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MANABICIA代表・池原真佐子氏(全3記事)

「選択肢の中に“逃げ道”を残して」 自己肯定感が低い女性起業家を救った、弱さを認める勇気

<気仙椿>プロジェクト主宰でre:terra代表の渡邉さやか氏が主催するイベント「その人の生き方が知りたい!~社会貢献と女性の生き方を考えるセミナー~」で、第4回目のゲストとしてMANABICIA代表の池原真佐子氏が登壇しました。PR会社からNPOへ転職、そしてコンサル会社を経て起業に至ったという異色のキャリアを持ち、一方で母親としての顔も持つ池原氏が考える「女性の魅力を高める方法」とはなにか。両者がキャリア構築や仕事と育児の両立について語りました。

「ここぞというときの自信」がチャンスを掴む

池原真佐子氏(以下、池原):今はやってないんですけど、私は最初、女性の個人のお客さんをキャリアコーチングしてたことがあったんです。東京出身で大企業で、すごく学歴も高いような女性が、いまだに「自分はこういう生き方をしなきゃいけない」というレールにすごくはまってる気がするんですよ。

そのレールを降りたところで誰もきっと責めない。責めるとしたら親だったり周りの古い価値観なんですけども、やっぱりそこを降りることを躊躇している。でも、レールに乗っていたくないというのをすごく感じます。

渡邉さやか氏(以下、渡邉):どうしたらいいんですかね? 真佐子ちゃんはきれいだし、努力もするしすっごい自信があるでしょうって思うじゃん。

池原:ないない(笑)。

渡邊:毎回言うんですよね(笑)。この『自信と望むキャリアを手に入れる 魅力の正体』もそうだと思うんですけど、起業して、いろんな人に出会いながら、自分自身を自信をもって認めてあげるとか、そういうプロセスがきっとこの4年間であったと思うんです。どういうところで変化していったのかな?

今、「自信がないよ」と言ったかもしれないけど、どうやったら自信を持ちながら自分らしく生きていこうとしていけるのか。

池原:私はコンプレックスの塊で、常に成績も一番最後のほうだし学校ではいじめられるし。

渡邊:意外よね。

池原:(笑)。そこで自信というのが、すごくキーワードになりました。

私は極端に自己肯定感が低くて。がんばり屋さんなんですけど、その原動力は常に悔しさだったんですよね。バカにされて悔しい、できない、でもそれって常に人との比較の中にあり、いつまで経っても苦しい状態がわりと続いていた気がします。

でも、最近になって思うのが、自信って24時間365日なきゃいけないものではなく、ここぞというときに見せられたら、それがチャンスを掴むきっかけになるんだろうなと。最近そう思うようになって楽になりました。

だから、大事な場面だけは自信を見せるようにしています。でも家に帰ると、悩んだり泣いたりよくしてます(笑)。

出会う人との熱量が高まり、起業へ

渡邊:それを大事なところで言うってけっこう大変なことだと思うんですけれど、それを自分の中で支えているものが、もしかしたら旦那さんかもしれないし、お子さんかもしれないし、ご両親かもしれないんですよね。そういうところでのパワーってどこからくるんでしょう?

池原:もちろん家族の存在もあるんですけど、そのさらに奥には「自分がこういう未来を実現したい」という思いがあります。

渡邊:私も自信がなくて、けっこうフラフラ生きているんですけど(笑)。

私の中のモチベーションは現地で出会う人なんですよね。

陸前高田って、市の花が椿なんです。椿の花言葉が「誇り」「本当の愛」なんですよ。震災の後で行ったときに、地元のおばあちゃんが「津波をかぶってもこの花は枯れなかったのよ、この市の誇りなんだよ」と話をしてて、なるほどと思って。

でも当時、起業しようと思ってなくて。おばあちゃんたちの話から「なるほど」と思いつつ、「なんかできたらいいな」と思っていました。だんだん地元の人と仲良くなって、遊びに行ったわけじゃないんですけど、決意がわいてくるというか、コミットメントが強くなっていきました。

花の話もそうだし、アジアの女性起業家たちもネットワークを200人くらい作ってくれてるんです。そういう起業家たちが地元でがんばっているのを見ると、なんか一緒にやんなきゃとなっていきました。

