そこで爆発、という時だったんですけど。この間行った時は大分バリケードが取っ払われて。ここで子供を200人ちょっと診て、80何人手術をしてきました。

これは手術をしている所ですね。

このユニフォーム着てるのが、13人のジャパンハートのチームを作りました。日本人とミャンマー人の混合ですけど。これだけで行ってやってきました。

20年前の変わり者が、世界を代表する医者に

これが何かというとですね、日本で外科医達の集まりが、色んな医者がいるでしょ? その外科系の医者が集まる日本で一番大きな学会が、外科学会の総会なんです。今年は福岡であったんです、総会が。大体3万何千人参加するんです。全国から3万人以上の医者が参加するんです。

その一番最後の一番大きなセッションに、僕は招待講演というか呼ばれたんです。世界で活躍する外科医からのメッセージという事で、世界中から8人の医者が呼び戻されたんです。そのうちの一人が僕なんです。

例えば、今はカナダでロボットのカチンカチンっていうようなロボット手術やっている人。たぶん医者だったらわかると思うんですけど、もう手術室に人がいないんですよね。ロボットがやっているんですよ。ガンダムの世界になっているんです。あるいは、移植ばかりやっている医者とか。あるいはアメリカのコロンビア大学で教授をやっている人とか。あるいは日本の移植の道を開いた人とか。

そういう人の中に僕一人選ばれた。凄いでしょ? っていう話ではないです。僕は20年前ね、こうやって海外医療やる時、世界中でやってる人が誰もいなかったんですよ。本当に医療をやっている人が、バリバリと。それで今までずーっと手探りでやってきたんですけど。

でもね、もう20年前というのは、ご存じのように大学っていうのは医局全盛の時代で、みんな医者は卒業したら大学に所属したんです。医局っていう所に。僕なんかは最初から入っていないから、ただの変わり者だったんですよ。ただの変わり者ですよ、本当。で、行きたいやつはみんな医局に潰されたんです。行ったら働けないようにするとか、お前帰ってきたら就職ないよとか。みんな潰されて行かなかったんです。

僕はもう最初から縁遠かったんで、行ったんです。だから20年前はね、ただの変わり者だったんですよ。それが20年経って何が起こったかと言うと、こんな僕の話をわざわざ外国から呼び戻して、医療の日本の中心の外科医たちが皆で聴いているんです。「皆さんの中で海外医療に興味ある人いますか?」って言ったら、みんな手を挙げるんです。

その挙げる人たちが誰かと言うと、若い人達じゃないんですよ。だけじゃないんですよ。みんな教授やっている人たちが、みんな手を挙げる。もう時代が変わったんですよ、本当に。この時代の変わり様、皆さんも感じていないとだめです。日本に居たら分からないですけど、アジアに行って、見てください。

20年前皆さんが生まれた頃はね、日本中が村ですよ。ウロウロしているアジア人、中国人なんてほとんどいないです。シンガポール人がぱらぱらっ、タイ人がぱらっ、韓国人ちょろっ、終わり。今もうぐっちゃぐちゃですよ、海外行ったらどこでも。

東南アジアの学生たちが、普通にバックパック背負ってウロウロしているんですよ、アジア中。ものすごい混ざっているんですよ。2015年、ASEN医師免許統一すると言っていますよ。それぐらい混ざっていますよ、世界は。

だからもうアジアなんて、沖縄の隣の島だくらいの勢いで考えておかないと、もうそんな遠い所じゃない。もう沖縄行くくらいの感覚で行けないとだめです。そしてそこで普通にやってこないと、好きなこと。もうそんな時代ですよ。

だってハリウッドの映画を観たって、昔の映画ってアメリカの映画でも、ローマ行ったらローマだけ、ロンドン行ったらロンドンだけ、アメリカの国内のばかりだったでしょ? 今の映画観てくださいよ。ハリウッドの映画でも世界中飛び回るでしょ? あら上海? あらモナコ? あらアフリカ? ってやっているでしょ? ヨーロッパとか。

もうあの感覚ですよ、世界は。世界はものすごい確実に近くなっていますから。皆さんの時代は、もうびっくりするくらいになりますよ、ぐちゃぐちゃに入り乱れて。こっからは皆さんが出るよりも、外国人が大量に入ってくる可能性も十分にあって。こっから先の10年なんてね、ほとんど予想できないですから。えらい時代がきていますよ。

だから皆さんも躊躇していないで、ガンガン出た方が良いです。そして色んな経験をしておいた方が良いです。そのくらい世界が近いという時代に生きている、という自覚があった方が良いですね。

これ、ちなみに出してみましたけれども、ジャパンハートに来ているお医者さんと看護師さんの数です。僕はジャパンハートを作ったのは2004年ですよ。医者と看護師合わせて4人。去年215人来ましたよ、僕の所へ手伝いに。これ全部無償ですからね。自分で航空券買って、そしてお金払って来ていますからね。200人突破しましたね。今年は300人突破しますよ。ほとんど確実に。

すごい勢いで人が……まぁこれは彼らが働ける仕組みを僕が作ったんですけれど、日本の中で。そしたらこんなに増えたんです。もうこんな時代ですよ。みんなが日本の中で燻っている時代は終わりだから。これからとにかく世界目線でやらないといけないと思います。

学校でみんながレポート課せられてやってても、このモニターの向こうで、インド人とか中国人とかドイツ人とかアメリカ人の優秀な奴が聴いていると思って発表しないと。そういうレポートを書かないと。世界目線で動くっていうのは、そういう事でしょ? そういう風に感じながらやらないと、到底通用しなくなる時代も来てるかもしれないです。

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