起業家は自分のミッションを持って「やる!」という人が多いと言われるんですけど、私は出会う人との熱量がお互いだんだん高まることによって「よし、じゃあ高田で一緒に作ろう」となります。

今度、ヨルダンに行ってシリア難民の養成所を作るんですけど。「よし、やろう」みたいなことを、だんだん醸成しながらやる気になってくパターンなので、けっこうフラフラしていて、あまり日本にいないんです。

ベストを尽くした時、次のステージが見えてくる

渡邊:人によるのか、自分の中から生まれるものってものすごく強くて、それがたぶん自信につながっているとか、自分自身を見つめることが大事だと思うんです。とはいえ、私が人とのつながりというか、関係性の中でだんだん自分がそうなっていったんですが。そのへんはどうですか?

池原:例えば働く女性たちから相談を受けるときに、「ミッションとかビジョンがよくわからないんです」という相談がすごく多いんですね。だから自分の次の一歩が決められない。

その気持ちはわかります。キラキラした人を見るとビジョンやミッションが天命みたいに降ってきたような、そこに向かってやってますみたいな人が多いように感じます。でもそんな人はとても少ない気がしていて。今、その場その場のベスト、「今、これがミッションだと思う」「今、これが私の使命だと思う」をやっていくしかないんですよね。

今ここでベストを尽くした時に、また次が見えてくる。私もそういうタイプだと思うんですよね。人との出会いがキーになることもあれば、自分の中で「これかも」と思い直したこともあるし、苦しくて苦しく悩んでもがいて逃げた先にまた違う道があったこともすごく多かった気がします。

渡邉:今の最後のところ。苦しくて逃げることってあるんですか?

池原:あります(笑)。

渡邉:なるほど。例えば言える範囲で苦しくて逃げてて、そこでの新な気づきにはどんなことがありましたか?

池原:そうですね。私はPR会社、NPO、コンサル会社を経てきたんですけど、NPOにいるときは辛かったですね。合わなかったんです。

ただ、逃げるのもすごく勇気が必要だと思うし、逃げた先は自分のベストにしていくっのもすごくエネルギーが必要です。私は逃げてよかったと思うし、もっと早く逃げればよかったと思います。

渡邉:とくに日本人ってがんばるのが得意じゃないですか。あるじゃないですか、頑張るのが美徳みたいな。人よりちょっと長く働いたほうがいいとか。いまだに日本だとお金のことをガツガツ言うと、とくに嫌がられるんですけど。

自分ができないことをよしとするのか、逃げることをよしとするのかによって難しいんだと思うんですよね。その当時思ったかどうかも含めて。

池原:そうですね。ただ「ここに残り続けて自分の精神が疲弊していくことが私の人生の負け」だと思ったんです。そこが合う人もいるけれど私は違うと気づいてしまった。

渡邉:なるほどね。本当に私もそこは思っていて、ただ、誰でもそうだし、今でも逃げちゃいけないんだと。自分の弱みをさらけ出してはならないみたいな。

戦略の中に「逃げ道」を残しておく

渡邉:女性もそうですけど、男性の方がけっこう辛いところがあると思うし。あと、すごく思うのは、女性って北極星じゃなくて、周りの人の関係性やその日の気持ち、このタイミングで起きたことを感受性高く受け止めて自分のものにしていく感があるなと思っているんです。

そこは自分自身もそうなんですけど、真佐子ちゃんとかもそうなんだけど。起業家の人たちを見ると、なんとなく見えているんですね。

それ以外のことを柔軟に受け止めながら、プラス、結婚して子どもを産むじゃないですか。なんかそういうのがあると、女性は柔軟に受け止めざるを得ない感じがあるかもね。

池原:逃げ道をすべて潰していく。それでよい場合もあれば、全滅する場合もあります。エグゼクティブコーチングの中で、本当にマネジメントのかなりのプレッシャーの中で、従業員が家族まで背負って自分が決断していく。その中で、逃げ道を残していくのが1つ戦略だなと思うんです。

「ここ突っ込んだら全滅する」って、ちょっと会社として怖いですしね。「じゃあこれがだめだったらこういう逃げ道を残す」というのは大切です。

ただ、それに「逃げ道」っていう名前がついているから、ちょっとずれた感じになるんです。いろんな道を自分の選択肢に入れておくということと同じだと思います。それを柔軟に判断して組み合わせていくのは、しなやかな判断だと思っています。

渡邉:選択肢がいっぱいあるって大事な判断ですよね。私はアメリカのビジネススクールでマインドフルネスを教えているジェレミー・ハンターという人がいて、その人の研修を受けるとまったく同じことを言っていました。みなさん、自分が今ここで一瞬一瞬なにかしら判断するんですよ。

今ちょっとしたなにかが心地悪い、心地いい。なぜ自分はそう思うのか、なぜそれを今心地いいと思ったのか、なんでそれを心地悪いって思ったのか。その1秒とか一瞬を分析することによって自分のパターンが見えてくる。

自分の癖を分析すると、今まで見てた選択肢がもっと広いことに気付き始めた。「これだけしか選択肢がない」と思ったけど、実は癖を見直すともっと広く視野が持てるから、一瞬で止まらなかった判断基準や選択肢が広がる。

一瞬一瞬の選択肢の積み重ねで人生がある。だから、一瞬の選択肢で人生がちょっと変わってくるんですね。選択肢を持つって、選択肢をやめることも含めてすごい大事だけど、意外と難しいんだなって思いますね。

起業した年に出産を決意した経緯は?

池原:例えば、女性で多いのが「将来こういうキャリアにしたいけど、この時点でこうこうこうなるから今動けない」。

未来の選択肢ばかり見て、今の選択肢を否定しちゃっている気がします、今のさやかちゃんのお話でいうと、「今」のこの選択肢にまずフォーカスすることが大事。将来結婚するかどうか、子どもを産むかどうかわからないじゃないですか?

そうすると結果的に、子どもが産まれたとしても納得のいく選択になるのではないでしょうか。

渡邉:本当にそうだと思う。だから、「この仕事が落ちついたら子作り」みたいな。一生落ち着かないみたいなのがあると思うんです。ちなみにお子さんは産まれて1年?

池原:1年3ヶ月になりますね。

渡邉:そうですか。それはなぜ産もうと思ったのか、どういう意図がありましたか?

池原:私はもともとキャリア志向がけっこう強くて、子どもっていうのをまったく意識してなかったんです。夫とも「子どもはいいか」という話をしていました。しかも起業したばかりなのに、「今子どもなんてどう育てるんだ」と。

渡邉:そうなんですよ。起業した年齢で子どもを産んだんですよね。それもすごいなと思って。

池原:起業した半年後に修士論文の提出日があって、わりとそこが大変だったんですよ。起業と修論。その次に出産。ただ、それも「将来こうなる」「ああなる」と予測したってなに1つも当たらないし、ネガティブなことしか湧いてこないので。

今できる選択肢を最大限に考え抜いて、今できるベストな選択をしました。

「駐在妻」を選ばず、1人で子育てを決意

渡邉:すごいですよね。しかも旦那さんは今海外にいらっしゃいます。だから1人でがんばってされているんですよね。

池原:なぜこのタイミングなんだろうとは思いました。でも、やっぱり私が辛かった時期も含めてすべて全力でサポートしてくれた夫です。彼のやりたいことを邪魔してはいけないと覚悟しました。

ただ、彼もすごく子どもを愛しているので、それをどうバランスをとっていくかは悩みました。結果、私が臨月の時に夫はヨーロッパへ行ってしまいましたが、遠距離で協力して育てることにしました。

渡邉:すごい。私、出産経験してないからあれなんですけど。臨月だけでも大変そうなのに1人で出産する……しかも直前まで仕事してましたよね。

池原:出産2日前まで打ち合わせしてました。

渡邉:世の中の多くの女性が「駐在妻になったらいいじゃない」と思うと思うんですけど、なんでそれを選ばなかったんですか。

池原:私、高校の時に「駐妻」っていう言葉を初めて知って、駐妻っていいなぁと思っていました(笑)。ですが、いざ自分が駐妻になるかならないかを考えた時、いろんな価値観の下にいろんな判断があると思いますけど、私は違うと。

判断を迫られたその瞬間に「ないな」と思ったので選ばなかった。もしかしたら3年後にはなっているかもしれないですが。でも今はないです。

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